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あるべき処へ

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 「加護の力のあかし」を消そうと、自らの肩に焼けた火かき棒を押し当てたローゼだったが、帝国における最高水準の治療により、その傷は順調に回復していた。
 うっすらと残る傷痕は、彼女にとって、自らの意思を貫いた証しでもあった。
 そして、「許嫁」だったルキウス皇子による必死の訴えもあり、皇帝マクシムス三世は、ローゼをフランメ王国へ帰す決断をした。
 やがて冬は終わり、春の気配が近付きつつある中、いよいよローゼがフランメ王国へ旅立つ日がやってきた。
「君にとって、この国には良い思い出がないかもしれないけれど……いつかまた、訪ねてきてくれることを願うよ。私たちは、従兄妹いとこでもある訳だしね」
 涙ぐむルキウスの手を取り、ローゼは微笑んだ。
 ――ルキウス様は、愛する者を守る勇気を持つ方……この方なら、いつか素晴らしい女性と巡り合える日が来る筈……
「はい……ルキウス様も、それまで、どうかお元気で」
 そんな二人の様子を見ていた皇后ドロテアも、手巾ハンカチで目頭を押さえている。
「そなたには、随分と酷い物言いをしてしまいました。どんなに詫びたところで許されるとは思いませんが……そなたが、あちらに帰った後も、つつがなく過ごすことを祈らせてください」
「ありがとうございます。皇后陛下も、皇帝陛下と末永くお幸せにお過ごしください」
 今のローゼには、ドロテアに対する恐怖や嫌悪の気持ちはなかった。
 ――皇后陛下は、ご家族を、とても愛していらっしゃるのだ……私も、この方のような妻そして母になる日が来るのだろうか……
「そなたには、辛い思いをさせたな……」
 無表情に言った皇帝だが、その目は潤んでいた。
「私の為に、お心を尽くしていただき、感謝しております。私が、自分が何者か知ることができたのは、陛下が諦めずに探してくださったお陰です」
 ――時に無慈悲に思えるほどに冷徹な方だけど、それは、裏を返せば愛情深いゆえなのかもしれない。
 皇帝の表情に、ローゼは、ふとユリアンのことを思い起こした。
「そなたは、亡き母親に似て優しい子だ……我々のことは、親と思って、何かあれば、いつでも頼るがいい。婚礼の日に会うのを楽しみにしているぞ」
 そう言って、皇帝はローゼの肩に、そっと手を置いた。

 皇帝たちに見送られ、帝都の駅から、ローゼは専用の魔導列車でフランメに向かった。
 フランメの王都までの旅は、彼女にとって、ひどく長いように感じられた。
 王都の駅には、王室からの迎えが来ていた。
 グロリア帝国皇帝の姪であるローゼは、今やフランメ王国にとっても重要な人物となっているのだ。
 王宮で、国王ルドルフへの挨拶を済ませたローゼは、ユリアンが待つという部屋へ案内された。
 部屋の扉が開かれると、そこには、待ちきれないといった様子でユリアンが立っていた。
 ユリアンの友人である、クラウスとゾフィ夫妻の姿もある。
「ローゼ……!」
 ローゼの姿を見たユリアンは、駆け寄ると、彼女を抱きしめた。
 彼は何か言いたげだったものの、言葉にならないらしく、ただ、無言でローゼを抱く腕に力をこめていた。
「ただいま……戻りました」
 ユリアンの胸に顔を埋め、懐かしい匂いと温もりを感じながら、ローゼは涙を流した。
「よかった……本当に、よかった……」
 もらい泣きをしているゾフィが、手巾ハンカチで涙を拭いながら何度も呟いている。
「ローゼ殿の顔を見て、公爵閣下も生き返ったね。一時は、塩漬けの野菜みたいだったけど」
 クラウスが、冗談交じりのような口調で言ったが、彼の目も潤んでいた。
「公爵閣下?」
 首を傾げるローゼに、ユリアンが説明した。
「皇帝の姪をめとるなら、釣り合いを取る必要があるということで、国王陛下から公爵の爵位と、少しだが領地を賜ったんだ。……だが、クラウスから閣下などと言われると、尻が痒くなるな」
「ひどい言い草だね……でも、憎まれ口を叩けるほど元気になったということか」
 ユリアンの言葉を聞いたクラウスが、快活に笑った。
「でも、ローゼちゃんは皇帝の姪だし、公爵夫人になるなら、これからはローゼ様とお呼びしなければいけないわね」
 眉尻を下げたゾフィは、ローゼを見た。
「そんな……ゾフィ様も、クラウス様も、どうか今まで通り、お付き合いいただきたく思っております。私は、何も変わっていませんから……」
 ユリアンの腕の中でローゼが微笑むと、ゾフィは安堵した表情を見せた。
 ひとしきり再会を喜んでから、ローゼはユリアンと共にエーデルシュタイン家の屋敷へと向かった。
 屋敷では、家政婦長のエルマや執事のエルンストなどの顔馴染みの者たちが、二人を待っていた。
「ローゼ様、もう、お会いできないとばかり思っていました……」
「エルマさん、これからも、お世話になります」
 涙を流すエルマの手を取って、ローゼも涙ぐんだ。
 初めて、この屋敷にやってきた時から、ずっとエルマに面倒を見てもらっていたことを、ローゼは思い出した。
 と、ローゼは使用人の中に見覚えのある若い男がいるのに気付いた。
「あなたは……テオ様ですか?」
 執事に似た服装をしている、その男は、ローゼが誘拐された事件で会ったテオだった。
「はい……ローゼ様と旦那様のお陰で、今は、エルンストさんの下で執事見習いをさせていただいております」
 そう言って、テオが誰かに手招きをすると、十二、三歳の少女が近付いてきた。
「妹のアンナです。今は学校が休みなのですが、旦那様のご厚意で、こちらのお屋敷で私と一緒に過ごさせていただいてます」
「は、初めまして……テオ・クラッセンの妹のアンナです……兄共々……お世話になっています」
 兄に紹介されたアンナが、頬を真っ赤に染め、恥ずかしそうに両手で顔を覆った。
「ローゼです。あの、緊張しなくて大丈夫ですよ」
「お前が美しいから、緊張しているのだろう」
 戸惑うローゼに、ユリアンが、そう言って笑うと、アンナは何度も頷いた。
「旦那様が冗談を仰った上に、笑ってらっしゃる……?!」
 テオが、驚いた様子で呟いた。
「冗談などではないが?」
 きょとんとするユリアンを見て、ローゼも微笑んだ。
 長い間忘れていた、暖かく穏やかな空気に包まれ、彼女は幸せな気持ちだった。
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