原初の魔女と雇われ閣下

野中

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第3章

幕3 上着は必須

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男の元へ駆け戻った少年が、意外なほど丁重に跪いた。
背に、緊張が見える。

男に許可を得るまで待っているのか、その後姿は忠犬じみている。
先ほど見せた小憎らしさはない。

許可を得たか、顔を上げ、先ほどのラデクの言葉を伝えているようだ。

「さあて、どう出るかな」

緊張に、何となく呟いたが、どうであろうと、その場その場で対応していくほかない。
もし提案を受け入れられなくとも、恨みはしない。
なにせ、ここでラデクたちが助かったのは運に過ぎないのだから。

見守るラデクの隣で、彼の右腕は、別のことを気にしていたようだ。


「それにしてもあの少女」


唐突な、彼の生真面目な呟きを、
「ああ、可愛いな」
最後まで聞かず、護衛が混ぜっ返す。
「あんな小さいのが好みか?」

「悪趣味な」
彼をじろりと睨み、


「そうではなく…見覚えがあるんですよ。なんだか、うすら寒い心地がします」


「ふん?」
ラデクが首を傾げた。

「見覚えがあるのに、きちんと覚えていないのか? お前が? 珍しいな」

この男の記憶力は相当いい。異能と呼べる類のものだ。
しかし、覚えてはいないが、妙な感じはする、とは…。

「では、彼女が魔女か?」

声を潜めてラデクが尋ねれば、彼は首をひねった。
「魔女? …ああ、そうか、そうかもしれませんが…何か違うような」

「会ったことがあるっていうより、遠目でちょっとだけ垣間見たとか?」
護衛が言うのに、男の眉間の皴が深くなる。

「そう、でしょうか…」

男が、記憶に目を凝らすようにした時、彼等の視線の先で、少年が立ち上がった。
同時に、話題に上がっていた少女も続く。その手に、短剣はもう見えない。

遅れて、八本腕の男が立ち上がった。
誰に何を言われたか、慌てて絨毯の上に乗る。

大きな男というのに、身を縮ませるようにちょこんと正座した。
その左右に、少女がゆったりと、少年が飛び込むように座る。


彼らを尻目に、男が馬に跨った。


まさか黙って立ち去ることはしないだろうが、と思った矢先、絨毯が空中へ舞い上がり、




「同行するっていうなら、全員、直ちに整列!」




そこから少年らしき声が降ってくる。
次いで、面倒そうな確認。
「死にそうな人や死者は出ていないよね!」

「いるのはけが人だけだ、動くに問題はない!」
護衛の男がすかさず応じた。要するに、魔物には嬲られただけだ。

その恐怖と精神的な傷は残っているが、肉体に問題はない。

「了解、それじゃ」


「細い山道を通る陣形を取ること!」


彼の声に続き、少女らしき声が降った。
可愛らしいのに、物言いが、ひどく厳しい。



「今すぐに! でないと置いていきます!!」



その声は鞭のようで、海千山千の行商人たちを追い立てた。ラデクはふと思った。
この少女、他者を使うことに慣れている。
緊急事態には慣れている商団だ、やりかけのことは放り出し、すぐさま配置につくべく皆が走った。走った後で、疑問を抱く。

―――――なんでこんなことする必要が?
黒衣の男が商隊を助け、彼に商団主が助けを求めたのは分かる。とは言え。


いったい何をしようというのか。どういうことなのか。これで、助かるのか?


尋ねたかったが、そんな悠長なことをしていれば置いていかれそうな勢いがあった。
それにしたって、同行を願い出たのはラデクだが、ラデクの商隊に彼等の同行を願ったのだ。
これでは、彼等に商隊の方が同行するようではないか。

皆が慌ただしく動く最中、少女が付け加える。

「それからできれば、上着を着ておいてください。風邪をひいても知りませんよ!」
商隊の皆は、晴れ渡った空を見上げた。


これほど天気のいい、少し汗ばむような陽気の中、上着が必要とは思えない。


小さく笑った彼らは―――――その少し後、後悔することになる。


「それから極力動かないこと!」
少年が、やる気のない声で告げた。
「動いたらどうなったって知らないからね? 責任は自分で取ってよ!」


黙って成り行きを見守っていた黒衣の男が、隊列が整うに従い、不意に白馬の手綱を引いた。


空中に道でもあるかのように、白馬が空へ向かって駆け出す。



空中で、白馬が一度、ぐるり、旋回―――――男は何に納得したか、商隊の進行方向へ向かって、全力で疾走を開始した。同時に。



「うお…っ?」
隊列を整えた彼等は、足元が突如凍り付いた心地に、ぎょっと地面を見下ろした。
その時になって、気付く。

「う、浮いてる!?」

馬上、面食らったラデクが思わず叫ぶと同時に、





「静かに」





すぐ近くで、体温が低そうな気怠げな声がした。ギョッと顔を上げれば、

「…馬には鎮静の魔術をかけているが、騎乗者の混乱は彼等に影響する。落ち着きたまえ」
すぐそばに、黒衣の男がいた。

彼の背後に見える光景が横へ流れていることに気付き、浮くどころか彼等が動いているのだと知ったラデクは、小さく呻く。

どうやら彼等は持ち上げられ、運ばれているらしい。
しかも目には見えないが、冷気に満ちたいくつもの箱を連結するような格好で。

中にいる者からすれば、いつ放り出されるかしれない中、何の支えもなく空中に放り出された気分だ。



不安を見抜いたか、いや、見抜いたからこそ声をかけてきたのか、男は言葉を続ける。

「『特急』で進む。首都近辺の安全な場所におろして差し上げよう。できるのはそこまでだ」



遠回しに、そこへ届けるまで放り出しなしない、そう告げてくれているのだろう。

地味なようで、派手な魔術。
しかも、どれほどの魔力量があれば、こんなことが可能なのか。

そんな大技を維持しながら、涼しい態度で男は告げる。



「挨拶もしない非礼はお許し願いたい。…問題を起こしたくはなくてな」



妙な言い回しだとラデクは思う。
騒ぎを起こしたくない、ではなく、問題を起こしたくない、とは。





「…承知した。お心遣い、感謝する。助けて下さったこともだ、…ありがとう」





男が何者かは分からない。
である以上、もっと警戒すべきなのだろう。
が、なぜか不思議と警戒感が湧かないのだ。



彼に対して、懐かしいような、妙な感覚がある。何かを思い出しそうで、思い出せない。



喉に魚の小骨でも引っかかっているような感覚。

「偶然と気まぐれの結果だ。感謝ならば、自身の強運にするといい」
黒衣の男の対応は素っ気ない。


「我らは短時間で首都へ着く必要がある。同行するなら、こちらの都合に合わせてもらおう」


自分勝手な物言いのようで、この細やかな配慮は何だろう。

魔術の影響か、ラデクの骨まで寒さがしみてくる。
が、不快感と言えばそのくらいで、周囲の景色が流れる速度に比べ、風すら感じない。

出来得る限りの心配りをしてくれているのは、術者のこの男だろう。


悪人か善人か、よくわからない人物である。


「若さま」
男の言葉が終わると同時に、先頭を飛ぶ絨毯から、少女の声が飛んだ。

「では失礼―――――どうしたね、ビビ」

遠ざかる背中を見送り、ラデクはふ、と身体から力を抜いた。
力を抜くことで、あの男を前に、妙に緊張していたことに気付く。


やれやれ、首を横に振って、近くで馬に乗っているはずの、仲間を振り返った。


常に生真面目な彼の顔を見るなり、
「…おい、大丈夫か」
つい、ラデクは心配そうな声をかける。彼の顔が真っ青だったからだ。

「寒いなら上着を着ておけ。まだ朝晩は寒いからな、馬に下げている袋の中に」
ラデクの言葉を遮り、



「思い、出しました」



彼はかすれ声で、カクカクと不自然な動きを見せながら、俯いた。
冷気の中、白い息を吐き出す。

「思い出す?」
なんだったっけ、とラデクが思ったのも束の間。





「ビビ―――――ああなんで、すぐ思い出せなかったのか」





絶望したように俯き、彼は顔を両手で覆った。
まさに悲壮そのものの態度に、ラデクは戸惑う。どうやらあの少女のことを言っているようだが、

「どうした。そんな大変なことなのか」
近くにいた護衛の男が、同じく戸惑った様子で彼に声をかけた。


「たいへん!?」


彼は声を上ずらせかけ、すぐさま自重。
「ええ…まあ…少なくとも誰も予想しなかっただろう状況ですね…!」

「その様子だと、思い出したんだな?」
ラデクの問いに、大人しい馬の手綱を握り締めながら、男は観念した態度で告げる。





「あの小さな女の子はビアンカ・モイオーリ」

彼は口元だけで笑った。



「見覚えがあるはずです、よく組合の会合に出席していますよ―――――シューヤ商団の代表として」





「はははは」

護衛の男が、笑い声を上げる。冗談と思ったのだろう。
まさかあんな小さな少女が、と言いたげだ。

能天気な彼を恨めしげに見遣り、男は言葉を続ける。



「お忘れでしょうが、シューヤ商団の幹部は皆、魔人です。名高き、ヴィスリアの魔人たち」



護衛の男は、ぴたりと笑いを止めた。
魔人であるならば、見た目通りの年齢とは限らない。

ではあの八本腕の男のみならず、他の全員が魔人ということだろうか?

ヴィスリアの魔人たちのことならば、噂だけなら誰だって耳にしたことがある。
だが、噂でだけだ。実際に目にした者は、ほとんどいない。

ただ、男は垣間見たことがあるのだろう。それこそ、忙しいラデクに変わって、組合の会合に出たことがあるはずだ。

「その皆が、彼女のことをビビ様と呼んで敬っています。そんな彼女を」
護衛の男とラデクが揃って、黒衣の男を見遣る。




「呼び捨てにできる方、その上」
空飛ぶ絨毯を見遣り、彼は続けた。

「魔女に縁故がある方、となると」


近くにいた者は揃って、同じ人物を連想したに違いない。








―――――オズヴァルト・ゼルキアン。

先日、天人への位階を上った男。彼と女帝のかかわりは、周知の事実だ。








ではあの絨毯は、女帝が貸し出したものということだろうか?

ただ、魔族に憑依され、おかしくなったと噂の男が天人となったのだ、各国が戦々恐々としていた。



果たして、天人となったのは、魔族なのか?

はたまた正気に戻ったオズヴァルト・ゼルキアンなのか?



とうとうその、話題の中心人物が、答えを提供するために、極寒の地から姿を現したらしい。
(話題の中心人物だから、なんとなく懐かしい心地がしてたのか…なんにしたって、オレたちはいち早く噂の真相を知ったのかもしれない)

同時に、景色の流れる速度が速まった。

とたん、増した冷気に。




これこそゼルキアンの証だな、とラデクは盛大にくしゃみをした。









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