原初の魔女と雇われ閣下

野中

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第2章

幕23 魔女の使い魔

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女性であるというよりは、千年を生きた怪物、そういった周囲の認識と彼女自身の認識も同じように感じる。

ただ、要するに、そんな存在が。



まさか、何も意図せず足を捻って転ぶなどない、と皆が見るわけで。



…この時不意に。
オズヴァルトの中で、腕の中の彼女と記憶の中の何かがつながった。

無論それは、オズの記憶の中の女帝ではない。『冬見一平』の中の記憶だ。

「まさか」
その名は自然と、オズヴァルトの唇で紡がれる。





「…黒江さん?」

―――――そうだ。





ひっつめ髪に、ビン底メガネの、ご近所さん。

表札に、黒江、とあるだけの、顔はわからないのに、やたら華やかな雰囲気の女性。
富豪の娘だとか、金持ちの愛人だとかいう噂のあった、…彼女。

彼女と、目の前の女性が、不意に重なった。

だが、間違いない。オズヴァルトの疑念は、すぐ確信に変わる。





女帝クロエは、ご近所さんの『黒江緑』だ。





ご近所の黒江さんならば、今の状況は、単純に足を捻ってすっ転んだというのが正しかった。
何の狙いも企みもない。

彼女はしっかり者なのに、隙があるというか、…言いにくいが、ドジっ子なのだ。

オズヴァルトが呼びかけるなり。
びっくりが抜けない様子で、彼女は大きな目を瞬かせた。
無表情だったときは神秘的に大人びていたのに、そんな顔をすると一気に幼くなる。同時に。

潤んだ新緑色の眼がオズヴァルトを映し、きらきら輝いた。気のせいか、少しうれしそうだ。その反応で、理解する。


女帝クロエ=ご近所さんの黒江緑。


この公式が、はっきりとなり立った。
だがなんでまた、どうして。
思えば確かに、オズは黒江を見た直後、彼女を警戒するような言動をしていたが、女帝がなぜわざわざあの田舎で地味な変装までして『冬見一平』の近くで生活していたのか、理由が分からない。

(オズくんとかかわっていたからか?)

オズの記憶では、女帝は彼が生まれた時から、確かに他にはない関心を見せていたようだが。
果たして、女帝は少しだけ照れた態度で、小さく頷いた。
「…はい」

―――――?

本当に、子供のような態度だ。この時になって、思う。
そうか、見た目は妙齢の女性なのだが、どうにも小さな女の子のように感じてしまう。
それは黒江緑にたいしても、そうだった。


(なんというか、父親に対する娘のような態度、というか…)


女帝が、オズヴァルトの胸板に、小さく頬ずりする。

ようやく安心できる場所へ戻ってきた、そんな雰囲気で、すこし泣きそうにも見えた。
そんなに自分はおやじ臭いだろうか、と『冬見一平』の時は悩んだものだが、彼女がこうだからこそ、たとえ恐ろしく誘惑的な体形をしていようと、小さな女の子に対するように優しくしなければ、と思ってしまうのだ。

それは、彼女が女帝であるとわかった今も、変わりそうにない。



なんにしろ、この体勢は問題だ。



これでは、女帝をむげに引き離すことも難しい。
全員の惑乱に、凍えて固まった空気を、






「だはははははははは!」






品のない笑い声が割り砕く。
それは、寸前まで女帝が腰かけていたソファの上から跳ね上がっていた。
操り人形のように全員がそちらを見遣れば。

そこには、猫が二匹いた。

一方は真っ黒で、一方は真っ白だ。
今ひっくり返って、下品な笑い声を上げているのは黒猫である。
白猫はおろおろと、黒猫の腹を窘める態度でぽむぽむ遠慮しながら叩いていた。

「きちんとするんじゃなかったのかぁ、姉御! 言ってることとやってること真逆じゃねえか、なあ、ティム!」

髭を震わせながら黒猫が言うのに、白猫が尻尾をぼんと膨らませる。


「ちょ、だめだよティモおとなしくしてなきゃ! だいじょうぶです、主さま、ちゃんとやれてますから、ねっ」


猫が喋っている。女帝の顔が、すっと冷えた。怒っている。

このままでは事態は悪いほうへ動きそうだ。笑い転げている猫にとって。


―――――これは女帝ではない、ご近所の黒江さんだ。


自身に言い聞かせたオズヴァルトは、
「…失礼」
猫に注目している女帝をひょいと抱き上げた。御姫様抱っこだ。軽い。

「あ」

なんにせよ、一番に気にすべきは捻った足首だろう。
戸惑った態度で小さくなった女帝をソファの上におろし、横に寝かせるようにした状態で、ソファの前に跪いたオズヴァルトは足首の上に手をかざした。

治癒に関する魔術は、彼がこの世界に来て真っ先に覚えたものだ。

当然のごとく、オズヴァルトが元居た世界は、魔術などない。
最初は使うにしても全く分からず、途方に暮れた彼はオズに尋ねたものだが。

―――――マナを掴むだけでいい。思えば形になる。

という説明らしからぬ説明をされただけだった。
もっと色々尋ねたが、オズはムッと黙り込んでしまった。

あの態度は、これだけ言えば十分だろう、どうしてわからないんだというものだった。


…これだから天才ってやつは。


思ったもの、だが。
―――――オズヴァルトの肉体に入ってその言葉を思い出すなり。





…できてしまった。

何の苦労もなく。





なるほど、これでは、あのくらいの説明しかできないのも、無理はない。

この身体自体がつまり、相当ハイスペックなのだ。

できないことなどないのではないか、と思ってしまうほど。
今も。

不思議なもので、触れていないのに、状態がどうであるか、オズヴァルトには伝わった。

意識を向ければ、すぐ、魔力が動く。とたん。



ひっくり返っていた黒猫が飛び起き、お利巧に座っていた白猫が目を真ん丸に見開いて、身を乗り出した。



その時には、ひかり輝く、白に近い水色の魔法陣がオズヴァルトの掌と女帝の足首の間に生じている。

オズヴァルトは冬の霊獣ヴィスリアの子孫だけあって、魔力は氷・水や雪が得意だ。
火炎も扱えないわけではないが、どうしても氷系統と比べれば劣る。

第一、咄嗟の場合は氷系統になってしまうのも仕方がない。
よって、こうした治癒も、ほんのりしたぬくもりより、薄荷めいた清涼さの方が強く感じられるだろう。

「冷たかったかね」

反射的に足を引こうとし、思いとどまった女帝に、オズヴァルトは無表情なりに気遣う態度で声をかけた。
人によっては、冷酷とさえいえる態度ではあるが。

その時には、完治したことを感じ取り、手を引いている。

彼の背後では、猫たちがぼそぼそと何やら囁き合っていた。
「うわすげ…無詠唱で思っただけで今、治癒を発動したのか?」
「正確で無駄ナシだよ。このひと騎士だよね? 魔術師でもないのにこの完璧さって詐欺」

感嘆なのだろうが、どこかからかわれている気もする。

同時に少し思い出した。
魔女は精霊使いであり、魔術が使えないため、自身の生命力を混ぜて使い魔を作る。

つまりあの猫たちが女帝の使い魔である記憶はあるから、彼等は魔術を使えるのだろう。

ゆえに、オズヴァルトの魔術に反応したのだ。
精霊の力もあって、女帝は治癒程度簡単にできるだろう。余計なことをしたかもしれない。
対して、目の前にいる女帝はと言えば。

「いえ、そんなことはありません。ありがとうございます」


幾分硬い態度だが、礼儀正しい。
女帝ではあり得ない態度だ。


彼女は本当に、黒江緑、なのだろう。







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