63 / 79
第3章
幕23 世界の理
しおりを挟む焼け焦げた地面の上、無様にはいつくばって、魔術師たちが顔を上げたその時。
正面には男が、背後には、いつの間にか消えていた女が立っていた。
状況を悟るなり、腹の底が冷たくなる。逃げられない。
男は悠然と微笑んだ。
「私の名は、ルキーノ・ラファエッリと申します」
場違いに穏やかな声で名乗り上げ、ひとつも笑っていない目で魔術師たちを見下ろした。
「あなた方のお名前は?」
魔術師たちからすれば、死刑を宣告された心地だろう。
黙って見ていることを約束はしたものの―――――ぬるい対応なら容赦しない。
ヒルデガルドがルキーノに向けるまなざしも厳しかった。
なにせ、オズヴァルトが出てくるかもしれなかった場所へ問答無用で魔術を叩き込んだ彼らは紛れもなく有罪だ。
ばかりでなく。
そもそも、魔術師に対する彼女の心証は最悪だった。
五年前の災厄の日、そして、それ以後の今日までの間。
魔術師たちは、いったい、何をしていたというのか。
―――――シハルヴァ王国が災厄の餌食になって、五年。
長いようで、短い期間だ。
それは、即ち。
屈辱を呑み、取るに足りない魔族の眷属たる魔人となって、五年ということだ。
その間。
ずっと、ずっと。
彼女は仲間と共に待ち望んでいた。
主の帰還を。
主人に憑依した魔族は、決して彼を攻撃できなかったゼルキアン家門の貴族たちにこう告げた。
―――――お前たちが呼び続ければ、いつかオズヴァルト・ゼルキアンは還るかもな?
その、細い糸のような希望に縋って、皆、魔人となった。
魔族の眷属化のために、分け与えられた命は、オズヴァルト・ゼルキアンのもの。つまり。
主人は、生きている。
魔族の魔力に感染してはいたものの、彼の命を抱きしめながら、全員が、渇望した。
ならば、彼はきっと、戻ってくる。
その確信通り、いつしか…災厄の日から、半年ほど経った頃からだろうか。
主人は、時折、目覚めるようになった。憑依していた魔族が眠っている間に。
最初は誰も信じなかった。
魔族がまた、あの方の真似事をしていると死んだような目で見ていた。
…はじめに見抜いたのは、ビアンカだ。
―――――若さまが戻られた、と。
ゆえにますます、魔人たちは期待したと言っていい。
だが、災厄が滅ぼされたあの日、主人に憑依している魔族とは別の魔族が魔人たちに言った言葉は。
―――――精神体の魔族に憑依された人間は、即死する。
魔族が告げた言葉の、はっきりとした真偽を知るために、魔人たちは早急に調査した。
すると、神殿と魔術師協会で、似た記述のある資料が見つかった。
『人間の肉体には、ひとつの魂しか入らない。これが世界の理だ』
出だしからこれである。
『そこに精神体の魔族が入れば、魂が二つあることになる。魂の状態で、人間と魔族が競えばどうなるか? 強靭さで言えば魔族の魂に軍配が上がるため、人間の魂は―――――消失する』
これらは禁書の類であり、一般的な知識とは言えない。だが複数の禁書に似た記述が何か所も存在するとなると、それは真実なのだろう。
『では残った人間の肉体はどうなるか。人間の肉体と魔族の魂は適合しないため、生命活動を停止する。―――――よって、精神体の魔族に遭遇したなら、憑依される隙を作らないか、一目散に逃げること』
しかし、オズヴァルトの肉体は生きていた。
だが本来、理通りならば、オズヴァルトの魂は消滅しているはずだ。
なぜ、無事だったのか。
天人となったオズヴァルトは、あの冷たい声で感情なく告げたものだ。
―――――冬の霊獣ヴィスリアが私を守った。
分かり切った話だった。他の人間と、オズヴァルトの違いは何なのか。
ゼルキアンには、霊獣ヴィスリアの加護がある。ゆえに、無事だったのだ。肉体も、魂も。ただし命だけは、霊獣の支配の外にあった。
だからこそ、魔族は新たな眷属たる魔人たちに彼の命を分配できたのだ。
同じ血を引いた彼の子が助からなかった理由は、…あの少年がまだ、当主でなかったためだ。
彼の魂は消滅などせず、そして、肉体も死ななかった。
ゆえに、魔人たちは誤解していた。
魔族に憑依されたところで、憑依された人間の魂はそこにあり、肉体も生きていると。
違ったのだ。生きていたのはオズヴァルトという例外だけで、彼の妻子は魔族に憑依された時点で、既に死んでいた。
オズヴァルト・ゼルキアンは妻子をその手で殺した冷酷非情な男だと誰もが思った。
それでも、災厄を消し去るには彼の力が必要であり、彼に対する忠誠は決して揺らがなかったけれど。
しかし、違った。
なにもかも、前提からして、違っていたのだ。
魔人たちは、真実を知るなり、真っ先に神殿を問い詰めた。彼等の回答。それは。
―――――神殿や魔術師協会がこの事実を、伏した主な理由は二つ。
世間に、災厄によって英雄が死んだという不安を与えるより、魔族に憑依されたが生きているという希望を持たせたかったこと。そして。
二つ目は、―――――ヴィスリアの魔人たちの暴走を望まなかったためだ。
たとえ魔族に憑依されている状態であっても、彼等の主人はオズヴァルト・ゼルキアンである。
その身が無事である以上は、ヴィスリアの魔人は彼に従うだろう。
だがもし、…魂が消失し、死んだとなれば、どうか。
ヴィスリアの魔人という巨大な力は、災厄以上の災いを、世界にもたらす可能性が高かった。
その危機は、確かに、現実になりうる可能性があった。
それでもヴィスリアの魔人たちは納得しかねたが、オズヴァルトは神殿や魔術師協会への報復を禁じた。
もう終わったことだ、と。
だが未だ、オズヴァルトが憑依されている魔族に肉体を乗っ取られた状態だと思う者は多いはずだ。
その前提あってこその、今回の魔術師の攻撃と思えば、やりきれない上に、腹立たしい。
―――――魔族であったなら別に何をしてもかまわないだろう、というわけだ。
ヒルデガルドは内心歯噛みした。
魔族から与えられたオズヴァルトの命が、彼自身が天人となることで、魔人たちの中でその質を変えた。
よって今の彼はオズヴァルト・ゼルキアン本人だとヴィスリアの魔人たちは、言われずとも理解できる。
その程度のことに考えも至らず、…ヒルデガルドは、皆は。
オズヴァルトの不名誉な話が流れるままに放置してしまった。
正直、それどころではなかったとも言えるが。…いずれにせよ。
主人に憑依したあの魔族。
八つ裂きにしたって、足りない。
しかしオズヴァルトは淡々と告げたものだ。ヤツは死んだ、と。ならば。
(魔族という生命体を根絶やしにしてしまおうか)
憎悪や嫌悪という感情では、言い表せない。これは、嚇怒だ。
腸が煮えくり返る心地が、止まない。
―――――ただ、主を見ているときだけ。
その無事を、存在を確認するときだけ、すべての感情が静まる。
いや、湧きあがるのは歓喜だ。以前より、もっと強く。
至福を胸に抱き、ヒルデガルドは、主に首を垂れる。
この感覚は彼の命によって、魔人となったためだろうか?
0
あなたにおすすめの小説
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
【完結】あなたに知られたくなかった
ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。
5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。
そんなセレナに起きた奇跡とは?
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
悪役令息、前世の記憶により悪評が嵩んで死ぬことを悟り教会に出家しに行った結果、最強の聖騎士になり伝説になる
竜頭蛇
ファンタジー
ある日、前世の記憶を思い出したシド・カマッセイはこの世界がギャルゲー「ヒロイックキングダム」の世界であり、自分がギャルゲの悪役令息であると理解する。
評判が悪すぎて破滅する運命にあるが父親が毒親でシドの悪評を広げたり、関係を作ったものには危害を加えるので現状では何をやっても悪評に繋がるを悟り、家との関係を断って出家をすることを決意する。
身を寄せた教会で働くうちに評判が上がりすぎて、聖女や信者から崇められたり、女神から一目置かれ、やがて最強の聖騎士となり、伝説となる物語。
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
ナイナイづくしで始まった、傷物令嬢の異世界生活
天三津空らげ
ファンタジー
日本の田舎で平凡な会社員だった松田理奈は、不慮の事故で亡くなり10歳のマグダリーナに異世界転生した。転生先の子爵家は、どん底の貧乏。父は転生前の自分と同じ歳なのに仕事しない。二十五歳の青年におまるのお世話をされる最悪の日々。転生チートもないマグダリーナが、美しい魔法使いの少女に出会った時、失われた女神と幻の種族にふりまわされつつQOLが爆上がりすることになる――
【完結】異世界で魔道具チートでのんびり商売生活
シマセイ
ファンタジー
大学生・誠也は工事現場の穴に落ちて異世界へ。 物体に魔力を付与できるチートスキルを見つけ、 能力を隠しつつ魔道具を作って商業ギルドで商売開始。 のんびりスローライフを目指す毎日が幕を開ける!
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる