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第3章
幕35 死に戻り
しおりを挟むレナルドは、闘技場から響く破壊音に、嫌でも我に返らざるを得ない。
恐々とそちらを覗き込む。
支配人にまでなり上がった彼にとって、コロッセオは城だ。
それが破壊される音は、正直、胸に来た。つらい。しかし。
これで終わるつもりがないなら、現実を直視するべきだ。
闘技場を覗き込んだ、刹那。
目を瞠る。
…観客席が、無事だったからだ。
破壊の粉塵が舞い上がっているのは、闘技場のみで、観客席は、そこに集った観客まるごと無事だった。
よくよく目を凝らせば、分かっただろう。
その前面に、結界の壁が張り巡らされていることが。
しかも、闘技場の破片が飛び、もしくは、魔術の余波が走るたび、その壁の上に、繊細な紋様が青く浮かび上がる。
ひどくうつくしい結界だった。
観客席で固唾を呑んで闘技場を見守る観客が、時折、目の前に走る青い輝きに見惚れる。
それ以上に。
闘技場で起こっている出来事に、皆が目を奪われていた。
青い、稲妻めいた輝きが、粉塵の中、縦横無尽に奔る。
魔術だ。
それらを構成し、放っているのは―――――魔神。
無論、見境なしに放たれているわけではない。ターゲットがあった。
足元と視界の悪い中、危なげなく身をさばき、魔術の攻撃を避け、あるいは相殺している一人の男―――――オズヴァルト・ゼルキアンが。
魔神は、観客席に集った人間には見向きもせず、いっしんに、オズヴァルトを攻撃している。
魔神は、魔族が使役するものだ。
ということは、魔女エメリナとなんらかの交渉をしていたという魔族が、オズヴァルトへの攻撃を優先したのだろうが。
肝心の魔族はどこにいるのか。
それに。
(なんだ?)
オズヴァルトが、一か所から動かない。まるで、背後を庇うかのような姿勢だ。
そこに、何があるのか。
粉塵の中、目を凝らせば、そこに四角い箱のようなものが見えた。
―――――…トランク?
しかもその蓋は、開いているようだ。
そう言えば、と記憶の淵から蘇った声に、レナルドは意識を凝らした。
それは、奴隷の声をしている。
―――――トランクに入れて、闇の中にいるものを持ち出す、と言っていました。
「まさか」
レナルドが呻いた時。
「あ!」
小さな子供のような声が近くで上がった。
思わず振り向けば、いつからどこに潜んでいたのか、白猫が、ぴょんと手すりに飛び上がる。
オズヴァルト・ゼルキアンは、先ほどそこから飛び降りたが、もしや。
思うなり、白猫は空を見上げ、
「すごいのが来る! 逃げて、逃げて、オズヴァルトさま!!」
人の言葉を叫びながら、白猫がそこから飛び降りた。
遅れて、うわあん、怖いよお! という叫びが下の方から聴こえる。
刹那。
魔神の攻撃が、いっとき、止んだ。
× × ×
最初の拳を叩き込んだ時だった。
魔神の、無事だった方の腕から、何かが落ちた。トランクだ。
それは、ぼこぼこになった闘技場の床の上、荒波にもまれるように滑って、壁にぶつかり、止まった。のみならず。
―――――拍子に、蓋が開いたのだ。
…中には。
(女の子…っ?)
輝く黄金の髪。白い肌。
その姿は、オズの記憶にある。間違いなかった。
ルビエラ・シハルヴァ。その人だ。だが。
(五年前、ルビエラ王女は十歳だった。今は十五のはずだが…まだ十歳に見える)
一瞬、ルビエラに似た赤の他人ではないのか、と思いさしたが。
(ルビエラ王女だ)
間違いない。
根拠の一つもないのに、オズヴァルトは自然と確信した。
ならば―――――守らなければ。今度こそ。
なぜ、彼女が入ったトランクを、魔神が持っていたのかは知らないが、見つかったのは僥倖だ。
だがこの状況では、迂闊に駆け寄って、抱き上げてあげるわけにもいかない。
彼女を背にしたその時。
オズヴァルトの目の前で、魔神が魔力を練り上げるのが分かった。攻撃魔術が、来る。
それとほとんど同時に。
太陽の光が眩しかったか、硬く閉ざされたルビエラの瞼が震え、開いた。とたん。
魔神が攻撃を放った。
直撃を知って、オズヴァルトは―――――避けなかった。
炎。
風。
大地。
雷。
水―――――あらゆるエネルギーが半狂乱の勢いで周囲に渦巻くが、身近に至る直前、避けられなかったものは、すべてを相殺した。
背後には、ルビエラ王女がいるのだ。
オズヴァルトが盾となるほかない。
どうやら。
魔神は、苛立っているようだ。
もしかすると、高みの見物を決め込んでいる、あの魔族も。なにせ。
すぐ、魔族の存在に気付いたオズヴァルトは、その足に鎖をかけた。オズヴァルト自身の魔力で。召喚者たる魔族が近くにいるなら、それを逃がすのはバカだ。
魔族は、すぐに気付いた。逃げられないことに。
どうやら、鎖をかけたのは、ぎりぎりのタイミングだったらしい。
「ああ、くそ、くそ! 関わるんじゃなかった、魔女なんぞ!」
カラスの姿をした魔族が毒づく。
―――――魔族はいるが、本体ではない。
クロエが言った意味が、これで分かった。なるほど、カラスは仮の姿ということか。
カラスが本体なら、魔族の証―――――角が生えていないとおかしい。
「チクショウ、だいたい、おかしいだろう」
くちばしも縛ってしまおうか、と思う程度には、そのカラスはうるさかった。
「なんでだ、何で生きてるんだ、オズヴァルト・ゼルキアン、あんたはっ!?」
リオネルにとって、オズヴァルトの存在は、謎そのものだった。
しかしそれは脅威というより、興味深い対象だ。
オズヴァルトが危険と分かっていても、猛烈な好奇心が止まらない。
離れようとしながらも、リオネルはオズヴァルトから目を離せなかった。
それゆえに、リオネルはオズヴァルトに捕まってしまったのだ。
「生きているのだから、仕方あるまい」
憑依していた魔族の心配はしないのだな、と他人事のように考えながら、オズヴァルトは適当に返事をした。
巷での噂と違って、リオネルはオズヴァルトが、彼に憑依した魔族ではなく、霊獣の子孫たるゼルキアンの末裔だと、見るなり察した。
―――――あれが魔族だと? ばかばかしい。
「本来は、死ぬんだよ!」
カア! リオネルは一喝。オズヴァルトは内心、うんざり。
彼の腕が届かない位置で、彼の周囲をばさばさ飛び回りながら、リオネル。
「しかし、実際、死んだはずだ。魔族に憑依されたその時に」
「ではここにいる私は、死に戻りかね」
とんだ化け物になったものだ、と他人事のように、オズヴァルト。
リオネルは、鼻白む。
「あんたがどうやって助かったのかは分からない。だが、あんたと同じように、魔族に憑依されたあんたの家族は憑依されるなり死んだだろ」
「ほお、なぜそう思う」
オズヴァルトの声は、素っ気ない。だが。
声が低くなった。確実に。…感情がひび割れた気配がする。
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