遥かなる地平線に血の雨を

寸陳ハウスのオカア・ハン

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第一章 東に吹く風

1-8 おかえりなさい、ミッコ

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 東へ歩を刻むたび、地平線がその色を失っていく。

 流れる風に無数の赤兎旗がはためく。隊商を指揮する赤の親父アンナリーゼを先頭に、無数の騎馬と馬車が廃墟の枯れ野に列をなす。

 敵対する戦狼たちストレートエッジ・コサックへの備えからか、アンナリーゼの隊商は軍隊と形容しても過言ではなかった。護衛の騎馬は五十騎以上、馬車に乗る事務方、下働き、娼婦なども含めればその総勢はゆうに百人を越える。
 馬車の車列には武具や糧食を満載した荷駄の他に、替え馬や猟犬、軽野砲なども続いた。そして当然のように奴隷もいた。奴隷は下働きの他に、商品としての奴隷がいた。ここにいるのは売れ残りらしく、市場にいなかったのは単に傭兵の勧誘には必要なかったからだと、商品管理を担当するアリアンナは言った。
 物々しい男たちの隊列の中にあって、赤の親父の三姉妹は目立った。彼女らはどの兵士よりも堂々としていた。長女のアンナリーゼはエミリーと同じような軽装の旅装に、年期の入った弓矢を携えていた。次女のアデーラは鉄の兜と胸甲を着用していた。三女のアリアンナは剣こそ佩いていたが、随分と露出の多い民族服だった。

 赤の親父の根城、イズマッシュへ向かう奴隷商人たちとの旅が始まり幾日かが経った。〈帝国〉最東端の街サコーを出て以降、空気は明らかに変わっていた。風は確かに春風だったが、色褪せた地平線のその様相はとても春の景色とは思えなかった。

 廃墟の枯れ野──大いなる災厄により破壊され打ち捨てられた廃墟群と、それを覆うように茂る枯れた草原──確かに残る亡国の痕跡には、しかし今は誰もいない。東へと向かうアンナリーゼの隊商を除いては。

 隊商に護衛として追従しながら、ミッコは風を辿った。しかしどれだけ耳を澄ましても、その音は微かにしか聞こえなかった。
 地平線は静かだった。どこまでも変わらぬ遥かなる地平線を前にして、ミッコは得体の知れぬ恐怖を覚えていた。しかし同時に、虚ろな空色や廃墟の枯れ野に奇妙な美しさを見出してもいた。
「エミリー、大丈夫か?」
 ミッコは何度か訊ねたが、エミリーの表情は浮かなかった。深緑の瞳に映る色は、二人で旅を始めた頃とは明らかに変わっていた。今その瞳には、不安や焦燥、そして苛立ちが見え隠れしていた。
 誰もが空気の違いを肌で感じていた。アンナリーゼとその部下たちはさすがに場慣れしていたが、一部の帝国人の傭兵は地に足が着かない様子だった。馬は人よりも鋭敏ゆえか、さらに落ち着きがなかった。歴戦であるゲーフェンバウアーとアルバレスですら、小刻みに嘶いては鼻息を荒げた。ただし乗り手とは違い、その足取りはどこか軽やかでもあった。

 不安や苛立ちからか、エミリーは小言が増えていた。
「もう、せっかくの二人旅だったのに……」
「まぁいいじゃねぇか。こうやってブラブラしてるだけで、三食付きで夜も馬車の中で寝れるんだし」
「そういうことじゃないわよ」
 どうにか有耶無耶にしようとするミッコの心中を見透かしているのか、エミリーの口調は厳しかった。
「連中の言いなりになる必要なんてなかったのよ。オジアスの奴に売り飛ばすなんて啖呵切ってたけど、そもそも私たちは罪人じゃないし指名手配もされてないんだから」
「そりゃ指名手配なんてしたら、自分の部下に婚約者を寝取られましたって公言するようなもんだろ? よくわかんねぇ出自だけど、オジアスも貴族の端くれだからな。大っぴらにやってないだけで間違いなく追手は出してるはずだ」
「追手が何よ? 今までも二人でずっと旅してきたじゃない? 何で今さら弱気になるわけ?」
「この辺から先は俺も土地を知らないからだよ。国境を越えて東に行くには、どっちにしろ土地勘のある案内人が必要だったんだって」
 ミッコは宥めたが、エミリーは理解は示したが納得してはくれなかった。

 二人旅が終わってから、エミリーは後ろを振り向くことが多くなった。そしてその目は奴隷を乗せた馬車を見ていた。
「可哀そうに……。あんな焼き印で体を傷つけられて、牢に閉じ込められるなんて……」
「可哀そうだと思うなら一人くらい買ってよ。今回は売れ残っちゃったけど、どれも立派な商品よ。今なら旅のよしみで割り引いてあげる」
 奴隷の後ろ首に押された赤いウサギの焼き印──赤の親父の商品の証──を指し示しながら、アリアンナは勝手におすすめの奴隷を売り込んできた。アリアンナの説明は饒舌だった。ミッコはただ商魂逞しい女だなと聞き流していたが、横にいるエミリーは凄まじい嫌悪感を滲ませていた。
 ミッコは当初、アリアンナを頭の軽い女だと思っていたがそうではなかった。頭が軽そうな話し方をするだけで、少なくとも姉二人から商品管理を任されるだけの知見はあった。ただ、馬鹿そうに見えて実はそうでないところもまたエミリーは気に入らない様子だった。
「二人もそろそろ子供が欲しい時期じゃない? この女の子なんてどう? 今回売れ残ったのが不思議なくらいカワイイでしょ? ちょっと歳いってるけど、まだ五歳だしまだまだ懐く年齢よ。この手の女の子は〈教会〉の聖職者連中がまとめ買いするし、たまに子なしの貴族様が養子にする商例もあるから、早い者勝ちだよ」
「いい加減にしてよ! 何がオススメよ! あんたどこまで腐ってるのよ!?」
「おいエミリー、落ち着けって……」
「ミッコは何も思わないの!? 人を売り物扱いして、こんな小さな子供まで奴隷にして! こんな頭の緩いクズと一緒にいて何も思わないの!?」
 エミリーの怒声に空気が凍りつく。ミッコはエミリーを宥めたが、煮えたぎる深緑の瞳は何も見てはいなかった。エミリーと同年の十八歳だからか、アリアンナは事あるごとに二人に絡んできた。そのたびに始まる女二人の口喧嘩に、ミッコは半ばうんざりし始めてもいた。
「ちょっとちょっと。何がクズよ。人様の商売にとやかく注文つけるほどの脳みそもないくせに偉そうなこと言わないでくれる? あんたみたいな貴族のボンボンは黙って金だけ払ってりゃいいのよ」
「何よ、奴隷商人如きが偉そうに……」
「そんなに文句あるならもうついて来なくてもいいのよ? 前も言ったけど、あんたは黒騎兵オールブラックスのお兄さんのオマケなんだし。ほら、あんたの契約は切ってあげる。さっさと好きなとこに行けば?」
 餞別だと言わんばかりにアリアンナが酒瓶をエミリーに投げつける。憤慨するエミリーは今にも剣を抜こうという剣幕だった。ミッコは刀傷沙汰だけは避けねばと女二人の間に割って入り、ひたすらエミリーを宥めた。
「冒険者気分なのか旅行者気分なのか何なのか知らないけど、東はあんたみたいなボンクラ貴族が来るような場所じゃないの。ここは自由の大地なの、私たち騎馬民のね。お兄さんも可哀そう、愛しい彼女がこんな世間知らずの足手まといだなんて」
 アリアンナはケラケラと笑うと、はだけた胸元を見せながらミッコの顔色を窺ってきた。その服装と態度があまりに軽薄なので、ミッコは思わずぶん殴ってやろうかと思った。
「おい兄ちゃん。連れの嬢ちゃんを黙らせとけ」
 しかしミッコが拳を握る前に、別の男の声がそれを遮った。厳つい髭面の男はミッコらと四人組を組むアンナリーゼ直属の部下の一人で、ミラーと名乗った。
「アリアンナちゃんは確かに生意気かも知れねぇが、だが赤の親父の三姉妹の一人で、俺たちのかしらだ。いいか、俺たちは一人の人間として九代目の赤の親父を信頼してる。女だからとか、先代のためとかじゃねぇ。だから他の仲間がキレて暴発する前に口を閉じろ」
 どすの効いた声色が地を這う。恐らく、ミラーはわざと周囲に聞こえるように言った。その言葉はミッコとエミリーに対してだけでなく、隊商の仲間たちへの牽制の意味も含まれていたと思われる──忠告はした。だから下手なことはするな、と。
 凍りつく一瞬にエミリーは口を噤んだ。それ以降、エミリーはつば広の帽子を目深に被り俯いてしまった。流れに乗って馬を進めてこそいたが、ミッコがいくら声をかけても反応はなかった。

 その後もアリアンナを中心に奴隷商人たちの雑談は続いた。〈教会〉の高位聖職者に買われた女の子は〈神の奇跡〉の実験台されているとか、〈帝国〉は軍縮と海外植民地貿易の偏重で商機がないとか、多くは他愛もない噂話だったが、保守派の旧主の番人オールドスクール・コサック戦狼たちストレートエッジを裏で支援しているとか、地域社会コミュニティの長老たちが戦争に備え傭兵をかき集めているとか、きな臭い話もいくつかはあった。

 日は流れ、虚ろな空色にはいつの間にか夕闇が滲んでいた。
「そろそろ〈帝国〉の国境を越えるわよ。ちゃんとお別れは済ませた?」
 先頭から移動してきたアンナリーゼがミッコとエミリーに馬を寄せる。柔らかな春風が流れ吹き、微笑みが廃墟の枯れ野に咲く。
「その昔、この地平線の果て、遥か東の彼方より王は現れた。全ての騎馬の王たる男はこの地を駆け巡り、全てを滅ぼした。そしてその血を受け継いだ我らは、今ここで生きている」
 風が吹き、アンナリーゼが語る。
「ここが私たちの故郷よ。おかえりなさい、ミッコ」
 軽やかに手綱を捌きながら、アンナリーゼはミッコに微笑んだ。

 遥かなる地平線に風が吹く。東へとはためく赤兎旗が、廃墟の枯れ野を進んでいく。

 東に広がる地平線を眺めながら、ミッコは風を辿った。しかしどれだけ耳を澄ましても、風の声は微かにしか聞こえなかった。
 ミッコは東に馬首を向け、先祖たる〈東の覇王プレスター・ジョン〉が駆けたという地に想いを馳せた。そして地平線がもはや見知らぬ場所になってしまったことを改めて実感した。
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