原初の魔女と雇われ閣下

野中

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第3章

幕38 勝ち得たもの

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刹那、見えない魔力の鎖でつながれていた魔族の身体が、よろめく。

「ぅえ…っ、嘘だろ、こんな、力技、でぇ…!」
内臓でも吐き出すような姿勢を取ったカラスが、オズヴァルトの視界の隅、それでも必死で羽ばたいた。

その足元。





魔神の姿が、霧のように陽光の下、溶けて流れていく。

ただ、これは、勝ち負けの問題ではない。
単純に、魔神を魔神として構成する魔力をとどめる器が、…壊れたのだ。



物理で。



巨体は見る間に視界から消えていく。





その間に、オズヴァルトはほとんど崩壊した闘技場の上に、危なげなく降り立った。
同時に。
とうとう力尽きたか、リオネルが彼の足元にパタン、と落ちる。
万一動けたとしても、逃げられないのは分かっていた。

(本体ではなく分身のようだから、まだ安心はできないが)

ひとまず、これはこれで今は放置しても問題あるまい。
拾うのは後でいい。
それより。

何気なく、闘技場を見渡し―――――あまりの惨状に、内心、深くため息をつく。



壊すのは一瞬だが、建てるのは時間がかかる。



それに。
地下にいた、奴隷たちはどうなったのか。

オズヴァルトがここで魔神の攻撃を受けている間、意識を伸ばして確認したところ、足元に生体反応はなかったために、配慮はしなかったが―――――。
思うなり。




「主君!」




少し離れた場所から、声。
…オズの記憶にある声だ。

顔を上げれば、闘技場の入り口用に設置された場所から、満面の笑みで手を振る二十歳くらいの青年がいた。

褐色の肌に紺碧の瞳。犬っころめいたなつっこい笑顔。確か、彼は。




(―――――ヴェランジェ・ロッシュ)




ヴィスリアの魔人にして、ゼルキアンの騎士だ。そして、流浪の民ルオルド。

「皆、無事です」

彼は、声を張って、伝えてくる。
皆とはいったい誰のことかと間抜けに思ってしまったが。

彼は剣闘士として、ここに潜入していたはずだ。
奴隷たちに関する報告も上がってきていたから、彼等に関しては、ヴェランジェが手を打ってくれた可能性が高い。



(そう言えば)



ぎゅうと首筋に強くしがみついてくる王女の背を、終わった、と軽くたたいて宥めながら、オズヴァルトは放ってきた双子たちがいるはずの場所を見上げた。
と、銀のハルバートを持って、VIP席から覗き込んでくる人影が見える。

遠くてわからないが、彼女たちだろうか。
心配をかけただろうか。
思う先から、他にもやるべきことを思いつく。


そうだ、結界も解かなければ。
考えながら、オズヴァルトは。



自分は無事だと示すために、ゆっくりと、双子たちに向かって、自由な方の拳を上へ突き上げた。刹那。







―――――ワアッ!!







どっと周囲に渦巻き、耳を聾する轟音に、表情こそ変わらなかったものの、何が起こったか、一瞬理解できなかった。

それが、コロッセオ全体を揺るがすような歓声で、万雷の拍手と共に沸き起こったのだと気づくなり。


戸惑うオズヴァルトの耳に、大きな音としか聴こえなかった歓声が、言葉として届いた。







―――――ゼルキアン! ゼルキアン! ゼルキアン!!







恐怖で強制されたようなものではない、それは。

人々の感動と興奮と、高揚がもたらす、純粋な称賛の呼び声だった。
たった今、彼等の目の前で、不可能が成し遂げられたのだ。

胸の内に強い戸惑いを宿したオズヴァルトが、拳を下ろしても、なおそれはやまない。

そんな時。



「…お、おずばるとさまぁ…」



足元から、ひしゃげたような、か細い声が、確かに、聴こえた。
なんとはなしに見下ろせば。

「うえ…っ、ぶじで、良か…っ」

まんまるな紅の瞳を涙で潤ませた白猫が、身体を引きずるように前脚で這ってくるところだった。


「ティム?」


オズヴァルトは驚いて身を屈める。
白猫の、真っ白な毛並みが、ちょっと汚れていた。


「どうした、怪我でもしたのか?」


あの魔術の嵐の中で、体毛の汚れだけですんでいるのは、逆にすごいが…まさか、あの時、闘技場の中にいたのではないと思いたい。

拾い上げれば、腰から下が力なくぶらんと垂れた。
「こ…っ」

「こ?」

はたはたと涙をこぼしながら、ティムは言う。



「腰が、抜けて…っ」



なんとなく、オズヴァルトは確信した。
それはどのタイミングか知らないが、あの状況で、ではやはりこの白猫は闘技場の中にいたのか。
オズヴァルトの方が、冷や汗をかいてしまう。

この臆病な子が。


「危ないだろう」


可愛い生き物に強くは言えない口調で、それでも叱れば、
「だ、だって!」
にゃあ! とティム。



「心配だったんだもん、ぼっ、僕だって、ちょっとは手助けできるかもって思って!」



とうとう、小さなピンクの鼻から、鼻水まで出てきた。
ぼろぼろで、顔に小さな向こう傷まで作った姿は、とても哀れだが、とてもかわいい。
泣かれると困る。

「ああ、うむ、わかった。わかった。心配をかけたようだな。私が悪い」
「おずばるとさまはわるくないもん!」
よくわからないが、逆らってはいけない。
そうかそうかと言いながら、抱えなおして尻から支えてやった。

とたん、怒っているらしいティムが、どういうわけか服にしがみついてくる。

その時には、少しは緊張が解けてきたのか、おそるおそる、ルビエラが白猫の頭に手を伸ばした。
丸いふわふわの頭を、小さな手で撫でる。慰めようとしているらしい。優しい。

腕の中が、かわいいでいっぱいである。最高だ。


しかし、無念この上ないが、オズヴァルトには似合わない。


とりあえずカラスを引っ張って、いったんこの場を後にしようと思った時。
首筋に、ひやりとした感覚を覚えた。

振り向いた、刹那。





「――――――あぁ、残念ね」





感情のない、乾ききった女の声がした。と思うなり。






「どうしようもなく、あなたは愚かだわ、―――――エメリナ」







オズヴァルトの背後、背中合わせに―――――クロエが立っていた。









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