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遠く離れても ※
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ローゼがグロリア帝国へ「帰国」した後、ユリアンには、国王から小さいながらも新たな領地が与えられた。
婚約者だった筈のローゼを失ったユリアンへの埋め合わせの意味らしかった。
当初、ユリアンは、そのようなものは不要だと突き返すことを考えていた。
しかし、ローゼと共に過ごした時間の「証し」として、領地を受け取ることにしたのだ。
口さがない者たちは「婚約者を売った」などと根も葉もない噂を振り撒いた。
これには、ユリアンよりも、友人であるクラウスや、その妻であるゾフィが立腹した。
彼らも、名義上とはいえ「養子」だったローゼを奪われたようなものなのだ。
ローゼが去った後、クラウスたちはユリアンの精神状態を気遣って、彼の許を頻繁に訪れていた。
ユリアンは、傍目には普段通り、というより、むしろ以前よりも仕事に没頭していた。
「気持ちが落ち着くまで、もう少し休んだほうがいいんじゃないか?」
ユリアンの屋敷を訪れたクラウスが、心配そうな顔で言った。
「何かして、気を紛らわせていないと、嫌な考えで頭が一杯になってしまうんだ。いつも気遣ってくれて、すまない」
友人の言葉に、ユリアンは弱々しく微笑んだ。
「いつもの君なら、余計なお世話だ、と言うところだと思うけど……無理はするなよ」
そう言い残して帰っていくクラウスの背中を見送りながら、ユリアンは溜め息をついた。
――クラウスの言う通りだ。今の俺には、虚勢を張る気力すら残っていない……ローゼのいない世界で生きるなど、空しいだけだ……だが、彼女は俺を守る為に帝国へ行ったのだ……だとすれば、俺が勝手に生きることをやめる訳にはいかない……
ユリアンにとって、生き続けることはローゼに報いることではあったが、同時に彼女を守れなかった自分への罰であるとも言えた。
そんなある日、ユリアンは犯罪行為を行った貴族の捕縛を終え、貴族監督省へ帰還の途に着いていた。
容疑者の護送を部下に任せ、ユリアンが一人になった刹那、物陰から彼に向かって一人の若い男が体当たりしてきた。
ユリアンの耳には、男が仇、とか、お前の所為で、とか呟いている声が聞こえた。
「貴様、何者だ!」
そう言いながら、ユリアンは男の肩を掴み、自分から引き剥がした。
男の手には、根本から刃の折れている短剣の柄だけが握られている。
「馬鹿な?! 俺は、たしかに、この短剣で貴様を……ユリアン・エーデルシュタインを刺し殺した筈……!」
折れた短剣の刃が地面に落ちている様を見て、信じられないという顔で叫んだ男を、ユリアンは瞬く間に組み伏せた。
「ユリアン様! お怪我はありませんか」
ユリアンの部下たちが、異変に気付いて駆け寄ってきた。
「大丈夫だ。毛ほどの傷もついていない」
部下たちに男を引き渡したユリアンは、彼が、以前捕縛した犯人の親族であるのを思い出した。
「貴様の所為で父は爵位を失い、我が家は一家離散した……貴様を殺すことさえできれば、俺はどうなっても構わなかったのに……!」
ユリアンの部下たちに連行されながら叫ぶ男の声が、徐々に遠ざかっていく。
――逆恨み……違法行為によって罰を与えられたとしても、身内としては感情的に納得いかないということか。だとすれば、俺は、どれほどの人間の恨みを買っているのやら……
ぼんやりと男を見送るユリアンに、部下の一人が声をかけた。
「これが、奴の握っていた凶器の短剣……の柄です。こちらが、折れて地面に落ちていた刃のほうです」
「証拠品として保管しておけ」
「それにしても」
部下は、布に包んだ短剣の柄と刃を見比べながら、不思議そうに言った。
「どんな刺し方をすれば、こんな風に折れるのでしょうか。見たところ新品のようですが」
ユリアンも凶器の短剣を改めて見てみたが、部下の言う通り、単に刺し損ねた程度で根元から折れるのは不自然に思えた。
しかも、ユリアンは鎧などを着ていない。先刻のような状態であれば、致命傷を負っても不思議ではないだろう。
と、一つの可能性を思い出したユリアンは、稲妻に打たれたような感覚を覚えた。
――これも、ローゼの「加護」の力なのではないか。
かつて、ローゼの先祖にあたる、グロリア帝国初代皇帝の妻が持っていた「加護」の力は、距離に関係なく、彼女が心から愛する者――皇帝を、あらゆる災いから守ったという。
――だとすれば、ローゼは俺のことを忘れてなどいない……今でも愛してくれているということではないのか。
「後の処理は頼む。報告書は、後で書く」
ユリアンは部下に言うと、貴族監督省の中にある、彼の執務室へ向かった。
部屋に入り、即座に鍵をかけたユリアンは、その場に膝から崩れ落ちた。
堪えていた涙が溢れるのを拭うこともせず、彼は声を殺し、しばらくの間、肩を震わせていた。
婚約者だった筈のローゼを失ったユリアンへの埋め合わせの意味らしかった。
当初、ユリアンは、そのようなものは不要だと突き返すことを考えていた。
しかし、ローゼと共に過ごした時間の「証し」として、領地を受け取ることにしたのだ。
口さがない者たちは「婚約者を売った」などと根も葉もない噂を振り撒いた。
これには、ユリアンよりも、友人であるクラウスや、その妻であるゾフィが立腹した。
彼らも、名義上とはいえ「養子」だったローゼを奪われたようなものなのだ。
ローゼが去った後、クラウスたちはユリアンの精神状態を気遣って、彼の許を頻繁に訪れていた。
ユリアンは、傍目には普段通り、というより、むしろ以前よりも仕事に没頭していた。
「気持ちが落ち着くまで、もう少し休んだほうがいいんじゃないか?」
ユリアンの屋敷を訪れたクラウスが、心配そうな顔で言った。
「何かして、気を紛らわせていないと、嫌な考えで頭が一杯になってしまうんだ。いつも気遣ってくれて、すまない」
友人の言葉に、ユリアンは弱々しく微笑んだ。
「いつもの君なら、余計なお世話だ、と言うところだと思うけど……無理はするなよ」
そう言い残して帰っていくクラウスの背中を見送りながら、ユリアンは溜め息をついた。
――クラウスの言う通りだ。今の俺には、虚勢を張る気力すら残っていない……ローゼのいない世界で生きるなど、空しいだけだ……だが、彼女は俺を守る為に帝国へ行ったのだ……だとすれば、俺が勝手に生きることをやめる訳にはいかない……
ユリアンにとって、生き続けることはローゼに報いることではあったが、同時に彼女を守れなかった自分への罰であるとも言えた。
そんなある日、ユリアンは犯罪行為を行った貴族の捕縛を終え、貴族監督省へ帰還の途に着いていた。
容疑者の護送を部下に任せ、ユリアンが一人になった刹那、物陰から彼に向かって一人の若い男が体当たりしてきた。
ユリアンの耳には、男が仇、とか、お前の所為で、とか呟いている声が聞こえた。
「貴様、何者だ!」
そう言いながら、ユリアンは男の肩を掴み、自分から引き剥がした。
男の手には、根本から刃の折れている短剣の柄だけが握られている。
「馬鹿な?! 俺は、たしかに、この短剣で貴様を……ユリアン・エーデルシュタインを刺し殺した筈……!」
折れた短剣の刃が地面に落ちている様を見て、信じられないという顔で叫んだ男を、ユリアンは瞬く間に組み伏せた。
「ユリアン様! お怪我はありませんか」
ユリアンの部下たちが、異変に気付いて駆け寄ってきた。
「大丈夫だ。毛ほどの傷もついていない」
部下たちに男を引き渡したユリアンは、彼が、以前捕縛した犯人の親族であるのを思い出した。
「貴様の所為で父は爵位を失い、我が家は一家離散した……貴様を殺すことさえできれば、俺はどうなっても構わなかったのに……!」
ユリアンの部下たちに連行されながら叫ぶ男の声が、徐々に遠ざかっていく。
――逆恨み……違法行為によって罰を与えられたとしても、身内としては感情的に納得いかないということか。だとすれば、俺は、どれほどの人間の恨みを買っているのやら……
ぼんやりと男を見送るユリアンに、部下の一人が声をかけた。
「これが、奴の握っていた凶器の短剣……の柄です。こちらが、折れて地面に落ちていた刃のほうです」
「証拠品として保管しておけ」
「それにしても」
部下は、布に包んだ短剣の柄と刃を見比べながら、不思議そうに言った。
「どんな刺し方をすれば、こんな風に折れるのでしょうか。見たところ新品のようですが」
ユリアンも凶器の短剣を改めて見てみたが、部下の言う通り、単に刺し損ねた程度で根元から折れるのは不自然に思えた。
しかも、ユリアンは鎧などを着ていない。先刻のような状態であれば、致命傷を負っても不思議ではないだろう。
と、一つの可能性を思い出したユリアンは、稲妻に打たれたような感覚を覚えた。
――これも、ローゼの「加護」の力なのではないか。
かつて、ローゼの先祖にあたる、グロリア帝国初代皇帝の妻が持っていた「加護」の力は、距離に関係なく、彼女が心から愛する者――皇帝を、あらゆる災いから守ったという。
――だとすれば、ローゼは俺のことを忘れてなどいない……今でも愛してくれているということではないのか。
「後の処理は頼む。報告書は、後で書く」
ユリアンは部下に言うと、貴族監督省の中にある、彼の執務室へ向かった。
部屋に入り、即座に鍵をかけたユリアンは、その場に膝から崩れ落ちた。
堪えていた涙が溢れるのを拭うこともせず、彼は声を殺し、しばらくの間、肩を震わせていた。
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