33 / 79
第2章
幕22 監視の目
しおりを挟む驚きの声を出さずにすんだ自分をほめたい。
オズヴァルトの入室と共に顔を上げ、すっと立ち上がった女性は。
―――――元の世界で言うところの、リクルートスーツを着ていた。しかも、会社の面接にでも着て来そうな、社会人一年生感溢れるスーツ姿だ。
ルキーノが言いにくそうにしていた理由が分かった。これは説明に困る。
この世界で、そんなもの、見覚えはないに決まっていた。
オズヴァルト以外の全員が、戸惑いを浮かべてその衣服を見ている。なんにせよ。
地味である。確かに。
豊かな黄金の髪は編みこんで、どうなっているものか、器用に後頭部でまとめている。首筋にすら、一筋のおくれ毛もない。ただし。
なぜそういう方向に頑張ったのかは知らないが、生来の豪奢な華やかさがこれっぽっちも隠れていなかった。
残念ながら、能面のような無表情だが。
大きな新緑色の瞳が、鏡のように澄んで、オズヴァルトを映している。
圧倒されるほどの美貌は相変わらず―――――今は知的な雰囲気が若干強い、怜悧な眼差しが、オズヴァルトを向くなり。
「オズヴァルト・ゼルキアン」
どこか優し気な響きながらも、感情の起伏が少ない淡々とした声で、女帝は告げた。
「世界の均衡を重んずる魔女として、わたしは今からあなたに監視の目を付けます」
前置きもなく、一方的な宣言―――――同時に。
女帝の足元に、小さな陣円が展開―――――刹那の輝きを閃かせた。と見えた時には。
「…っ」
両方の耳たぶに、貫かれるような痛みが走る。
じん、とした熱さを孕み、そこからすぅと体内へ一瞬清涼な空気が流れ込む感覚があった。…悪いものではない。
むしろ、身体が軽くなった心地がする。気づいたのは、すぐだ。
(これは守護や浄化のまじない、だな)
感覚を魔力へ切り替えれば、その正体は知れた。
今の状態ならば精神体の魔族に乗っ取られることもないだろう。
しかも、座りが悪いような身体の感覚が消えていた。
ちゃんと肉体に根っこが張られたような…とまで思ったところである仮説が立つ。
(まさか、私の魂が本来の肉体の持ち主である魂ではないから、安定していなかったのか?)
女帝が今したことは、ぐらついていた土台を補強した、そんな行いではないだろうか。
耳に触れれば、小さな硬い感触があった。
(ピアス…)
これがなにがしかの働きをしているのは間違いない。
つまり女帝は一瞬で、不安定だったオズヴァルトの状態を安定させてしまった。
オズヴァルトは内心、舌を巻く。
なるほど、さすがは女帝。常軌を逸した力の保有者だ。その上で。
―――――強引さに反発するより、そのやりようが、清々しく格好いいと感心した。
ここのところずっと、気分が沈んでいたせいだろか。
そっとされていたところに、突然、しっかりしなさい、と張り手を食らって、前を向かされた心地になる。
魔人たちには、何が起こったか見えなかっただろう。見えていたら、平和な応接室がいきなり修羅場と化したかもしれない。
だが、オズヴァルトの背後から飛んだのは、単純な殺意だ。とはいえ。
魔人の殺意など、受ければすぐさま昏倒してもおかしくない。
にもかかわらず、女帝はふてぶてしいほど冷静だ。
「いくら女帝と言えど、そのような権利はありません」
ビアンカが、燃えるような闘志をまといながら、異様に静かな声で言った。
そこで気付いた。
なるほど、確かに、先ほどの女帝の発言では、上から押さえつけるように聞こえたに違いなかった。
なのに、やったことはと言えば、オズヴァルトのための手助けとしか思えない。
ビアンカの声に、シューヤ商団の者で、震え上がらずにいられるものは少ない。
女帝はそれを切って捨てる。
「わたしは、オズヴァルト・ゼルキアンに言っています。あなたではありません」
淡々とした声は、柔和なようで、逃げを許す気配はない。
均衡を重んずる魔女―――――その始祖と目される彼女は、本来、劇薬じみた女だ。
「よろしいですね」
礼儀正しい行動とは裏腹に、指先ひとつで国を滅亡へ追い込んだことは歴史を紐解けばそれとなく察することができる。
女帝は、オズヴァルトに選択権を与えるような物言いをしているが、その実、拒否権は彼にないのだろう。
なにしろ、オズの記憶にある限り、女帝とはそういう女性なのだから。
それに対して、オズヴァルトには、やはり反発はない。むしろ、
(…?)
女帝に対して、違和感を覚えていた。
なぜだろう―――――オズの記憶にある女帝とオズヴァルトの目の前に今いる女性は、全く印象が重ならない。そこまで思ったところで。
(…? 待て、この雰囲気)
生真面目そうで、だが残念ながらボタンの食い違いのようなものがどこかしらにあって、努力がから回っているようなこの感じには、『冬見一平』の記憶に、引っ掛かるものがあった。
しかし。なかなか、違和感の正体が出て来そうで出てこない。
答えないオズヴァルトに焦れたか、
「オズヴァルト・ゼルキアン」
再度、女帝が彼の名を呼んだ。同時に。
新入社員めいた出で立ちの女帝が、オズヴァルトへ一歩近づ―――――こうと、して。
足首をひねった。
その時になって、オズヴァルトは気付く。
(なぜピンヒール…っ)
記憶にある限り女帝が踵の高い靴を履いていたことはない。
なのに今日はいったいどうしたことか、何か勘違いを起こしたものか、よりによってピンヒールである。
脚の美しさはやたら目につくが、それより慣れを選んだほうがいいものを。
痛みが走ったか、一瞬女帝は顔をしかめた。
倒れそうになる。
慌ててオズヴァルトは腕を伸ばした。
その時、女帝は手を床へつこうとしたのだろう、びっくりした様子で咄嗟に、腕を伸ばす。
同時に、オズヴァルトが彼女の身体を抱きとめた。とたん。
―――――ずぼっ。
勢いよく、女帝クロエの両手が、オズヴァルトの衣服の中へ突っ込まれる。
そのまま、女帝の身体が、オズヴァルトに密着。
恋人のように抱き合う格好だ。
詳細に語れば、オズヴァルトの裸の胸に、女帝の頬がくっつき、その下は衣服越しとはいえ彼女の胸が押し付けられ、圧し潰されている状況である。
「………………」
「………………」
居合わせた全員が、硬直し、立ち尽くした。
オズヴァルトの腕の中、やらかした女帝がすっと顔を上げる。ちょっと怒ったような顔だ。
いや、いったい何が起こったのかわかっていないような、邪魔が入った、と言いたげな態度。
まだ何も考えられていないオズヴァルトと目が合った。とたん。
驚いたように、彼女の目が見開かれた。真ん丸だ。刹那。
(あ)
真っ赤になった。…耳だけ。
オズヴァルト側はまだ冷静だったが、どうすればいいのか困惑する。
このような隙だらけの、というか、だらしない格好をしていたのはオズヴァルトの責任だ。
そこに飛び込んだのは、千歳越えのいにしえの魔女とはいえ、見た目は二十代半ばの妙齢の女性である。
妙齢の女性におじさんの裸を触らせるなど、どちらかといえば、おじさんが悪い気がする。
女帝にどのような難癖をつけられても仕方がない。
まさかそれが狙いなのだろうか?
だが。
(女帝クロエはあまり、自分が女というつもりがなさそう、だからな…)
女性であるというよりは、千年を生きた怪物、そういった周囲の認識と彼女自身の認識も同じように感じる。
0
あなたにおすすめの小説
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
【完結】あなたに知られたくなかった
ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。
5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。
そんなセレナに起きた奇跡とは?
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
悪役令息、前世の記憶により悪評が嵩んで死ぬことを悟り教会に出家しに行った結果、最強の聖騎士になり伝説になる
竜頭蛇
ファンタジー
ある日、前世の記憶を思い出したシド・カマッセイはこの世界がギャルゲー「ヒロイックキングダム」の世界であり、自分がギャルゲの悪役令息であると理解する。
評判が悪すぎて破滅する運命にあるが父親が毒親でシドの悪評を広げたり、関係を作ったものには危害を加えるので現状では何をやっても悪評に繋がるを悟り、家との関係を断って出家をすることを決意する。
身を寄せた教会で働くうちに評判が上がりすぎて、聖女や信者から崇められたり、女神から一目置かれ、やがて最強の聖騎士となり、伝説となる物語。
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
ナイナイづくしで始まった、傷物令嬢の異世界生活
天三津空らげ
ファンタジー
日本の田舎で平凡な会社員だった松田理奈は、不慮の事故で亡くなり10歳のマグダリーナに異世界転生した。転生先の子爵家は、どん底の貧乏。父は転生前の自分と同じ歳なのに仕事しない。二十五歳の青年におまるのお世話をされる最悪の日々。転生チートもないマグダリーナが、美しい魔法使いの少女に出会った時、失われた女神と幻の種族にふりまわされつつQOLが爆上がりすることになる――
【完結】異世界で魔道具チートでのんびり商売生活
シマセイ
ファンタジー
大学生・誠也は工事現場の穴に落ちて異世界へ。 物体に魔力を付与できるチートスキルを見つけ、 能力を隠しつつ魔道具を作って商業ギルドで商売開始。 のんびりスローライフを目指す毎日が幕を開ける!
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる