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第29話。
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会議終了後、但馬が宿泊先のセントアルバ国際ホテルまで、タクシーを飛ばす。午後七時を過ぎていた。薄暗い街には、ネオンサインが灯り始めている。
中心部の繁華街は、さっきから、クラブのホストや風俗系の営業マンらによって占拠されていた。辺り一帯に、猥雑な空気が漂い出す。
ざわつく街を横目に見ながら、ホテルへと辿り着いた但馬は、部屋に入ってすぐに、シャワールームに入った。
シャンプーとコンディショナーで、髪を洗い始める。すぐに、汚れは落ちた。全身もボディーソープで洗う。ふっと、天井を見上げると、換気扇が回っていた。それを見ながら、熱いシャワーを浴び続ける。途中で一度、真水に切り替えた。この季節でも、南半球は暑い。
*
風呂場を出た但馬は、青いバスタオルで髪を丹念に拭きながら、冷蔵庫を覗き込み、中から現地産の缶ビールを一本取り出した。プルトップを捻り開け、勢いよく一息に呷る。
いくら飲んでも、一向に酔いは回らない。重大な捜査案件を負い込んでるから、当然と言えば当然か?
ナイトガウンを脱ぎ捨てた但馬が、スーツに着替える。これから気分転換に街へと繰り出して、存分に酒を飲むつもりでいた。
*
十五分後、外出支度を済ませて、階下へと降り立った但馬は、ホテル前の広場でタクシーを一台拾った。大柄で、人のよさそうなドライバーが乗っている。
「繁華街に出てくれないか?酒飲みたいんだ」
但馬がそう言った。
運転手は、日本語がかなり分かるらしく、
「あんた、年に似合わないね」
と、今度は流暢な日本語で返してきた。その後、
「酒飲むなら、七番街だろうな。一番近いところはね」
と言葉を重ねる。
「その七番街に、車やって」
「ここからだったら二十分ぐらい掛かるけど、いい?」
「ああ。よろしく」
運転手はそれを聞いてギアを入れ直し、タクシーが走り出した。
*
午後八時半を回り、日はすっかり落ちてしまっている。島内一のメインストリートが混雑し出した。夜のラッシュに巻き込まれた但馬のタクシーが、車列の渦に呑まれている。
「お客さん、すみませんね」
運転手のロバート・マエダが頭を掻き掻き、時折、頬を紅潮させながら、答えた。
前方の運転手証に、生年月日と出身地、血液型が記してある。一九九四年三月二十五日生まれで、石川県出身、血液型はB型とあった。働き盛りだ。男の横顔を、羨ましげに見ていると、但馬のスマホが、突如鳴り始めた。マナーモードに設定してあったが、バイブレーターの振動音で着信が分かった。
「はい。但馬」
――あ、お疲れ様です。
代々木南署の片桐華だ。
「どうした、片桐?」
――但馬さん、あたし、実は署長に、セントアルバ島行きを命令されたんですよ。
「俺と仕事するのが、不服なのか?」
――不服だなんて、とんでもない!あたし、警察官ですよ。言われれば、絶対服従ですから。
「いつ来るの?」
――明日、午前十時四十六分成田発の便で日本を発ちます。到着予定が……そちらの現地時間で、午後三時十六分です。
「そうか。じゃあ着いたら、また俺のスマホに連絡入れろ。じゃあな」
但馬はそう言って、電話を切った後、マエダに言った。
「おい、渋滞何とかならない?」
「いや、無理ですよ。さすがに渋滞だけは」
「早く行かないと、夜が終わっちまうよ」
「お急ぎですか?」
「ああ」
「七番街外れのエリオットってクラブが一番近いんですよね、ここからだと」
「歩いてどのくらい?」
「そうですね……十五分ぐらいかな」
「十五分。そう。……じゃあ歩くよ」
「すみませんね。お力になれずに」
「いいよ、いいよ。これ、取っといて」
そう言った但馬が、何でもない風に財布から五千円札を一枚取り出して、マエダの左手に掴ませる。料金メーターは、日本円換算で、千円もいってない。
五千円札を掴まされ、一瞬驚いたマエダが、
「お客さん、これは受け取れませんよ」
と困惑気味に言った。
すると、但馬が畳み掛けるように、
「いいよ。チップ」
と言う。
「でもね……」
戸惑うマエダに、
「いいから」
と、但馬が言って、マエダも少しだけ躊躇った後、
「では」
と返して、金を受け取った。そして、後部ドアを空け、
「サンキュー」
と一声掛けた。
但馬は何の反応も返さずに、前だけ向いて歩いていく。
分かりやすい立て看板のせいか、エリオットはすぐに見つかった。
その夜、但馬は店で、たくさん酒を飲んで、ホステスの女の子たちと歓談した。
金しかばら撒かない、バサラ気分の日本人に、ホステスたちが作り物の愛想で返す。いつの間にか、夜も更けていた。
ベロンベロンになるまで飲んだ但馬は、帰りのタクシーを呼んでもらったところまでは記憶があるのだが、それから先は、まるで覚えてない。
無理もない。ホテルに帰り着いたのが、日付が変わった、翌日の午前一時過ぎだったのだから……。もちろん、その夜、ナイトサービスの類は、一切受けていない。
但馬の目にも、この島のラブホテルやキャバレー、クラブなど、水商売系の店や風俗関係の店は不潔に映った。
海外出張のたびに、いろんな国の夜を楽しんだ経験を持つ彼も、さすがにこの夜だけは、酒を飲みながら、街が汚いと思った。
それくらい、店の設備は古く、老朽化していた。違法な接客や売春が、スラムで繰り返されている。いたたまれない。
*
但馬は、朝までぐっすり眠れず、明け方、一度目が覚めた。バルコニーに出てみる。そこから見える壮大な朝焼けは、水平線から溢れ出さんばかりだった。頭の芯が覚醒し、生き生きとし出す。頭は、その日の捜査内容へと、切り替わった。
会議終了後、但馬が宿泊先のセントアルバ国際ホテルまで、タクシーを飛ばす。午後七時を過ぎていた。薄暗い街には、ネオンサインが灯り始めている。
中心部の繁華街は、さっきから、クラブのホストや風俗系の営業マンらによって占拠されていた。辺り一帯に、猥雑な空気が漂い出す。
ざわつく街を横目に見ながら、ホテルへと辿り着いた但馬は、部屋に入ってすぐに、シャワールームに入った。
シャンプーとコンディショナーで、髪を洗い始める。すぐに、汚れは落ちた。全身もボディーソープで洗う。ふっと、天井を見上げると、換気扇が回っていた。それを見ながら、熱いシャワーを浴び続ける。途中で一度、真水に切り替えた。この季節でも、南半球は暑い。
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風呂場を出た但馬は、青いバスタオルで髪を丹念に拭きながら、冷蔵庫を覗き込み、中から現地産の缶ビールを一本取り出した。プルトップを捻り開け、勢いよく一息に呷る。
いくら飲んでも、一向に酔いは回らない。重大な捜査案件を負い込んでるから、当然と言えば当然か?
ナイトガウンを脱ぎ捨てた但馬が、スーツに着替える。これから気分転換に街へと繰り出して、存分に酒を飲むつもりでいた。
*
十五分後、外出支度を済ませて、階下へと降り立った但馬は、ホテル前の広場でタクシーを一台拾った。大柄で、人のよさそうなドライバーが乗っている。
「繁華街に出てくれないか?酒飲みたいんだ」
但馬がそう言った。
運転手は、日本語がかなり分かるらしく、
「あんた、年に似合わないね」
と、今度は流暢な日本語で返してきた。その後、
「酒飲むなら、七番街だろうな。一番近いところはね」
と言葉を重ねる。
「その七番街に、車やって」
「ここからだったら二十分ぐらい掛かるけど、いい?」
「ああ。よろしく」
運転手はそれを聞いてギアを入れ直し、タクシーが走り出した。
*
午後八時半を回り、日はすっかり落ちてしまっている。島内一のメインストリートが混雑し出した。夜のラッシュに巻き込まれた但馬のタクシーが、車列の渦に呑まれている。
「お客さん、すみませんね」
運転手のロバート・マエダが頭を掻き掻き、時折、頬を紅潮させながら、答えた。
前方の運転手証に、生年月日と出身地、血液型が記してある。一九九四年三月二十五日生まれで、石川県出身、血液型はB型とあった。働き盛りだ。男の横顔を、羨ましげに見ていると、但馬のスマホが、突如鳴り始めた。マナーモードに設定してあったが、バイブレーターの振動音で着信が分かった。
「はい。但馬」
――あ、お疲れ様です。
代々木南署の片桐華だ。
「どうした、片桐?」
――但馬さん、あたし、実は署長に、セントアルバ島行きを命令されたんですよ。
「俺と仕事するのが、不服なのか?」
――不服だなんて、とんでもない!あたし、警察官ですよ。言われれば、絶対服従ですから。
「いつ来るの?」
――明日、午前十時四十六分成田発の便で日本を発ちます。到着予定が……そちらの現地時間で、午後三時十六分です。
「そうか。じゃあ着いたら、また俺のスマホに連絡入れろ。じゃあな」
但馬はそう言って、電話を切った後、マエダに言った。
「おい、渋滞何とかならない?」
「いや、無理ですよ。さすがに渋滞だけは」
「早く行かないと、夜が終わっちまうよ」
「お急ぎですか?」
「ああ」
「七番街外れのエリオットってクラブが一番近いんですよね、ここからだと」
「歩いてどのくらい?」
「そうですね……十五分ぐらいかな」
「十五分。そう。……じゃあ歩くよ」
「すみませんね。お力になれずに」
「いいよ、いいよ。これ、取っといて」
そう言った但馬が、何でもない風に財布から五千円札を一枚取り出して、マエダの左手に掴ませる。料金メーターは、日本円換算で、千円もいってない。
五千円札を掴まされ、一瞬驚いたマエダが、
「お客さん、これは受け取れませんよ」
と困惑気味に言った。
すると、但馬が畳み掛けるように、
「いいよ。チップ」
と言う。
「でもね……」
戸惑うマエダに、
「いいから」
と、但馬が言って、マエダも少しだけ躊躇った後、
「では」
と返して、金を受け取った。そして、後部ドアを空け、
「サンキュー」
と一声掛けた。
但馬は何の反応も返さずに、前だけ向いて歩いていく。
分かりやすい立て看板のせいか、エリオットはすぐに見つかった。
その夜、但馬は店で、たくさん酒を飲んで、ホステスの女の子たちと歓談した。
金しかばら撒かない、バサラ気分の日本人に、ホステスたちが作り物の愛想で返す。いつの間にか、夜も更けていた。
ベロンベロンになるまで飲んだ但馬は、帰りのタクシーを呼んでもらったところまでは記憶があるのだが、それから先は、まるで覚えてない。
無理もない。ホテルに帰り着いたのが、日付が変わった、翌日の午前一時過ぎだったのだから……。もちろん、その夜、ナイトサービスの類は、一切受けていない。
但馬の目にも、この島のラブホテルやキャバレー、クラブなど、水商売系の店や風俗関係の店は不潔に映った。
海外出張のたびに、いろんな国の夜を楽しんだ経験を持つ彼も、さすがにこの夜だけは、酒を飲みながら、街が汚いと思った。
それくらい、店の設備は古く、老朽化していた。違法な接客や売春が、スラムで繰り返されている。いたたまれない。
*
但馬は、朝までぐっすり眠れず、明け方、一度目が覚めた。バルコニーに出てみる。そこから見える壮大な朝焼けは、水平線から溢れ出さんばかりだった。頭の芯が覚醒し、生き生きとし出す。頭は、その日の捜査内容へと、切り替わった。
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