原初の魔女と雇われ閣下

野中

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第3章

幕4 八本腕の男

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× × ×





ヴィスリアの魔人が手掛けたシューヤ商店の店は、貴族が集まる首都においては彼ら向けのものが展開している。
そのうちの一つが、スイーツ専門店。

ひとつひとつが宝石のように美しい菓子は、アルドラ帝国の流行を作った。


その最先端を行くシューヤの店は、本日。


「…あれ」
いつも賑わいを見せる店舗前が、今日は閑散としていた。
何事かと思ってみれば、臨時休業の看板が下げられている。

「今日、お休みだったんだ」

ショーウィンドウの中、きれいに並べられたうつくしい菓子を眺めるのを楽しみにしていた浮浪児たちが、看板が読めもしないのに雰囲気から悟って、顔を見合わせた。


「ちぇ、今日はどんなものが並ぶか楽しみだったのにな」


大人たちから追い払われる前に、と駆け出そうとした一人が、
「あ」
空を指さす。

「魔女だ」

その言葉通り、空飛ぶ絨毯がすぅっと横切り、地上に影を落とした。
つられるように、仲間が顔を上げれば。

高度は低く、随分と、地上に近い。
珍しいこともあるな、と思ったものの、それ以上に。

「うわあ」
男の子の内の一人が、目を輝かせ、大きな声を上げた。



「お馬さん!」



絨毯のそばを、白馬が駆け抜けたのだ。
翼もないのに空を飛んでいる。


通りにいた全員が空を見上げた時には、それらはシューヤ商店の店舗の向こう側に消えていた。


それを目撃した通りの人間たちは、揃って何を見たのか一瞬理解できず、立ち竦む。


浮浪児の一人が、他の仲間にも教えてあげようと興奮気味に駆け出したことで、皆、我に返って首を振り振り日常生活に戻った。


平和な店の表で、小さな騒ぎが起きたことも知らず、







「急げ、皆、手を止めるな! 宴は今夜だ、間に合わせろ―――――間に合わなくてもだ!」

「いやそれ、矛盾してますからあ!!」







店内は戦場だった。

店のテーブルの上には色とりどりのスイーツが整然と並び、きちんとトレーの上に配置されている。
テーブルの上は、魔術で一定の冷気が保たれるよう設定されていた。

「今日ばかりは、皆、道具だ! 逃げるな、戦え、夜明けを迎えるために!!」
「闇しか見えません、光はどこですか!?」

意地でも鼓舞する声に、後ろ向きに応じる様々な声は半泣きだ。
どちらもちょっと正気を飛ばしている。



「く、クリームを、…お願い…」

「これって乗せる果物はなんだっけ?」

「ばっか、そこ、埃を立てるな!」

「こっち片付けといてくれない!?」



幾人ものスタッフが血眼で立ち働くところへ。

「―――――ああ、やっぱり」
ひどく穏やかな、それでいてどっしりと安定感のある声がして、のそりと厨房に現れた影がある。



「忙しそうだね?」



にっこり笑う声に、殺気立った目が向けられた。
わかり切ったこと言うんじゃねえよ、とすさんだ声が視線から迸る。それらをものともせず、

「僕、手伝うよ、我が君のご命令だからね。あ、でも僕が入れる場所ってあるかな」



隅っこでいいんだけど…。



言いつつ、スキンヘッドの頭を傾げたのは、筋骨隆々の肉体に、八本腕を持った逞しい体躯の男。
ただ、強面ではなく、童顔で、二十代の若者にも見えた。

彼は、身を縮めるようにして、厨房の中に立っている。



「え、魔人?」



虚を突かれた声を上げた青年は、人間の地元スタッフなのだろう。
見た目からはっきりと、現れた男が魔人というのは分かる。

シューヤ商団へやってきた魔人なら、ヴィスリアの魔人に違いないが、このような外見の魔人は聞いたことがない。



「どなたですか?」



手を止めないまま、一人が慎重に問いかければ、
「僕? あ、そうだね、自己紹介。うん、僕はね」
忙しく立ち働く中にも注目を集めた彼は、照れ臭いのか、さらにもじもじ身を縮めながら俯いた。



「ヨアキム・ステンホルム。ゼルキアン城の専属シェフだよ」



ただ、ゼルキアン、と告げた時だけ、ちょっと誇らしげな響きが宿る。直後。

―――――スタッフの、ほぼ全員の手が止まった。

バッと顔を上げた全員の声が、期せずしてハモる。




「ヨアキム・ステンホルム!?」




―――――それは『食』の世界に革命をもたらした、生きた伝説だった。










ここで、シューヤ商団発足のきっかけを少し話そう。

様々なものを手掛けているシューヤ商団だが、食文化においては、基本的には成功を収めていると言っていい。
爆発的に流行したというよりは、地元に根付き定着したと言った方向に。

最初に目を付けたのがなぜ、『食堂』で『冒険者』だったのか。



これにはちゃんとした理由がある。



今のオズヴァルトはもともと一般市民で、しかもこちらの世界に詳しくはない。

だが、こちらへ来るたびに見知っていたのが。



―――――冒険者であった。



実は、魔族に憑依されたオズヴァルト・ゼルキアンは、冒険者組合において、秘かに討伐対象だったのだ。
そのうえ、ゼルキアン領は今や魔境である。

冒険者にとっては稼ぐにちょうどいい場所だった。

とはいえ、幸か不幸か、気候が冒険者たちの邪魔をしたのだ。



―――――寒い。腹減った。…でも金がない。稼がなきゃならないのに、動けない。



結果、ゼルキアン領にくるのは割に合わず、挑戦したものの、大体、皆すぐ諦めた。
そんな彼らを、悪趣味なことに、オズヴァルトに憑依した魔族は、安全な場所で水晶から見ながら腹を抱えて笑っていたものだ。
だが、彼等を見るたび、オズヴァルトはいつも、心から応援していた。

応援したくなった理由は単純だ。



―――――格好いいから。



子供っぽい理由だが、これ以外のらしい理由も持ちようがない。

なにせ、冒険者のように身体を張ったぎりぎりの生活は、楽なものでないと子供にだって分かる。
いつだって命の危険と背中合わせ。不意の怪我や病気への対処にも不安が残った。



それでも彼らは、決して、どんな状況でも悲壮にならない。

「で、それがなんだ」と立ち向かっていく。



ボロボロになったところで、いつだって前を向いている。

攻略できず、ゼルキアン領に背を向ける時だって、決して、負け犬と言った感じはなかった。



とことんタフで明るい、ゼルキアン領に挑む冒険者たちのそんな態度に、オズヴァルトはある意味、力をもらっていた。



対する魔族はと言えば。
彼等を見学しながら、一室にこもって、ずっと何か口にしていた。
美味しいものを好きなだけ、好きな時に食べていた。

あの魔族の心を掴んでいたのは『味覚』だったのだ。美味しいものさえあれば、彼はそれに夢中になった。


結果があの体型だ。


逆を言えば、美味いものさえあれば、魔族を思ったように動かせたという利点もある。
身体に憑依した魔族をゼルキアン城に足止めする―――――それが、オズヴァルトの目的だった。

そのためには、珍しい上に美味い食べ物が必要となる。
舌を蕩かす『食』の研究は必須だった。



ゆえに―――――『食堂』と『冒険者』なのである。



魔族の意識を外へ向けすぎないためにも。そして。
すこしでも冒険者たちの力になれたらいいと思ったのだ。

ただ、お気付きだろう。ゼルキアン領内に、シューヤ商団の店はない。




理由は―――――オズヴァルトは自分が成敗されたくはないからだ。







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