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第3章
幕37 痛いぞ?
しおりを挟む果たして、王女は。
起き上がっていた。
おっとりとした面立ちが、オズヴァルトを見上げている。
ただし、大きなその緑の目に輝きはなく、気配も存在の在り方も―――――人形のようで。
そのくせ、無表情に見える幼い顔には、怯えがにじんでいた。
痛ましいこと、この上ない。
果たして、こんな目に遭うだけの、何をこの子がしたというのだろうか。
「申し訳ないが、時間がない―――――ルビエラ王女」
できるだけ優しく声をかけながら、身を固くするだけが唯一の抵抗である子供に、手を伸ばす。
「少しだけ我慢を」
本当ならば、無理やり抱き寄せるような真似などしたくないが、仕方がない。
両手で抱き上げ、胸の内に抱え込む。
頭上に広がる、晴れ渡った青空、そこにいくつもの光点が輝いたのを視界の端に収めながら、裂けたような口に笑いを浮かべる魔神を、オズヴァルトは冷めた目で振り返った。
「必ず、御身をお守りする」
観客の中の幾人かが、何かに気付いたように空を指さす。直後。
「あはははははっ、天からの雷なんて、まるで神の裁きだなあ!!」
耳障りな声で魔族が嘲笑った。同時に。
――――――ドンッ、ドンッ、ドンッ、―――――
一発一発が、腹の底に響く轟音と共に、大地が揺れる。
数多の雷が、闘技場に落ちたのだ。複数、同時に。
隕石のごとく。
耳を聾する轟音と、大地を乱打する雷の雨。
この世の終わりのような光景。
…それはしばらく続いた。
魔神が姿を現わした時以上に、死を覚悟した観客たちは―――――。
耳がばかになったような感覚の中。
怖くなるような静寂が、あたりに満ちた。
焦げ臭いにおいが立ち込める状況に、それでもどうにか目を開く。
真っ先に彼等は、目の前に立ちはだかる、繊細な青い紋様が強く明滅するのを見た。結界だ。
このような状況の中でも、ゼルキアン大公の結界は、正確に機能し、彼等を守っていた。
…では。
―――――本人は?
腰を抜かすより、観客たちは思わず前のめりになった。
結界越しに見えた、闘技場内では。
「嘘だろぉっ!?」
いつからそこにいたのか、魔神のそばにいたカラスが静寂の中、良く響く声で絶叫した。
「なんで無事なんだよ、あんなの、魔族でも死ぬぞ! しかも」
カラスは虹色の目で、忙しなく周囲を見渡す。
「観客全員、無事だって…そんな…あんたほんとに人間か!」
「騒がしいカラスだ」
焦げ臭い空気の中、それを打ち払うように、体温の低そうな声が、冷たく闘技場内の空気を震わせた。
いつから抱いていたのか、片腕に幼子を抱えたオズヴァルトが、魔神に向かって一歩踏み出す姿に、誰もが心から安堵する。同時に。
「待て、待て待て待てよ」
カラスが喚いた。
「人間は魔神にはかなわない。それが、世界の理だ」
「そうかね」
「どうだ、ここらで譲歩しないか?」
オズヴァルトは億劫そうに、魔神を見上げる。
「大技で魔力を使い果たしたか? …随分、弱っているようだが」
「いや、ねえ、俺の言うこと聞いてる?」
魔力の鎖で足を捕えられているカラスが、動ける範囲でぐるぐるしながら言うのを聞き流し、オズヴァルトは魔神を探るように見上げ、目を細めた。
先ほどよりおとなしいが、弱っている、と言っても。
(先ほどより魔力が減ったか? ああ、魔術を使うのに、消費されたのか。それが、…次第に補充されている)
「なるほど」
オズヴァルトは確信した。今が、攻め時だ。
片腕に座らせるように抱き上げた少女に、
「しっかり掴まっていなさい」
囁くなり、足元を蹴る。駆け出した。
魔神目がけて。
リオネルは舌打ち。
「くそ、やっぱり、聞いてないだろっ! ―――――おい!」
リオネルは、やけっぱちの勢いで、魔神に言った。
「もう潰せ、魔女なんか知ったことか!」
直後、魔神の太く大きな拳が、怒涛の勢いで、闘技場の床に叩き付けられた。
当然、狙いはオズヴァルトだ。
図体のわりに、拳の勢いは速かった。
ずんっ、闘技場が揺れる。
それが、子供が虫でも捕まえるような無差別な動きで、―――――殴る、殴る、殴る。
その殴打すべてを。
オズヴァルトは後ろに残し、加速、加速、加速。
地下など完全に崩壊しただろう。床が瓦礫と化した影響か、おそらく、最初より闘技場の高さは低くなっている。
近寄ることもできそうにない、気が狂ったような攻撃の中、しかしオズヴァルトは着実に距離を詰めた。
攻撃が、魔術でなく物理になった今こそ、追い詰めるチャンスだ。
つまり今、魔神は魔術が使えない。
どうせすぐ、魔力は回復する。だがもし。
―――――回復する前に、叩きのめしてしまえば?
リオネルは叫んだ。
「いい加減、諦めろよ! 人間は、決して魔神に勝てない、それが理だ!!」
オズヴァルトの口元が、知らず、笑みを描く。
その時には、彼の足が魔神の身体にかかっていた。
勢いもそのままに動けば、たった数歩で飛ぶように、魔神の身体を駆けあがったオズヴァルトの足は、あっという間に魔神の頭頂部を蹴っている。
そのすぐ近くに、カラスはいた。
固まるリオネル。
彼に向かって、オズヴァルトは低く告げた。
「不可能か。ならばなおさら」
オズヴァルトは強く拳を握り締める。
「…試したくなるだろ?」
引力に引かれるがまま、無防備な魔神の頭に落下しながら、腕を後ろへ引いた。
魔術もいい。剣もいい。だが、結局。
すました顔で、オズヴァルトは思った。
(やはり、これだな)
―――――拳。
これが、一番だ。
鬼神との出会い頭、その顔面に入れた一発。正直に言おう。
スカッとした。
とはいえ、実のところ、あの一発とて、オズヴァルトは加減している。
…だが。
これから放つ一発は、遠慮なく、全力で行かせてもらうつもりだ。
「悪いが」
オズヴァルトの全力がどれほどか、彼自身、未知の領域だ。
どうなるか、試してみないとわからない。
「たぶん、痛いぞ?」
オズヴァルトを見失ったか、彼を探すようだった魔神の動きがふと止まり、上を振り仰ごうとした、直前。
―――――ゴッ!!!!
加減なしの拳骨が、魔神の頭頂部に埋まった。
魔神を構成する影が、歪む。
拍子に、影の中に詰まっていた魔力が、そこから噴き出した。
穴が開いた風船のように。
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