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第2章
11幕 雇用主、上司は必須
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かくして一平は、オズヴァルトとして生きることになった。…ようだ。
立って状況を考えだせば悄然と膝をつきそうなので、ひとまず椅子に腰掛けている。
(何の冗談だ…)
できることと言えば、せいぜい、心の中で毒づく程度。
残念ながら、現実だった。
異世界への訪問―――――鈴木から似たような話はよく聞いていた。物語としてなら。
とはいえ当然、自分の身に降りかかると考えるわけがない。右から左へ聞き流していた。
現状、彼は場当たりの対応で精いっぱいである。
今までもこの城へお邪魔していたじゃないかと言われそうだが、今までと今回では、まったく状況が異なっていた。
だいたい、一平がどう行動しようと、最終的な責任者はあの狼だった。
しかし、一平はもう、元の世界へ戻れない。死んでしまったのだ。要するに。
これから、彼がオズヴァルト・ゼルキアンとして生きていく。これは決定事項だ。
心残りの点は。
仕事をはじめ、各種支払いに関する案件だ。
各種税金、水道代電気代新聞代…いや、新聞は二か月前に止めたのだったか。
特にローンは申し訳もない―――――と考えたところで、自身の人生は金の支払いに支配されていたのかとふと虚しさが舞い込んできたりもした。
墓や家をはじめ、放りっぱなしで、幸か不幸か付き合いは少なかったが、誰かが迷惑を被ることになったろう。
おそらくは、保証人にまでなってくれた従兄弟が後始末を担当することに―――――と考えたところで。
…申し訳なさに胸が詰まった。目尻に涙がにじむ。
だが、オズヴァルト・ゼルギアンが泣くわけにはいかない。
ぐっと奥歯を食い縛り、堪えた。
万感を込めて、一言言わせてもらうなら。
………………………………つらい。
五年前、一平が事故に遭った時も、従兄弟が諸々の手続きをしてくれた。
実際に動いたのは従兄弟の秘書だが、彼が何も言わなければ誰かが動くわけがない。
従兄弟は母の実家、白澤家の後継者である。
一平が小学生の頃から夏休みには、家へ遊びに来るようになっていた。祖父母には内密で。
きっかけは…父が、亡くなった頃からだったように記憶している。
母を奪うように駆け落ちした父は、白澤家から蛇蝎のごとく嫌われていたから、仕方がない話だったろうが。
母のことは、白澤家もずっと気にしていたのだろう。
従兄弟の父親が一平の母親の兄であり、特に彼は母に甘かった。
ゆえにか、厳しい祖父母の目を盗んで何やかやと世話をしてくれたのだ。
…決して迷惑をかけるまいと思っていたのに。
(いったいどれだけ迷惑をかけてしまったか、想像もつかない)
それなのに、あの従兄弟(あに)は文句ひとつ言わず、社会人になってからも、盆正月の頃には一平と会う時間を取っては、最近はどうだ、と調子を聞いてくれていた。
彼は今、二児の父親で、その子供たちにも会ったことがある。
名乗りはしなかったから、父親の仕事関係のおじさんと思われていることだろう。それでいい。
死んだあとは…知ることになったかもしれないが、そう重要なことではあるまい。
一平の死で各方面へ責任を取ることになっただろう従兄弟への申し訳なさと共に、突然死した心残りも多い中、この一週間は色々といっぱいいっぱいの状態で過ごした。
今すぐ、各々へ土下座しに行きたいが、もう戻れないことがなお、心を重くさせた。
現実が、今になっても、受け入れがたいのはそのためもあるだろうが。
一番の、理由は。
オズヴァルト・ゼルキアンは―――――閣下である。
見た目からして凡人ではない。
対して一平は、役職と言えば、小学生の時六年間、なぜかずっとクラスの委員長を務めたのがそれっぽい経験だっただけだ。
以降は可もなく不可もなく過ごし、普通に会社員になった。しかも未だ平社員。
いきなり閣下をやれと言われても、困惑しかなかった。
それでも、現実となった以上、無理やりにでも自分の感覚に合わせる必要がある。
幸か不幸か、四年と半年前、オズヴァルトの肉体に宿ることになった時から、その記憶や経験、知識、諸々の情報は肉体側からインプットされていた。
知識という面では、つまり、全く問題がないのだ。
問題は、『冬見一平』の凡人感覚。
それとのすり合わせが一番難しい。
無い知恵を絞って、内心うんうん言いつつひねり出した考えが、ひとつ。
―――――『雇われた』感覚を持つのはどうだろう。
これだ。
思いつくなり、ふっと彼の全身が弛緩する。
とたん、目に入った周囲に、霜が降りていた。無意識のうちに、やらかしていたらしい。
また、泣きたい気分になる。ひとまず、深呼吸。
うっかり心を乱せば、周囲が氷漬けになりそうな予感がするとはどういうことだ。
とはいえ、乱れ切って疲労した心は、存外簡単に平静を取り戻す。
さて、思考を元に戻そう。
雇われ者―――――そう、サラリーマンにとって、悲哀と背中合わせの、なんとなじんだ感覚であることか。
その考えなら、『冬見一平』の感覚にしっくりくるのだ。彼は心に決めた。
雇われたのだ。
雇われて、オズヴァルト・ゼルキアンをやるのだ。
よし。
なら、せいぜい頑張らねばなるまい。
…いくら心細くともだ。
さあ、では残る問題はひとつだけだ。
だけとはいえ、それこそ最大の難関と言える。
その問題とは―――――この男は、雇われるどころか雇う側である、ということ。
組織の頂点だ。
そんな男として誰に雇われたか? …考えるのは難しい。
しかし雇われ者としては重要なところだ。
雇用主、上司は必須。
できれば、尊敬できる相手がいい。
振り仰いで不足なく、適度に逆らえない―――――そんな存在が、果たしてオズヴァルト・ゼルキアンにいるだろうか。
幸か不幸か、悩んだ時間は短かった。
(いた)
閃く。
思わず、両手で握りこぶしを作ってしまった。
適任と思われる存在はすぐ思いついた―――――霊獣ヴィスリアだ。
彼は満足の息を吐きだした。
これこそ、落ち着く結論だ。
立ち位置だ。
とたん、周囲にはびこっていた霜が、瞬く間に薄れて消えていく。
(決まりだな)
というより、本音を言えば。
…決まってしまった。そんな、気分だ。
―――――これで、どう頑張っても逃げられない。…いや。
性格的に、どんな状況に置かれたところで、彼は逃げられるような人物ではなかった。
覚悟を決める。
もう今後、彼はオズヴァルト・ゼルキアンだ。
友人オズそのもの。冬見一平は死んだ。しかし心持ちとしては。
オズの友人、…そのつもりだ。
…で、あるからには。
彼は知らず俯いていた顔を、前へ向けた。その眼差しは、鋭く、重い。
オズヴァルト・ゼルキアンは、友人オズのために動く。
オズをあれほど追い詰めた出来事の真相を暴く。…かなうなら。
その途中で、オズの名誉を回復できればなおいい。
そして。
望まず魔人となった者たちを、人間に戻す。
しかし、多くは望むまい。
最優先事項は一つ。
―――――友人を絶望させた相手への報復。
オズを苦しめたあの精神体の魔族は確かに消えた。
だがあの魔族とて、根本原因ではない。
五年前の出来事には、誰もが疑問に感じたことがひとつ、あるはずだ。
―――――なぜ魔術師協会は、機能しなかったのか。
確かに、災厄は出現すれば最後、本来ならその暴走の力をすべて出し切るまで止まらない。
数多の犠牲を出し、止まったのちは自然消滅する。
ならばそれまで待てばいいだろうと言われそうだが、そこまで何日かかるかわからない上、放置すれば民の犠牲が避けられなくなる。
ゆえに、人の力で消滅させる必要性があるのだ。
今までそれをかろうじで消滅させられたのは、オズヴァルトを含めて数えるほどしか存在しない。
それでも、人知の及ぶ限りは、と犠牲が繰り返す歴史の中、人々は死に物狂いで対処法を考えた。
結果、人々は発見したのだ。
災厄出現の数日前から、その地に現れる兆候を。
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