21 / 79
第2章
10幕 還る時間
しおりを挟むそれにしても、とオズヴァルトは女帝を見つめる。
今目の前にいる彼女から、一平に見せた弱さは欠片とて見つけることはできない。
無言で邪魔者を押し潰し、問答無用で強引に相手を従わせる、そんな日頃の冷酷な支配者然とした顔からは、その中に無力さが潜むなど想像させる余地もない。
「…そうですね?」
自身でも一平に対する態度は解せないのか、不思議そうに首を傾げる女帝。まるで他人事。
「ある程度、予想はしていましたが、想像以上でした」
彼女の言葉に、遠い昔、言われた言葉を思い出す。
―――――違う。
オズヴァルトは、女帝にとって、違った。では、
「イッペーが、『そう』だったのかね」
なんとなく思いついた言葉を投げれば、女帝は真っ直ぐ、オズヴァルトを見据える。
いつものごとく、表情はない。ただ意味深に目を細め、けれど結局何も答えなかった。代わりに、
「あなた、あの人に嘘をつきましたね」
あの時の態度は演技だったのかと、夢でも見たような心地にさせるほど堂々と胸を張った彼女は冷静に言った。
「何を言っている?」
前後の脈絡のない問いに、オズヴァルトはわざとわからないふりをしたものの。
彼女の言いたいことなら、理解できた。
そうだ、オズヴァルトは嘘をついた。一平に。
彼はもう消えてなくなりたい。だから残った身体を、残る人生を一平に譲る、と。
代わりに願いをかなえてほしい、と。
無論、これは完全な嘘ではない。だが、本当でもなかった。
オズヴァルトはもう完全に、自身の肉体へは戻れなくなったのだ。
理由は一つ。
あの肉体に入った一平が、災厄の一部を破壊してのけたからだ。
一平は、そんなものは、運が良かったからだ、偶然だ、と言った。
目の前で同じ条件がそろえば、誰だってできたことだろうと。
しかし、それは違う。
―――――勝つための条件が揃う。
それがこの瞬間だ、ということが起きる時間は、ほんのわずかなのだ。
針の先で突いた時にできる穴のように見えにくく、小さい。
それを見ることができるのは、機運を掴むことができるのは。
その小さな機会に、ずっと諦めず、目を凝らして、凝らして、凝らし続けた人間だけだ。
一平は諦めなかった。
だから彼だけに、それが可能だった。
皆の願いから背を向けず、真っ向から向き合って、どうすればそれが可能か、考え続けた彼だからこそ、できたのだ。
他の誰にも不可能だった。オズヴァルトにすら。
ゆえに天は彼を認めた。
必然だ。
―――――天人となり、天の権能を授かったのは、一平の魂が入ったオズヴァルトの肉体だ。
オズヴァルト自身の魂がその肉体に還ったところで、短命となったのは変わりなく、むしろ、還ることは不可能だ。
天人となったからには、魔族の魔力に感染した命を分け与え、魔人を誕生させた、そうして寿命が縮んだことなどものともせず、一平は不老長寿となる。
だがもしそれを知ったなら、一平は―――――罪悪感に苛まれるだろう。
もしあの時、災厄を彼が破壊しなければ、オズヴァルトは肉体に還れたはずなのに、と。
だがこうなったのは、オズヴァルトの自業自得だ。
オズヴァルトの肉体に宿った一平が、そのつながりを強固にしていくたび、オズヴァルトの魂は薄れていく。
そろそろ、完全に消えるだろう。いや。消え去るのではない。
還る時間なのだ。
霊獣ヴィスリアの中へ。
「無駄な嘘たったのに」
感情の熱がひとつも灯っていない目で、女帝は断言。
「あの人はどうせすぐ、事実を知ることになります。あなたはまた、…逃げた」
最後まで情けない子ですね。
そういう女帝も、最後まで情け容赦なかった。
しかしそれすらもう、今のオズヴァルトには刺さらない。
淡々と、その通りだと思う。
一平には悪いが、オズヴァルトはやりたいようにやった。
もしかすると、彼自身の意思に従って行動したのは、これで二度目かもしれない。
一度目は、妻との結婚だ。
実は彼女は最初、別の貴族との婚約が決まりかけていたのだ。
そこを、オズヴァルトがどうしてもと望み、彼女は振り向いてくれた。
…いつだってオズヴァルトは、ゼルキアン公爵として、それにふさわしく行動してきた。
己の望むままに動いたことは、本当に数えるほどしかない。
その通り、一平は知るだろう。
会話の最中にも、彼は疑念を抱いていた。
オズヴァルトが還らず、地位も責任も人生も、何もかも一切を一平に譲渡する理由として、オズヴァルトの心が折れたというだけでは足りないと感じていたようだから。
還る道を閉ざしたのが一平だとしても、オズヴァルトは彼を恨んでいない。
むしろ、感謝している。
災厄の一部を、彼は破壊してくれたのだから。
それが天すら認める奇跡だったというのに、彼だけが自覚していない。
オズヴァルトは晴れ晴れと微笑んだ。
「私はヴィスリアの目となり、意思となり、…別の形でゼルキアンを見守ろう」
何にしたって、残る手段はもうそれだけだった。
目を伏せた彼の姿が霊的に変容していく。
ただ、痛みが伴うような変容ではない。太陽の光が差し込むような、美しい変容だった。
人間の姿から、巨大な鹿とも思える姿に変わっていく。
一平がその姿を見れば、アラスカの写真集で見た、ヘラジカ―――――ムースと呼ばれる生き物によく似ていると思ったことだろう。
逞しい骨格に、体毛は、幻のように優美な純白である。
影は薄い青で、雪の結晶に似た輝きが身体の周囲で、ちかり、ちかりと瞬いていた。
その双眸は―――――神秘的な青紫。ゼルキアンの証。
これが、冬の霊獣ヴィスリア。
それを間近で見上げ、女帝は一時、眩し気に目を細める。その目を伏せ、
「…もうほとんど人間の時の意識は残っていないでしょうけど…」
淡々と言葉を紡いだ。
「あなたはわたしの幼い頃を知っている、数少ない一人だったのですよ」
千年を生きた魔女が口にするには、不可思議な言葉だった。
霊獣は一度、人間のように小首を傾げ、―――――すぐさま興味が失せた様子で、すぅと虚空へ姿を溶け込ませる。
しばし、誰もいなくなった空間を見つめ、女帝も踵を返した。
「さようなら」
0
あなたにおすすめの小説
ナイナイづくしで始まった、傷物令嬢の異世界生活
天三津空らげ
ファンタジー
日本の田舎で平凡な会社員だった松田理奈は、不慮の事故で亡くなり10歳のマグダリーナに異世界転生した。転生先の子爵家は、どん底の貧乏。父は転生前の自分と同じ歳なのに仕事しない。二十五歳の青年におまるのお世話をされる最悪の日々。転生チートもないマグダリーナが、美しい魔法使いの少女に出会った時、失われた女神と幻の種族にふりまわされつつQOLが爆上がりすることになる――
裏切られ続けた負け犬。25年前に戻ったので人生をやり直す。当然、裏切られた礼はするけどね
竹井ゴールド
ファンタジー
冒険者ギルドの雑用として働く隻腕義足の中年、カーターは裏切られ続ける人生を送っていた。
元々は食堂の息子という人並みの平民だったが、
王族の継承争いに巻き込まれてアドの街の毒茸流布騒動でコックの父親が毒茸の味見で死に。
代わって雇った料理人が裏切って金を持ち逃げ。
父親の親友が融資を持ち掛けるも平然と裏切って借金の返済の為に母親と妹を娼館へと売り。
カーターが冒険者として金を稼ぐも、後輩がカーターの幼馴染に横恋慕してスタンピードの最中に裏切ってカーターは片腕と片足を損失。カーターを持ち上げていたギルマスも裏切り、幼馴染も去って後輩とくっつく。
その後は負け犬人生で冒険者ギルドの雑用として細々と暮らしていたのだが。
ある日、人ならざる存在が話しかけてきた。
「この世界は滅びに進んでいる。是正しなければならない。手を貸すように」
そして気付けは25年前の15歳にカーターは戻っており、二回目の人生をやり直すのだった。
もちろん、裏切ってくれた連中への返礼と共に。
ボクが追放されたら飢餓に陥るけど良いですか?
音爽(ネソウ)
ファンタジー
美味しい果実より食えない石ころが欲しいなんて、人間て変わってますね。
役に立たないから出ていけ?
わかりました、緑の加護はゴッソリ持っていきます!
さようなら!
5月4日、ファンタジー1位!HOTランキング1位獲得!!ありがとうございました!
少し冷めた村人少年の冒険記
mizuno sei
ファンタジー
辺境の村に生まれた少年トーマ。実は日本でシステムエンジニアとして働き、過労死した三十前の男の生まれ変わりだった。
トーマの家は貧しい農家で、神から授かった能力も、村の人たちからは「はずれギフト」とさげすまれるわけの分からないものだった。
優しい家族のために、自分の食い扶持を減らそうと家を出る決心をしたトーマは、唯一無二の相棒、「心の声」である〈ナビ〉とともに、未知の世界へと旅立つのであった。
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
40歳のおじさん 旅行に行ったら異世界でした どうやら私はスキル習得が早いようです
カムイイムカ(神威異夢華)
ファンタジー
部長に傷つけられ続けた私
とうとうキレてしまいました
なんで旅行ということで大型連休を取ったのですが
飛行機に乗って寝て起きたら異世界でした……
スキルが簡単に得られるようなので頑張っていきます
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる