駆け出せ、メグミ 〜裸の性、裸の生き様〜

寸陳ハウスのオカア・ハン

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第18話 落書き

『レイさん目当てで見たけど、相手の女優さんがすごかった』
『役に憑依した女優メグミ! 魔性の不倫セックス快楽堕とし!』
『パッケージの主役はレイ、でも中身は完全にメグミが主役を食ってる』

 メグミとレイの共演作『奪う女、奪われる女』が発売された。
 ドラマもの。一般的なAVよりも視聴者が限られる中で、レビューは絶賛の嵐だった。

 メグミはネット上のレビューを読みながら、あの日のことを思い出した。

 セリフも、セットの配置も、熱量も、何もかも覚えている。
 夫の不倫相手という役で、メグミはレイに挑んだ。
 全てが本気だった。不倫の背徳と興奮を演技で表現し、自分のセックスを見せつけ、レイをスリップさせ絶頂に導いた。
 あのとき、固唾を飲んで見守っていた視線がにわかに驚いた瞬間、メグミは演技と本気の境界を確かに揺らせたと感じた。

 噂は早い。業界の空気は、ほんの少しだけメグミの方へ傾いていた。
 すぐに再共演が決まった。今度は1対1のレズものだと言われた。

 『レズプレイ」──メグミはもちろん、キャリア6年目になるレイも、初めてのジャンルとなる。

 メグミはまず、レズについての情報をかき集めた。ネットの記事を調べ、現場関係者にアドバイスを求めた。
 触れ方、視線の置き場、呼吸の合わせ方……。文字は山ほどあって、やり方はどれも正しそうだったのに、自分の指先に置き換えると途端に形が消えた。あるのはどれも「誰かのやり方」だった。

 次に、メグミはレイについて、再び現場で聞き込をした。今度は、女優としてのレイではなく、ひとりの人間としてのレイを知りたかった。

「レイさんって、どんな人なんですか?」

 素朴な疑問。ちょっとした好奇心もあった。しかし、返ってくる答えはいまいち要領を得なかった。

「いろいろ惜しい人だよ。こだわりが強いというか、感性が独特というか。まぁ、昔は尖ってたからしょうがないのかな」

「もったいないよね、メーカー専属だったのに。イベントしない、インタビューは断る、広報用のSNSすらやらないんじゃ、売りようがないよ」

「実は結構やんちゃ? なんか芸能関係者と枕して、メーカーから干されたみたい」

 現場関係者の話は、どれも真実のようで、どれも違う気がした。

 結局、レイのことはよくわからず、自分とレイのやり方も見つからないまま、当日が来た。


***


 ゆっくり回る換気扇の音。控え室の空気は、撮影前特有の乾いた温度をしていた。

 メグミは入室して、軽く会釈した。レイは椅子から半身を起こし、いつも通りの笑顔で「よろしく」と言った。
 余裕と冷静を一滴ずつ混ぜたような声。前回の撮影のあとでも、彼女は変わらない──そう思ったとき、メグミの視界の端で、レイの手元が動いた。

 ボールペン。メモ用紙の隅に、丸くて柔らかそうなものがふたつ並ぶ。小さな頭、丸い瞳、縫い目みたいな点々。線は素朴で、肩の力が抜けている。

 それは、クマのぬいぐるみの絵だった。描かれているのは二匹。大きなおしりのクマと、手足がふらっとしたクマ。二匹は手を繋いで歩いている。

 メグミの胸の中で、遠い音が鳴った。

 ああ、そういえば──この世界に来る前、自分は絵を描いていた。描くことで、自分の居場所を作っていた。でも、描けなくなって……。

 忘れようとして、忘れたはずの匂いが、紙とインクの薄い匂いと一緒に戻ってくる。

「かわいいですね」
 気づいたら声が出ていた。レイはペンを止め、少し照れたように笑った。
「ありがとう。でも、ただの落書きだから」
「このクマさんたち、何かのキャラクターですか? 名前とかあるんですか?」
 メグミが訊ねると、レイは少し目を伏せた。

 紙に描かれたクマを見つめる瞳が、ほんの一瞬だけ遠くをさまよう。
 答えを探しているのか、思い出を呼び起こしているのか──メグミにはわからない。

 小さな沈黙のあと、レイは口元に笑みを浮かべて視線を戻した。
「……子供のころ持ってたぬいぐるみ。こっちはでぶこで、こっちはふらりん」
 指先で丸を描くようになぞりながら、少しだけ恥ずかしそうにレイが言う。
「でぶこは、おしりが大きいから。ふらりんは、手足がふらふらなんだ。安直なネーミングだよね」
「そんなことないです。雰囲気に合ってると思います。手を繋いでるのも、仲良しみたいで、かわいいです」
「……ありがとう」

 少しだけ嬉しそうにはにかむレイの横顔に、メグミは言葉を失っていた。

 イベントも、インタビューも、SNSもやらず、私生活の手がかりをどこにも落とさないレイ。ずっと仮面を被り続ける彼女が、初めて見せたプライベートの影。ふざけたような名前で、まっすぐな記憶……。

 心の扉が、音もなく開くのがわかった。
 頷きながら、笑顔のまま、呼吸だけが深くなる。
 ずっと知りたいと思っていた人が、指先で触れる距離にいる。今日は、勝ち負けや評価とは別のものがここにある。

 レイは絵を描いたメモ用紙を折りたたむと、ボールペンと一緒にカバンにしまった。

「今日もよろしくね、メグミさん」

「はい。こちらこそお願いします。レイさん」

 その笑顔は、いつものレイに戻っていた。

 ふたりの準備が終わると、スタッフから合図やNG事項の確認が済まされた。

 控え室の時計は撮影開始の時刻を指そうとしていた。
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