『甲斐の信玄』

篠崎俊樹

文字の大きさ
1 / 1

『甲斐の信玄』

しおりを挟む
 大永元年十一月三日、その男は産まれた。そう、武田信玄。甲斐国守護、武田信虎の嫡男で、母は大井夫人であった。信玄の生誕地は、甲斐の躑躅ケ崎館に付属した城として知られる要害山城だ。
 甲斐内外は当時、治安が安定しておらず、国衆が内乱を起こし、国内統一は一向に進まなかった。信虎はその折、甲斐統一に成功し、城下町を作って、国を発展させようとした。
 だが、信玄には幼少期から、波乱が多かった。大永三年、武田家の嫡男となるが、二年後、弟の武田信繁が生まれ、兄弟間に徐々に対立が生まれていった。信虎は、信繁をかわいがるようになり、徐々に信玄も、父を疎むようになった。今でいうところの、親子対立というやつだ。不和が生じ、信玄は、父に対する処置を画策し始める。
 天文五年、信玄は元服し、室町幕府十二代将軍足利義晴より、晴の字を偏諱として賜り、晴信と名乗る。そして、隣国信濃への侵攻を始めた。火の如く攻めかかる。それが、信玄の軍略だ。嵐の如く蹂躙し、領地を奪い取る。それが武田軍団のやり方だった。
 そして、信玄にとって、人生最大の転機が訪れる。天文十年、父信虎を、駿河の今川館に追放した。「もはや、父上には、甲斐にいていただかなくてもよろしい」と思ったに違いない。事実、信虎は、領民のことを考えない、暴虐な領主で、甲斐の民は皆、反感を持っていたのだった。信玄が新領主になってから、甲斐の民は皆、飛ぶように喜んだという。信虎は今でいうところの、ニートか、毒親の類で、信玄にとって、邪魔な存在で、諸悪の根源だったに違いない。
 信虎追放で、甲斐の国主に収まった信玄は、次なるターゲットを信濃に向ける。隣国信濃は、大国で、様々な豪族が割拠していたが、信玄は、出兵ごとに、各個撃破して、滅ぼすか、服従させ、天文二十二年頃には、ほぼ全土を平定するに至った。これはひとえに、信玄が、信濃という地に固執した結果なのだ。
 そして、信玄にとって、最大にして、最高のライバルが、越後の龍と謳われた、上杉謙信であった。川中島をめぐって、実に五度も戦った。また、甲斐、駿河、相模三国の同盟を結ぶ。この同盟はほどなく、破棄されるが、隣国とのよしみを大事にした信玄は、今川氏や後北条氏と縁戚関係を結び、安定を図った。
 永禄二年二月、出家する。ちょうど、川中島の戦いの真っ最中であった。号を信玄と称し、更に、飛騨や越中へも侵攻を開始した。また、駿河へも侵攻し、併呑を図るに至った。
 やがて、信玄晩年、最後のライバルが現れる。織田信長。信長は当時、畿内を抑え、天下取りに一番近い、有力な戦国大名であった。信玄は、信長を仇敵として、西上を開始し、一気に室町幕府の権威を頼って、京を抑えるために、上洛を企てた。私が考えるに、信玄も、謙信と大差なく、古い権力や、時代錯誤的な視点で天下を見ていて、もはや、何の力もない室町幕府を頼るなど、愚の骨頂だとしか言いようがない。だが、信玄にとって、あくまで、武士の棟梁は、自身と同じ、源氏の血を引く室町幕府であり、足利将軍家なのだった。信長など、単なる尾張の成り上がり者だとしか考えてなかった。
 信玄は西上中、三方ヶ原で、徳川家康の軍を散々打ち破る。家康は命からがら、浜松城に逃げ帰り、信玄は念願通り、京の瀬田に、武田の旗を立てる目前まで迫っていた。
 だが、そこで、この男の命運も尽きた。三方ヶ原の勝利直後から、喀血し始め、武田勢は、信玄の体調不良を隠すために、隠密で甲斐へと撤兵し、信玄も、帰還中、三河にて死去した。享年五十三歳。天下に号令をかける目前で、死んだ男は、あまりに無念であった。そして、一方で信玄の死によって、信長は窮地を救われ、一気に天下統一事業を推し進めることになる。
 信玄の葬儀は、甲斐において、恵林寺の快川紹喜住職によって執り行われた。その後、跡を継いだ勝頼が暗愚で、ほどなく、織田・徳川連合軍によって、甲斐に攻め込まれ、天目山の戦いにおいて、惨敗し、一族は悉く自刃。ここに、名門甲斐源氏を誇る武田氏は滅亡したのであった。
 最後に付言しておくと、信玄は戦いに明け暮れたが、治水事業として信玄堤を作り、釜無川の氾濫を抑え、また、信玄家法と呼ばれる分国法を作って、領内の治安を安定させた。だが、もう一点、付言するとすれば、信玄も、戦国武将にありがちな、いわゆる、統合失調症の病をきたしていたらしく、気の難しい存在であったらしい。戦国三英傑と呼ばれた、信長、秀吉、家康と全く同じ気質だ。これにて、稿を結び、この短編小説を了とさせていただく。
                                  (了)
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

天正の黒船

KEYちゃん
歴史・時代
幕末、日本人は欧米諸国が日本に来た時の黒船に腰を抜かした。しかしその300年前に日本人は黒船を作っていた。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

【架空戦記】狂気の空母「浅間丸」逆境戦記

糸冬
歴史・時代
開戦劈頭の真珠湾攻撃にて、日本海軍は第三次攻撃によって港湾施設と燃料タンクを破壊し、さらには米空母「エンタープライズ」を撃沈する上々の滑り出しを見せた。 それから半年が経った昭和十七年(一九四二年)六月。三菱長崎造船所第三ドックに、一隻のフネが傷ついた船体を横たえていた。 かつて、「太平洋の女王」と称された、海軍輸送船「浅間丸」である。 ドーリットル空襲によってディーゼル機関を損傷した「浅間丸」は、史実においては船体が旧式化したため凍結された計画を復活させ、特設航空母艦として蘇ろうとしていたのだった。 ※過去作「炎立つ真珠湾」と世界観を共有した内容となります。

空母伊吹大戦録

ypaaaaaaa
歴史・時代
1940年に行われた図上演習において、対米戦の際にはどれだけ少なく見積もっても”8隻”の空母を喪失することが判明した。これを受けて、海軍は計画していた④計画を凍結し、急遽マル急計画を策定。2年以内に大小合わせて8隻の空母を揃えることが目標とされた本計画によって、軽空母である伊吹が建造された。この物語はそんな伊吹の生涯の物語である。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

織田信長IF… 天下統一再び!!

華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。 この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。 主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。 ※この物語はフィクションです。

【時代小説】 黄昏夫婦

蔵屋
歴史・時代
 江戸時代、東北地方の秋田藩は貧かった。  そんな中、真面目なひとりの武士がいた。同僚からは馬鹿にされていたが真面目な男であった。俸禄は低く貧しい。娘二人と実母との4人暮らし。  秋田藩での仕事は勘定方である。  仕事が終わると真っ直ぐ帰宅する。 ただひたすら日中は城中では勘定方の仕事をまじめにして、帰宅すれば論語を読んで知識を習得する。   そんな毎日であった。彼の名前は立花清左衛門。年齢は35歳。  娘は二人いて、一人はとめ15歳。もう一人は梅、8歳。  さて|黄昏《たそがれ》は、一日のうち日没直後、雲のない西の空に夕焼けの名残りの「赤さ」が残る時間帯のことを言う。「|黄昏時《たそがれどき)」。 「黄昏れる《たそがれる》」という動詞形もある。    「たそがれ」は、江戸時代になるまでは「たそかれ」といい、「たそかれどき」の略でよく知られていた。夕暮れの人の顔の識別がつかない暗さになると誰かれとなく、「そこにいるのは誰ですか」「誰そ彼(誰ですかあなたは)」とたずねる頃合いという意味で日常会話でよく使われた。  今回の私の小説のテーマはこの黄昏である。  この風習は広く日本で行われている。  「おはようさんです」「これからですか」「お晩でございます。いまお帰りですか」と尋ねられれば相手も答えざるを得ず、互いに誰であるかチェックすることでヨソ者を排除する意図があったとされている。  「たそかれ」という言葉は『万葉集』に 誰そ彼と われをな問ひそ 九月の 露に濡れつつ 君待つわれそ」 — 『万葉集』第10巻2240番 と登場するが、これは文字通り「誰ですかあなたは」という意味である。  「平安時代には『うつほ物語』に「たそかれどき」の用例が現れ、さらに『源氏物語』に 「寄りてこそ それかとも見め たそかれに ほのぼの見つる 夕顔の花」 — 『源氏物語』「夕顔」光源氏 と、現在のように「たそかれ」で時間帯を表す用例が現れる。  なおこの歌は、帖と登場人物の名「夕顔」の由来になった夕顔の歌への返歌である。  またこの言葉の比喩として、「最盛期は過ぎたが、多少は余力があり、滅亡するにはまだ早い状態」をという語句の用い方をする。 漢語「|黄昏《コウコン》」は日没後のまだ完全に暗くなっていない時刻を指す。「初昏」とも呼んでいた。十二時辰では「戌時」(午後7時から9時)に相当する。  「たそがれ」の動詞化の用法。日暮れの薄暗くなり始めるころを指して「空が黄昏れる」や、人生の盛りを過ぎ衰えるさまを表現して「黄昏た人」などのように使用されることがある。  この物語はフィクションです。登場人物、団体等実際に同じであっても一切関係ありません。  それでは、小説「黄昏夫婦」をお楽しみ下さい。  読者の皆様の何かにお役に立てれば幸いです。  作家 蔵屋日唱    

処理中です...