原初の魔女と雇われ閣下

野中

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第3章

幕16 マティアス

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× × ×



「マティアス殿下」

宴の会場。



いつものようにその片隅で、マティアスはできるだけ気配を消して、静かにしていた。
時に、騎士たちと会話を交わす程度で、貴族たちの輪へ積極的に入る様子はない。
それが、長年守ってきたマティアスの立ち位置だった。

だとしても、皇族の一人である。
いかにも輝かしい皇子という外見で、令嬢たちはちらちら視線を送っていた。

しかし、腫物を扱うような態度になるのは、仕方がない。

現在のマティアスは、非常に微妙な立場にある。とはいえ。



いつもは億劫な作業も、今日はなんだか浮足立っていた。
マティアスのみならず、会場に揃った者たちは皆、身分の上下に限らず、落ち着かなげだ。

気もそぞろにグラスを手に取ったマティアスに、密やかに囁きかけたのは侍従の青年だ。

幼い頃からずっと一緒で、権力への執着心が強い怪物たちだらけの皇宮で、数少ない、マティアスの味方である。
信じられる相手、というのは彼の立場では本当に貴重だ。

知らず、緊張していたマティアスは無意識に、わずかだけ肩から力を抜いた。



「…どうだ?」

「刺客はすべて捕らえました」
朗報だが、侍従の声は、呻くようだ。



「生きたまま、か?」
理由を尋ねるより先に、確認を取ったマティアスに、

「はい」
難しい顔で頷いた侍従は、うろ、と視線を会場へ走らせた。

「抵抗しただろう。被害のほどは?」
「いいえ、さほどの苦労はせず、被害もありません」


「なに?」


マティアスは思わず、侍従を見遣った。
「…どういうことだ?」
刺客は、数も問題ではあったが、マティアスが妹を守りながらでは捌ききれないと感じたほどには手練れだった。

剣の腕ならば、帝国でも一、二を争う実力の持ち主であるマティアスがそう感じたのだ。

他の騎士からすれば、複数で挑んでも、苦戦を強いられたはず。
「…それが」
さらに声を潜め、侍従は言った。



「―――――凍り付いていたのです」

眉をひそめた侍従に、マティアスは目を瞠る。
凍り付いていた。

あの状況下で、何者の仕業かは、はっきりしていた。



「下半身が、地面に。それは、騎士が対象を捕えるなり消滅し、刺客たちの身体にも、何ら損傷は与えていません。マティアス殿下」

侍従は苦い声で尋ねた。
「今、あの方に対する皇宮内での魔術の使用許可は撤回されていらっしゃいますね?」
…念押しだ。マティアスは頷いた。

「ああ」
とたん、先ほど庭先で聞いたばかりの、低い声が脳裏に蘇る。



―――――今宵の遊戯は、ここまで。



その言葉で、オズヴァルトは、もう結界を正常化しろと告げたわけだ。
つまり、オズヴァルトに対する魔術の使用許可を撤回しろ、と。

そのとき、オズヴァルトの印象的な青紫の瞳が、警告の光を放っていた。
これ以上のかかわりは、互いに百害あって、一利なし、と。

無論、マティアスとてオズヴァルトと同意見だったから、言われるままに、すぐさま動いたが。
切り上げるオズヴァルトの物言いは、カミラが言った『悪さ』とは何のことか、と尋ねることを封じる言葉かと単純に思っていた。
ならば、何を彼がしたにしろ、…見逃そう、とすら考えて。なのに。

(つまり、悪戯、とは、…こういうことか)
オズヴァルトの行動は、斜め上をいった。マティアスの考えは、見当違いもいいところ。


(あの、一瞬の間に、これっぽっちも力を使った様子もなく)

―――――これだけのことをしてのけていたとは。


しかも、頼んですらいなかったのに、マティアスに必要だと思うことを、やってくれた。

…これは、打算ではない、彼の好意による手助けだ。そう思うのは、図々しいだろうか。
ただ、ここまでしたのだ、―――――仕損じるなよ、と言われた心地にもなる。
無論、この機会は。


決して、逃さない。


なんにしたって、本日、できた縁は、
(放したくはないなあ…)
それが、正直な感想だった。





―――――オズヴァルト・ゼルキアン。
魔族に憑依され、変わり果ててしまったと噂されていたが。
今日会った彼は。
記憶にある姿より、年を取っていたのものの、かつてより、一層、重厚感を増して威厳があった。

つい、襟を正す心地になったのは、なにもマティアスばかりではなかったろう。





(かの方は、…昔から)
どのような王侯貴族より、王者のような方だった。
証拠に。

マティアスの父たる皇帝を前にしても、全く怯まず応対するカミラ・レミントンが、彼に対しては一歩引いたような遠慮の混ざった態度を取っていた。二人が幼馴染のような関係だとしても、カミラという女性は認めていない人間など相手にもしないはずだ。

カミラを前にすると、誰でも怯む。
彼女はうつくしく、大人の女性で、自身の魅力をよく知っていた。
男だろうが女だろうが、容易く手玉に取ってしまう。
そんな、カミラが。

オズヴァルトのことは、扱いかねていた。

紳士のような態度を取りながら、オズヴァルトが容易い相手でないことはそれだけでも明白だ。
表立ってつながりを持ったと知られたなら、確かに、危険だった。お互いにとって。

マティアスは視線を巡らせる。

シューヤ商団が宴の会場のどこにいるか、すぐわかった。





―――――誰も近寄ろうとしない空白の場所。そのくせ、皆の好奇心と注目を一身に集めた一角。





そこにあるテーブルに座る一行は、周囲を全く気に留めた様子はない。

いや、座っているのは二人だけだ。他二人は立っている。
立っている一人は、流行のドレスを身にまとった凛々しい美貌の赤毛の女性。
もう一人は、栗色の髪と瞳のやさしげな風貌の男。

二人は、忠実な騎士さながら、悠然と椅子に腰かけているオズヴァルトの背後に控えていた。
テーブルに座っているもう一人は、十代前半と思われる少年だ。
白い髪と、紅の瞳。肌の白さは、抜けるようで、ひどく繊細な印象がある。
服も白、こぼれるレースも白、ただ、タイだけが、淡いピンクだ。

服装こそ少年だが、ひどく可愛らしい顔立ちは、少女のように見えなくもなかった。

最初こそ緊張していたようだが、気怠げにオズヴァルトが食べ物の皿を目の前に置くたび、素直に頬張っては目を輝かせている。
そこへ、黒髪の少女が二人、踊るような足取りで戻ってきた。

黒目黒髪のその少女たちは双子か、そっくりの顔立ちで明るく、社交的な態度だ。

彼女たちだけが人の中へ紛れ、お喋りを楽しんでいるようだが、二人から情報を探ろうとした人間は、逆に会話の主導権を握られ、気づけば知っている限りのことを親身に話し込んでしまっている、そんな状況のようだ。
なんにしたって、不動のオズヴァルトは、ただ座っているだけでも神秘の空気を漂わせ、どうしても誰もが視線を奪われてしまう。
オズヴァルト・ゼルキアンが魔族でないことは、彼がそこにいるだけではっきりしていた。

そこへ、巣へ戻るように、小鳥のような少女二人が戻った光景は、圧巻だった。

舞を舞うような軽やかな動きで、オズヴァルトの左右で、ふわり、腰を落とす。
床の上へ跪いたのだと気づいたのは、二人が喜びで輝く顔を、オズヴァルトへ向けた時だ。

―――――ヴィスリアの魔人たちのうつくしさはこの世ならざるもの―――――。

しかも今は、主たるオズヴァルトがいるのだ。
魔人たちの表情にあるのは歓喜。
なればこそ余計、彼等の美しさは輝くばかり。

ただ正体が知れないのは、オズヴァルトと同席しているあの少年だ。
オズヴァルトには、ただ一人、息子がいたが―――――彼ではない。

奥方によく似た、少女のような面差しをしていたが、もう少し、感情が薄そうな少年だった。
なにより、オズヴァルトの息子は死んだ。自身の父親の手によって。
今、オズヴァルトが似た年頃の少年を連れているのは。
(…贖罪のつもりだろうか。それとも、面影を追っている? まさか、彼が?)

マティアスは昔見たオズヴァルトを思い出す。
名だたる隣国の騎士であった彼は、ひどく家族を愛していた。
誰に何を言われずとも、見ていればそれは皆理解しただろう。

そんな、オズヴァルトの姿には。



愛する者とどのような経緯の別れがあったとしても、ずるずると引きずるより、自ら後を追ってしまいそうな破滅的な苛烈さもあった。







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