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第16話 最後のファンミーティング
くすんだ店の白壁が、朝陽にきらめいている。
朝。ナオはソープ〈花音〉で、最後の出勤の準備をしていた。
33歳。引退の決意は、唐突に湧いたわけではない。
あの日、ナオとユータは本気でセックスした。
何かが満たされた一夜だった。
終わったあと、照れくさそうに「ありがとう」とだけ言って、ユータは帰っていった。
1ヶ月後、その彼から、スマホにメッセージが届いた。
『今月から絡みもある現場、1本決まった』
汁男優から一歩進み、いよいよ本格的に復帰するらしい。あれ以来、彼は店には来ていない。
ユータはもう来ないだろう。
それが、なんとなく嬉しかった。
だから自分も、引き際を決めた。
店長のスエヒロ兄に伝えると、「そっか」と一言。しばらく黙ったあと「……今まで、ありがとな」と言って、背中を軽く叩いてくれた。
〈SUEHIROGIRLY’z Agency〉の社長のスエヒロ弟のほうは、予想通り泣いていた。
「……ナオ、俺は……俺は……寂しいよ……! お前はな……お前は……!」
出勤日にはなぜか押しかけてきた。ティッシュを鼻に詰めながら何か言っていたが、ほとんど聞き取れなかった。挙句、店長のスエヒロ兄に「うるせぇ」と叩き出されていた。
そして、年に一度の、『誰得ファンミーティング』。
ナオは、〈花音〉のラウンジに立ちながら、少し緊張していた。
今年は、特別な会になる。
最後の出勤日。事前に、おじさんたちにもそれを伝えている。
3人が店に入ってくる。
まずカバさん。入ってくるなり、目が潤んでいる。手土産を持っていたが、ナオの顔を見た瞬間、それを落とした。しゃがみこんで拾いながら、鼻をすすっていた。
「ナオちゃん……ああ、ナオちゃん……! 今まで、ありがとうございました! お疲れ様でした!」
ポロさんは、クシャクシャになった顔をハンカチで押さえながら立っている。
「すいません。最後だと思うと、もう……涙、止まらなくて……」
あんちゃん。帽子を取って、深く頭を下げ続ける。膨らんでるもののポジションを、必死に手で直している。
「あ、あ、ああああ……!」
結局、3人とも泣きながら勃起していた。
もう見慣れた光景に、呆れ半分で笑ってしまうナオだったが、ふと込み上げてくるものに目が潤んだ。
子供みたいにぐしゃぐしゃになるおじさんたちの顔を見ていたら、なぜだか胸が熱くなってきた。
(もらい泣きって、こういうことなのかな)
あのファンミーティング以来、本当に涙腺が弱くなった。
ナオは思わず、目元を押さえた。店の奥からは、社長のスエヒロ弟の泣き声も聞こえた。
***
年一の定例会と化したファンミーティング。でも今年は、例年とはちょっと違った。今回は、なんとまさかの、店舗まるごとの貸切である。
店のラウンジにはいつも安い仕出し弁当ではなく、ちゃんとしたオードブル。皿も紙皿ではなく陶器の器。アルコール類はやっぱり厳禁だけど、飲み物もドリンクバー形式にアップグレード。
さらには、部屋だけではなく、廊下も、お風呂場も、バックヤードも、建物全体が解放されていた。
「え、いいのこれ? 大丈夫なんですか?」
「ナオさんの最後だから」
ナオが訊くと、店長のスエヒロ兄は軽く言った。
ラウンジで乾杯し、それぞれの思い出を語る。
「いろいろ疲れたときは、やっぱりメンエスのナオさんで抜いちゃうんですよね……」
「スプラッシュギャルズの最初の大乱交シーンの隅の方で、ナオさんがすごい技をやってたの、見つけちゃったんです……!」
「あの! ナオちゃんの! アナルの!」
あられもないナオの痴態の話……恥ずかしいやら、懐かしいやら。
そのあとは、いつものように3人と個室に入り、ひとりずつセックスした。
ナオは、どこか懐かしい気持ちで、それぞれを愛撫し、口に含み、抱いた。セックスしてるのに、どこまでも穏やかな時間だった。
夕食後。今回は夜の部もあるので、まだまだ時間があった。
ラストは、やっぱり全員で──。
例のラブホでやったあの4Pマットプレイを、どうしても再現したいと、誰かが言い出した。もしかしたらナオが言っていたのかもしれない。
みんな、「無理だって」と笑っていたが、気づけば店の風呂場に無理やりマットを敷いていた。
狭い空間に3人のおじさんが寝転がり、ぎゅうぎゅうに詰まったローション肉布団の上を、ナオが動く。
「ナオちゃん、いけますか!?」
「いや、マジで狭いんで……怪我だけはほんと勘弁してくださいね」
ナオはローションのボトルを手に取ると、もう一度、自分の身体に塗った。
滑る肌。湯気に曇った鏡。いろいろと無理があったけど、始まってしまえば、笑いも、涙も、思い出も、全部が混ざっていった。
ローションのぬるぬるの中に、いろんなものが溶けていく。
泡、笑顔、勃起と涙──そして、射精。
ローションの海の中で、4人は顔を見合わせた。
最後の〈花音〉の風呂場。3人のおじさんと場末の泡嬢。みんな裸。でも、みんな笑顔。あられもない姿が情けないけど、どうしようもなく愛おしかった。
***
ソープ嬢を引退したあと、ナオは都内のパチンコ屋で働き始めた。
騒々しいBGMと、じゃらじゃらと鳴る玉の音が延々と響くホール。
くたびれたポロシャツとミニスカートの制服を着て、台を拭く。おじさんたちのセクハラトークを聞きながら、エロい目で見るおじいちゃんを介護しながら……。それが、ナオのサードキャリア。
昼休み。休憩室のベンチで、缶コーヒーを片手にタバコをふかしながら、スマホを開く。ユータとのチャットに、新しいメッセージが来ている。
『今日の現場、セリフめちゃ多かった。滑舌やばいって監督に言われた』
『滑舌のヤバさはいつもじゃん』
『いや、それはひどくないか?』
内心、吹き出しそうになりながら、ナオはスマホを見つめた。
店には、もう来ない男。
でも、画面の向こうで、ちゃんと生きてる。
それでいい。それだけでいい。
胸の中で、誰にも聞こえないくらい小さな声で、ナオはひとり言を呟いた。
「……ま、すぐ会うんだけどさ」
タバコの煙が、昼下がりの空に溶けていった。
朝。ナオはソープ〈花音〉で、最後の出勤の準備をしていた。
33歳。引退の決意は、唐突に湧いたわけではない。
あの日、ナオとユータは本気でセックスした。
何かが満たされた一夜だった。
終わったあと、照れくさそうに「ありがとう」とだけ言って、ユータは帰っていった。
1ヶ月後、その彼から、スマホにメッセージが届いた。
『今月から絡みもある現場、1本決まった』
汁男優から一歩進み、いよいよ本格的に復帰するらしい。あれ以来、彼は店には来ていない。
ユータはもう来ないだろう。
それが、なんとなく嬉しかった。
だから自分も、引き際を決めた。
店長のスエヒロ兄に伝えると、「そっか」と一言。しばらく黙ったあと「……今まで、ありがとな」と言って、背中を軽く叩いてくれた。
〈SUEHIROGIRLY’z Agency〉の社長のスエヒロ弟のほうは、予想通り泣いていた。
「……ナオ、俺は……俺は……寂しいよ……! お前はな……お前は……!」
出勤日にはなぜか押しかけてきた。ティッシュを鼻に詰めながら何か言っていたが、ほとんど聞き取れなかった。挙句、店長のスエヒロ兄に「うるせぇ」と叩き出されていた。
そして、年に一度の、『誰得ファンミーティング』。
ナオは、〈花音〉のラウンジに立ちながら、少し緊張していた。
今年は、特別な会になる。
最後の出勤日。事前に、おじさんたちにもそれを伝えている。
3人が店に入ってくる。
まずカバさん。入ってくるなり、目が潤んでいる。手土産を持っていたが、ナオの顔を見た瞬間、それを落とした。しゃがみこんで拾いながら、鼻をすすっていた。
「ナオちゃん……ああ、ナオちゃん……! 今まで、ありがとうございました! お疲れ様でした!」
ポロさんは、クシャクシャになった顔をハンカチで押さえながら立っている。
「すいません。最後だと思うと、もう……涙、止まらなくて……」
あんちゃん。帽子を取って、深く頭を下げ続ける。膨らんでるもののポジションを、必死に手で直している。
「あ、あ、ああああ……!」
結局、3人とも泣きながら勃起していた。
もう見慣れた光景に、呆れ半分で笑ってしまうナオだったが、ふと込み上げてくるものに目が潤んだ。
子供みたいにぐしゃぐしゃになるおじさんたちの顔を見ていたら、なぜだか胸が熱くなってきた。
(もらい泣きって、こういうことなのかな)
あのファンミーティング以来、本当に涙腺が弱くなった。
ナオは思わず、目元を押さえた。店の奥からは、社長のスエヒロ弟の泣き声も聞こえた。
***
年一の定例会と化したファンミーティング。でも今年は、例年とはちょっと違った。今回は、なんとまさかの、店舗まるごとの貸切である。
店のラウンジにはいつも安い仕出し弁当ではなく、ちゃんとしたオードブル。皿も紙皿ではなく陶器の器。アルコール類はやっぱり厳禁だけど、飲み物もドリンクバー形式にアップグレード。
さらには、部屋だけではなく、廊下も、お風呂場も、バックヤードも、建物全体が解放されていた。
「え、いいのこれ? 大丈夫なんですか?」
「ナオさんの最後だから」
ナオが訊くと、店長のスエヒロ兄は軽く言った。
ラウンジで乾杯し、それぞれの思い出を語る。
「いろいろ疲れたときは、やっぱりメンエスのナオさんで抜いちゃうんですよね……」
「スプラッシュギャルズの最初の大乱交シーンの隅の方で、ナオさんがすごい技をやってたの、見つけちゃったんです……!」
「あの! ナオちゃんの! アナルの!」
あられもないナオの痴態の話……恥ずかしいやら、懐かしいやら。
そのあとは、いつものように3人と個室に入り、ひとりずつセックスした。
ナオは、どこか懐かしい気持ちで、それぞれを愛撫し、口に含み、抱いた。セックスしてるのに、どこまでも穏やかな時間だった。
夕食後。今回は夜の部もあるので、まだまだ時間があった。
ラストは、やっぱり全員で──。
例のラブホでやったあの4Pマットプレイを、どうしても再現したいと、誰かが言い出した。もしかしたらナオが言っていたのかもしれない。
みんな、「無理だって」と笑っていたが、気づけば店の風呂場に無理やりマットを敷いていた。
狭い空間に3人のおじさんが寝転がり、ぎゅうぎゅうに詰まったローション肉布団の上を、ナオが動く。
「ナオちゃん、いけますか!?」
「いや、マジで狭いんで……怪我だけはほんと勘弁してくださいね」
ナオはローションのボトルを手に取ると、もう一度、自分の身体に塗った。
滑る肌。湯気に曇った鏡。いろいろと無理があったけど、始まってしまえば、笑いも、涙も、思い出も、全部が混ざっていった。
ローションのぬるぬるの中に、いろんなものが溶けていく。
泡、笑顔、勃起と涙──そして、射精。
ローションの海の中で、4人は顔を見合わせた。
最後の〈花音〉の風呂場。3人のおじさんと場末の泡嬢。みんな裸。でも、みんな笑顔。あられもない姿が情けないけど、どうしようもなく愛おしかった。
***
ソープ嬢を引退したあと、ナオは都内のパチンコ屋で働き始めた。
騒々しいBGMと、じゃらじゃらと鳴る玉の音が延々と響くホール。
くたびれたポロシャツとミニスカートの制服を着て、台を拭く。おじさんたちのセクハラトークを聞きながら、エロい目で見るおじいちゃんを介護しながら……。それが、ナオのサードキャリア。
昼休み。休憩室のベンチで、缶コーヒーを片手にタバコをふかしながら、スマホを開く。ユータとのチャットに、新しいメッセージが来ている。
『今日の現場、セリフめちゃ多かった。滑舌やばいって監督に言われた』
『滑舌のヤバさはいつもじゃん』
『いや、それはひどくないか?』
内心、吹き出しそうになりながら、ナオはスマホを見つめた。
店には、もう来ない男。
でも、画面の向こうで、ちゃんと生きてる。
それでいい。それだけでいい。
胸の中で、誰にも聞こえないくらい小さな声で、ナオはひとり言を呟いた。
「……ま、すぐ会うんだけどさ」
タバコの煙が、昼下がりの空に溶けていった。
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