原初の魔女と雇われ閣下

野中

文字の大きさ
23 / 79
第2章

12幕 あきらかにすべきは

しおりを挟む
それが、マナの揺らぎ。
しかもそれは、特徴的な揺らぎだった。

それらを察知するための装置を開発・設置したのが、魔術師協会である。


ゆえにいつしか、協会は各国に請われ、それぞれに支部を置き、マナの異常の監視を行うようになった。


その働きによって、災厄がどこに出現するかを事前に察知できるようになった結果。
民がその地から逃げ出す時間を稼げるようになり、事が起きれば大陸すべての力を結集し、その地の周辺に結界を展開―――――完全に防ぐことはできずとも、動きを誘導し、道を作ることができるようになった。



そのために、逆に真っ向から戦い、挑む者がいなくなったのは事実だが、命がけで戦うよりも人々が安全を取るのは無理もない話だ。



誰だって、生きたい。死にたくない。



にもかかわらず。







(…五年前、シハルヴァの魔術師協会支部はマナの揺らぎなど報告しなかった…)







もし、咄嗟にオズヴァルトが動かなければ、どれだけ危険な結果になったことだろう。
災厄の気配を察知したオズヴァルト・ゼルキアンが、それを領地に引き寄せ、封じたからこそ、最悪の事態は免れた。

…国が、滅んだとしても。土地が毒されても。



民の大半は、生き延びることができたのだ。偉業である。





実のところ災厄の封印自体、複数の人間が全力を賭してようやく成しえることなのだが―――――だからこそ、人々がオズヴァルトにより以上の期待を寄せたのも無理はない。





いずれにせよ。

五年前、人々は、現れるその時まで、誰も災厄の出現など考えもせず、平和に日常生活を送っていたわけだ。





…これは、明らかにおかしい。

(にもかかわらず、魔術師協会はそれを調査せず、当時何が支部で起こったか知る者を遠くに幽閉し、謎を明らかにしようとする者には、追放に近い処分を与えた)





五年前の結果には、何者かの意思が介在している気がしてならない。





―――――まずはそれを、あきらかにしなければ。
そのためにも、…早々に自身の心を立て直さなくてはならない。これが一番難しい。

一平は…友人を亡くした。その上。

毎日会っていた親しい人たち全員と、…もう会えない。
この状況は、随分と堪えている。


なくして、なくして、亡くし続けた一平にとって、この現実は足を重くさせた。


今なお、胸に鉛でも詰まったかのようだ。
だが、彼は現在、その友人そのものだった。
である以上、みっともない姿はさらせない。
その意地だけで、どうにか一平は、―――――いや、オズヴァルトは淡々と、毎日をこなしていた。





…いつか。

いつかこの痛みも、鈍くなるのだろうか。
傷が深くなりすぎて、痺れで痛みが感じ取れなくなるように。


…かつての喪失の記憶のように。





億劫な気分を振り切って、オズヴァルトは立ち上がる。

たちまち、普段より高い目線に戸惑った。
つい床を見下ろせば、せり上がっていた腹が見えていたのにそれもない。

これには未だ慣れなかった。

肉袋の時から背の高さには感心していたが、あの時とは姿勢から体型から何もかもが違う。



(慣れるためにも、動かなくては)
頑張れ。
自分で自分を鼓舞する。

最近、それが癖になっていることに気付いた。



…ちょっと涙を呑んだ。



なんにしたって、部屋に閉じこもっていれば、心配をかけてしまう。

一度、大きく深呼吸したオズヴァルトは、自室の扉へ足を向けた。

ある人と共に、行くべき場所が、あった。







そのとき、ふと、脳裏へこだまのように返った声がある。



―――――どうしても逃げられねえときは、腹の底に力入れて踏ん張って、むしろこっちから突っ込んで行くんだよ。



そしたら、意外と相手が怖くなくなるもんだぞ、と楽しそうに揺れるその声は、父のものだ。

不思議なものだ。
こんな時になって、父の言葉を思い出すとは。



父親は、息子には、いつだって顔いっぱい使った笑顔を見せるばかりの人だったけれど。



若い頃、かなりの問題児だったことは、誰に言われるまでもなく知っていた。

…それでも。
―――――一平は、一度、見たことがある。










その日、幼い一平はなぜか、白澤の屋敷の中にいて。

夕暮れ時の茜色の空気の中、白澤の門前で、父が土下座している姿を、遠くから見た。
父の前には、真っ直ぐな祖父の背中があって。

どちらも、巌のように見えた。
強いとか弱いとか、そういう判断はできなかった。

ただ、どちらも譲れないものを背負っている気配に、声をかけられない空気を感じた。
双方、動いていなかったけれど、まるで殴り合いをしているような殺伐とした雰囲気だったのだ。

戸惑って建物の影で立ち尽くした彼を、



―――――邪魔するでないよ、一平。こっちへお入り。



素っ気なく呼んだのは。
当時存命だった、一平にとってはひいおばあさんにあたる女性。

名は覚えていないが、刀自と呼ばれていたのは記憶にある。

不思議なことに、白澤の家の中でも、客人たちに対しても、彼女は絶大な影響力を持ち、皆が彼女に怯えていた。
いつも背中がまっすぐ伸びていて、しわだらけで小さいのに、威厳のせいか、やたら大きく見える人だった。


だが不思議と、一平は彼女が怖くなかった。


―――――二人とも、お前さんには見られたくないだろうからね、いいかい、一平は何も見なかった。

彼女の言うことは、いつも正しくて、一平はただ頷いた。その時、少しだけ父の過去を聞いた。


―――――お前さんの父親は、本当にやんちゃでね。あたしの孫を連れていくときも、ほんとに何とも思っちゃいなかったのさ。それが、子ができるとこうも変わるもんかねえ。


本当に一平はこの時の前後のことを覚えていないのだが、いつだったか、母の兄である伯父が教えてくれた。
昔、一平がちょっとした病気で死にかけたことがあると。

その時、頼れるのは白澤しかなく、両親は白澤家を頼った。
幸い、彼等は見捨てず、愚痴をこぼしながらもちゃんと手助けしてくれたそうだ。

恩を感じた父は、その日からきっぱり気持ちを改めたと聞いている。


何かの折につけ、いつもああして頭を下げに行っていたようだ。


ただ、祖父母が彼を許すことはなく―――――それでも。
―――――あのひとがもっと生きていれば、皆、和解できたかもしれないのにね。

伯父はそう言って、遠い目をした。
一平の父を語るときの表情は、どこまでも嫌悪と怒りに満ちていたけれど。

刀自は父より早くに亡くなったが、彼女が父に言った言葉を、ひとつだけ覚えている。


―――――その業を断たずばお前は人間にすらなれん。いつまでも、獣のまんまだ。




業を断て。




刀自から厳しく言われた父がどういう人間だったか、一平はよく知らない。
だが、それでいいのだろう。父が息子に向けた愛情は本物だった。

それだけを、覚えていればいい。










それらすべてを置き去りにして。世話になった誰かに、何かを返すこともできず。
死んだはずの一平は、今。

オズヴァルト・ゼルキアンとして、ゼルキアン家の霊廟の中にいた。
オズヴァルトの乳母、ビアンカと共に。


ゼルキアン家の者は、皆、最後はこの霊廟で眠る。ただし今のオズヴァルトは、厳密に言えば家門の人間ではない。



一平が死んだ今、もう、彼はオズヴァルト・ゼルキアンと名乗るほかないものの、…そこに用事はあったが、入っていいのだろうかと躊躇があった。




しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

【完結】あなたに知られたくなかった

ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。 5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。 そんなセレナに起きた奇跡とは?

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

悪役令息、前世の記憶により悪評が嵩んで死ぬことを悟り教会に出家しに行った結果、最強の聖騎士になり伝説になる

竜頭蛇
ファンタジー
ある日、前世の記憶を思い出したシド・カマッセイはこの世界がギャルゲー「ヒロイックキングダム」の世界であり、自分がギャルゲの悪役令息であると理解する。 評判が悪すぎて破滅する運命にあるが父親が毒親でシドの悪評を広げたり、関係を作ったものには危害を加えるので現状では何をやっても悪評に繋がるを悟り、家との関係を断って出家をすることを決意する。 身を寄せた教会で働くうちに評判が上がりすぎて、聖女や信者から崇められたり、女神から一目置かれ、やがて最強の聖騎士となり、伝説となる物語。

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

ナイナイづくしで始まった、傷物令嬢の異世界生活

天三津空らげ
ファンタジー
日本の田舎で平凡な会社員だった松田理奈は、不慮の事故で亡くなり10歳のマグダリーナに異世界転生した。転生先の子爵家は、どん底の貧乏。父は転生前の自分と同じ歳なのに仕事しない。二十五歳の青年におまるのお世話をされる最悪の日々。転生チートもないマグダリーナが、美しい魔法使いの少女に出会った時、失われた女神と幻の種族にふりまわされつつQOLが爆上がりすることになる――

【完結】異世界で魔道具チートでのんびり商売生活

シマセイ
ファンタジー
大学生・誠也は工事現場の穴に落ちて異世界へ。 物体に魔力を付与できるチートスキルを見つけ、 能力を隠しつつ魔道具を作って商業ギルドで商売開始。 のんびりスローライフを目指す毎日が幕を開ける!

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

処理中です...