原初の魔女と雇われ閣下

野中

文字の大きさ
15 / 79
第2章

4幕 狂うのは後回し

しおりを挟む

「私が、あの憑依していた魔族だと思い込んでいるようでな。妙な交渉を持ち掛けてきていたが――――」


「我が君」


アスランを立たせ、自身も立ち上がったルキーノが、優しげに微笑む。
「後始末はお任せを」


オズヴァルトは、串刺しになり、ばたばたと騒がしく暴れる使い魔を見遣った。


そこに何かいるな。

という以上の興味は湧かなかったらしく、その視線はすぐ、ルキーノに戻る。
その時には、もうそれを忘れたような顔で、一言。


「では、片付けろ」


主の言葉に、流麗な仕草で腰を折り、ルキーノは一礼。

「お任せを」

慈悲深いような声で応じ、すぐさま踵を返す。
その両手に、ふと気づけば短剣が握られている。

それは流麗な造形の短刀だった。

彼の背を見送るオズヴァルトには見えなかったろうが、…ルキーノの唇に刻まれた、微笑は。
優しさと残忍さが同居した、ひどく毒のある代物だった。

その背を見送ったオズヴァルトは、淡々と、
「グラツィエ」
背後に呼び掛けた。すぐさま、

「はい、我が君」
冷たい水のような女の声が応じる。

いつからそこにいたのか。

オズヴァルトの斜め後ろに気配なく控えていたのは、ゼルキアン城の侍女長、グラツィエ・リモンディだ。
彼女の後ろには、目を伏せ、人形のように気配なく控えている侍女が二人。

それぞれに個性はあるが、いずれも、目も覚めるような美人だった。
中でも、グラツィエは黒髪・青い瞳の、知的なお姉さんといった雰囲気がある。

あまり感情を表に出さない女だが、打てば響くような返事から、彼女が主人からの命令を心待ちにしているのが分かった。
「帰ってきた者を、もてなすように」

「畏まりました」

まったく熱の乗らない、義務的な、格式ばった声だが、真の主人から命令された以上、グラツィエは完璧にこなすだろう。



「おそれながら」

ビアンカが、そこに力ない声を割り込ませた。



「先に、お話ししたいことがございます、若さま」

踵を返そうとしたオズヴァルトは、ふと、ビアンカを気遣うように見遣る。
話の内容は何だ、と本来なら、尋ねるべきだったろう。だがオズヴァルトは、

「疲れて、いないか」
まるで、ビアンカが話したいことを知っているように、尋ねた。

「まだ」
ビアンカは、不敵に微笑む。



「三日間、全力疾走し続けたって、平気です」



「そうか」
オズヴァルトは静かに頷く。
次いで、その腕を伸ばした。直後。

「え」

呆気に取られたビアンカを、オズヴァルトは軽々片手で抱き上げる。その状態で、
「では、部屋へ来たまえ」

どこか気怠い声で告げた。
「アスラン」

「あっ、はい!」
「また、後でな」

「…はいっ」

緊張しきりの少年とメイドたち、それから断末魔の声を上げる使い魔の騒音を背に、オズヴァルトは無造作に歩き出す。


―――――主人と、一対一の対話を許された。


その嫉妬が、いっとき、居合わせた魔人全員からビアンカへ放たれる。が、すぐ萎んだ。
ビアンカがヴィスリアの魔人の中でも、特別な立ち位置にあることは、皆にとって、明白なことだったからだ。

彼女は確かに、他の魔人たちと比べ、幼い姿をしている。だが、本来は。



六十代の婦人であった。そして。




オズヴァルトの乳母。




それが、ビアンカの正体だ。

母のような、祖母のような。
皆にとって、ビアンカはそんな存在だった。



…オズヴァルトが魔族に憑依されている間、今にも崩れそうな魔人たちの心を支えたのも、彼女だ。





―――――待ちなさい。
ビアンカは、言い続けた。
信じ続けた。

他の誰より、彼女自身に言い聞かせるように。


―――――狂うのは後回し。耐えなさい。若さまが戻ったら、存分に狂っていい。



言い続けたビアンカは、今。

…口を閉ざし、無言のまま、オズヴァルトの肩を掴んだ。





オズヴァルトは、真っ直ぐ自室へ向かう。
そんな彼に、きびきびと立ち働いていた侍従や侍女たちが、脇へ退き、誇らしげに首を垂れる。

そんな中、ビアンカはじっとオズヴァルトの横顔を見つめていた。

廊下を進めば、部屋の前で控えていた侍女が、頭を下げながら無言でオズヴァルトの自室の扉を開ける。
オズヴァルトの世話をするためだろう、中へ入って控えようとする彼女を制し、

「ここはいい」
オズヴァルトは億劫そうに告げた。

「必要になったら呼ぶ。外で待機したまえ」
侍女の顔に、たちまち、とても残念そうな表情が浮かぶ。
ほんの少し恨めしそうな眼をビアンカに向け、
「では、控えておりますので、いつでもお声かけ下さいませ」

「ああ」
律儀に返事をするオズヴァルトに、期待するような一瞥を投げ、侍女は残念そうに外へ出て行った。
丁寧に扉が閉まるのを待って、

「恨まれましたね」
ビアンカが肩を竦める。直後。

空色の瞳を、真っ直ぐオズヴァルトに向けた。
強い眼差しで主人を射抜き、そのくせ、泣き笑いのような表情で、ビアンカは確信をもって、彼の名を呼んだ。





「イッペーさま、…ですね」





目の前にいる相手は、彼女が育てた、彼女の若さまではない。

とたん―――――オズヴァルトは、腹の底から深く、息を吐き出した。


「…ああ」


返事すら、嘆息そのものだ。
彼は深く頷く。

「そうだ、ビビ。あなたの若君は」

ほんのわずか、眉根を寄せ、彼は言った。





「私の目の前で、ヴィスリアの御許へ還った」





言いながら、彼はビアンカを床へ下ろす。
ビアンカは諦念の表情で目を閉じた。

来るべき時が来た心地で。

どこかで彼女は覚悟を決めていたのだろう。





だが、飲み下しがたい激情を、無理やり嚥下するように、上ずりかけた息を吐く。
それにはしばらく時間がかかった。

…その仕草を何度繰り返しただろう。

どうにかビアンカは、待ってくれている相手に、かすれた声で、





「何が、あったのですか?」
静かに、震える声で尋ねれば―――――硬い巌のような声が返った。





「…冬見一平が死んだ」








しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

【完結】あなたに知られたくなかった

ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。 5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。 そんなセレナに起きた奇跡とは?

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

悪役令息、前世の記憶により悪評が嵩んで死ぬことを悟り教会に出家しに行った結果、最強の聖騎士になり伝説になる

竜頭蛇
ファンタジー
ある日、前世の記憶を思い出したシド・カマッセイはこの世界がギャルゲー「ヒロイックキングダム」の世界であり、自分がギャルゲの悪役令息であると理解する。 評判が悪すぎて破滅する運命にあるが父親が毒親でシドの悪評を広げたり、関係を作ったものには危害を加えるので現状では何をやっても悪評に繋がるを悟り、家との関係を断って出家をすることを決意する。 身を寄せた教会で働くうちに評判が上がりすぎて、聖女や信者から崇められたり、女神から一目置かれ、やがて最強の聖騎士となり、伝説となる物語。

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

ナイナイづくしで始まった、傷物令嬢の異世界生活

天三津空らげ
ファンタジー
日本の田舎で平凡な会社員だった松田理奈は、不慮の事故で亡くなり10歳のマグダリーナに異世界転生した。転生先の子爵家は、どん底の貧乏。父は転生前の自分と同じ歳なのに仕事しない。二十五歳の青年におまるのお世話をされる最悪の日々。転生チートもないマグダリーナが、美しい魔法使いの少女に出会った時、失われた女神と幻の種族にふりまわされつつQOLが爆上がりすることになる――

【完結】異世界で魔道具チートでのんびり商売生活

シマセイ
ファンタジー
大学生・誠也は工事現場の穴に落ちて異世界へ。 物体に魔力を付与できるチートスキルを見つけ、 能力を隠しつつ魔道具を作って商業ギルドで商売開始。 のんびりスローライフを目指す毎日が幕を開ける!

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

処理中です...