トラに花々

野中

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日誌・176 伝承を繙く

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にわかには信じがたい言葉だ。雪虎は小さく首を横に振る。
それに対して、何を言えばいいのかすぐには何も思いつかない。

何の冗談だと笑い飛ばすには、雪虎の勘は、はっきりと事実が何かを察していて。

黙ってやり過ごすには、気まずい。


結局、ばかのような質問をしてしまった。
「どうしてそんなことになったんだ? 生まれつきか?」


言いたくないところへ、土足へ踏み込む質問ではないのか、と言った後で、ひやりとする。慎重になり過ぎて、空回ってしまった。

内心頭を抱えた雪虎の前で、しかしグロリアは頓着した様子もなく、
「いやこれは」
少女は小さな手で自分の胸をおさえ、ふと言葉に詰まったように黙る。

「言いにくかったら、言わなくていいぞ」
失敗を取り繕う気分で雪虎がぼそぼそと言えば、

「違うよ、何から説明すればいいかと悩んだのだ。…そうだね、私が教授と呼ばれる所以から伝えておいた方がいいだろう」

雪虎は内心、天を仰いだ。まさか、ちゃんと質問に答える気なのか。
逆に悪いことをした気分になる。

気まずいばかりの雪虎と目を合わせ、グロリアは気にするな、と言いたげに首を横に振った。


「私には生まれつき、一度見た動作を、正確に再現できる能力があるのだ」


「へえ?」
なんとなく、雪虎は気のない返事を漏らす。単純に、記憶力がいいということだろうと思ったわけだが。

雪虎の態度に怒るでもなく、少女は根気よく繰り返した。



「いいかね。『正確に』というのは、寸分の狂いもなく、ということだ」



雪虎は、一度、瞬きをする。

(記憶力の良さとは少し、違うってことか?)
例えば、目の前で一つの動作を見せられて、これとそっくり同じように動け、と言われて、本当に角度から筋肉の動きまで、細部まで同じように真似できるかと言われたら、難しいだろう。だが、この少女は『寸分の狂いもなく』と言った。
つまり、彼女にはそれが可能、ということではないのだろうか。ということは。


「お手本…生きた教科書みたいなものか。ふうん、だから、―――――教授、か」

「ああ、なるほど。そのようなものだろうね。…まあ、そういう私が」


グロリアは大きな目を伏せた。



「生まれた場所の近くで―――――不老不死の研究などしている組織があってね」



緊張感も悲壮感もなく、少女は肩を竦めた。
単なる冗談だと言いたげに。

確かに、不老不死など、どうにも現実味がない夢物語だ。だが。


(…目の前にそれっぽいのがいる身としては…)
笑い飛ばせない。

雪虎は、影のようになってしまった双子たちを見遣る。


彼らの反応に興味があったからだ。
しかし、よくしつけられた双子は、感情などないかのように黙して動かない。目を伏せ、気配もきれいに消していた。
うっかりすれば、いることを忘れそうだ。

その間にも、グロリアの言葉は続く。


「サンプルとして、捕獲もしていたのだよ。不老と不死の存在を。…もちろん人間ではなかったが」


ではなんだったのか。
彼女は語らなかった。

雪虎も聞かない。


サンプル、という言い方からして、気分のいい話は聞けそうになかったからだ。


「そして、かの組織は、術式を組み上げることに、成功は、した」
その言い方に、雪虎は引っかかる。

「…術式?」
現代人の感覚からすれば、細胞などを取り出し、組織構成を調べるとか言った方が、現実的だ。
その構成を解明し、他者にも適用することができた、そういった説明のされ方なら納得できたかもしれない。

それが、…術式、となると。グロリアは薄く微笑んだ。

「大昔の話だ、今のように科学など発展していないよ。より原始的な方法で探求された結果、現実とはなったが」
「その言い方からすると、予想外の結果になったってところか?」
しかも、ふり幅は、悪い方へ偏っている。少女は頷いた。

「知識は完璧だったが、力不足だった、と言ったところかね。成功こそしたが、生まれたのは醜い化け物ばかりだったよ。ところが」

グロリアが目を上げる。
真っ直ぐに雪虎を見た。



「運よく、か、運悪く、か。その術式を垣間見た娘がいた。生まれた化け物たちを、どうにか鎖につなぐことで周辺の村人たちが脅威を取り除けた頃、彼女は面白半分に、それを真似てのけたのだ」



意味も分からずに。
グロリアの唇の端に浮かんでいたのは、自嘲だ。
「結果が」
彼女は何かを胸の中へ迎え入れるように、両手を広げた。

「私だ」

知っていたのかどうか、双子たちは表情一つ動かさず、黙って座っている。

雪虎は、反応に困った。
鵜呑みにすることもできず、さりとて否定もできない。

グロリアの異質な存在感が、どうしても彼を説得してしまうのだ。

言ってみれば、雪虎の内部で起こっているのは、感覚と理性の戦いだ。
それらをひっくるめて、雪虎は真面目に謝った。

「あー…、悪いな」
折角話してくれたのに、まるごと信じることは難しかったからだ。

「気にすることはない、それは真っ当な反応だとも」
あっさり言って、グロリアは気楽に頷いた。

「ひとまず、それはそれとして話を続けるぞ。実はその時に、それなりの力を持って生まれたはずの私の中から、その力はほぼ失われてしまってね」
つまり、術式を成功させるために必要な巨大な力を、彼女は持っていたというわけで。

「しばらくは、どうやって生きていこうかと真剣に悩んだ…ひたすら困っていたね」
やれやれと言いたげに、グロリアは首を横に振る。

「だが、長い時間の中蓄えた古今東西の知識をもって、様々な組織から相談役として招かれ、それら築き上げた広い人脈のネットワークのおかげで、中立の立場を取らせてもらっている」

雪虎はなんとなく、グロリアのきれいな顔立ちを見直した。
彼女が時間をかけて自己紹介らしきものをしているのは、別の意図がある気がしたからだ。

それとも、ひとまず雪虎の好奇心を満たそうとしているのか。
いや、ただそれだけなら、グロリアはまず口を開かなかったどころか、ここまで来ていないだろう。

「…月杜の相談役でもあるのか? ここにきたのは、そのため?」
「相談役と言うより、月杜とは馴染みの親戚、みたいなものかね。ここへ来たのは、だ」
グロリアはやりにくそうに言葉を紡いだ。


「謝罪のためだよ」

「謝罪?」


雪虎は首を傾げた。今回のことを謝罪に来たのだろうか? …にしては、雪虎が攫われる前から既に、月杜へ訪れる予定が彼女にはあったはずだ。
「夏」
頭痛を堪える顔で、グロリアは言った。




「魔女が、キミにちょっかいをかけたろう、『祟り憑き』八坂雪虎」




一瞬何を言われたか雪虎は理解できなかったが―――――もうすっかり記憶の底へ埋もれていた当時の出来事がいっきに浮上。あ、と声を漏らす。

「は? でもなんで、あのことでキミが…そうか、相談役」
疑問に思うなり、答えがすっと出てきた。
グロリアの言葉全てを鵜呑みにはできないが、彼女の存在がなにやら異質であることに違いはない。

こんな不思議な存在が、彼女らと関わりを持っていないはずがなかった。
少女は深くため息をつく。

「お察しの通りだよ。魔女たちが属する結社とも私は関わりがあってね」
とたん、グロリアは少女らしからぬ大人びた表情を浮かべた。
人生にほとほと疲れ切り、うんざりとしたような。子供が浮かべるには、痛ましい表情だ。
ちょっと同情する雪虎。

「泣きつかれた。このままでは、月杜からいらない敵意を買うと。フォローしてほしいと…それがまさか、私の弟子が、また、輪をかけたばかをやらかすとは」

語尾に力がこもった、と思った時には、彼女はぐっと木格子の向こうで身を乗り出した。
「月杜の当主には、あとで判決をこうとして、だね。…私が気になるのは、実害を被った、トラくん、キミだ」
グロリアは、改まった態度で、その場で正座する。

「申し訳ない」
指をついて頭を深く下げてくるのに、雪虎は頭を掻いた。

「さっきも謝ってくれたじゃないか。もういいよ」
なにより、本人が言ったならともかく、彼女に怒るのはお門違いだ。


「それでは気が済まないのだ。私に何か、できることはないかね」


頭をあげた少女は、しおれた花のようで、見るからに落ち込んでいる。




とはいえ、雪虎の向こうに月杜を見た上での行動でなく、雪虎自身を慮って謝罪してくれた、この少女に対して、もう雪虎は悪感情を抱けそうになかった。





雪虎は少し、悩んで。
別に何もない、と首を横に振りかけた。刹那。


「―――――…相談役、って言ったか? 魔女たちの?」


つまり、目の前にいるこの少女は。

魔女たちが行動の参考にするほどの知恵の持ち主というわけで。…ならば。
「いかにも」
正座した彼女が深く頷いたのに、雪虎は改まった態度で口を開く。

「…じゃあ、聞きたいことがある」
雪虎は、一度、瞑目して…ゆっくりと目を開けた。強い目で、真っ直ぐグロリアを見据える。


「―――――知っているなら、教えてほしい」

少女が、小さな顎を上下させるのを待って、雪虎は尋ねた。







「月杜の伝承を繙き、祟りに打ち勝つ方法を」









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