42 / 79
第3章
幕2 ドルーア商団
しおりを挟むその身にまとっているマントの漆黒が、目の底にしみるほど鮮やかだ。
つまり、安物ではない、上等の品物である。
手袋をはめた手を白馬へ伸ばせば、人間のように拗ねた態度でそっぽを向こうとした。
直後、近くにある魔物の死体に驚いたように、慌てて男に寄り添う。
男の顔面が無防備に、馬のたてがみに埋まった。
男はちょっと戸惑った雰囲気だ。
だが止まっていた手はすぐ、なだめるように馬の首筋を撫で始めた。
魔物の死体を視界に入れたくないのか、男を盾のようにしている馬の目が真紅と気づいた行商人が、これまた珍しい馬だと目を凝らすなり。
「や、どうも、こんにちは! 大変だったね!!」
満面の笑みを浮かべた少年が、行商人の前に回り込んだ。
赤茶の髪に、こげ茶の瞳。なんら警戒する余地もない、細身の少年。まだ十代半ばだろう。
しかしまずその勢いに呑まれ、
「これ、ドルーア商団の荷馬車でしょ」
荷馬車の側面に刻んである商団のシンボル、盾の印章を示すことで、首根っこを掴まれた心地になった。
はじめてふっとまともに少年に意識を向ける。
「勇敢な商団が壊滅したとなったら大変だ。ご主人さまがいてよかったね」
ご主人さま、という言葉で少年は胸を張った。
負けん気が強そうなところを除けば、舞台に立てばさぞかし映えそうな容姿の少年だが―――――、
(そもそもなぜ、こんな場所にいる?)
このような子供が一人で歩くのにふさわしい場所ではない。
ざっと見たところ、こぎれいな恰好をしている。何日もさ迷い歩いた雰囲気ではない。
行商人の視界の端で、護衛の代表者がジェスチャーで空を示した。
見上げれば、絨毯が浮かんだままだ。
視線を戻せば、そこから飛び降りた、と言いたげな手の動きを見せる。
ふと気づけば、魔物を始末した男の近くに、二人の人影が見えた。
まだ小さな少女と―――――、行商人は眉をひそめる。
「…魔人?」
筋骨隆々とした、腕が八本ある男が、おどおどと身を小さくして、男の足元に跪いた。
その目は魔物の死体を恐れている。
彼らが男の元へたどり着くなり、空に浮いていた絨毯もすぅっと彼等の元へ降りてきた。
八本腕の男と対照的に、小さな少女は落ち着き払っていた。彼女が、魔女だろうか。
馬を撫でる黒衣の男に跪き、少女は両手を彼に差し出す。
その手に、男は剣を預けた。とたん。
それは小さな短剣に変わる。
(…魔剣だと)
その光景に眉をひそめるなり、
「ぼくたちは通りすがっただけだから、もう行くよ」
一方的に声をかけてきた少年は、話の切り上げ方も一方的だった。
じゃあね、と素っ気なく踵を返そうとしたところを、
「待ってくれ」
慌てて引き留める。
「助けられて礼もなしとは、ドルーア商団の名折れだ。オレはラデク。ラデク・ドルーア。恩人に、せめて直接礼を伝えたいのだが」
その上で謝礼金を出し、あわよくば帝国の首都までの護衛を依頼したい。
ちらと護衛の代表を横目にすれば、伝わったか、彼は大きく頷いた。
魔物が退治されたことで、このあたりの勢力図が塗り替わるのは間違いない。
それが安全を呼ぶかと言えば真逆の結果となり、一帯の魔物や魔獣は覇権争いに忙しくなるだろう。
騒動に巻き込まれないためにも、彼等は早急にこの場を去る必要があった。
「へえ」
少年はまじまじとラデクを見上げる。
「あなたがドルーア商団の頭か」
「…先ほどから黙って聞いていれば」
ラデクの片腕ともみなされている男が、けが人を確認していた作業を放り出して、近づいてくる。
「お前が前にしているのは商団主だ」
少年の傍若無人ぶりを見兼ねたのだろう。
確かに彼の態度は、スラム街のチンピラのようでもあるが、ラデクの方は特に気にしていない。
もっと強烈な相手に商談したことは何度だってある。
ただ、この場で少年に注意をするのは、逆にラデクが舐められないようにとの配慮だと理解してもいる。
今は他の目もあるからだ。
「せめて最低限の礼儀を払え」
彼に一通り言わせた後で、ラデクは首を横に振った。
「いい」
なんにしたって、この少年が言う『ご主人さま』が商隊を救ってくれたのは事実だ。
利かん気が強そうな少年は、怒り出すどころか、意外にもふっと表情を改めた。
「いえ、失礼いたしました」
姿勢を正し、丁重に頭を下げる。
「ご無礼、お許しください、商団主殿」
ラデクは意外な心地で少年を見下ろした。そのようにすれば、良家のお坊ちゃんに見えたからだ。
一体、何者か。
ちらと仲間と目を見かわし、ラデクは少年に目を戻した。
「こちらこそ失礼をした。改めてお願いだ。君の主人に話をさせてくれないだろうか」
「申し訳ございませんが」
少し身を引き気味に、顔を上げた少年は目を上げる。
「…お話があるというなら、ぼくから伝えさせて頂きます。なんにせよ、我々は先を急ぐ身ですので」
「そう言わず…いや、分かった。では簡潔に」
あまり食い下がればこのまま逃げられそうな気配を感じ、ラデクは手短に提案。
「君たちの行き先はどこかな? もしアルドラ帝国の首都なら、これも何かの縁だ。同道を願い出たい。もちろん、十分な礼はする」
意味は伝わっただろう。
真面目に聞いていた少年は、直後に深くため息をついた。
―――――ああ聞いちゃった。そんな態度だ。
おそらく、彼はラデクたちと対話する気はなかったのだ。
何か聞けば、主人に伝えねばならない。それが嫌だったに違いない。
少年の望みは、一刻も早くこの場を離れることだったろう。
だが、…推測に過ぎないが、彼の主は違う。
「…わかりました。伝えてきます。少々お待ち下さい」
見るからに不満を呑み込む態度で、それでも少年は丁寧に対応し、踵を返した。
「ラデクさま」
いくらか平静を取り戻した商隊の中から、先ほどの男が生真面目そうな渋面で近づいてくる。
「できれば早急に場を離れたほうが良いかと思いますが…」
「文句は言うなよ」
ラデクは苦笑。
「彼と一緒に進むことができれば、安全は比較的高くなる。なに、妙なことを企んでいるようなら、もっと馴れ馴れしく対応してくるさ」
確かに魔人らしき男を連れているのは気になる、魔人は魔族の眷属だ。
が、この近辺に魔族がいるという話は聞かない。
なにより、彼等は魔女が使用する絨毯に乗っていた。
魔族と魔女は良好な関係とはとてもではないが言えない。
あの黒衣の男が魔族だろか。
思ったものの、魔族であるならば魔物に襲われている者を高笑いで見物こそすれ、助けたりは、絶対しない。
男の正体は知れないが、少なくともこの場に魔族はいないだろう。
「彼等に、腹に一物あるとは思っていませんよ」
男もラデクと同じ気持ちだったか、渋面のまま首を横に振る。
「話が肯定的な方向に進んでくれたなら、助かると私も思います」
「悲観的になるなよ」
逆側から護衛の代表が顔を出し、からりと笑った。
「ここで見捨てるくらいなら、最初から助けたりしないさ」
「まあ…そうですが」
気楽でいいですね、と言いたげに男は白馬に寄り添われ―――――いや今はなぜかぐいぐい身を寄せられている黒衣の男を見遣る。
怯えているようだった白馬は、寄りかかってもびくともしない男が面白くなったか、積極的にくっついているようだ。
泣きそうだった真紅の瞳が、今や子供のようにキラキラしていた。
特に男は面倒そうでもなく、相手をしてやりながら首筋を撫でている。
0
あなたにおすすめの小説
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
【完結】あなたに知られたくなかった
ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。
5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。
そんなセレナに起きた奇跡とは?
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
悪役令息、前世の記憶により悪評が嵩んで死ぬことを悟り教会に出家しに行った結果、最強の聖騎士になり伝説になる
竜頭蛇
ファンタジー
ある日、前世の記憶を思い出したシド・カマッセイはこの世界がギャルゲー「ヒロイックキングダム」の世界であり、自分がギャルゲの悪役令息であると理解する。
評判が悪すぎて破滅する運命にあるが父親が毒親でシドの悪評を広げたり、関係を作ったものには危害を加えるので現状では何をやっても悪評に繋がるを悟り、家との関係を断って出家をすることを決意する。
身を寄せた教会で働くうちに評判が上がりすぎて、聖女や信者から崇められたり、女神から一目置かれ、やがて最強の聖騎士となり、伝説となる物語。
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
ナイナイづくしで始まった、傷物令嬢の異世界生活
天三津空らげ
ファンタジー
日本の田舎で平凡な会社員だった松田理奈は、不慮の事故で亡くなり10歳のマグダリーナに異世界転生した。転生先の子爵家は、どん底の貧乏。父は転生前の自分と同じ歳なのに仕事しない。二十五歳の青年におまるのお世話をされる最悪の日々。転生チートもないマグダリーナが、美しい魔法使いの少女に出会った時、失われた女神と幻の種族にふりまわされつつQOLが爆上がりすることになる――
【完結】異世界で魔道具チートでのんびり商売生活
シマセイ
ファンタジー
大学生・誠也は工事現場の穴に落ちて異世界へ。 物体に魔力を付与できるチートスキルを見つけ、 能力を隠しつつ魔道具を作って商業ギルドで商売開始。 のんびりスローライフを目指す毎日が幕を開ける!
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる