遥かなる地平線に血の雨を

寸陳ハウスのオカア・ハン

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終章

同じ空の下

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 春。枯れた地平線に風が吹いた。朝焼けの空には犬の遠吠え、馬の嘶き、子供の笑い声が聞こえた。様々な色を芽吹かせながら、風の声は東へと流れていった。

 ミッコはゲーフェンバウアーの馬腹を蹴った。風の声を辿り、ミッコは駆けた。

 地平線上に影が見えた。遊牧民のテント、放牧する馬群が現れた。ミッコが朝の猟から帰ると、エミリーと息子が外で待っていた。

 息子が生まれた。フーとの戦いが決着したあと、エミリーは子供を産んだ。

「お帰り!」
 息子が手を振りながら駆け寄ってきた。子供のころ、ミッコは同じように兄たちに手を振っていたことを思い出した。かつての兄たちのように、ミッコは馬上から手を振った。そしてゲーフェンバウアーから降りると、飛びついてきた息子の体を抱きかかえた。
 息子は三歳になった。小さかった赤ん坊はいつの間にか立ち上がり、今では自由に歩き回るようになっていた。
「お帰りなさい、ミッコ」
 大きくなったお腹を抱きながら、エミリーが手を振った。今、エミリーは二人目の子供を身籠っている。
 エミリーのそばにはパーシファルがいた。かつて〈塔の国〉なる不可思議な場所で謎多き人物から奪ったこの不思議な馬は、満足に動けないエミリーに代わって飼養する馬たちをまとめていた。
「ただいま」
 息子を片腕に抱きながら、ミッコはエミリーを抱き寄せた。息子はたどたどしく言葉を真似しながら、母親に抱き着いた。

 今朝収穫した獲物を捌いたあと、家族で朝食を取った。

 息子はよく喋った。

 なぜ髪が剥げているのか、なぜ左目がないのか、なぜ右手が義手なのかを訊かれた。訊かれるたび、ミッコは王を目指した男の物語を語った。


*****


 狼王の遺児フーとの戦いのあと、ミッコたちはかつて滞在したデグチャレフ村へと向かった。フーとの戦いとその後の旅により、村に着くころには百人いた難民は半分以下になっていた。しかし生き残りの多くは冬を越せた。デグチャレフ村は壊滅していたが、村の地下にはまだ越冬できるだけの物資が残っていた。非武装中立を掲げた結果、呆気なく襲撃者に蹂躙されながらも、マルーン神父は決して備えを怠ってはいなかった。

 ミッコとエミリーを追い、そしてフーとの戦いを共に戦った六騎は奇跡的に全員生き延びた。デグチャレフ村を経由したのち、ヤリたちは〈帝国〉へ、ウィルバート・ソドーたちは〈教会〉へと帰っていった。
 ヤリは壊死しかけていたミッコの手を切り落とすと、「これでお前は死んだ」と言った。
 ウィルバート・ソドーは娘のエミリーには「いつでも帰ってきていい」と伝える一方、ミッコには「もし独りで帰ってきたら殺す」と言った。

 ハンターはウィルバート・ソドーについていった。妹との別れを悲しみ、故郷の復興に協力するかどうかを葛藤しながらも、その目は未知への希望に燃えていた。フーとの戦いで敵の一騎を殺したこの勇敢な少年は、もっと世界を見るべきだとミッコは思った。ウィルバート・ソドーはハンターを息子として育てると言って受け入れ、連れて行った。

 ハンターの妹のメイジはデグチャレフ村に残った。かつて〈神々の児戯〉なる力を宿すがゆえに売り飛ばされそうになっていた彼女にはやはり不思議な力があった。ずっと兄に守られていた少女は、村を復興させ、今では村を守る要となっていた。

 地域社会コミュニティ・コサックの有力者の一人だった赤の親父アンナリーゼは、一派閥の有力者から〈嵐の旅団コサック〉をまとめる指導者へとなった。彼女の〈嵐の旅団コサック〉は〈帝国〉と〈教会〉に次ぐ新たな勢力として、大陸の秩序へと組み込まれていった。

 フーの仲間として最後の戦いに付き従った二十五騎、そのうちで生き残った者の多くはどこかへ消えた。今、ミッコのそばには三人が残っていた。一人は去勢してまでミッコを主と仰ぎ、一人は生活と復讐心に折り合いをつけながら従い、一人はずっと人生に迷っていた。
 「エミリーと息子に手を出したら殺す」とだけ伝えて、あとは好きにさせた。優秀な戦士であり猟師である彼らは狩猟仲間となった。

 ミッコとエミリーは子供と共に遊牧生活を始めた。
 定住する選択肢もあった。アンナリーゼからは正式に配下として勧誘されていたし、復興に協力する意味でデグチャレフ村を拠点としてもよかった。しかしミッコとエミリーは旅をする人生を選んだ。
 狩猟と馬の飼養を生業とした。しかし未だに軌道に乗っているとは言い難かった。
 ミッコはやはり戦うことしか知らなかった。貴族の娘として育てられたエミリーもまた生きる術は知らなかった。二人だけでも大変なのに、今は子供がいた。
 大陸の東の果ては生まれ育った地と比べればほとんど人がいなかった。しかし人はいた。人と会うたび、家族は生きる術を教わった。さもなくば家族はいつ死んでもおかしくなかった。
 ミッコは人生で初めて学ぶことを覚えた。子供を産んで以降、エミリーはミッコが及ばないほどに逞しくなっていた。同様に、息子もまた日々何かを学び大きくなっていった。だからミッコも二人に負けないように生きる術を学んだ。


*****


 息子は人をよく見ていた。母親似の深緑の目はあらゆるものを見ていた。
 
 ミッコは実の父親をほとんど知らなかった。父親は強き北風ノーサーと称されるほどの豪傑だったらしいが、末子だったミッコはついに戦場で共に駆けることはなかったし、たまに会っても殴られるか怒鳴られるか蹴り飛ばされるかの経験しかなかった。だから自分の父親と同じく、まともに育てられるかは怪しかった。ときには父親から教わったように暴力の衝動に駆られた。そのたびにエミリーに止められ、叱責され、父親にはなれないと自嘲した。
 教えてやれることは多くなかった。それでも息子は大きくなった。いつの間にか立ち上がり、歩き始めた息子は、もう自分のことは自分でやろうとしていた。まだ三歳にしかならないその体はまだ小さいが、しかしその姿は一人の男として成長していた。

  かつて二人は遥かなる地平線に理想を求め東を旅した。しかし東には何もなかった。何もなかったが、旅が終わることはなかった。

 どこに行っても世界は変わらない。家族も、仲間も、隣人も、遠くに行った者も、死んでいった者も、みんな同じ空の下で生きている。

 旅は続いている。新たな命と共に。二人は生きている。共に夢見た、微かな希望に向かって。

 同じ空の下で、まだ旅は続いている。
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