原初の魔女と雇われ閣下

野中

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第3章

幕32 異端の魔女

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だからと言って、エメリナはまだ、異端となったわけではない。

その立場を受け入れる気はあるが、メリッサにまだ認めてもらっていなかった。
認めてもらうためには。


一人、強力な仲間を連れていくことが必要だった。


そうすれば受け入れてくれる、とメリッサは約束してくれた。
ルビエラ・シハルヴァはその条件に相応しいだろう。
しかも、世間から見捨てられようとしている存在だ。エメリナがもらって、何が悪いのか。
だが、今。




この地に、オズヴァルト・ゼルキアンがやってきた。しかも。
ルビエラ王女のそばには、ヴィスリアの魔人。

―――――これはまずい状況だ。




ここまできて、ルビエラを横取りされるわけにはいかなかった。

地下。
奴隷を閉じ込めた牢が並ぶ場所へ、エメリナが駆けてきた勢いのままに飛び込んだ時。


「…なんだ、騒々しいな」


不快気な声と共に、通路の真ん中で仁王立ちになっていたカラスが振り向いた。
その真正面にあるのは、王女の牢だ。

大きなカラス―――――それは、魔族リオネル・バルバストルの仮の姿である。

彼の本体を見たことは、エメリナにもない。だがそれで問題はなかった。
「やって」
慎重に、エメリナは後ろ手にドアを閉める。
奥に置いてあったトランクを取りに足早に通路を横切った。
エメリナを横っ飛びに避け、とっとっと、とバランスを取ったリオネルは、首を傾げる。

「試合はまだ始まっていないぞ」
エメリナが、なにをやれ、と言っているのか、言われずとも承知だ。

今日、リオネルはそのためにここに来ている。とはいえ。



様子がおかしい。



プライドが高く、いつも物事を斜に見て一歩身を引いた皮肉な色を隠さないエメリナの琥珀の瞳が、切羽詰まっている。
想定外の出来事が起こっている可能性が高かった。しかも相当、マズいことが。

(巻き込まれるのはごめんだ)

少し揺さぶればパニックを起こしそうなエメリナに、リオネルは慎重に声をかけた。

「試合で観客が熱狂している間にやろうという話だったはずだが」

「状況が変わったのよ」

すげなく言って、エメリナは手際よくトランクを開けた。
トランクからは精霊の力が放たれている。
そのものが宿っているわけではないが、エメリナという魔女の願いのままに、精霊がその力をふるったことは目に見て取れた。


(眠りと封印、と言ったところか)


エメリナはどちらかと言えば風と相性がいい。
風の精霊が施した術だろうが―――――リオネルは牢の中の闇を横目にした。
その強固な闇を見て取れば、残念ながら。


力の差は歴然としていた。


とたん、リオネルの気分は、いっきに手を引く方へに傾いていた。
トランクのそばで膝をついているエメリナを見上げる。


「忠告だ。このまま攫うより、説得・交渉したほうが、まだ分があると思うぞ」


聞くなり。



すっとエメリナの顔色が変わった。気分屋の悪魔の心変わりを、敏感に察した態度だ。



リオネルを睨みつける。
「今更やめるっていうつもり?」

声が低くなっているが、虚勢にすぎないことはリオネルには分かった。
どう言ったところで、リオネルのほうがエメリナより長生きなのだ。

三百歳を超えた程度のエメリナなど、リオネルにとっては小娘に過ぎない。

エメリナは高慢に言い放つ。
「ここで手を引いたら、あんたが望むものは手に入らないけど」

生意気なところも、物知らずの幼子が喚いているのと同じだ。



…それが可愛いと思えば撫でてやるし、うるさければ。



「確かに、魔女特有の技術には興味があったんだが」

今度ははっきり気のない声で言って、リオネルは後ろへ跳んだ。もう、一抜けしたつもりで。




「こんな他人事で―――――危険に巻き込まれるには、代償が安すぎる」




言い捨て、消えようとした刹那。

―――――ド、ガ!!

先ほど、閉ざされたドアが、壊れる勢いで外から押し開かれた。
直後、リオネルの頭上を何かが掠めすぎる。

微かな風を感じたリオネルが、なんだ、と顔を上げると同時に。



…正面にあった壁が、派手な音を上げた。そこに何かがぶつかったのだ。



どうやらそれこそ、扉を乱暴に押し開けたシロモノのようだが―――――…。

ぐしゃ、と何かが潰れたような音を立て、抱き合った壁から床へ落ちたそれを見遣るなり。
リオネルは悟った。





―――――…逃げ遅れたことを。





エメリナは、そちらを振り返りもしていない。

猛獣から目を逸らせば食われると言わんばかりの緊張感に満ちた顔で、蝶番がはずれなかったことが不思議なほど、力尽きた風情でぎいぎいゆれるドアの方を睨んでいる。





「あー…、やるじゃないか、エメリナ」





そちらから聴こえた男の声は、笑みを含んでいた。
しかし、金属めいた冷たさを宿している。聴くなり。

奴隷たちの牢内をぶわり、満たした気配に、リオネルは一瞬、息詰まった。
…力ある魔族であるリオネルですら、そうだったのだ。
それまで黙っていた牢内の奴隷たちが、息苦しそうに、胸やのどを押さえた。

中には、床に倒れこむ者もいる。
重力さえ感じさせる威圧に、身体の方が先に負け、青ざめながらも彼等は、必死で息を吸おうとしていた。

振り向いたリオネルが見たのは。
青年。ただし存在感は、巨人並み。

何度か、遠目に見たことがある、いわくつきの剣闘士、―――――ランだ。
黒髪、紺碧の瞳、褐色の肌―――――流浪の民、ルオルド。

確か、主殺しの魔人、と聞いていた。
剣闘士として見世物になるには邪魔な魔力を封じるための道具である金のリングが、首で光を反射する。

しかし魔力封じの道具など、これではあってなきがごとしだ。

この、にじみ出る魔力ときたら、普通の魔族すら優に超えている。しかも、この力は。



(霊獣の気配…? まさか、この男)



ぞわりと嫌な予感に背中を撫で上げられた心地に、リオネルの体毛が逆立つ。
足元にいる黒いカラスに気付いているのかいないのか、リオネルには目もくれず、ランは中へ一歩踏み入った。

「顔なじみの、コロッセオの職員も、剣闘士たちも全員、道具ってわけか。さすが魔女」

繰り返して言うが、ランは薄く笑っている。笑っているが、目には不気味なほど感情がこもっていなかった。




こんな物騒な生き物相手に、いったい、なにをしたんだ?




リオネルはエメリナを一瞥したが、彼女は歯を食いしばって重圧に耐えるのに必死なようだ。
だが、彼女からの答えなど聞かなくとも、状況こそが、答えだった。

エメリナの後ろには、一人の男が倒れている。

リオネルにはその男に見覚えがあった。彼も剣闘士の一人だ。
壊れた操り人形のように不自然な態勢で倒れていた男は、幽鬼のようにゆらりと立ち上がった。

一度、倒れそうになったのは、あり得ない角度で折れ曲がった右膝のせいだ。

それが、痛覚などない様子で、ぎくしゃくと剣を構える。
顔に、感情は見えない。
目はどことも知れないところを睨んでいる。


この状況でランへ立ち向かおうとする姿勢を見せていること自体が、異常だ。


その男に、もう正気は残っていない。
これが一時のものならまだいいが、力づくの精神支配は、人間の精神を壊すことがある。


(精神支配とはな)


それは、魔女の中では禁術の類のはずだが。


もう、エメリナはなりふり構っていないらしい。








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