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第4話 AVに出会った夜
朝、メグミは駅のホームで息を吐いた。
大学を卒業してから、何度目の現場だろう。
春。普通の就職を放棄して、専業のAV女優として走り始めたときの熱は、もう随分前に失せていた。
熱意がなくなったのではない。ただ、現実が熱意を簡単に鈍らせることを思い知らされた。
『スタートアップ』……企画単体女優としてのデビュー作は、数字が振るわなかった。事務所も最初から「すぐに売れるタイプじゃない」と言っていたし、AVに夢を見すぎたのは自分だとわかっていた。
これまで、メグミとして4本撮った。真面目に、丁寧に、笑顔でセックスしていたつもりだった。しかし、鳴かず飛ばず。評価も数字も、視聴者の反応も……。
現場では感謝される。でも、それだけ。
「リアルな喘ぎ、いいね」
「もっと気持ちよさそうにすると映えるよ」
そんな言葉は嬉しい。でも、違う。自分が思い描くところは、違う。
表現したい。誰かに届いてほしい──けれど、今の自分が何を表現したいのか、よくわからない。
そんな迷いを抱えたまま、またひとつ、メグミの現場が終わった。
夜。
ひとりになると、誰にも見られていないような空虚さだけが残った。
帰宅してシャワーを浴びたあと、身体を拭きながら、メグミはふと昔のことを思い出した。
まだ、19歳だったころ──メグミがまだ、ヤナギユミの名前で生きていたころ。
***
夜。
東京のはずれの小さなアパートの一室で、ユミは裸になった。
横たわるベッドには男がいた。荒い呼吸、血走った目、力任せな手つき……。相手は美術大学の同期だった。
絵が描けなくなって、どのくらい経っただろう。
大学2年になりたての春。19歳のとき、ユミは彼氏とセックスした。
お互い、激しく求め合った。でも、どこか噛み合わなかった。
何かを塗り潰したくて、ユミは喘いだ。快感で、全てを忘れようとした。
膣奥を突かれるたび、身体は震えた。しかし、鈍い痛みと暗い気持ちが消えることはなかった。
力任せに腰を振り続けたあと、彼は射精した。
ねっとりとしたものが膣内から抜かれる。コンドームの中には白濁した液。でも、それを見ても何も感じなかった。
心の空白は満たされなかった。
(……こんなもんか)
終わったあと、それがユミの率直な感想だった。
射精したあとの彼は、いつものように優しかった。悩みを打ち明けたときのように熱心に、絵に対してアドバイスをしてくれたし、大切に思ってくれていることもわかった。ただ、満たされていない気持ちは同じなんだろうとも思った。
事後、シャワーを浴びている間に彼は寝ていた。
バスタオルで髪を拭きながら、ユミはベッドの隅に座った。
目を閉じれば、彼に触れられた場所がじんわりとよみがえる。けれど、昼間の制作課題の会話も、夜の行為も、今はどこか遠くに感じられた。
何気なく、ベッドのそばにあるスケッチブックを手に取った。一緒に進めている制作課題のプロットがいろいろと描かれていた。
パラパラとめくったあと、ユミはペンを握った。しかし、白いページを前に指先は動かなかった。
頭の中にはいくつものイメージが浮かぶのに、それをどう線にすればいいのかがわからない。
自分の内側を見せることが怖いのか、それとも、見せたい自分がどこにもいないのか……。
答えは出なかった。ただ、描けなかった。その事実だけは確かだった。
夜の沈黙が、部屋の底に沈んでいく。
結局、何も描くことなく、ユミはスケッチブックを閉じた。そしてバスタオルを洗濯機に入れると、当てもなく部屋の中を歩いた。
彼の部屋は整っているとは言えないが、無秩序でもない。先ほどのスケッチブック、大学の映像サークルで使っている機材、未整理の脚本束。壁際の棚には本やDVDが所狭しと並んでいる。
棚の中から、ユミは一枚のケースに手を伸ばした。
それは、映画でもドキュメンタリーでもなかった。
AV──アダルトビデオ。
何枚もあるわけではない。目立たない背表紙に混ざるようにして、それはあった。
そのうちの1枚を手に取った。裸の女優。名前は知らない。けれど、ジャケットに写ったその顔には奇妙な引力があった。見る者を見返すような、真っすぐな目。媚びた笑顔の中にある、何かを見透かすような鋭さ。
思わず、テレビのリモコンを手に取る。DVDプレーヤーを起動し、ディスクを入れる。音量は限界まで絞る。
ベッドの中で、彼はまだ眠っている。
部屋の隅で、画面が静かに光った。ユミは画面の中の女を見つめた。
女は笑い、触れられ、乱れていく。舌を絡め、胸をはだけ、股を開く。喘ぎ声を上げ、性器を濡らし、男のものを受け入れる。
同じセックス。しかし、全然違う。自分と彼とのセックスとは、根本的に何かが違う。
ひとしきり絡んだあと、女は顔に射精を受けた。
男の欲望に汚れた、女の笑顔。けれど、目だけは冷静で、自分の立場をわかっているようだった。演じているようでいて、どこかで「素」の自分を覗かせている。それが、彼女なりの自己表現のようにさえ見えた。
(この人も、誰かに見られたいと思ったのかな?)
自分の肌が、さっき誰かに触れられていた場所が、急に曖昧になっていく──私は、誰に触れられて、どう見られていたんだろう──そんな問いが、さらに波紋を広げる。
ユミは唇を閉じたまま、画面の女優と見つめ合っていた。目をそらすこともなく、また羨むこともなく……。ただ、そこにあった何かに、強く、静かに惹かれていた。
やがてユミはリモコンに手を伸ばし、画面を暗くした。寝息はまだ、途切れずに続いていた。
***
メグミとしての6本目の撮影日。
今日は、単体名義では最後の撮影となる。
これがダメなら、次は企画女優。名前はクレジットされない。ギャラも、扱いも、撮影も、全てが変わる。
「メグミさん、リラックスして、悔いのないようにね」
現場に入る前、事務所のマネージャーのムライの言葉に、メグミは頷いた。ただ、何をどうすればいいのかは相変わらずわからない。
わからない。でも、それでも── 描けなくても、何かを見せる。あの女優みたいに。
メグミは空を見上げた。
夏の日差しは、痛いほど暑い。強く、焼きつけるように。
大学を卒業してから、何度目の現場だろう。
春。普通の就職を放棄して、専業のAV女優として走り始めたときの熱は、もう随分前に失せていた。
熱意がなくなったのではない。ただ、現実が熱意を簡単に鈍らせることを思い知らされた。
『スタートアップ』……企画単体女優としてのデビュー作は、数字が振るわなかった。事務所も最初から「すぐに売れるタイプじゃない」と言っていたし、AVに夢を見すぎたのは自分だとわかっていた。
これまで、メグミとして4本撮った。真面目に、丁寧に、笑顔でセックスしていたつもりだった。しかし、鳴かず飛ばず。評価も数字も、視聴者の反応も……。
現場では感謝される。でも、それだけ。
「リアルな喘ぎ、いいね」
「もっと気持ちよさそうにすると映えるよ」
そんな言葉は嬉しい。でも、違う。自分が思い描くところは、違う。
表現したい。誰かに届いてほしい──けれど、今の自分が何を表現したいのか、よくわからない。
そんな迷いを抱えたまま、またひとつ、メグミの現場が終わった。
夜。
ひとりになると、誰にも見られていないような空虚さだけが残った。
帰宅してシャワーを浴びたあと、身体を拭きながら、メグミはふと昔のことを思い出した。
まだ、19歳だったころ──メグミがまだ、ヤナギユミの名前で生きていたころ。
***
夜。
東京のはずれの小さなアパートの一室で、ユミは裸になった。
横たわるベッドには男がいた。荒い呼吸、血走った目、力任せな手つき……。相手は美術大学の同期だった。
絵が描けなくなって、どのくらい経っただろう。
大学2年になりたての春。19歳のとき、ユミは彼氏とセックスした。
お互い、激しく求め合った。でも、どこか噛み合わなかった。
何かを塗り潰したくて、ユミは喘いだ。快感で、全てを忘れようとした。
膣奥を突かれるたび、身体は震えた。しかし、鈍い痛みと暗い気持ちが消えることはなかった。
力任せに腰を振り続けたあと、彼は射精した。
ねっとりとしたものが膣内から抜かれる。コンドームの中には白濁した液。でも、それを見ても何も感じなかった。
心の空白は満たされなかった。
(……こんなもんか)
終わったあと、それがユミの率直な感想だった。
射精したあとの彼は、いつものように優しかった。悩みを打ち明けたときのように熱心に、絵に対してアドバイスをしてくれたし、大切に思ってくれていることもわかった。ただ、満たされていない気持ちは同じなんだろうとも思った。
事後、シャワーを浴びている間に彼は寝ていた。
バスタオルで髪を拭きながら、ユミはベッドの隅に座った。
目を閉じれば、彼に触れられた場所がじんわりとよみがえる。けれど、昼間の制作課題の会話も、夜の行為も、今はどこか遠くに感じられた。
何気なく、ベッドのそばにあるスケッチブックを手に取った。一緒に進めている制作課題のプロットがいろいろと描かれていた。
パラパラとめくったあと、ユミはペンを握った。しかし、白いページを前に指先は動かなかった。
頭の中にはいくつものイメージが浮かぶのに、それをどう線にすればいいのかがわからない。
自分の内側を見せることが怖いのか、それとも、見せたい自分がどこにもいないのか……。
答えは出なかった。ただ、描けなかった。その事実だけは確かだった。
夜の沈黙が、部屋の底に沈んでいく。
結局、何も描くことなく、ユミはスケッチブックを閉じた。そしてバスタオルを洗濯機に入れると、当てもなく部屋の中を歩いた。
彼の部屋は整っているとは言えないが、無秩序でもない。先ほどのスケッチブック、大学の映像サークルで使っている機材、未整理の脚本束。壁際の棚には本やDVDが所狭しと並んでいる。
棚の中から、ユミは一枚のケースに手を伸ばした。
それは、映画でもドキュメンタリーでもなかった。
AV──アダルトビデオ。
何枚もあるわけではない。目立たない背表紙に混ざるようにして、それはあった。
そのうちの1枚を手に取った。裸の女優。名前は知らない。けれど、ジャケットに写ったその顔には奇妙な引力があった。見る者を見返すような、真っすぐな目。媚びた笑顔の中にある、何かを見透かすような鋭さ。
思わず、テレビのリモコンを手に取る。DVDプレーヤーを起動し、ディスクを入れる。音量は限界まで絞る。
ベッドの中で、彼はまだ眠っている。
部屋の隅で、画面が静かに光った。ユミは画面の中の女を見つめた。
女は笑い、触れられ、乱れていく。舌を絡め、胸をはだけ、股を開く。喘ぎ声を上げ、性器を濡らし、男のものを受け入れる。
同じセックス。しかし、全然違う。自分と彼とのセックスとは、根本的に何かが違う。
ひとしきり絡んだあと、女は顔に射精を受けた。
男の欲望に汚れた、女の笑顔。けれど、目だけは冷静で、自分の立場をわかっているようだった。演じているようでいて、どこかで「素」の自分を覗かせている。それが、彼女なりの自己表現のようにさえ見えた。
(この人も、誰かに見られたいと思ったのかな?)
自分の肌が、さっき誰かに触れられていた場所が、急に曖昧になっていく──私は、誰に触れられて、どう見られていたんだろう──そんな問いが、さらに波紋を広げる。
ユミは唇を閉じたまま、画面の女優と見つめ合っていた。目をそらすこともなく、また羨むこともなく……。ただ、そこにあった何かに、強く、静かに惹かれていた。
やがてユミはリモコンに手を伸ばし、画面を暗くした。寝息はまだ、途切れずに続いていた。
***
メグミとしての6本目の撮影日。
今日は、単体名義では最後の撮影となる。
これがダメなら、次は企画女優。名前はクレジットされない。ギャラも、扱いも、撮影も、全てが変わる。
「メグミさん、リラックスして、悔いのないようにね」
現場に入る前、事務所のマネージャーのムライの言葉に、メグミは頷いた。ただ、何をどうすればいいのかは相変わらずわからない。
わからない。でも、それでも── 描けなくても、何かを見せる。あの女優みたいに。
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