『真田幸村』

篠崎俊樹

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『真田幸村』

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 源二郎幸村、いわゆる、真田信繁、通称幸村は、関ケ原の戦いの折、中山道を通る徳川秀忠軍を、信州上田城で足止めにすることに成功したが、合戦で西軍の負けが決まると、徳川家康より、信濃の領地を没収され、紀伊の九度山に流された。そこで、父昌幸と暮らしたが、昌幸が慶長十六年に没したので、九度山脱出を企て、大坂城に入城した。
 永禄十年または、元亀元年二月二日生まれの、二つの生誕説がある。死去したのは、かの有名な大坂夏の陣の際で、慶長二十年五月七日。通称は源二郎で、左衛門佐。好白斎という道号も持っている。墓所は、日本各地にあって、数えるにいとまがない。主君も、生涯で五度変えた。まさに、戦国の世の強者だ。大谷吉継の娘を正室として娶った。
 幸村は、大坂夏の陣の際に、徳川方の本陣まで攻め込んだ功がある。日本一の兵と謳われた。また、真田十勇士も広く知られる。名前の幸村の由来というのは、よく分からないが、諸説あり、一番正しいのが、自身が、大坂城入城前に、籤で決めて、名乗ったというのが、一番知られており、また、講談などにも出ている話だ。
 真田氏は国衆のため、甲斐や信濃において、自立に苦戦した。父昌幸は、老獪な戦人で、真田家を一手に束ねた。また、隣国甲斐の武田氏が滅亡したため、織田信長に服属して、信濃の一部や、上野の一部を安堵され、滝川一益の人質となる。また、上杉氏に服属したこともあった。
 そして、その後、徳川家康とも一度戦って、勝利し、豊臣秀吉に仕えるようになった。秀吉より、豊家の姓を下賜されて、著名な武将であった。ただ、私がここまで、取材を加味しながら書いてきて、思ったのが、絶対的な史料が少ないということだ。書きづらい。非常に、だ。これが、戦国の世で、複数回主君を変え、巧みに生き抜き、最後は、豊家のために尽くした、武将の生涯だったのだろう。ちなみに、大事な史実を付記して、この短編小説を結ぶとすると、幸村は、関ケ原の合戦時に、兄信之と袂を分かち、戦った。それが、戦後、真田家が生き残る道となった。どっちが勝っても、家が残るのだ。その後のことは、前述した通り、戦後、紀伊九度山に流されたのだった。
 大坂の役では、真田丸を構築し、鉄砲隊三千人で、井伊勢、藤堂勢、松平忠直勢を撃退した。世に言う、真田丸の攻防であって、あまりにも有名な戦闘だ。最期は、大坂城郊外で自刃して果てたが、立派な武将だった。そう断言できる。また、私がここまで書いて、感じた雑感だが、どうやら、幸村も、戦国武将にありがちな、統合失調症、分裂質だったようだ。英雄には概して、そういった人が多い。ここまで記して、この短編小説の稿を結ぶ。
   
                              (了)
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