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第2章
13幕 一世一代の大芝居
しおりを挟むだが、ビアンカが言ってくれた。
「あなた様以外の誰が、真の後継者たり得るでしょうか」
その言葉に背を押され、オズヴァルトは足を踏み入れた。
ビアンカの言い分からすれば、一平は、オズヴァルトから正式に後を託された存在であり、誰に文句を言われる立場ではないという。なによりも。
―――――霊獣ヴィスリアが彼を認めている。ならば、誰も文句は言えない。
それでも、こう尋ねずにはいられなかった。
オズヴァルトでないものが、オズヴァルトのふりをしてそこにいることは、許せないのではないか、と。
果たして、ビアンカは―――――オズヴァルトの乳母だった女は…今の見た目は童女であるが。
首を横に振った。
「生命を持つすべての者にとっての敵である災厄を、一部なれど滅したのはどなたでしょうか」
ビアンカは真っ直ぐオズヴァルトを見上げる。
「天人となった英雄に、無礼な考えを持つ者はおりません」
その時点で、オズヴァルトは天人とは何かの話を聞いた。刹那。
…彼は悟った。
彼が、友人オズが還る道を閉ざしたのだと。
その事実は、さらなる衝撃だったが、余計、立ち止まるわけにはいかなくなった。
重い足を引きずるようにしてやってきた彼を見上げ、ビアンカは強い瞳で言った。
「なんにしたところで、あの方があなた様をこの世界へ送り込まなければ、このような事態にはなりませんでした。あなた様が死ぬこともなかった。そして、ここで負わなくてもいい責任を負うことも」
彼女の言葉に、目が覚めた気分で、オズヴァルトはビアンカを見下ろす。
「天秤にかければ、あなた様が負う負担の方が大きい。それを、恨むことはありませんか」
「まさか、そんなこと…あるわけがない」
とはいえ、確かに、オズ本人が負っていた責任は、今の彼には重すぎた。
どこから手を付ければいいのかすら、すぐには思いつかない。
「それと同じです」
「…なに?」
「あなた様が恨まないように、あの方も、わたくしも…あなた様を恨んだりしません」
力づけるように淡く微笑み、ビアンカは頷いた。
ビアンカから見れば、天人として目の前のオズヴァルトが認められているのは明白だった。
つまり、災厄を、その一部であったと言っても消滅させたのは…本当に。
オズヴァルトの肉体の中に、一平の魂が入った状態の、オズヴァルト・ゼルキアンだったということ。
ビアンカは厳しい表情で、足を止めた。
少し先に行ったオズヴァルトが、足を止め、どうした、と問うように振り向く。
―――――…こういったところはやはり違う、とビアンカは思った。
彼女の若さまは、奥方と息子以外に、このようなささやかな配慮や気遣いすら見せなかったのだ。
貴族、それも、家門の長であったなら、それは当然の話である。
ある意味、今のオズヴァルトは貴族の家長らしくない。
だが、それならそれでいいだろう。彼らしく、あればいいのだ。
わざと以前のオズヴァルトをまねるほうが危険だった。ボロがでる。
考えながら、ビアンカは、その場で、丁重に跪いた。
「感謝、致します」
じっとビアンカを見下ろしてくるオズヴァルトに対し、祈るように手を組んだ。
「あなた様が災厄を滅ぼしてくださることで、この地は解放されました。あの方がやり残し、動けなくなった代わりに、成し遂げて下さったことは、…奇跡に等しい」
「よせ」
オズヴァルトは、体温が低い抑揚のない声で言い、顔をしかめる。
彼が行ったことは、ただ偶然が重なっただけの結果に過ぎない。
大げさな反応には、どう対応すればわからない。
結果、そっけなく命じた。
「立て、ビビ。命令だ」
「はい」
素直に従ったビアンカは、顔を伏せたまま、
「恨むとすればむしろ…あの方の弱さです」
呟き、どこかが痛む顔で、前へ向き直る。
その言葉に、同じ方向を向いていたオズヴァルトは弱く首を横に振った。なにせ。
あまりに惨い記憶は、今なおオズヴァルトの身体に染みついていたからだ。
痛ましい記憶ごと、それはオズヴァルトを今も…別人の魂を持つ今も、苛んでいる。
別人の記憶とはいえ、それを思い出すのは、酷い苦痛を伴った。
臨戦状態のように、心臓が激しく脈打ち、全身に冷たい汗をかいて夜中に目覚める。
いますぐここから逃げ出したい衝動にかられ、自身を抑え込むので手いっぱいになる、そんな夜を幾度か過ごせば、ため息も深くなるというものだ。
「彼は公の立場をとった自身を、天秤にかける必要があった立場を、…憎んでいた」
「それでもあの方は!」
声を張りかけ、不意に、何かを呑み込むように、弱い声でビアンカは続けた。
「…霊獣ヴィスリアの子孫、ゼルキアン家の―――――…長です」
…そうあれ、と当たり前のようにオズヴァルトは受け入れ、生きていた。
それはそんなにも、彼を追い詰めたのだろうか?
今更だ。すべて、今更だった。
ビアンカの声の激しさは、愛しさの裏返しだろう。…本当は。
彼女は、オズヴァルトを出迎えたかったはずだ。英雄として。
今のオズヴァルトには何も言えなかった。
一見不愉快そうに重く押し黙ったオズヴァルトを見上げ、ビアンカは呆れた目になる。
「その上、唯一のご友人に対して、…このような。まさか、友達には甘えてしまう方だったなんて思いもしませんでした」
オズヴァルトはさらに難しい顔になった。
「…………………ここに、友人はいなかったのかね」
「はい」
容赦なく頷くビアンカ。
「追従者や憧れを抱く者は多くおりますが、逆にご友人がおらず…今までの唯一の友は、奥方でいらっしゃいました」
「…………………私も、他人のことは言えないが…」
言葉を濁したのは、ビアンカの台詞があまりにキツかったせいだろう。
構わず、ビアンカは続けた。
「なので、あの方をよく知る他人は、この世にもうおりません。他者との接触に、それほど気負われることはありませんから、ご安心を」
意識してオズヴァルトを演じる必要はない、とビアンカはしれっと告げる。
あまり表情を浮かべないオズヴァルトが、わずかに小首を傾げる。
ビアンカは、ふっと息を呑んだ。
(あの方は、こんな仕草もされなかった)
つい比べてしまう、そんなビアンカこそが気を付けなくてはならない。思った矢先、
「いいや、彼をよく知る人なら、目の前にいる。違うかね」
低く熱のない声で―――――鋭いことを言う。
ビアンカはつい、自嘲気味の笑みを浮かべた。
なるほど、この方に対して、おそらくオズヴァルトは頭が上がらなかったことだろう。
「ところで」
霊廟の中の、壮麗な内部を意識しながら、ビアンカは冷静にオズヴァルトを見上げる。
「若さま、なぜ、霊廟に?」
若さま―――――呼び方が、変わった。『あなた様』ではない。
ビアンカの中で、整理はついたという証だろう。
その呼びかけに、なじんでいるような、不慣れなような感覚が湧いた。
オズヴァルトは一瞬、むず痒いような顔を見せる。
ビアンカは言った。
酷いことを頼むようだが、どうか、オズヴァルトとして生きてくれ、と。
―――――一世一代の芝居を打ってほしい。
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