原初の魔女と雇われ閣下

野中

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第2章

7幕 天の権能

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× × ×




虚空を見つめたその男の姿は、煙のように薄れて見えた。
疲れ切った表情で、しかし、晴れ晴れとした目をしている。

ゆらゆらと陽炎のように揺れるその姿は、一陣の風が吹けば消え去ってしまいそうで、女は極力そっと声を出し、抑揚のない声で彼の名を呼んだ。



「オズヴァルト・ゼルキアン」



今年四十の歳を数える男は、とっくに彼女の存在に気付いていたのだろう、億劫そうに振り向いた。

「女帝か。私にはもう用などないはずだが」
紫とも青とも取れる、霊妙な色彩の双眸に映ったのは。

ゆるいウェーブのかかった黒髪を、ひとつにひっつめ、分厚い眼鏡をかけた、喪服姿の女。
表情もなく、地味な恰好のはずなのだが、やたらと華やかだった。


「そうですね。だとしても」


男と一定の距離を開けたまま、女は眼鏡を外す。
あらわれた瞳は。

―――――新緑のような翠の色彩。

髪を束ねたゴムを外せば、さぁっと広がると同時に、黄金色に変わる。



とたん、太陽のような強烈な存在感と、豪奢なほど華やかな女が、そこに現れた。





「あなたは、生まれた時からずっと見守ってきた子ですから。このままただ、霊獣の御許へ還るのだとしても、最後まで見送りたいのです」

「あなたに」
ふ、とオズヴァルトは皮肉とも呆れともつかない微笑を浮かべる。

「そんな感傷的なところがあったとは」

「感傷?」
女帝と呼ばれた女は首を傾げた。冷たいような無表情だというのに、恐ろしいほど蠱惑的。

「今のわたしにそんなものがあるでしょうか?」

「では、義務かね」
そうですね、と女帝は素っ気なく頷く。
気を悪くした様子もなく、オズヴァルトは肩を竦めた。





物心ついたころに出会った時から、ずっと彼女はこうだった。
ただ、はじめて出会った時、穴が開くほど見つめられたのは鮮明に記憶に残っている。

正直、常軌を逸したうつくしさに見惚れるよりも、オズヴァルトは彼女が恐ろしかった。
なにせ、何をしようが話そうが、表情一つ変えない女なのだから。

だが、オズヴァルトを見つめることで、何が分かったのか。





―――――違う。





疲れ切ったように呟いて、女帝はオズヴァルトから興味を失った。失った事で理解した。

彼女はオズヴァルトに期待していたのだと。
そう、待ち焦がれた者を見る眼差しで、女帝はオズヴァルトを見ていた。


初夏の新緑に似た、女帝の翠の瞳に、星に似た光が宿ったのは、その時だけ。

とはいえ今となっては、オズヴァルトにはどうでもいいことだ。興味もない。


彼はもう消滅するのだから。
無責任にも、すべてを投げ出して。

それだけが心残りだが、もう彼は、霊獣ヴィスリアの中にいる。

そしてもし、彼が戻ったとしても―――――魔族によって無制限に周囲へ分け与えられた命は戻らない。それでも。




オズヴァルトが生き残る方法があるなら、一つだけだ。
オズヴァルトの肉体に宿り、天が忌み嫌う厄災を消滅させた、冬見一平の魂をその肉体に残すこと。
そうすれば、オズヴァルトは生き残ることができるだろう。
肉体だけ、だとしても。

その存在は、天によって、地上にて天の権能の行使を認められた、天人である。




天人ともなれば、不老長寿と伝承は語る。
伝承通りであるならば、一平の魂を宿したオズヴァルトの肉体は、以後少なくとも五百年は生きるだろう。
天人となったおりに得る寿命は、救った命の数と言われている。

だとすれば、彼はもっと長く生きる可能性があった。




―――――天の権能とは。

生死の領域、すなわち命の根幹を司り、世界に満ちる普遍的な法則そのものだ。
天人はそれに干渉できる。

もしくは、―――――…そのもの、と言えるかもしれない。


天とは、すべての源である。


神も、精霊も、霊獣も、魔族も人間も、なにもかもいっさいが、そこから誕生した。
天が災厄を滅したものに、その権能を与えるということは、災厄が、この世界から忌み嫌われる存在だということができる。

いや、存在として、そもそも認められていないのだ。それがなぜ、世界に存在しているのか。




それは、精霊たちの存在に端を発している。




栄華を誇った太古の文明が、あるとき、禁忌に手を染めた。
自然の化生である精霊たちを捕獲し、彼らを戦争兵器の燃料―――――エネルギー源として使用したのだ。


その兵器は人間、魔族、獣を問わず、数多の命を刈り取り、挙句の果てには暴走し、禁断の兵器を使って勝利を掴んだ国ごと滅んだ。


…その兵器は今も世界のどこかに眠っていると言うが。



平気の存在よりも、無残にエネルギー源として使用された精霊たちの怨念の方が有名になった。



以後それらは定期的に一部だけ地上に現れ、問答無用で地上を食い荒らした。
それは、冬見一平の世界で言うところの、自然災害と似通った現象だ。
それと少し異なるのは。


大地が黒く焼け焦げ、十年近く、命が芽吹かない死の大地となるところだ。


そして、人間が長居しては命を縮めるような不浄の空気が満ちる。

災厄の説明を簡単に一平にしたとき、少し考えた彼はこう言った。



―――――放射能汚染のように考えればいいのかもしれないね。
―――――ホウシャノウオセン?
―――――自然の浄化作用で元に戻るものではあるのだけれど、相当時間がかかるんだ。汚染された土地は死んだようになるし、人間には危険…だが、浄化は続いている。災厄はもしかすると、世界の自浄作用の一環じゃないのかね?

―――――定期的に一部が出てくることで、逆に浄化が進んでいるということか…ふむ、そのように考えたことはなかったが…。



永い時がかかっても、大地によって根気よく続けられている浄化作用の結果が、災厄なのだとすれば、見方も変わってくる。
言われてみれば、その可能性も、なくもない。

なんにしたって、こういった考え方からもわかるように、冬見一平という人物は妙に前向きなところがある。

ともかく。
災厄を一部だけとはいえ、滅ぼすことができた者は、歴史上、それほど存在しない。

今回の一平で、八人目、といったところか。

それでも、大半が集団で挑み、数多の命が散った挙句にどうにか生き残り、最後のとどめを刺した生存者が、辛くもその栄誉を得た結果だった。



たった一人で成しえたのは、歴史を振り返っても、一平だけだ。とはいえ。



最後の天人は、七百年前に存在したというが、別の言い方をすれば、以後は現れていない神秘の存在だ。
伝承に描かれているとはいえ、いっさいは未知。

そんな、状況に。

オズヴァルトは一平を投げ出したのだ。当然、
(…怒られて、しまったな)


つい、長い嘆息をこぼしてしまう。


一平は基本的に穏やかな男だが、そういった人物が真剣に怒った時は、本当に怖い。

―――――生きるのは君だ。

ごもっとも、とオズヴァルトは頷くしかなかった。
オズヴァルトにこうもつけつけモノを言える存在など、この世に数えるほどしかいない。そのうちの一人が、一平だ。

―――――責任があるのは君だ。

憤然と言葉を続ける彼を前に、返す言葉一つ思いつかなかった。



―――――彼等が待っているのは君だ、なのに。



全てから目を背けるのかね、と一平は怒った。
一平の怒りはいつだって、他の誰かのためだった。こんな時も。…だが。

一平の死には、オズヴァルトにも責任がある。
言えば、一平は首を横に振った。


自分も甘かった、と。






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