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第三章 雪原に続く道

3-8 戦乱を望む者

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 謹慎処分を下され一週間が過ぎた、ある雪の日。オッリは上官であるマクシミリアン・ストロムブラードに呼び出された。
 オッリが幕舎に入ると、中にはすでに三人の男がいた──帝国軍第三軍団の幕僚長アモット、黒騎兵隊長であり上官でもあるマクシミリアン・ストロムブラード、そしてオッリと同じく謹慎中の息子ヤンネである。
 無表情のマクシミリアンとヤンネとは対照的に、赤毛のかつらを被った幕僚長アモットはオッリを見て愛想よく微笑む。
「お久しぶりですオッリ殿。背中の怪我は具合はどうですか?」
「あぁいや、特に問題はなく……」
 アモットはちょっとした雑談を始めたが、オッリは顎鬚あごひげを撫でつつ、適当に相槌を打って会話を流した。
 このやたらと人当たりのよい幕僚長のことがオッリは苦手だった。とにかく誰に対しても害意がなさすぎて掴みどころがない。だがマクシミリアンをして、この赤毛のかつらの男なくして第三軍団は成り立たないと言わしめるほどの人物であり、軍団長のマンスフェルトよりも遥かに優れた人間なのは間違いなかった。しかし人が良すぎるのか、ずっと幕僚長としていいようにマンスフェルトにこき使われている。

 雑談が終わると、アモットは報告を伝えると言って手元の書状を広げ始めた。
 マクシミリアンの気をつけのかけ声に合わせ、オッリとヤンネが直立する。
「オッリ・ニーゴルド並びにヤンネ・ニーゴルド両名の謹慎処分を解除します。これより原隊に復帰し、引き続き士官の任を果たされますよう」
 謹慎が長引くようなら勝手に抜け出すつもりでいたオッリは、とりあえず返事をして敬礼したが、ヤンネは未だに拗ねているのか、返事もせず軽く頭を下げるだけだった。それを横目で見ながら、オッリはこの態度の悪い自分の子供に苛立った。
「実はマンスフェルト軍団長が強硬にお二人の処刑を主張されたのですが、ストロムブラード隊長の直訴により何とか処罰は免れたのですよ」
「幕僚長、その話は……」
「大丈夫ですストロムブラード殿。みなまでは言いませんよ」
 それまで黙って横に控えていたマクシミリアンが話を遮ると、アモットはそのことについてはそれ以上話さなかった。
「お二人とも第三軍団、ひいては帝国軍の大事な戦力です。戦時で気が急くのもわかりますが、今後は内輪揉めなどの軽率な行動はお控え下さい」
 アモットはかつらの隙間から流れる汗を拭きながら、また人当たりのよい笑顔を振りまいた。

 その後もアモットからの報告が続く。
 アモット曰く、帝国軍はエリクソン平原の勝利を経て逆襲に転じたものの、現在も兵站はぎりぎりで、綱渡り状態にあるのは変わっていないらしい。追われる身のヴァレンシュタインも巧みな遅滞行動を仕掛けてきており、今度は帝国軍が逆に追撃を阻まれている。
 さらにはエリクソン平原で破った月盾騎士団と第六聖女親衛隊らの敗残部隊もそこに合流し、教会軍の兵力は合計六万に膨れ上がった。それに対して帝国軍は士気こそ高いが、兵力に関しては補充兵や予備隊を追加しても同数を揃えるのが精一杯である。
 これ以上、この〈大祖国戦争〉が長引くのは〈帝国〉にとっても好ましくない。
 帝国軍による焦土作戦と教会遠征軍の略奪による国土の荒廃はもちろんだが、日に日に大きくなる講和派の声を主戦派筆頭の皇帝が抑えきれなくなれば、国内が分断しかねない。
 ゆえにエリクソン平原のときと同じ、完膚なきまでの勝利による決着が必要だった。
 しかし予想される戦場は、王の回廊の道中にあるガンブロ湿地帯──通称クリスタル・レイク──と呼ばれる湖沼群であり、ここはとても大規模会戦に適した地ではない。だがたとえ地の利が味方しなくても、血気に逸る皇帝は戦いを仕掛けるであろう。
 
 延々と続くアモットからの通達を、オッリは途中から聞き流していた。
 背中の傷が疼き始めていた。無意識のうちに、体が熱くなっている──オッリは内心、小躍りしたい気分だった。
 エリクソン平原で捕らえ損なった獲物──月盾騎士団と第六聖女──が、わざわざ目の前にやってきたのである。背中に傷をつけた月盾の長への復讐を果たし、第六聖女を捕らえ凌辱する。その機会が思わぬ形で巡ってきた。
 戦場がどこであれ関係ない。大地に躍り出た馬賊ハッカペルを止められる者などいない──そして狩りが始まるのだ。
 オッリは身を焦がす衝動に浸りながら、ふとヤンネに目をやった。息子は相変わらずぼんやりとした表情で突っ立っているだけだった。
 ──ちゃんと聞いとけ──オッリはいつまでも腑抜けている息子に苛立ち、静かにため息をついた。


*****


 アモットからの長々しい通達が終わると、オッリはマクシミリアンに誘われ、ヤンネらとともに遠乗りに出かけた。
 十騎ほどの護衛を伴い、野営地の外に広がる雪原を駆ける。
 無数の馬蹄がおぼろげな道となり、丘の頂へと駆け上がる。
 森も川も山も、何もかもが白く染まった大地。深々と降り続く雪帷ゆきとばりが遥かなる地平線を薄っすらと覆い隠し、暗雲の片隅で北風が哭く。
「悪かったなマクシミリアン。俺らのためにわざわざマンスフェルトに頭下げてくれたみたいで」
「確かに頭は下げたが、あのバカの言いなりになるのがしゃくだっただけだ。それにお前はともかく、ヤンネに関しては処刑すべきだったと思っている」
 マクシミリアンはぶっきら棒に言い放ったが、ヤンネは俯くばかりで何も反応しない。
「親子云々を抜きにしても、あれは上官に対する明確な反逆罪だ。本来ならその場で殺すべきだったが、機を逸した。その間に多くの助命嘆願が集まってしまい、殺すに殺せなくなった」
 口では辛辣なことを言ってはいるが、結局マクシミリアンはヤンネを処刑しなかった──いつもの癖が出ている──オッリはそう思った。
 騎兵隊長になる以前から、マクシミリアンは貴賤を問わず軍規の公正さや信賞必罰には人一倍気を使ってきた。ただし本人は公正ぶってはいるが、傍から見れば個人感情でわかりやすく扱い方を変える癖もあった。
 尊大に振る舞う貴族は露骨に足蹴にする一方で、社会的弱者にはむやみやたらに寛大でもあった。今回は誰よりも目をかけてきたヤンネが当事者だったため、多少躊躇したのかもしれない。
 だがそれでは、他の騎士階級にある将軍、将校たちと変わらない。程度の差はあれ、兵士からは色眼鏡で見られかねない。それが不満となって蓄積していけば、いつか寝首を掻かれる──マクシミリアン・ストロムブラードの父親のように。
「ヤンネ。この親父を殺したい気持ちはわかるが、せめて〈大祖国戦争〉が終わってからにしろ」
「おいおい、こいつに俺を殺させる気かよ?」
 オッリが声をあげると、マクシミリアンは意味あり気に口元を歪める。
「それからオッリ、お前はもう少し息子に優しく接しろ。そうすれば、少なくとも私の父のような惨たらしい死に方はせん」
 子供のいないマクシミリアンから親子関係について口を挟まれ、オッリは少し苛立った。確かにストロムブラード夫妻はオッリの子供たちの面倒を見ているが、実の親ではない。まして実父を政敵に貶めてまで殺害したマクシミリアンに、親子関係について知った風な口を利かれるのは腹立たしかった。
 そんなオッリの心中を知ってか知らずか、強き北風ノーサーが一瞬だけ足元を吹き抜け、雪原が沈黙に包まれた。

 強き北風ノーサーが吹き抜けたあと、唐突にマクシミリアンがオッリに尋ねてきた。
「ここから何が見える?」
「……何って、雪だろ」
「ヤンネ、お前には何が見える?」
「……王の回廊、ですか……? 質問の意図がよくわからないのですが……」
 当惑するオッリとヤンネを尻目に、マクシミリアンは寒空に向かって大きく息を吐いた。
「戦場だよ──我々の前に広がっているのは、大いなる戦場だ。我々にとっては千載一遇の機会と無限の可能性が、ここにはある」
 白く染まる地平線を眺めながら、マクシミリアンは語り始めた。
「我々はおべっか使いのクソの塊みたいなマンスフェルトや、出世が約束されているアーランドンソンのような上級貴族ではない。その必要性を認めさせなければ、すぐ使い捨てにされるような存在でしかない──つまり、この戦争は我々にとって千載一遇のチャンスなのだ」
 いつも平静を装っているマクシミリアンの身振り手振りが、徐々に大仰になっていく。
「グスタフ帝が何を思ってこの戦争に踏み切ったのかは知らんし、そんなことはどうだっていい。祖国を守るだの信仰の在り方を正すだの、そんな下らん建前は豚にでも食わせろ」
 仰々しい口調で語るマクシミリアンを見て、オッリはどこか懐かしさを感じていた──二十年前、敗北し従属を強いられた東方騎馬民族と、下級貴族出身と軽んじられ支配階層を恨めしそうに見上げていた帝国軍人が出会ったあの日──二人とも前だけを見て、遮二無二に戦場を駆けていた若き日のことを。
 オッリは懐かしんでいたが、ヤンネは上官の様変わりした表情に当惑していた。
「お言葉ですがストロムブラード隊長。それはこの〈大祖国戦争〉への批判とも受け取られかねませんよ」
「構わんさ。どうせその辺の貴族のぼんぼんからは血に飢えた獣ぐらいに思われているからな。だが私はたかが騎兵隊長如きで終わる気は毛頭ない。私が思い描く理想の軍を作るためには、まだまだ力と栄光が必要だ」
 あの頃と同じだ──憚ることもなく、当然のように英雄になりたがっている。
「私の理想のため、お前たちにも全力で働いてもらう。何も難しいことはない。ただ〈教会〉のごみ屑どもを蹂躙し、殺し尽くせば良いだけだ。だから親子で殺し合うのはこの戦争が終わってからにしてくれ」
 そう言ってマクシミリアンは黒い胸甲に拳を当て、その拳をオッリとヤンネに突きつけた。
「お前たちにもそれぞれ胸に秘めたる思いがあるはずだ。だがそれを叶えるには、己の手で道を切り開くしかない。それを心に刻み忘れるな」
 全てを言い終えたのか、マクシミリアンは陶酔した表情で雪の舞う空を仰いだ。
 束の間の静寂の中で、オッリは小さく笑った。
「隊長さんよ。前に俺のことをガキ呼ばわりしてたが、お前も相変わらずガキみたいなこと言ってんな」
「私は子供心を忘れていないだけだよ。まぁ仮にガキだとしても、お前よりは分別のあるガキだろう?」
 つい先日、マクシミリアンはオッリのことを子供呼ばわりしたが、オッリはその言葉をそっくりそのまま戦友に返した。それに対し、マクシミリアンは怒ることもなく、不敵な表情で笑い返した。

 二十年前──かつてオッリに「共に戦おう」と手を差し伸べてきたときと同じ顔。この男こそ、昔から何も変わっていない。
 雪帷ゆきとばりの向こうを悠然と眺めるマクシミリアン・ストロムブラードの黒い瞳は輝いていた。
 二十年の歳月を経て、数多の死線を越え、幾多の屍を築き上げた今でも、この〈騎士殺しの黒騎士〉は相も変わらず、戦争ごっこに興じる無邪気な子供のように戦争を楽しんでいる。
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