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第3章
幕25 正義が歪まないように
しおりを挟むとたん、意味を理解した魔術師たちは、背骨が凍えるような心地を覚える。
宮廷魔術師の結界の中で、もしそれが作用していたら。
ごくりと喉を鳴らし、指輪が収まっていた箱を見遣る。
そこにこの対指輪の結界が張られているのは間違いなかった。
つまりは、『今の状態』を想定して、ヴィスリアの魔人はこの指輪をここへ持ち込んだのだ。
…その理由は、いったい。
「あ、あなた方は」
一人が、どうにかかすれた声を喉奥から絞り出した。
「魔術師を、世界から消滅させるつもりですか」
シューヤ商団の動きは、それを願っているとしか思えない。
「まさか」
青年は困ったように微笑んだ。
「世界には生活魔術も浸透しています。魔術師を消し去るつもりはございません。なにより」
残念ながら、と言いたげな表情で、ルキーノは言葉を続けた。
「我が君の理念は、共存共栄でございますので」
世界から魔術を消し去ることなど不可能だと重々承知だろう魔術師が、それでもシューヤ商団の台頭を恐れる理由は一つ。
彼等は、…後ろめたいのだ。脛に傷持つ身であるゆえに。
五年前、協会が事前に災厄に対する警鐘を鳴らせなかった事実が。その上。
真相を隠蔽し、今なお、当時のハシルヴァ王国の魔術師協会で何が起こったか、世間に報告できていなかった。
「…ただ」
男の声が低くなる。
「あなた方の出方によっては、…これを、南のホルス王国に売るのも手ですね」
「それは!」
思わず、魔術師たちの身が冷たくなった。
南のホルス王国には傭兵王と呼ばれる男がいる。
その男は、大陸中に名の知れた戦闘狂であり、強大な軍隊を抱えていた。
ただし、劣悪な環境に置いた軍人たちを、奴隷のように戦場へ追い立てるという。
それでも彼らが従うしかないのは、手っ取り早く金を得る手段がそれしかないからだ。
戦功を立てればまた、金が手に入る。
逆を言えば他に稼ぐ手段があまりない土地柄で、他国からの残酷な略奪によって国民は生きていた。
それは、今の王が、内政に力を入れず、戦いばかりに注力しているという傾向が読み取れる。
そんな男が、もし。
―――――…このような手段を手に入れたなら。
(戦争が、変わる)
魔術の使えない魔術師が、いったい、戦場で何の役に立つというのか。
使い方によっては、今後の戦争が、剣と盾、弓、槍だけの、兵士たちという熱量の単純なぶつかり合いになるだろう。
そこでまた、魔術師は仕事を失うわけだ。
ただし、今。
目の前のヴィスリアの魔人は、こう言った。
―――――出方によっては、と。
では、彼には魔術師に望むところがあるのだ。
それならば、なんとなく予想はついた。
「あなた方の望みは―――――…五年前の真実、ですか」
男は、にっこり微笑んだ。
魔術師たちは、諦めたような目を見かわす。
「ばかな」
「無理だ、そんな権限、我々には」
「オズヴァルト・ゼルキアン卿にお目通り願いたい。直接、話を」
ヴィスリアの魔人ではない、その主に直接訴える必要性がある、そう声を上げた魔術師に。
「ほう?」
突如、息もできなくなるほどの強い重圧が全身にのしかかった。
「我が君の声を直接拝聴し」
余波に似たものにあてられ、周囲の魔術師も、ぐっと前のめりになる。
巨大な岩が背中にのしかかっている心地に、息が詰まった。
「我が君の意思を直接賜りたいと」
殺気を放っているのは、目の前の男だけではない。
魔術師の声を聴いていた、闇に潜む女騎士のものもあるだろう。
それらが混ざり、混然一体となって、叫びだしそうな恐怖を魔術師たちに与えた。
男は、感情のない声で告げる。
「図に乗るな」
「――――――申し訳ございませんっ!!」
オズヴァルトの名を出した魔術師が、地面に額をこすりつけて謝罪した。
壊れた人形のように謝罪を繰り返す仲間に、冷や汗まみれの顔を向け、戸惑いながら他の魔術師が言う。
「とはいえ、本当に、難しいのです。真実へ至るには、我々では―――――」
「惜しいですね」
優し気な面差しの男―――――ルキーノは、穏やかに告げた。
「我々の求めは、」
先ほどルキーノは、オズヴァルトにこう提案した。
ここに待ち伏せている魔術師全員の首をはね、それを蝋漬けにして帝国の協会前に並べようと。
つまりは見せしめだ。
こうなりたくなければ、真実を差し出せ、という脅し。
実際、それは難しくなかった。
襲ってくるというなら、どうして、やり返さずに済むのか。
殺しに来るなら、殺してやろう。
そうし続ければいつか、真実にたどり着けるだろう。
いや、それは実際、乱暴な結論であり、ルキーノは実際、ただ。
…やり返したかったのだ。
五年前の失態に対し、口を拭い、調べもせず、沈黙の中に真実を封印した魔術師たちに。
とはいえ、…確かに、いることは、いたのだ。
今後のために、調査すべきだ、と声を上げた魔術師たちが。しかし、彼等は。
―――――無茶な任務を課されるか、辺境に追いやられるか、いずれにせよ、組織の外へ放り出される羽目になった。
任務のため、負傷し、仕事から離れる羽目になった魔術師も少なからずいる。
そういった者たちに目を配り、名簿を作れと命じたのは、オズヴァルトだ。
オズヴァルトの命令は、命をとしてやり遂げるのがヴィスリアの魔人だ。名簿は完璧に仕上がった。
その上で彼は、彼等が望むなら、シューヤ商団に迎え入れるように指示した。
―――――権力に踏みにじられた彼らの正義が歪まないように。
そんな、オズヴァルトは。
やられたことをやり返そうと告げる、ルキーノの意見に同調はしなかった。
彼から告げられた望みは、ひとつ。
ルキーノは、静かに告げた。
「五年前の真実を調べようとしたために、地位を失墜させた魔術師たちの名誉回復です」
若い魔術師たちは、呆気に取られた。
オズヴァルトの意見は、こうだ。
このまま、既存の魔術師協会に何を迫ったところで、彼等はきっと動かない。
なんらかの回答が得られても、調べたふりをするだけだろう。
本気で真実を暴くつもりはない。ならば。
―――――やる気がある者に、やってもらおう。
オズヴァルトは先ほど、そう告げた。
そのための、この提案は、布石だ。
―――――まあ理不尽に追いやられた生真面目で公正な彼らが、協会からの名誉回復など望むかどうかわからないがな。
…他の誰よりきっと、オズヴァルトは真実を望んでいる。だが、それ以上に。
主は、気にしていたのだ。
真実へ手を伸ばしながらも、踏みにじられ、ごみのように世間からはじき出された、魔術師たちを。
彼らの中には、名誉を重んじる家門に属する者もいて、協会から追放に似た処分を受けることで、家から破門された者もいた。
真実を知るためと言いつつ、きっとオズヴァルトの一番の望みは、正しさのために尽力しようとしてくれた者たちに、…その誠実に、報いたかったのだ。
以前のオズヴァルトなら、その心中を推察することは困難だったが、―――――今のオズヴァルトなら。
何を考えての発言なのか、言葉にされずとも理解できた。
オズヴァルトの望みを、幼い正義感という者もいるだろう。だがこれは、ひどく現実的なやり方だと、ルキーノは思う。
協会から追い出された魔術師たちは、結果として、力を得た。
シューヤ商団に属することで、組織の中にいるだけでは培えない経験と知識と共に。
今の彼らがもし、―――――…真実を、追ったなら。
(辿り着く可能性が高い)
五年前の真実に。
何より、今の彼等には、シューヤ商団とのつながりがある。
簡単には潰されない。
なにより、ヴィスリアの魔人たちが、潰させない。
ルキーノは、思いやり深い声で尋ねた。
命が助かるための条件としてこれは、
「…難しい条件でしょうか?」
―――――返事は、そう待たずに済んだ。
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