78 / 79
第3章
幕38 勝ち得たもの
しおりを挟む刹那、見えない魔力の鎖でつながれていた魔族の身体が、よろめく。
「ぅえ…っ、嘘だろ、こんな、力技、でぇ…!」
内臓でも吐き出すような姿勢を取ったカラスが、オズヴァルトの視界の隅、それでも必死で羽ばたいた。
その足元。
魔神の姿が、霧のように陽光の下、溶けて流れていく。
ただ、これは、勝ち負けの問題ではない。
単純に、魔神を魔神として構成する魔力をとどめる器が、…壊れたのだ。
物理で。
巨体は見る間に視界から消えていく。
その間に、オズヴァルトはほとんど崩壊した闘技場の上に、危なげなく降り立った。
同時に。
とうとう力尽きたか、リオネルが彼の足元にパタン、と落ちる。
万一動けたとしても、逃げられないのは分かっていた。
(本体ではなく分身のようだから、まだ安心はできないが)
ひとまず、これはこれで今は放置しても問題あるまい。
拾うのは後でいい。
それより。
何気なく、闘技場を見渡し―――――あまりの惨状に、内心、深くため息をつく。
壊すのは一瞬だが、建てるのは時間がかかる。
それに。
地下にいた、奴隷たちはどうなったのか。
オズヴァルトがここで魔神の攻撃を受けている間、意識を伸ばして確認したところ、足元に生体反応はなかったために、配慮はしなかったが―――――。
思うなり。
「主君!」
少し離れた場所から、声。
…オズの記憶にある声だ。
顔を上げれば、闘技場の入り口用に設置された場所から、満面の笑みで手を振る二十歳くらいの青年がいた。
褐色の肌に紺碧の瞳。犬っころめいたなつっこい笑顔。確か、彼は。
(―――――ヴェランジェ・ロッシュ)
ヴィスリアの魔人にして、ゼルキアンの騎士だ。そして、流浪の民ルオルド。
「皆、無事です」
彼は、声を張って、伝えてくる。
皆とはいったい誰のことかと間抜けに思ってしまったが。
彼は剣闘士として、ここに潜入していたはずだ。
奴隷たちに関する報告も上がってきていたから、彼等に関しては、ヴェランジェが手を打ってくれた可能性が高い。
(そう言えば)
ぎゅうと首筋に強くしがみついてくる王女の背を、終わった、と軽くたたいて宥めながら、オズヴァルトは放ってきた双子たちがいるはずの場所を見上げた。
と、銀のハルバートを持って、VIP席から覗き込んでくる人影が見える。
遠くてわからないが、彼女たちだろうか。
心配をかけただろうか。
思う先から、他にもやるべきことを思いつく。
そうだ、結界も解かなければ。
考えながら、オズヴァルトは。
自分は無事だと示すために、ゆっくりと、双子たちに向かって、自由な方の拳を上へ突き上げた。刹那。
―――――ワアッ!!
どっと周囲に渦巻き、耳を聾する轟音に、表情こそ変わらなかったものの、何が起こったか、一瞬理解できなかった。
それが、コロッセオ全体を揺るがすような歓声で、万雷の拍手と共に沸き起こったのだと気づくなり。
戸惑うオズヴァルトの耳に、大きな音としか聴こえなかった歓声が、言葉として届いた。
―――――ゼルキアン! ゼルキアン! ゼルキアン!!
恐怖で強制されたようなものではない、それは。
人々の感動と興奮と、高揚がもたらす、純粋な称賛の呼び声だった。
たった今、彼等の目の前で、不可能が成し遂げられたのだ。
胸の内に強い戸惑いを宿したオズヴァルトが、拳を下ろしても、なおそれはやまない。
そんな時。
「…お、おずばるとさまぁ…」
足元から、ひしゃげたような、か細い声が、確かに、聴こえた。
なんとはなしに見下ろせば。
「うえ…っ、ぶじで、良か…っ」
まんまるな紅の瞳を涙で潤ませた白猫が、身体を引きずるように前脚で這ってくるところだった。
「ティム?」
オズヴァルトは驚いて身を屈める。
白猫の、真っ白な毛並みが、ちょっと汚れていた。
「どうした、怪我でもしたのか?」
あの魔術の嵐の中で、体毛の汚れだけですんでいるのは、逆にすごいが…まさか、あの時、闘技場の中にいたのではないと思いたい。
拾い上げれば、腰から下が力なくぶらんと垂れた。
「こ…っ」
「こ?」
はたはたと涙をこぼしながら、ティムは言う。
「腰が、抜けて…っ」
なんとなく、オズヴァルトは確信した。
それはどのタイミングか知らないが、あの状況で、ではやはりこの白猫は闘技場の中にいたのか。
オズヴァルトの方が、冷や汗をかいてしまう。
この臆病な子が。
「危ないだろう」
可愛い生き物に強くは言えない口調で、それでも叱れば、
「だ、だって!」
にゃあ! とティム。
「心配だったんだもん、ぼっ、僕だって、ちょっとは手助けできるかもって思って!」
とうとう、小さなピンクの鼻から、鼻水まで出てきた。
ぼろぼろで、顔に小さな向こう傷まで作った姿は、とても哀れだが、とてもかわいい。
泣かれると困る。
「ああ、うむ、わかった。わかった。心配をかけたようだな。私が悪い」
「おずばるとさまはわるくないもん!」
よくわからないが、逆らってはいけない。
そうかそうかと言いながら、抱えなおして尻から支えてやった。
とたん、怒っているらしいティムが、どういうわけか服にしがみついてくる。
その時には、少しは緊張が解けてきたのか、おそるおそる、ルビエラが白猫の頭に手を伸ばした。
丸いふわふわの頭を、小さな手で撫でる。慰めようとしているらしい。優しい。
腕の中が、かわいいでいっぱいである。最高だ。
しかし、無念この上ないが、オズヴァルトには似合わない。
とりあえずカラスを引っ張って、いったんこの場を後にしようと思った時。
首筋に、ひやりとした感覚を覚えた。
振り向いた、刹那。
「――――――あぁ、残念ね」
感情のない、乾ききった女の声がした。と思うなり。
「どうしようもなく、あなたは愚かだわ、―――――エメリナ」
オズヴァルトの背後、背中合わせに―――――クロエが立っていた。
0
あなたにおすすめの小説
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
【完結】あなたに知られたくなかった
ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。
5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。
そんなセレナに起きた奇跡とは?
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
悪役令息、前世の記憶により悪評が嵩んで死ぬことを悟り教会に出家しに行った結果、最強の聖騎士になり伝説になる
竜頭蛇
ファンタジー
ある日、前世の記憶を思い出したシド・カマッセイはこの世界がギャルゲー「ヒロイックキングダム」の世界であり、自分がギャルゲの悪役令息であると理解する。
評判が悪すぎて破滅する運命にあるが父親が毒親でシドの悪評を広げたり、関係を作ったものには危害を加えるので現状では何をやっても悪評に繋がるを悟り、家との関係を断って出家をすることを決意する。
身を寄せた教会で働くうちに評判が上がりすぎて、聖女や信者から崇められたり、女神から一目置かれ、やがて最強の聖騎士となり、伝説となる物語。
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
ナイナイづくしで始まった、傷物令嬢の異世界生活
天三津空らげ
ファンタジー
日本の田舎で平凡な会社員だった松田理奈は、不慮の事故で亡くなり10歳のマグダリーナに異世界転生した。転生先の子爵家は、どん底の貧乏。父は転生前の自分と同じ歳なのに仕事しない。二十五歳の青年におまるのお世話をされる最悪の日々。転生チートもないマグダリーナが、美しい魔法使いの少女に出会った時、失われた女神と幻の種族にふりまわされつつQOLが爆上がりすることになる――
【完結】異世界で魔道具チートでのんびり商売生活
シマセイ
ファンタジー
大学生・誠也は工事現場の穴に落ちて異世界へ。 物体に魔力を付与できるチートスキルを見つけ、 能力を隠しつつ魔道具を作って商業ギルドで商売開始。 のんびりスローライフを目指す毎日が幕を開ける!
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる