アマドーラ帝国の雫

空うさぎ

文字の大きさ
上 下
8 / 9

離宮のフェスティバル1

しおりを挟む
毎年、秋になると第三の都市ルシアでは、離宮を中心に一週間のフェスティバルが開催される。《ルシアフェスティバル》と呼ばれる祭りは街全体の至るところでダンスパーティや様々なレセプションが開かれるが、一番の憧れとも言うべきメインイベントは、離宮で開催される王室主宰の正式な舞踏会である。
 この舞踏会に参加するためには、19歳以上の成人でボンソレワーレという称号を得ることが条件とされていた。
 ボンソレワーレとは貴族の社交界デビューよりも更に条件が厳しく、要する費用も高額であったが、それ以上に応募者の家柄等は一切問われないことが最大の魅力として一般庶民の間では人気の称号であった。毎年多くの希望者が称号取得試験に臨むものの…倍率は年々上昇しており、狭き門でも有名な称号である。
 自然の木葉も色づき始めて、着飾った紳士淑女達が行き交うこの期間が最もルシアが活気づき、華やぐ時である。
 そしてルシアの若者達にとってはまたとない出逢いのシーズンでもあった。

 女学院においては、このフェスティバルに合わせてダンスレッスンや立ち振舞い、教養から礼儀作法、ドレスアップからメイクアップに至るまで紳士淑女力アップに関する多くの講座が一般に向けて開講されていた。
 ボンソレワーレの試験対策講座は5年先まで予約がとれない人気ぶりである。
 他の講座にしても、普段は貴族階級の子女にしか門戸を開かない学院のため、この時期は帝国全土から一流のレッスンを受けたいと切望する親子連れや、独身の若者達が押し寄せて大変な賑わいをみせるのだった。
 ラルム達学院生は、この間しばらく休校となる。


 ラルムは、フェスティバル休暇に入る前日の夕方に他の学生よりも先に寮を出た。
 アリスを迎えに来るであろう…アドリアンと今はまだ会いたくなかったからだ。
 自分でも臆病者と自覚しているけれど…それでもまだ、アリスと並んで微笑むアドリアンを直視出来る自信はなかった。

 そして…あの時の、パッサージュに来ていた。
 今日、雨は降っていない。

 何処かでブレイクタイムを…と思い立ち、パッサージュの中にある、たまに立ち寄るオープンカフェ【ルノー】に足を向ける。
 この前は雨が降っていたし、そんな気分にもならなかったが、今日は時間的にも余裕がある。いつも以上に何だかゆっくりしたい気分だった。
 ルノーはパッサージュの中庭にある噴水に面していて、この水の音がラルムはとても気に入っていた。

 この後、湖畔の家に戻るつもりはない。
 近くのホテルで一泊してから、ルルドの森のミラの家に行くつもりであった。
 出来る限り…アドリアンとの接触は避けたかった。

 中庭の一番奥のお気に入りのテーブル席を見ると…先客がいた。
 残念に思い仕方なく…他の席に視線を移そうとした瞬間、テーブル席の先客が顔を上げた。

 ―ウ、ソ…でしょ。
 ―本、物?
 何故、帝都アマドールの騎士が私のお気に入りの席に座っているの?
 しかも随分とくつろいでいる様子…。
 その場で固まる私に気づくと、彼は少し安心したようにため息をついた。そして、ゆっくりと優雅に手元のカップを啜った。
 彼の元へ行くべきか…行かざるべきか…私はパッサージュの高い天上を見上げて深呼吸。

 ―やっぱり帰ろう。
 何も考えず、無意識に体を動かした瞬間…。

「なぜ…アマドーラの雫を着けていない?」

 ―えっ!?

「その理由を聞きたい」

 300メートルはある距離を越えて、彼の声が私の頭に伝わる錯覚…まさかのテレパシー?
 少し強い口調に彼の苛立ちさえも感じ取れるリアル感。
 一見、クールそうに見えて…以外と感情がある人だったことにも驚いてしまう。
 ―私は何か彼を怒らせるような事をしたのだろうか…?
 ―どう考えても記憶にないのだけれど。

 アマドーラの雫のレプリカは、今の流行だし…特にこの時期は、年頃の女性達は皆、アマドーラの雫関連の装飾品を身につけていている。しかも、私のレプリカは比較的上等なストーンを使っていて、見た目では分からないはずなのに…。

 そのまま出口に向かうのを諦めて…気づくと私は彼の元へ足を向けていた。

「―久し振りだな…この前は自己紹介もせずに…すまなかった。私は帝都アマドールの騎士レオと言う。君の名は…何という?」

 うっすらと目を細めて、片方の形の良い眉を少し上げた彼の表情は、戸惑っている私の反応を楽しんでいるかのように見えた。

 ―帝都アマドールの騎士は、とても洗練されていて格段に素敵なのに、性格は…読めないものだ。

 重そうな椅子を簡単に引き、さりげなく私に座るように促すそつが無い所作。
 そこに存在しているだけで圧倒される絶対的なオーラはあの時と何ら変わりなく、同じように王者の風格を漂わせていた。
 ―私、いったい何を考えているのだろう!?
 思わず…顔が熱くなる。

「―君がいったい何を考えて、そのように表情をクルクルと変えるのか…今の私には全く分からない。…全て言葉にして表現してくれると…大変助かるんだが…」

 何故か…ぎこちなく?クールに見える彼が少し戸惑っている様子に、より親近感が増す。

「―私の名前はラルムです」


「―ラルムか…雫にふさわしい良い名だな」

「それよりも…私に何かご用でしょうか?それに、このレプリカのネックレスが偽物だと、なぜわかったのですか?」
 飾らない言葉がそのまま口から出てしまう。

 彼は表情を変える事なく口を開いた。

「―分かるに決まっている。なぜ…自分の誕生石(ストーン)を手離したのだ?あれがあれば、私はいつも…君を、守る事が出来るというのに」

 彼の言葉の意味が理解出来ない…。
 ―いつも守る事が出来るって…彼はそう言ったの?

「でも私達、何も関係がありません…」

 そして核心となる問いかけを…。

「まさか…私の運命の相手とか…知りませんよね?」

 彼は特に驚いた様子もなく…手にしていたカップを静かにソーサーの上に置くと、ゆっくりと視線を上げて優しい眼差しを私に向けた。

「―私以外に、他に誰がいるというのだ…。アマドーラの雫は私が生まれた時からの運命の相手であるというのに…」

 余裕のある表情で全く動じる様子もなく、彼は私を見つめたまま、むしろ当たり前の事を話すように、そう言った。

 ―優しい眼差しを向けられても…ここで、直ぐに「そうですか…」と納得するわけにはいかない…彼のオーラに呑まれてしまわないようにしなければ。
 私は自分の運命を封印しようと決めたのだから。

「でも私…貴方の事を何も知りません。…急にそう言われても信じらないことばかりで、戸惑ってしまいます…」
 ―私の正直な気持ちだった。

「―アマドーラの雫について、その伝説を君は知っているか?」


 ―今、何と?
 アマドーラの雫伝説はミラから以前に聞いていた。
 火を司る時の皇帝が…でもそれは100年も前の物語で、私のアマドーラの雫と感応する男性は、現代では何者か…今はまだ分からないという。ただ、火を司る者である事は確かだと…。
 ―彼は…何を知っている?



「そのように、驚かなくてもいい。確かに…最初は信じられないかもしれないな…」
 そう言うと、彼は目の前にあったガラスカップの中にあるキャンドルに鋭い視線を向けた。

 1.2秒…で、パッと周りが明るくなった。
 目の前のキャンドルに火がついたのだ。
 それは本当に一瞬の出来事だった。
 彼は一切、何もしていない。瞬きすらしていないのに、火が灯った不思議。

 ―火を司る者…。

 私はさっきから、夢でも見ているのだろうか。

 そして周りを見回すと、他のテーブルの上に置かれている全てのキャンドルに火が灯っていた。

 ―更に…私は、気がついたことがある。

 いつの間にか…私達以外のお客さんが全く周囲に、いや店内にいないのだ。
 夕刻は一番お店が混雑する時間なのに!
 いったい何が起こっているのか…私には検討もつかない。
 ―やっぱり彼はマジシャンでなないの!?
 それとも…本当に火を司る者?

「―周りの者の思いは意識すれば、何ら変わりなく感じとれるのだが…ラルム、君の思いだけはさっきから全く感じ取ることが出来ない…。何故だろうな…以前は問題がなかったから…やはり、アマドーラの雫か…」

 私は彼が語っている内容があまりにも現実とかけ離れていたせいか…言葉の理解がすぐに追いつかなかった。
 …それが彼にとって、どんなに重要な意味を持つかなど…全く知るよしもないことである。
 ただ彼はそう言うと、面白そうに私を見つめた。

 当然…男性に対する免疫力をほとんど持たない私の全身は恥ずかしさと不思議なざわめき感を覚えて紅く染まった。
 ―何故、私が照れる必要があるの?
 動揺していることを彼に覚られまいと、咄嗟に言葉が出た。
「こ、これは…マジックですか?それとも…超能力(パワー)?」

 待っていたと言わんばかりの彼の表情。

「さあ…どちらかな。これから…私と一緒に、離宮での前夜祭に出席してくれると言うのなら、その答を教えてもいい」

 ―離宮での前夜祭?
 確か…一般のボンソレワーレの称号だけでは到底参加は叶わない王家縁の晩餐会。そんな大変な場所に、帝都の騎士が参加出来るなんて!?
 ―いったい彼は何者なの!?



「それに…この店にこれ以上、迷惑をかけるわけにもいかないからな…そろそろシールドを解いてやらねば」

 ―シールド!?

 彼は満足そうに微笑むと、私の動揺を気にする様子もなく、優雅に席から立ち上がると私の膝元に屈んで片手を差し出した。
 初めて受ける…正統派のレディに対して【礼】をとる姿勢に、私は身体を固くした。

「レディ・ラルム…どうぞ私とルシアの離宮へ」

 いたずらっぽく微笑む彼に…なぜか救われた気がした。加えて、彼の核心ある自信に満ちた眼差しが私を捕らえて離さない。


 小さく頷いてから…私は彼の手に自らの手を重ねていた。



 ―アマドーラの雫を持つ者としての運命を封印すると誓ったのに…私は、差し出された彼の手を拒むどころか、自然と手を重ねた。
 それはまるで、とうの昔から決まっていたシナリオの一場面を思い出すかように、ごく自然で懐かしささえ感じるやりとりだった。



 後日、第三の都市ルシアにあるパッサージュのカフェ【ルノー】が王室御用達雑誌の表紙を飾り、一躍有名店となったことをラルムが知るのは…随分と先の事である。            
しおりを挟む

処理中です...