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第3章
幕29 ちょうどいい
しおりを挟む―――――王女に関して、わたしは何もできませんが。
前置きした上で、
―――――当日、わたしもその場にいるでしょう。
情報をオズヴァルトに与えた。
―――――コロッセオに何の用事があるのだね?
自然と聞いた後で、少し後悔する。個人的な事情があったらどうするのか。
答える必要はない、とクロエに言う直前、
―――――そこに、わたし以外の魔女が出入りしています。彼女は。
淡々と、クロエは答えた。
―――――王女を狙っています。わたしは彼女に、用事があるのです。
狙うとは、穏やかではない。だが、いったい王女の何を狙うというのか。
五年前は十歳の少女であり、今は奴隷におとされた無力な子供だ。
彼女から、これ以上何を搾取するつもりだろう。今、王女が持っているものと言えば。
ただひとつ。
―――――狙いは王女の命かね?
尋ねたオズヴァルトの声は、いつも以上に低く冷たい。クロエは冷静に、彼を見返した。
とたん、冷ややかさを、むしろ心地よさげに感じた態度で目を細める。
―――――いいえ、魔女としての力そのものです。
―――――魔女が、魔女としての力を求めているとは、おかしな話に聞こえるが。
―――――魔女の中にも派閥があります。それぞれの派閥が持つ力を強固にして、他と争える力を手に入れようという考えは、おかしくないでしょう?
魔女たちの中で派閥があるとは、オズの知識に照らしても、初耳だった。
要するに、魔女たちは一枚岩ではないのだ。
ただ、魔女たち内部で派閥ができているとは、想像もしないに違いない。
なにせ、魔女という存在には、…いるからだ。
絶対的な、指導者―――――女帝という存在が。
クロエの言葉を鵜呑みにするのは危険だろう。だから、丸ごと信じるわけにはいかないが。
(クロエが、嘘を言っているようには思えない。そもそも、誤魔化す必要を感じていない様子だな)
―――――わたしは彼女を捕え、情報を引き出し、罰を与える必要があります。
だがその詳細までは当然だが、クロエは語らない。
実際、その情報は今、オズヴァルトにとって必要なものではなかった。
とはいえ、ひとつだけ確認が必要なことがある。
―――――その魔女は王女を攫って派閥に組み入れることで、何と戦うつもりなのかね。
―――――彼女たちは、自らの派閥の力を強め、私が支配している魔女たちを解放するそうです。
解放。
確かにクロエという存在は、圧倒的だ。
しかし、魔女たちを抑圧しているようには見えない。
それとも、内部には、外から見えない何らかの事情があるのだろうか。
それでも、クロエの言葉を聞くなり、オズヴァルトは正直、巨大な山を針で突き崩そうとしている人を見るような心地になった。
相対する派閥、とクロエは言ったが、もっとはっきり言えば、敵対関係に違いない。
敵対。女帝と。
(いや無理だ)
それこそ不可能としか思えない。
女帝の敵となることを選んだ者たちにむしろ同情を抱いたオズヴァルトの前で、クロエは淡々としたものだ。
ただ、どこでもそうだが、思想の対立というのは、溝を深めやすい。
考え方がそもそも違うから、言葉が通じないのだ。
(それに、魔女という存在は、寿命が長い。長い歳月を共に過ごして、何事もないほうがおかしい、か)
幸い、オズヴァルトの表情は、そうたやすく変わらない。
好奇心を迂闊に出さないよう、オズヴァルトは気を逸らした。
なんにしたところで、それ以上は踏み込みすぎだった。
理由は知れないが、王女を狙うという魔女を女帝が引き受けてくれたなら、それ以外はオズヴァルトが知る必要のないことだ。
―――――彼女…コロッセオに出入りする魔女のことはわたしが引き受けます。ただ。
新緑色の、きらきらした目でオズヴァルトを見つめたまま、クロエは続けた。
―――――彼女は王女を連れ出すために、他に助力を乞うたようです。
―――――助力、とは…ああ、王女を守っている闇をどうにかする方法でも見つかったのかね?
だとすれば、逆にオズヴァルトにとっては、助かったと一息つける状況だ。
ただそれで、王女が苦痛を感じることにならなければそれでいい。
―――――残念ながら、方法は、わたしにもわかりかねます。
一拍置いて、クロエは告げた。
―――――なんにせよ、そちらはオズヴァルトさまにお任せすることになるかと。
―――――それは、魔術師かね?
クロエはそれに対して、魔女とは言わなかった。では、いったい。
果たして、クロエは静かに告げる。
―――――魔族です。
ふ、と一時、オズヴァルトは息を止めた。
それは怯えや警戒というより、むしろ。
―――――ああ、それは丁度いい。
買い物のついでの感覚で、オズヴァルトは呟いた。
―――――私は魔族に用事があったのだ。
ではコロッセオに入ることができれば、問題のいくつかがいっきに解決できる段取りとなる。
オズヴァルトの気分が、幾分か軽くなった。
―――――念のための確認だが。
ふとある危険性を覚え、オズヴァルトは念を押した。
―――――使い魔ではなく、魔族そのものが現れるということで間違いないね?
魔人となった人間を、人間に戻す方法を、魔人を眷属とする魔族ならきっと知っている。
聞いたクロエはふわりと微笑んだ。
この時の女帝は、いつもと同じ、際どいほど裸出した格好だったが、その上に、華やかな刺しゅうを施した薄布を羽織っていた。
それでも、一番華やかなのは、羽織っている本人だ。
そんな女性が無防備に微笑んだなら、どうして見惚れずにいられるだろう。
椅子の上、膝を抱えるようにしていたクロエは、少しだけ眠たげな様子でオズヴァルトを見遣る。
―――――本体ではありませんが、魔族そのものです。…そんなものを相手にしなければならないというのに、
そんな彼女の姿は、安心しきった幼子のようでもあり。
―――――ちょうどいい、なんて。オズヴァルトさまらしい。
聞くなり、オズヴァルトは気付いた。
魔族に会えるということにしか反応していなかったが、
(なるほど、王女を攫いたいという魔女に助力する魔族なら、障害となるな)
とはいえ、今回、オズヴァルトが魔族に望むのは戦いではなく、捕獲だ。
魔族と聞いても、オズの記憶では、怯える要素はない、と出る。
問題は、ひとえに、捕まえられるかどうか、だ。
クロエの言葉で気になるのは、その魔族が本体ではない、ということ。そして、もっとも重要なのは、
―――――現状、ルビエラ王女には触れられないが、魔族が助力すれば、それが可能になるのだね。
ルビエラ王女だ。オズヴァルトの念押しに、クロエは再度繰り返す。
―――――どのような方法を使うかは分かりませんが。
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