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第3章
幕11 空からの訪問
しおりを挟む詳しく説明するなら、オズヴァルトは結界を『切り取って』馬状態のティムに乗って空から入ってきたわけだ。
単純に破壊すると皇宮が蜂の巣でもつついた騒ぎになるのは明白だから、切り取った結界は、またきれいに元に戻しておいた。
それでも、魔力の流れをひとつも阻害しなかったから、仕掛けた魔術師は、異常に気付きもしなかったはずだ。
なにせ、『壊れた』わけではないのだから。
「無茶苦茶だね!?」
突っ込んだのは、ティムだ。
そんなのできるのかと言われそうだが、…やろうと思って、できそうだと思った時には、できたのだから仕方がない。
星空を見上げた彼女の、うつくしい微笑は崩れない。口調だけ、呆れた風情で、
「…あなたって、昔からそうよね」
庭を鑑賞するようにゆっくり歩きながら、カミラは正面に顔を戻す。
「規則は守るべきだと言いながら、自分の都合であっさり破るの」
はて、とオズヴァルトは首を傾げた。
オズはそこまで横紙破りだったろうか―――――ただ、一つだけ言い訳をさせてほしい。
『冬見一平』はかつての事故の後遺症で、車に乗れなかった。
そのせいだろうか。
オズヴァルトは、馬車に乗ろうとして、乗れなかったのだ。
無理に乗ろうとすれば、背中を冷や汗が濡らし、周囲を凍結させてしまった。
結果、急遽、あまり好まない移動方法―――――白馬のティムに乗って行動することにした。
あまり人目に付きたくなかったために、オズヴァルトは庭の方から降りたわけだ。
今ここにいないティムは、白猫に変化している。
その上で、他の魔人たちと合流するように伝えた。今頃一緒に行動しているはずだ。
結果として、この形の訪問は正解だったかもしれない。
正面から入ればおそらく、オズヴァルトは足止めを食らったろう。
オズヴァルト・ゼルキアンは天人となったわけだが、憑依した魔族がそうなったのかもしれないという疑惑が濃厚だからだ。
出入り禁止を食らう可能性が高かった。
今回の宴に参加する彼の目的は、ひとつ―――――カミラに会うことだ。
他の目的は、オズヴァルトがいなくとも、魔人たちが達成するだろうが、カミラに会うことだけは、任せるわけにはいかない。
ゆえに、目的が達成された今、オズヴァルトはこのまま会場へ行かずティムを呼んで、去ってもいいわけだが。
久しぶりに会った友人を前に、「こんにちは、じゃあさようなら」は、ないだろう。
いくら仲が良くなくともだ。
カミラは特にオズヴァルトの返事を期待していなかったのだろう、すぐ話題を変えた。
「その服、昔見たことがあるわ」
オズヴァルトの衣服を横目に、カミラ。何を言うかと思えば、
「流行遅れね」
辛辣。
とはいえ、オズヴァルトは気にしない。
「新しく仕立てる時間がなかったので、昔の服を引っ張り出しました」
実際、流行には疎いのだ。
だがカミラは、つんとした表情でこう評価した。
「そこに、流行の上着を着せかけて、小物も最新のものだわ…ちぐはぐに見えそうなのに、それが妙に似合っているわね。ビアンカの案かしら、それとも噂のデザイナーが考案したの?」
噂のデザイナー。
そこまで言わせる女性なのかどうか、オズヴァルトにはわからないが、ホテルまで来て色々コーディネートしてくれたのは、気さくで明るい女性だった。
私にお任せ下さるなど、光栄の至りです、と最初から最後まで引くほどテンションが高かったが。
「以前の服を選んだのがビアンカで、仕上げは後者ですよ」
「悔しいけど、センスがいいわ」
オズヴァルトは、内心、おやと思う。
この女性が素直に褒めることはめったにない。
「二人に伝えておきましょう」
「ゼルキアン卿、」
改まった口調で、カミラが口を開く。
「あなたが今日ここへ来たのは、シューヤ商団へ皇女殿下から招待状が送られたからでしょうけど…それだけで、アルドラ帝国へ来たのかしら?」
とてもそんなことは信じられない、と言いたげな口調だ。
「あなたに会うためとは思わないのですか、ね」
オズヴァルトが言えば、
「それは嘘ではないけど、全部ではないわね」
鼻で笑われた。
「そもそも、わたくしに挨拶するだけが目的なら、あなたはこれで目的を達したはず。いつもならすぐに、去っているはずよ」
「…」
(オズくん…)
内心、絶句するオズヴァルト。
つまり、オズはやるわけだ。久しぶりに会った相手に「こんにちは、じゃあさようなら」を。
きっとそこが、オズとオズヴァルトの違いである。
「そうしないということは、まだ目的があるのでしょうけど」
ちょっと胸が痛むオズヴァルト。
そんな彼を見上げ、カミラは優雅に優しく告げた。
「何をするにしたって、こちらに迷惑はかけないで頂戴」
それでも仕方がない場合は手助けしてあげる―――――とかいうのは、これは絶対ない。
迷惑をかけるな。
それが、掛け値なしの彼女の本音に違いなかった。
オズヴァルトは、今更動揺したりしなかった。
なにせ、カミラとはもとからこういう女性だ。
第一、双方とも、手助けなど必要としない程度には力がある。
カミラの場合は、手助けなど屈辱と感じる性質でもあるだろう。
そして。
正直言えば、オズヴァルトの立場は微妙である。
公爵ではあったが、それはシハルヴァ王国が健在だった場合の話だ。
王国が滅びた今となっては、地位などないに等しい。
あるとするなら、一商人、シューヤの経営者という立場にあたるというところか。
とはいえ、ゼルキアン家門は、他のシハルヴァの貴族とは、一線を画していた。
なにせ、シハルヴァ建国前からその地を治めていた存在である。
王国が建つ前は、小国の領主だった。
ゼルキアンは、国だったのだ。
シハルヴァ王国建国にあたり、争いを是とせず、自ら王国に恭順した家門である。
家門誕生の、そもそもの前提が、他とは違う。
―――――冬の霊獣ヴィスリアの子孫。
よって、当然の権利として、神話の時代より、ヴィスリアが治める地は、当たり前にゼルキアン家門の所有となる。
もっと言えば、冬の季節がやってきた地は、すべてゼルキアンのもの、と言っていい。
シハルヴァ王国の領土は、今、各国の協定の下、誰も手を出さないことになっているが、中でもヴィスリアの子孫たるゼルキアン家門の領地は、オズヴァルト・ゼルキアンのものだ。
各国とも、それを認めざるを得ないだろう。
よって、魔石が発掘される鉱山の所有権も、オズヴァルトから奪い取れる理由は実のところ誰も持ち合わせていない。
なんにしたって今、ゼルキアン領は、魔境とすら言われる過酷な地となっている。
ゼルキアン家門の領土は、人間が決められる領域にあらず。
それが、霊獣が人間と子を成した―――――家門発祥の時からの、世界の認識である。
そのゼルキアンの当主であるオズヴァルトは、熱のこもらない声で告げた。
「私の目的は、レミントン公爵夫人への御挨拶、それから」
声の響きは、乾いて、冷たい。しんしんと降る雪のよう。
「ルビエラ王女殿下が、この国で生きているとの情報を得まして、はせ参じた次第」
「ああやっぱり、それなのね」
会場へ向かう二人の足取りに、変化はなかった。
会場の明かりが強くなる道すがら、哨戒に立っていた騎士が、二人の姿に、いっとき目を丸くする。そして、見惚れた。
時に見つめ合いながら優雅に歩く姿は、ひどく似合いであり、互いの魅力を高め合っているように見えたからだ。
しかし見つめ合う眼差しに、ぬくもりはない。
「ご存じでしたか」
オズヴァルトの言葉に、なにを、とカミラが問い返すことはなかった。
「知っていたわよ」
カミラの返事は、ただ、優雅だ。
表情もひたすらうつくしい。
作り物のように、何の感情もこもっていなかった。
ルビエラ・シハルヴァ―――――その人物は、カミラの姪だ。
即ち、カミラの兄であるシハルヴァ王の娘。直系の、王女である。
生きていれば、今年で十五歳。
カミラは知っていた―――――姪のルビエラが、アルドラ帝国内のどこかで生きていることを。
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