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第3章
幕24 罰されるべきは
しおりを挟むだがそれは言えない。
オズヴァルトは、罪悪感を持っていた。ヴィスリアの魔人たちに。
望みもしないのに、人間から魔人に変えてしまったと。
もちろん、彼はそんなことを口にしたりはしない。
以前のように、遠く距離を取られていれば、その心中は決してわからなかっただろうが。
最近、どういうわけか、オズヴァルトは…降りてきていた。魔人たちと近しい場所へ。
だから、わかる。多くの言葉がなくとも、彼の本音が察せられる。
オズヴァルトが言ったのは、一言だけだ。
―――――魔人から人間に戻る方法を探らなければな。
それは違う。
彼等は望んだのだ。望んで、魔人となった。
オズヴァルトこそ、彼等を魔人とするために、勝手に命を使われたのだ。愚か者と罵倒されるべきは、魔人たちの方だ。
…罰されるべきは、彼等というのに。
幸か不幸か、魔族は今のオズヴァルト・ゼルキアンの正体を知りたがっている。
これからいくらでも、会う機会はあるだろう。
魔人が人間に戻る方法を知っているとすればそれは、魔族以外にない。
彼等の常識では、精神体の魔族に憑依された人間は、死ぬのだ。
憑依されたなら、即座に人間側の魂は消滅し、心臓は鼓動を止める。
理通りならば、天人となったのは、オズヴァルト・ゼルキアンに憑依した魔族だ。
だからだろう、魔族の使い魔たちが、真偽を確かめるため、ゼルキアン城へ続々と押し寄せている。
しかも、聞いたところによれば、精神体の魔族は、魔族の中でも虐げられる劣等種族に属するらしい。
彼等に戦う気力はなく、ただ、全力が向くのは、魔術の知識を得ること。
ゆえに、己が領地内に閉じこもっているため、あまり、その生態は知られていなかったのだ。
力こそがすべての魔族の中で、異端とも言える性質だった。だが、その中で。
オズヴァルト・ゼルキアンに憑依したような個体が出現するのだから、やはり、魔族は魔族なのだ。
彼が何を望んだのかは今では誰にもわからない。
だがおそらく、同族にバカにされ続けた者が考えることは似通っているだろう。
他を見返したい。もしくは、認めてもらいたい。
その望みは、ある程度、叶ったはずだ。もう少ししたら、手が届いたかもしれないが―――――これは単純に、狙った相手が悪かった。
抉れ、焼け焦げた地面を一瞥し、ヒルデガルドは夜の中、顔色を悪くした若い宮廷魔術師を見遣った。
彼等は、皇宮の結界の外へ彼女が出るなり、問答無用で攻撃してきた。しかも。
これだけ大きな音がしているのに、騎士の誰もやってこなかった。
―――――この攻撃は、あらかじめ打合せ済みのものだ。とはいえ。
このような形になるのは、予想外だったかもしれない。だが、一撃で殺せると思ったのならそれは。
(甘いねえ)
頭の片隅で余裕で考えるヒルデガルドは、呆然とした沈黙が漂う中、にやりと笑った。
今や攻守は逆転し、魔術師たちは地面に無防備に転がっている状態だ。
逃げ遂せるわけがない。
果たして、名を問われた魔術師はどう出るか。
ヒルデガルドは蜂蜜色の目を細めた。やがて、
「…我々は宮廷魔術師です」
中の一人が、名乗りを上げた。
いや、名前ではなく、身分を明かした。ヒルデガルドは小さく鼻を鳴らす。
これはちょっとした計算―――――自己保身だ。最低限の。
隠れて攻撃した側が自己紹介をするという間抜けな場面でもあったが、身分を明かせば、いくらヴィスリアの魔人たちとはいえ、殺すことはできないだろうと考えたわけだ。
確かに、目の前にいる魔術師五人には、同情すべき点もある。
彼等は単なる兵隊に過ぎない。捨て駒だ。
命令している者は別にいる。
そして、ヒルデガルドたちが用事のあるのは、命令者だ。
「おや」
ルキーノは、困ったように微笑んだ。その手が動き、懐から何かを取り出す。箱だ。
上等な指輪でも入っていそうな入れ物だが、魔術師たちの目には、それにかけられた結界のようなものが見えた。
中身は…安全とは程遠いものに感じる。それを、どうするつもりなのか。
「我々が、あなた方を殺すと思っていらっしゃるのですか?」
気の毒気に微笑み、困った顔で、結界に見える箱の蓋を彼は開いた。
中から取り出したのは、…思ったとおり、指輪だ。
それをこれ見よがしに右の中指にはめる彼を見ながら、若い魔術師たちは視線を見かわす。
まだ若いとはいえ、彼らは、きちんと理解していた。
自身が捨て駒として扱われ、壊れてもいい道具として今ここにいるのだと。
進むも退くも、待つのは破滅。
彼らの役目は、増長しているヴィスリアの魔人たちに対する、魔術師たちの警告だ。そして。
今日ここに、オズヴァルト・ゼルキアンが来ていると言う。
ヴィスリアの魔人たちは彼に絶対服従だ。しかも今の彼は天人。
今のオズヴァルト・ゼルキアンが魔族であるか、本来の人間であるかは不明だが、天人たる主を誇らない従僕はいないだろう。
そんな主人がいる場を騒がせた魔術師たちが、果たして平穏な死を望めるだろうか。しかも、
「…ならば、ご自覚はあるのですね」
優し気な笑みを浮かべたまま、青年は穏やかに告げた。
「我が君の悪名が広がることを、魔術師たちはわざと黙って放置した、と」
魔術師たちの肩が、ぎくりと強張る。
その通りだ、ここにいる魔術師たちは、誰も声をあげなかった。
精神体の魔族が憑依した人間は、その魂を憑依された瞬間に、消滅させる、という事実を知りながら、何も言わなかった。
それは一面で、世間の混乱を避けるためでもあった。なにせ。
そうであれば、―――――オズヴァルト・ゼルキアンも死んだということだ。
いくら悪名が広がったところで、実のところ、彼が死んだという情報が蔓延するほうが、人心に痛手を負わせ、混乱させると上層部は判断した。
そしてそれは、神殿も同様だ。
そのための、結果が。
オズヴァルト・ゼルキアンの悪名につながる。
「だったらなんだ?」
魔術師の一人が、開き直ったように強い口調で言った。
「我らのような末端の一人が声を上げたところで、何も変わらない」
「いたよ」
つい、ヒルデガルドは口を挟んだ。
「力がなくても声を上げた連中ならね。でも」
冷えた眼差しで、ヒルデガルドは魔術師たちを見下ろした。
「そいつらの末路についてはあんたらの方が詳しいんじゃないかい?」
吐き捨て、彼女はルキーノを見遣る。
「汚物の喚きは不快だね。我が君もそろそろお越しになる。殺すか殺さないかだけでもさっさと決めな」
ヒルデガルドとルキーノは、オズヴァルトより先行した形だ。
彼は皇宮を鑑賞しながらゆっくりとこちらへやってきている。
「ああ、失礼」
ルキーノは申し訳なさげに微笑んだ。
「そうですね、殺すか殺さないかで言えば、もちろん」
温かな微笑みは一筋も乱れなかったのに、瞳だけが、いっきに凍えた。
「私は殺すつもりです」
直後。
二人の魔術師が絶望し、同時に。
三人の魔術師が、死に物狂いで攻撃のための魔術を練り上げ―――――刹那。
「…は…?」
「え」
「…どう、して」
先に絶望した魔術師たちが浮かべている以上の絶望を、その顔に浮かべた。
「―――――…おや」
ルキーノは、微笑に慈悲をにじませる。
「魔術が発動しませんでしたか? …でしょうね」
片手に結界の役目をしていると思しき箱を握り、ヴィスリアの魔人は、先ほどはめた指輪を彼等に見せた。
なんの変哲もない、ただの銀の指輪に見える。が。
「これはシューヤ商団の技術の粋を集め」
ルキーノは聖職者のように慈悲深い表情で告げた。
「ゼルキアン領にて採掘される魔石で作られた―――――魔術封じの指輪です」
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