原初の魔女と雇われ閣下

野中

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第3章

幕17 皇室の闇

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だがオズヴァルトは今、ここにいる。

これは幸いだろう。
彼が戻ったならば、魔人たちが暴走することもないはずだ。

おとなしく彼の元へ魔人たちが集っている姿には不安もあるが、同等の安堵もあった。
とはいえ、あの少年は、どうも魔人とは思えない。他と、雰囲気が違う。


(いずれにせよ、騒がしくなるな)


その血統に爵位を与えた国が滅んだ以上、彼はもう公爵ではない。
しかし、その意向を無視できる存在では、決してなかった。

シューヤ商団に対する招待に、彼がこの国に現れたと知れば。



(各国から、彼を知るため、国の意向を受けたものが忍んでくるだろう)



マティアスと黙って同じ方向を見ていた侍従が、しばし黙っていると思えば、見惚れていたようで、突如、ハッと我に返った態度で、咳払いする。

「ところで、彼等は皇女殿下が招いたと噂されていますが」
「いつものことだ」
マティアスの返事に、侍従はため息を呑み込む。


「では―――――ブリジットさまが」




ブリジット。姓はない。ただの、ブリジットだ。




それは彼女の出自を明確に示している。
つまり―――――貴族ではない。しかし。

彼女が皇帝の愛人であることは、誰もが知っている。

皇帝と、ブリジットがどうやって出会ったかは、当人たち以外、誰も知らない。
ある日突然、皇帝が視察先から連れ帰ったうつくしい女。それがブリジットだ。

皇帝の愛人、それだけの理由で、皇宮内に自室を持ち、皇帝の子を一人産んだ。しかも皇子である。


皇宮内で何が起こるかは、誰もが予想していたはずだ。後継者争いは熾烈を極めた。


もしブリジットが弱い女なら、もしくは弁えた大人しい女なら、残酷だが、彼女ら母子の死で物語は終わったかもしれない。
だが、幸か不幸か、ブリジットという女は、知恵が回った。

なによりも、自分のことをよく理解していた。

第一皇子を産んだ皇后は、皇帝の一方的な行いに呆れ果てたが、ブリジットを警戒し、息子を連れて別宮へ移っていった。
それほど、ブリジットは野心も溢れていたのだ。

皇后が別宮へ移ったのは、マティアスの母が、何者かに毒殺されてからだ。

第二皇子であるマティアスの母は、…弱い女ではなかった。
若い頃は男勝りに剣を握り、騎士を目指したこともあるような、お転婆娘だったと聞く。


そんな母に似た妹のシェリーは皇帝から溺愛されているが、娘への愛と、愛人への愛は、また別物だ。


シェリーはそれを理解しているものの、それらを利用できるだけの器用さは持ち合わせていないが、ブリジットは違った。



それらを知りながら、じょうずに道具として使ってのける。



今回の、シューヤ商団の招待も、ブリジットがただ皇帝に願っただけなら、通らない申し出だっただろう。
権力者にとって、シューヤ商団は魅力的だが、商団主であり、天人となったオズヴァルト・ゼルキアンは警戒の対象だ。

その理由は、今のオズヴァルトを見ればよく分かるだろう。

皇宮の椅子とはいえ、何の変哲もないただの椅子が、オズヴァルトが腰かけているだけで玉座のようだ。そう、まるで。


―――――彼こそが、この場で唯一の王者に見える。


不意に、マティアスは子供の頃聞いた格言を思い出した。





―――――貴族とは何か? 王とは何か。―――――…ゼルキアンを見よ。





王や貴族とは何かを知りたければ、ゼルキアンの家門を背負う者たちを見ろ、というわけだが、この状況を見れば、納得してしまう。

…おそらくは。
気に入りの皇女の生誕祭に、皇帝が未だに姿を現さないのは、そのせいかもしれない。

オズヴァルトに位負けするから、出たくないのだ。

(相変わらず、器の小さな方だ)
マティアスは頭の端で、冷淡な考えを抱く。

しかし、皇帝として、ある意味それは正しい選択だろう。上に立つ者は、舐められてはおしまいだ。

控えている二人の男女はそこらの騎士より見栄えがよく、実力も相当であることは、それなりの鍛錬を積んだものなら否応なしに理解するだろう。
皇室所属の近衛騎士たちも、彼等の前では位負けしそうだ。
マティアスは気持ちを切り替えるように言葉を紡ぐ。

「シューヤ商団を招いた一番の理由は、結界石だろう」
「確かに、我が皇宮は未だに宮廷魔術師の結界によって守られていますからね」

今や、結界石での公共施設の守護は、普通の事だった。なにせ、そうすることで。


―――――魔術師の影響力を削ぐことができる。


そして、結界が未だ魔術師という人力であることは、時代遅れとみなされ始めていた。
侍従の言葉に、『未だに』魔術師の結界が使われている、とあったように、世の感覚は塗り替えられている。

「その交渉を、シューヤ商団としたいのだ。粗悪な類似品は格安で出回り始めたが、」
「…シューヤ商団の結界石に勝る性能のものは、未だどこも作製できないままですからね」
性能の良さでは、シューヤが随一なのだ。

「ただ今回、シューヤ商団の招待を、彼女は後悔するだろう」

大胆にも生誕祭の主役である皇女と、マティアスをあわよくば一網打尽に始末しようとしたのは、ブリジットに違いない。
彼女の、ほんの悪戯で、いったいどれだけ、取り返しがつかないことが起きたか、数えるのもばからしい。

そう簡単に尻尾はつかめないだろうが、刺客を生きたまま大勢捕らえられたのは、


「ゼルキアン卿のおかげで、俺は生き延びた上に、…大量の収穫があったんだから」


いいや、そもそも、誰も予測していなかったに違いなかった。



この招待に、商団主たるオズヴァルト・ゼルキアンが応じるなど。



とはいえ。

だからこそ、勘ぐってしまう。



彼には何か、彼自身の狙いがあるのではないか?



それを知れたら、それを対価に、オズヴァルトの助力を得られるかもしれないが、今のマティアスの力では難しいだろう。それでも。

周囲の人々の視線の先で、少女たちが、遠慮しながら、かわるがわるオズヴァルトの耳元で、何か囁いている。
何を聞いたか、オズヴァルトは小さく頷いた。
同時に気持ちを切り替えた態度で、同じテーブルに座っていた少年を見遣る。
促すように、彼へ手を差し伸べた。とたん。

待っていたかのように、少年は立ち上がる。刹那。
ぽんっと妙に間の抜けた音がした。と思った時には、少年の姿は消えている。代わりに。

差し伸べたオズヴァルトの腕を、ピンクのリボンを首に巻いた白猫が、とととっと駆け上がっているところだった。

その時、周囲を奇妙な沈黙が覆ったが、皆の心は同じだったに違いない。


…まさか、あの猫が、先ほどの少年なのだろうか?


(…まさか、魔女の使い魔?)
そう思ったのは、なにも、マティアスばかりではないだろう。
そう言えば、オズヴァルト・ゼルキアンは女帝の気に入りだという噂を聞いたことがある。

女帝の使い魔は確か、小猫だと噂されていたはず。

オズヴァルトの肩に白猫がおさまったところで、オズヴァルトは優雅に立ち上がる。
とたん、彼から感じる威圧感が増した。

座っているときも相当だったが、上背がある分、立ち上がればますます圧倒されるのだ。
脚が長いから、座っているときはまだ小さく見えるのだろう。


…求める情報でも得たのだろうか?


立ち去る風情だ。
誰かに挨拶をする様子もない。
いや、彼の目的はもともと、…カミラ・レミントン公爵夫人だけだったのだろう。

もしくは、場を呑んでいることを感じたのか…そういえば、そろそろ主役の出番のはずだ。
もし、オズヴァルトと関係を深めたければ、先にマティアスにはやることがある。
今日はもう彼に近寄れもしないだろう。

…あの時。


信頼、などと言って、彼の協力を得られたのは、ただ運が良かっただけだ。
本来ならば、マティアスはそこまで値しまい。…ならば、今度こそ。


(次に会う機会があったなら)


その時は、もっとましは条件を提示できるくらいには力をつけておきたい。
会場ならば、いかにブリジットであろうと、友人も多い妹のシェリーに危害を加えることはできまい。マティアスは踵を返した。

「さあ、俺たちも場所を移して」
無害な皇子の仮面を慎重に被ったまま、彼は優しげな表情で残酷な言葉を呟いた。






「拷問を始めよう」







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