『逆行。』

篠崎俊樹

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第50話。

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     50
 その日の早朝、キャンベラに降り立った可奈は早速、航空会社に連絡して、
「どうしてくれるのよ、あたしの予定?」
 と、しこたま文句を垂れた。ふてくされた顔をしている。
 女性事務員が、「すみません」と繰り返し、謝っても、許す気はないらしい。可奈は、ブチ切れかけている。
 電話口に、日本人らしい男性が出てきて、言う。謝罪に、男性を使う作戦のようだ。
「畑野様、それでは当社の者が、シドニーまでお送りいたします。本当に申し訳ございませんでした。私、田中と申します。エアースカイ航空、キャンベラ支店店長でございます。どうぞよろしくお願いいたします」
 田中の丁重な物腰に、少しだけ、可奈の気分が和らいだようだ。
「じゃあ、今日中に、タクシーを一台、用意して」
 かしこまりました、と電話先で田中が言った。彼女が、乱暴に電話を切る。
 受話器を置いた田中が、態度を豹変させて、さっき応対に出た事務員に、
「こういうのはな、適当にやっときゃいいんだよ。分かった?」
 と、英語で一言注意した。
「OK」
 怒られた彼女も二言目を言われる前に、まるで開き直ったかのように、電話応対を始めた。田中が軽く一つ咳払いして、各ブースの中を覗き込んでいく。真面目にやっている人間も、不真面目な人間も、オペレーティングの世界では大差ない。マニュアル通りに、要領よくやればいい。
 大欠伸を一つした田中が、咳払いを繰り返して、監視の目を光らせ続ける。
     *
 その日の昼、約束の時間通り、キャンベラにある可奈が宿泊していたホテルに、一台の
タクシーがやってきた。運転手は、ひたすら黙り込んだまま、ハンドルを握って、じっと前ばかり見つめている。気詰まりな可奈が言った。
「何か面白い話ない?」
「お嬢さん、警察の方?」
「ええ、そうよ。……何で分かった?」
 と訊ねると、そのドライバーが言葉を返した。
「だってその格好、どう見ても、刑事さんでしょ?普通の職種じゃない」
 彼女は、いかにも警察官を想起させる黒服に身を包み、上からピンク色の小洒落た上着を羽織っていた。
「飛行機が、トラブルか何かでシドニー着陸を断念し、キャンベラへと降り立った。それで当初の捜査方針を、大幅に変更せざるを得なくなったあなたは、そうやってプリプリ怒っている?」
「すごい!何で分かったの?」
「あたしだってね、こっちで長年、あなたのような客掴んできたから、それくらい分かりますよ」
 ドライバーがそう言って、
「あたしね、植野浩文っていいます」
 と名乗った。可奈が訊ねる。
「日本人?」
「ええ、そうですよ」
 少しの間だけ、帽子を上げた植野の頭は、白髪しか残っていなかった。六十を過ぎている。
 可奈が言った。
「犯人に関する情報、提供してもらえませんか?」
 彼女がそう言って、君島次郎と大島亜季二人の、顔写真や生年月日、本籍地等のデータが載ったA4用紙三枚分くらいの資料を、植野に渡す。
「これが全てのデータ」
「じゃあこれ、コピーしてばら撒きますね」
「ええ、お願い」
 可奈は異国の地で、百倍の勇気をもらった気がした。
     *
 車は程なく、シドニーの街へと入った。左手にブロークン湾を見ながら、車が走り続ける。やがて、オーストラリア国際警察の庁舎前まで車が来た。
 運賃を支払った可奈が、タクシーを降りる際、
「じゃあ、よろしくね」
 と言った。
「分かりました。頑張るんだよ」
 互いに、さよならを言い交わした後、可奈が建物内へと入っていく。ここからは戦場だと、彼女はそう思い、拳を握り締めた。
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