原初の魔女と雇われ閣下

野中

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第2章

幕22 監視の目

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驚きの声を出さずにすんだ自分をほめたい。

オズヴァルトの入室と共に顔を上げ、すっと立ち上がった女性は。


―――――元の世界で言うところの、リクルートスーツを着ていた。しかも、会社の面接にでも着て来そうな、社会人一年生感溢れるスーツ姿だ。


ルキーノが言いにくそうにしていた理由が分かった。これは説明に困る。

この世界で、そんなもの、見覚えはないに決まっていた。
オズヴァルト以外の全員が、戸惑いを浮かべてその衣服を見ている。なんにせよ。

地味である。確かに。

豊かな黄金の髪は編みこんで、どうなっているものか、器用に後頭部でまとめている。首筋にすら、一筋のおくれ毛もない。ただし。
なぜそういう方向に頑張ったのかは知らないが、生来の豪奢な華やかさがこれっぽっちも隠れていなかった。
残念ながら、能面のような無表情だが。

大きな新緑色の瞳が、鏡のように澄んで、オズヴァルトを映している。
圧倒されるほどの美貌は相変わらず―――――今は知的な雰囲気が若干強い、怜悧な眼差しが、オズヴァルトを向くなり。



「オズヴァルト・ゼルキアン」



どこか優し気な響きながらも、感情の起伏が少ない淡々とした声で、女帝は告げた。

「世界の均衡を重んずる魔女として、わたしは今からあなたに監視の目を付けます」

前置きもなく、一方的な宣言―――――同時に。
女帝の足元に、小さな陣円が展開―――――刹那の輝きを閃かせた。と見えた時には。

「…っ」

両方の耳たぶに、貫かれるような痛みが走る。
じん、とした熱さを孕み、そこからすぅと体内へ一瞬清涼な空気が流れ込む感覚があった。…悪いものではない。

むしろ、身体が軽くなった心地がする。気づいたのは、すぐだ。


(これは守護や浄化のまじない、だな)


感覚を魔力へ切り替えれば、その正体は知れた。
今の状態ならば精神体の魔族に乗っ取られることもないだろう。

しかも、座りが悪いような身体の感覚が消えていた。
ちゃんと肉体に根っこが張られたような…とまで思ったところである仮説が立つ。


(まさか、私の魂が本来の肉体の持ち主である魂ではないから、安定していなかったのか?)


女帝が今したことは、ぐらついていた土台を補強した、そんな行いではないだろうか。
耳に触れれば、小さな硬い感触があった。

(ピアス…)

これがなにがしかの働きをしているのは間違いない。
つまり女帝は一瞬で、不安定だったオズヴァルトの状態を安定させてしまった。
オズヴァルトは内心、舌を巻く。

なるほど、さすがは女帝。常軌を逸した力の保有者だ。その上で。


―――――強引さに反発するより、そのやりようが、清々しく格好いいと感心した。


ここのところずっと、気分が沈んでいたせいだろか。

そっとされていたところに、突然、しっかりしなさい、と張り手を食らって、前を向かされた心地になる。
魔人たちには、何が起こったか見えなかっただろう。見えていたら、平和な応接室がいきなり修羅場と化したかもしれない。

だが、オズヴァルトの背後から飛んだのは、単純な殺意だ。とはいえ。
魔人の殺意など、受ければすぐさま昏倒してもおかしくない。

にもかかわらず、女帝はふてぶてしいほど冷静だ。


「いくら女帝と言えど、そのような権利はありません」

ビアンカが、燃えるような闘志をまといながら、異様に静かな声で言った。


そこで気付いた。
なるほど、確かに、先ほどの女帝の発言では、上から押さえつけるように聞こえたに違いなかった。
なのに、やったことはと言えば、オズヴァルトのための手助けとしか思えない。

ビアンカの声に、シューヤ商団の者で、震え上がらずにいられるものは少ない。


女帝はそれを切って捨てる。


「わたしは、オズヴァルト・ゼルキアンに言っています。あなたではありません」

淡々とした声は、柔和なようで、逃げを許す気配はない。
均衡を重んずる魔女―――――その始祖と目される彼女は、本来、劇薬じみた女だ。

「よろしいですね」
礼儀正しい行動とは裏腹に、指先ひとつで国を滅亡へ追い込んだことは歴史を紐解けばそれとなく察することができる。

女帝は、オズヴァルトに選択権を与えるような物言いをしているが、その実、拒否権は彼にないのだろう。
なにしろ、オズの記憶にある限り、女帝とはそういう女性なのだから。

それに対して、オズヴァルトには、やはり反発はない。むしろ、


(…?)


女帝に対して、違和感を覚えていた。
なぜだろう―――――オズの記憶にある女帝とオズヴァルトの目の前に今いる女性は、全く印象が重ならない。そこまで思ったところで。

(…? 待て、この雰囲気)

生真面目そうで、だが残念ながらボタンの食い違いのようなものがどこかしらにあって、努力がから回っているようなこの感じには、『冬見一平』の記憶に、引っ掛かるものがあった。
しかし。なかなか、違和感の正体が出て来そうで出てこない。

答えないオズヴァルトに焦れたか、
「オズヴァルト・ゼルキアン」
再度、女帝が彼の名を呼んだ。同時に。

新入社員めいた出で立ちの女帝が、オズヴァルトへ一歩近づ―――――こうと、して。



足首をひねった。



その時になって、オズヴァルトは気付く。

(なぜピンヒール…っ)
記憶にある限り女帝が踵の高い靴を履いていたことはない。

なのに今日はいったいどうしたことか、何か勘違いを起こしたものか、よりによってピンヒールである。
脚の美しさはやたら目につくが、それより慣れを選んだほうがいいものを。

痛みが走ったか、一瞬女帝は顔をしかめた。
倒れそうになる。
慌ててオズヴァルトは腕を伸ばした。

その時、女帝は手を床へつこうとしたのだろう、びっくりした様子で咄嗟に、腕を伸ばす。
同時に、オズヴァルトが彼女の身体を抱きとめた。とたん。


―――――ずぼっ。


勢いよく、女帝クロエの両手が、オズヴァルトの衣服の中へ突っ込まれる。
そのまま、女帝の身体が、オズヴァルトに密着。

恋人のように抱き合う格好だ。
詳細に語れば、オズヴァルトの裸の胸に、女帝の頬がくっつき、その下は衣服越しとはいえ彼女の胸が押し付けられ、圧し潰されている状況である。



「………………」

「………………」



居合わせた全員が、硬直し、立ち尽くした。
オズヴァルトの腕の中、やらかした女帝がすっと顔を上げる。ちょっと怒ったような顔だ。
いや、いったい何が起こったのかわかっていないような、邪魔が入った、と言いたげな態度。

まだ何も考えられていないオズヴァルトと目が合った。とたん。
驚いたように、彼女の目が見開かれた。真ん丸だ。刹那。


(あ)


真っ赤になった。…耳だけ。

オズヴァルト側はまだ冷静だったが、どうすればいいのか困惑する。
このような隙だらけの、というか、だらしない格好をしていたのはオズヴァルトの責任だ。
そこに飛び込んだのは、千歳越えのいにしえの魔女とはいえ、見た目は二十代半ばの妙齢の女性である。
妙齢の女性におじさんの裸を触らせるなど、どちらかといえば、おじさんが悪い気がする。

女帝にどのような難癖をつけられても仕方がない。
まさかそれが狙いなのだろうか?
だが。


(女帝クロエはあまり、自分が女というつもりがなさそう、だからな…)


女性であるというよりは、千年を生きた怪物、そういった周囲の認識と彼女自身の認識も同じように感じる。









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