『私記長篠合戦』

篠崎俊樹

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『私記長篠合戦』

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 天正三年五月二十一日、三河国長篠城をめぐって、織田信長率いる織田軍と、徳川家康の配下の、合計三万八千の兵が、甲斐国を本拠とする武田勝頼の軍と対峙し、長篠城郊外の設楽原で睨み合った。信長は、あらかじめ、配下の足軽に、柵を持たせて、武田軍の騎馬武者が侵入してこないように、馬防柵を構築し、騎馬隊の侵入を防ぐとともに、足軽に、三千丁の火縄銃を持たせ、三段構えにして、武田軍を迎え撃った。つるべ打ちだ。
 勝頼は、しゃにむに、織田・徳川連合軍の陣に攻めかかった。だが、新式の火縄銃には、叶わない。武田の主力武将は、軒並み、討ち死にし、総崩れとなった。私が私見を逞しくするに、信長の戦略奏功であった。大勝利だ。勝頼は、命からがら、甲斐へと逃げ帰った。武田の主な武将、山県昌景、馬場信春、内藤昌秀らは、軒並み討ち死にし、武田軍は壊滅した。これを機に、信長は、甲斐侵略を企て、一気に、信濃や駿河、遠江も併呑するに至った。これが、私の考える、長篠合戦の私記であって、実にリアルで、戦国時代の大戦に相応しい。この小説は、短編小説だ。あまり、まとまらなかったのだが、言いたいことは、強調しておいた。ここに、稿を結んでおく。
                                (了)
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