圏ガク!!

はなッぱち

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圏ガクの夏休み

二年生

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 熱帯夜から解放された部屋の中、つけっぱなしのテレビ画面をぼんやり眺めながら、薄い毛布にくるまって微睡む。ちょっと前まで流れていた、一昔前に流行った海外ドラマの続きが気になりつつも、容赦なく冷たい風を吹き出し続けるエアコンの設定温度の方が切実な問題で、昨日までは汗だくになりながら寝苦しい夜を過ごしていたのに、今は毛布にくるまっていても寒さが身にしみる、ある意味贅沢な現状を持て余していた。

 目の前には、ソファーや床に敷いた自前の布団で爆睡する二年の先輩共。

 ソファーで何度となく落ちたり這い上がったりしているのは、山本先輩、山センだ。一応、最初に思った通り、この人が番長代理ならしいが、どうも番長のイメージからは程遠い。チャラい見た目のせいだけじゃなく、他の三人からの扱いが雑と言うか、先輩という威厳がまるでないのだ。オレだけじゃなく、他の三人にとっても先輩だと言うのに。

 何を隠そう、この山セン、圏ガクで唯一の留年生ならしいのだ。ダブりな訳で威厳もへったくれもないのは、当然かもしれないが、それでも二年の残留をこの人がまとめていたりするのは、圏ガクの体質が基本的に縦社会と言うか体育会系のノリだからかもしれない。今、オレがこの部屋で厄介になっているのも、山センが「めんどくさいからお前もここで寝起きすればいいじゃん」と無責任に言い放ったせいだったりする。

 山センの寝落ちしているソファーと揃いの、一人掛け用のソファーで座りながら寝ているのは、矢野と言うらしい、明らかにオレを敵視している奴だ。一学期に何度か絡まれ、少なくともこちらは殴られた蹴られた恨みがある相手で、他の三人とは違って、圏ガク本来の関係性を継続中。目が合うと絡んで来やがるので、この夏、気疲れする一番の原因になりそうだった。

 床に布団を敷いて横になっている二人は、稲継先輩と小吉先輩だ。二人共、寝相がいい方ではないらしく、稲継先輩は寝返りを打つ度に山センの寝ているソファーを物凄い強さで蹴っている。その振動で山センがソファーから落ちているのだが、両者とも気にせず爆睡中だ。香月たちから助けてくれた事の礼は言えたのだが、前に話した時と印象が違っていた。と言うか、単純に煙たがられているように感じた。まあ、歓迎されないのは当たり前なんだけどな。

「どこにでも例外はいる……けどな」

 稲継先輩の隣と言うには離れすぎている場所に敷かれた、もう一組の布団の上で、腹を出しながら皆元並の鼾を掻いて気持ちよさそうに寝ている姿を見ると、なんとなく笑ってしまった。ラーメンやトマトに夢中な、文字通り無邪気な男は小吉徹平だと自分の名前を教えてくれた。

「コヨシって読むんだけど、みんなショウキチって呼んでるよ」

 一年のオレにも好きに呼んでいいと言ってくれたので、遠慮無くショウキチ先輩と呼ばせて貰おうと思っている。変な言い方だが、すごく『小吉』って感じがするのだ。大吉でも凶でもなく。

 小吉先輩が言うには、今のオレは二年の残留にとって保護対象ならしい。オレに全く身に覚えのないこの話。何か深い理由でもあるのかと身構えたが、そうではなく単に頼まれたからだそうだ。

 しかし、その相手が何故か髭、じゃなくて山センを代理に立てた(もしかしたら山センが勝手に名乗ってるだけかもしれないが)番長である真山先輩ならしく、髭がどうしてそんな事をするのか分からず、ホモ疑惑が持ち上がっていたのだとか。

 確かに初めて顔を合わせた時は、先輩とのちゅーを披露してしまったせいか、異常なくらい意識されまくっていたので、まさかと思いつつも戦々恐々と山セン以下二人のやりとりを聞いていた。

 けれど、そんな不安は一緒に聞いていた小吉先輩が解消してくれた。

「金城先輩がお前を心配して、夏休みのことを番長に相談しただけだと思うけどなー」

 椅子をグラグラさせながら、真剣な顔をして呟いた言葉に、オレが小さく反応すると、小吉先輩はバランスを崩して後ろへ椅子ごと倒れた。いつかやるんじゃないかと実は思っていたのだが、復活は早く、椅子を起こすと決まり悪そうに口を尖らせドスンと座り直し、補足とばかりに先輩と髭の仲を語ってくれた。

「遅い時間に一緒にメシ食ってるのよく見るぞ。おかずの交換とか、楽しそうにしてた」

 番長と裏番が仲良くおかずの交換すんな。ちくしょう、なんかすんげぇ羨ましい。

「今回、一年の残留って生徒会一色だろ? 番長だけでなく、居残りの先生からもさ、ちょっと気にしてやってくれーみたいなこと言われてるんだ」

 担任の顔が思い浮かんで、どんな顔していいのか分からなくなってしまった。

「奉仕活動の時に、おれもちょっと声かけようかなって思ってたんだけど、まさか初日からあんな目に遭ってるとは……ほんと災難だったな」

 その時に見せた申し訳なさそうな小吉先輩の顔を思い出して、腕に残ったベルトの痕を摩る。あまり気にしないでおこうと思ったが、腕だけでなく体のあちこちにある痛みに軽く舌打ちした。脳裏に香月の腹の立つ顔が浮かび、怒りで眠気が吹き飛ぶ。先輩の部屋に今すぐ戻って、あいつらに無茶苦茶にされた部屋の中をきれいに片付けたかった。

「あいつら、絶対に許さねえ」

 踏み付けられた先輩の厚意を思うと、目に見えない所が鋭く痛んだ。体の中を巡る怒りを押さえるように、薄い毛布を思い切り体に巻き付ける。カッとなった感情に任せて冷蔵庫を飛び出さずに済んだのは、

『ここの掃除は、また今度にしよう。おれも手伝うから』

小吉先輩が言った言葉を思い出したからだった。








「おい、おいおいおいおいおい、おーい。夷川、起きろー」

 ゆさゆさと肩を揺さぶられ、オレは目を開けた。体が痛い。ただでさえ、打ち身とかで体中が痛いのに、床で寝たせいで更に酷い有様だ。呻きながら顔を上げると、冷蔵庫と化した部屋の寒さから逃れようとしたのか、オレの上半身は廊下に這い出していた。

「お前、寝相悪いな」

 知らぬ間に部屋と廊下を跨いで寝ていた訳で、その評価は不本意ながら反論出来なかった。軋む体に鞭打ち起き上がると、オレを覗き込んでいたのだろう、廊下にしゃがんだ小吉先輩と目が合った。

「んー……おはよう?」

 薄暗い廊下で疑問に思いつつも挨拶すると、小声で元気よく挙手しながら「おはよう!」と、眠気の勝る今はどこかにしまっておきたいくらいのテンションを目の当たりにする。テンションを維持しながら、続けて何か言おうとしていたので、つい手のひらで口を強引に塞いでみた。

「……今、何時?」

 廊下から見える窓の外は薄暗い。時計を探して半分ほどしか開かない目で辺りを探ろうとすると、モゴモゴしながら小吉先輩が何か言おうとしていたので、手を離すと衝撃的な事実を伝えられてしまう。

「もう四時前だ!」

 要するに夜中の三時何分かじゃないか。オレは毛布を頭から被り、部屋と廊下の間で丸くなり、寝直すことにした。

「ほれ、朝飯のあんパンと牛乳だ!」

 小声でも元気のいい声に、オレの思考は瞬時に覚醒した。毛布を払いのけると、目の前にあんパンとパック牛乳が並んでいて、ちょっと感激してしまった。食べていいのか分からず、小吉先輩の顔を窺うと「早く食え」と促してくれたので、遠慮無く手を伸ばす。

「早めに朝飯食わないと道中で吐いちまう。かと言って、何も食わずに動くのは辛いからな。夏休みは早めの朝飯必須なんだぞ」

 オレがあんパンにかぶり付いている間に、小吉先輩は今日から始まる家畜生活について思い出させてくれた。確かプリントには、五時に下山完了とか書いてあったな。それでこの時間なのか。

「あの、すいません。わざわざ起こしてくれて……あと朝飯も」

 恐らく下山して奉仕活動を強要されるのは一年のみなはずだ。二年である小吉先輩は関係ないのに、寝過ごすだろう後輩を見越して早めに起きてくれたようなので、礼を言うと快活に笑いながらオレの肩をパンと叩いた。

「気にすんな! それより飯が終わったら身支度だ。顔洗ってシャキッとして来いよ」

 のろのろと立ち上がったオレを見送ってくれる小吉先輩の視線を感じながら、先輩の部屋へと足を向ける。冷蔵庫で体が冷え切っているせいか、生ぬるい廊下の空気が妙に心地よかった。

 オレは目的の部屋を通り過ぎ、すぐ隣の階段に人が潜んでいないか確認しがてら手洗い場に寄る。薄暗い校舎内は、窓の外から気の早い虫の声が聞こえるだけで、人の気配は背後を除いて皆無だった。知らぬ間に緊張して強ばっていた体から、無駄な力が抜けて、寝起きの気怠さにまかせてダラダラと歩く。

 顔を洗ってシャキッとしようと思い、蛇口に手を伸ばすと、バッタバッタと騒々しい足音がオレを追いかけて来た。何か用だろうかと首を傾げつつ、水で顔を洗っていると、

「お前、また拭く物忘れてるぞ! ほら、これ使えよ」

小吉先輩がボールを追いかける犬みたいな勢いで駆けつけ、ポケットから例の手ぬぐいを差し出されてしまった。

 朝からあの土臭い手ぬぐいで顔を拭かなければならないのか……一瞬で自分の迂闊さを呪い、その場で地団駄を踏む所だったが自重した。

「あ、ありがとーございます」

 棒読みで感謝を伝え、差し出された物を受け取ると、それはあの汚い手ぬぐいではなく、洗濯されアイロンまでかけられた、皺一つない清潔な手ぬぐいだった。

「昨日のじゃ、ない」

 思った事をつい呟いてしまうと、小吉先輩はおかしそうに笑いながら、またオレの肩をパンと勢いよく叩いた。

「当たり前だろ! 同じ手ぬぐい何日も使えるわけないだろ!」

 なんか普通に使いそうだったから、失礼ながら意外だった。顔に出てしまったのか、ちょっとムッとして小吉先輩は口を尖らせる。オレは手ぬぐいで顔を軽く拭いて、今度はちゃんとお礼を言いながら差し出すと、小吉先輩の機嫌はすぐによくなった。

 小吉先輩に「それ、貸してやるよ」と言われたのだが、先輩の分は大丈夫なのかと聞くと、もう片方のポケットから昨日の汚い手ぬぐいを出して来て「おれはコレ使うから」と素で答えやがったので、丁重にお断りした。
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