11 / 48
11
しおりを挟む
彼女はここまで一気に話し終わると、現在に戻ってきたようだった。
そして、バッグからハンカチを取り出すと目に軽く当てていた。
語っている内に涙があふれてきたようだ。
彼女は感情が豊かだ。
本当にまっすぐな心を持っているのだろう。
「そっか、そんなことがあったんだね。とても、今の君からは考えられないよ。いや、だからこそしっかりとしているんだね」
彼は感心して彼女を見つめた。
彼女は少し、はにかんだように笑った。
「そんなにたいしたことじゃないよ。それに、職場でも鉄の女みたいに思われているけど、私にもちゃんと傷つく時だってあるんだから。それであれ以来、嫌なことがあるといつも動物園に行くようにしているの。動物たちを見ていると、まあいいかって思えるんだ」
彼女はにっこりと微笑んだ。
彼の心臓は矢で打ち抜かれたような衝撃を受けた。
こんなにもきれいな笑顔の人がいるなんて僕は知らない。
その考えは今でも変わっていない。
「奇跡みたいだ」
彼は思わず口に出してしまっていた。
「奇跡か。そうかもね、本当に。そんなに簡単にハッピーエンドで終わるなんて普通ないもんね」
彼女は違う意味で解釈したようだ。
その頃を思い出して、ただ嬉しそうに笑っただけだ。
「でも、もうちょっと続きがあるのよ。
後で知ったことだけど、お母さんが帰ってきた時に、玄関に鍵がかかっていなくておかしいって思ったらしい。それで、家中を探し回っても私たちがいないことに気が付いて家の周りを探し回った。でも、見つからなくて頭の中が真っ白になったって。誘拐でもされたんじゃないかって思ったらしいよ。ふふ、今思うと笑えちゃうわね。それで、パニックになって警察に駆け込むと、園長さんが私たちが寝た後、警察に連絡していてくれたらしくて、そこでようやく引き渡されたらしいのよ。園長さんにしかられたって言ってた。
でも、それからは私たちの相手を良くしてくれた。夜中に飲み歩くこともなくなって、何も改めようとしない父親とも別れてしまった。その後に、狭いアパートに引っ越して貧乏にもなったけど、ようやく本物の家族になれた気がした。本当に幸せになれたんだ。神様って本当にいるんだって思った」
彼女は満ち足りたように、最高の笑顔で微笑んだ。
「うん、そうだね」
彼はぎこちなく答えた。
神様? あいつが?
間違いなく、そんなことはしないだろうと僕は思った。
でも、彼女の笑顔を見ていると、彼女がそう思うのならそれでもいいかと思えた。
「何だか私ばかりしゃべちゃったわね? 退屈じゃなかったらいいけど」
彼女は彼をちらりと見た。
少し不安そうな、申し訳無さそうな、何ともいえない微妙な表情だ。
「そんなことはないよ。君の話には考えさせられたよ」
彼はただ格好付けているかのように軽く笑った。
「もう、大袈裟だよ」
彼女は照れくさそうに笑った。
「でも、初めてよ。このことを話せた人は」
彼らはグラスに残っていたワインを飲み干すと、会計を済まそうとレジに行った。
彼が全額出そうとすると、彼女が半分出すと言った。
彼は断ったけど、彼女は自分の分も自分で払わない安っぽい女だと思われたくないと無理矢理押し切った。
彼もこんなことぐらいでメンツをつぶされたと思うような男でもないので、彼女の考えに任せた。
そして、地下鉄に乗って帰った。
名古屋駅に到着すると、別方向に乗り換える彼女を見送った。
彼は足元がおぼつかない程、気分が高揚していた。
まるで宙に少し浮いて歩いているようだ。
詮索好きな両親に何も聞かれたくないので、駅周辺を歩いた。
キャバクラだとか風俗関係の呼び込みが話しかけてくるが、耳から耳へとすり抜けていった。
彼は自分のこの状態に困惑しているかのように、胸の中がかき乱されていた。
自分に何が起こっているのか認めたくはないのだろう。
そう、この時には僕はもう彼女に惹かれ始めていた。
いや、間違いなく、恋に落ちてしまっていた。
自分がこんなことになること自体信じられないことだった。
僕は恋愛事なんて興味なんかないし、夢中になったりする奴なんてただのバカだと見下していた。
こんなものは脳内物質の作用で引き起こされる、ただの発情行為じゃないか。
ただの性欲を処理する相手がほしいだけなんだろ、奇麗事にしたいだけなんだろって。
そんなものは適当な相手を見つけて適当に処理するか、金を払えば済むだけのことだとしか思わなかった。
性欲を処理するだけの相手なんて簡単に見つかるし、後腐れなくて楽だからね。
僕には、人を愛することなんか無意味だし、時間の無駄だと思っていた。
だが、そんな僕の前に、不意に善意の化身のような彼女が現れてしまった。
もう惹かれていくのみだった。
しかし、この時の僕は、まだ認めることを恐れていた。
自分自身、見下していたものになることが、醜いと思っていた。
いや、違う。
本当は、これまでに作り上げてきた自分を壊すことが怖かった。
冷静さを失った情熱的な自分がどうなってしまうのか分からず不安だった。
と、僕は今になって思う。
個人差はあれど、人はある程度の年齢に達すると、自分自身が変わることに無意識の内に恐怖を感じるのではないだろうか?
不意に彼の足が止まり、僕の思案は途切れた。
視線の先には、ジローとナッツが腕を組んで歩いているのが見えた。
いや、正確にはよく見えはしなかった。
かなり遠くだったし、一瞬だったからだ。
二人は安っぽいけばけばしい建物へと消えていった。
次の瞬間には、すでに彼の足は地についていた。
そして、バッグからハンカチを取り出すと目に軽く当てていた。
語っている内に涙があふれてきたようだ。
彼女は感情が豊かだ。
本当にまっすぐな心を持っているのだろう。
「そっか、そんなことがあったんだね。とても、今の君からは考えられないよ。いや、だからこそしっかりとしているんだね」
彼は感心して彼女を見つめた。
彼女は少し、はにかんだように笑った。
「そんなにたいしたことじゃないよ。それに、職場でも鉄の女みたいに思われているけど、私にもちゃんと傷つく時だってあるんだから。それであれ以来、嫌なことがあるといつも動物園に行くようにしているの。動物たちを見ていると、まあいいかって思えるんだ」
彼女はにっこりと微笑んだ。
彼の心臓は矢で打ち抜かれたような衝撃を受けた。
こんなにもきれいな笑顔の人がいるなんて僕は知らない。
その考えは今でも変わっていない。
「奇跡みたいだ」
彼は思わず口に出してしまっていた。
「奇跡か。そうかもね、本当に。そんなに簡単にハッピーエンドで終わるなんて普通ないもんね」
彼女は違う意味で解釈したようだ。
その頃を思い出して、ただ嬉しそうに笑っただけだ。
「でも、もうちょっと続きがあるのよ。
後で知ったことだけど、お母さんが帰ってきた時に、玄関に鍵がかかっていなくておかしいって思ったらしい。それで、家中を探し回っても私たちがいないことに気が付いて家の周りを探し回った。でも、見つからなくて頭の中が真っ白になったって。誘拐でもされたんじゃないかって思ったらしいよ。ふふ、今思うと笑えちゃうわね。それで、パニックになって警察に駆け込むと、園長さんが私たちが寝た後、警察に連絡していてくれたらしくて、そこでようやく引き渡されたらしいのよ。園長さんにしかられたって言ってた。
でも、それからは私たちの相手を良くしてくれた。夜中に飲み歩くこともなくなって、何も改めようとしない父親とも別れてしまった。その後に、狭いアパートに引っ越して貧乏にもなったけど、ようやく本物の家族になれた気がした。本当に幸せになれたんだ。神様って本当にいるんだって思った」
彼女は満ち足りたように、最高の笑顔で微笑んだ。
「うん、そうだね」
彼はぎこちなく答えた。
神様? あいつが?
間違いなく、そんなことはしないだろうと僕は思った。
でも、彼女の笑顔を見ていると、彼女がそう思うのならそれでもいいかと思えた。
「何だか私ばかりしゃべちゃったわね? 退屈じゃなかったらいいけど」
彼女は彼をちらりと見た。
少し不安そうな、申し訳無さそうな、何ともいえない微妙な表情だ。
「そんなことはないよ。君の話には考えさせられたよ」
彼はただ格好付けているかのように軽く笑った。
「もう、大袈裟だよ」
彼女は照れくさそうに笑った。
「でも、初めてよ。このことを話せた人は」
彼らはグラスに残っていたワインを飲み干すと、会計を済まそうとレジに行った。
彼が全額出そうとすると、彼女が半分出すと言った。
彼は断ったけど、彼女は自分の分も自分で払わない安っぽい女だと思われたくないと無理矢理押し切った。
彼もこんなことぐらいでメンツをつぶされたと思うような男でもないので、彼女の考えに任せた。
そして、地下鉄に乗って帰った。
名古屋駅に到着すると、別方向に乗り換える彼女を見送った。
彼は足元がおぼつかない程、気分が高揚していた。
まるで宙に少し浮いて歩いているようだ。
詮索好きな両親に何も聞かれたくないので、駅周辺を歩いた。
キャバクラだとか風俗関係の呼び込みが話しかけてくるが、耳から耳へとすり抜けていった。
彼は自分のこの状態に困惑しているかのように、胸の中がかき乱されていた。
自分に何が起こっているのか認めたくはないのだろう。
そう、この時には僕はもう彼女に惹かれ始めていた。
いや、間違いなく、恋に落ちてしまっていた。
自分がこんなことになること自体信じられないことだった。
僕は恋愛事なんて興味なんかないし、夢中になったりする奴なんてただのバカだと見下していた。
こんなものは脳内物質の作用で引き起こされる、ただの発情行為じゃないか。
ただの性欲を処理する相手がほしいだけなんだろ、奇麗事にしたいだけなんだろって。
そんなものは適当な相手を見つけて適当に処理するか、金を払えば済むだけのことだとしか思わなかった。
性欲を処理するだけの相手なんて簡単に見つかるし、後腐れなくて楽だからね。
僕には、人を愛することなんか無意味だし、時間の無駄だと思っていた。
だが、そんな僕の前に、不意に善意の化身のような彼女が現れてしまった。
もう惹かれていくのみだった。
しかし、この時の僕は、まだ認めることを恐れていた。
自分自身、見下していたものになることが、醜いと思っていた。
いや、違う。
本当は、これまでに作り上げてきた自分を壊すことが怖かった。
冷静さを失った情熱的な自分がどうなってしまうのか分からず不安だった。
と、僕は今になって思う。
個人差はあれど、人はある程度の年齢に達すると、自分自身が変わることに無意識の内に恐怖を感じるのではないだろうか?
不意に彼の足が止まり、僕の思案は途切れた。
視線の先には、ジローとナッツが腕を組んで歩いているのが見えた。
いや、正確にはよく見えはしなかった。
かなり遠くだったし、一瞬だったからだ。
二人は安っぽいけばけばしい建物へと消えていった。
次の瞬間には、すでに彼の足は地についていた。
0
あなたにおすすめの小説
ヤクザに医官はおりません
ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
彼は私の知らない組織の人間でした
会社の飲み会の隣の席のグループが怪しい。
シャバだの、残弾なしだの、会話が物騒すぎる。刈り上げ、角刈り、丸刈り、眉毛シャキーン。
無駄にムキムキした体に、堅い言葉遣い。
反社会組織の集まりか!
ヤ◯ザに見初められたら逃げられない?
勘違いから始まる異文化交流のお話です。
※もちろんフィクションです。
小説家になろう、カクヨムに投稿しています。
後宮なりきり夫婦録
石田空
キャラ文芸
「月鈴、ちょっと嫁に来るか?」
「はあ……?」
雲仙国では、皇帝が三代続いて謎の昏睡状態に陥る事態が続いていた。
あまりにも不可解なために、新しい皇帝を立てる訳にもいかない国は、急遽皇帝の「影武者」として跡継ぎ騒動を防ぐために寺院に入れられていた皇子の空燕を呼び戻すことに決める。
空燕の国の声に応える条件は、同じく寺院で方士修行をしていた方士の月鈴を妃として後宮に入れること。
かくしてふたりは片や皇帝の影武者として、片や皇帝の偽りの愛妃として、後宮と言う名の魔窟に潜入捜査をすることとなった。
影武者夫婦は、後宮内で起こる事件の謎を解けるのか。そしてふたりの想いの行方はいったい。
サイトより転載になります。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
裏切りの代償
中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。
尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。
取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。
自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。
沢田くんはおしゃべり
ゆづ
青春
第13回ドリーム大賞奨励賞受賞✨ありがとうございました!!
【あらすじ】
空気を読む力が高まりすぎて、他人の心の声が聞こえるようになってしまった普通の女の子、佐藤景子。
友達から地味だのモブだの心の中で言いたい放題言われているのに言い返せない悔しさの日々の中、景子の唯一の癒しは隣の席の男子、沢田空の心の声だった。
【佐藤さん、マジ天使】(心の声)
無口でほとんどしゃべらない沢田くんの心の声が、まさかの愛と笑いを巻き起こす!
めちゃコミ女性向け漫画原作賞の優秀作品にノミネートされました✨
エブリスタでコメディートレンドランキング年間1位(ただし完結作品に限るッ!)
エブリスタ→https://estar.jp/novels/25774848
あやかし警察おとり捜査課
紫音みけ🐾新刊2月中旬発売!
キャラ文芸
※第7回キャラ文芸大賞にて奨励賞を受賞しました。応援してくださった皆様、ありがとうございました。
【あらすじ】
二十三歳にして童顔・低身長で小中学生に見間違われる青年・栗丘みつきは、出世の見込みのない落ちこぼれ警察官。
しかしその小さな身に秘められた身体能力と、この世ならざるもの(=あやかし)を認知する霊視能力を買われた彼は、あやかし退治を主とする部署・特例災害対策室に任命され、あやかしを誘き寄せるための囮捜査に挑む。
反りが合わない年下エリートの相棒と、狐面を被った怪しい上司と共に繰り広げる退魔ファンタジー。
あまりさんののっぴきならない事情
菱沼あゆ
キャラ文芸
強引に見合い結婚させられそうになって家出し、憧れのカフェでバイトを始めた、あまり。
充実した日々を送っていた彼女の前に、驚くような美形の客、犬塚海里《いぬづか かいり》が現れた。
「何故、こんなところに居る? 南条あまり」
「……嫌な人と結婚させられそうになって、家を出たからです」
「それ、俺だろ」
そーですね……。
カフェ店員となったお嬢様、あまりと常連客となった元見合い相手、海里の日常。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる