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05.溜息

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 仮面舞踏会から早三日、俺は親友とも呼べる男の勉強に付き合っていた。
 この国では異教と呼ばれる女神の加護を持つ竜殺しの英雄――翠緑の勇者などと呼ばれている、現在は幸せの絶頂にいる男だ。

「はあ~」
「ミシェルよ。俺の顔を見て盛大に溜め息をつくのは止めないか?」

 出会い頭に俺のこの態度は失礼かもしれないが、この友人とはこの程度で関係が悪化するような間柄では無い。
 むしろ変に気を遣ったりすれば、やれ頭でも打ったのかだの変なものでも食べたのかだのと冗談交じりに聞いてくるような男だ。
 そういった気さくで打算のない性格を気に入って親しくしている関係ではあるのだが、どうやら周囲から見れば俺たちの関係ほど意味の分からないものは無いそうだ。
 傍目には俺は婚約者を親友に寝取られた間抜けな男になるのかもしれないが、俺もメレディスも互いに恋愛感情など皆無だったし、そもそもお互いを異性として扱ったことが殆ど無い。多分、あったとしても夜会など公の場のみだろう。

「エリアス。お前、仮面舞踏会って解るか?」
「それくらい解る。仮面を付けて参加するのだろう?」

 純粋であるコイツが実に羨ましい。
 今まで公爵家の嫡男として育てられ、王侯貴族の愛憎劇やら何やらを見せられてきた身としては眩しいほどである。

「はあ~」
「だから溜め息を止めないか!」
「そうだよな、経験無いヤツだとそうおもうよな」
「だから、いったい何だと言うんだ?」
「いいか? 仮面舞踏会ってのはな――」

 ここで俺はエリアスに華やかな社交界の裏側を一部だけではあるが掻い摘まんで説明した。
 すると見る見るうちにエリアスの顔が真っ赤に染まっていく。女を抱いた経験など何度もある癖に、こういった話題は余り得意ではないらしい。
 メレディスと婚約したということはそう遠くない将来、この男も貴族の家に婿入りすると言うことになるのだから、知っていて損は無い情報だ。

「な、なっ、なっ……!」
「そういう訳だから、もし参加することになったときは気を付けるんだな」

 もし、なんて話しでは無い。エリアスには来月に参加予定が在るはずなのだ。
 義父になる騎士団長が『仮面』と言う名の鎧があれば、公の場での立ち振る舞いも人目が気にならなくなるだろうと気遣ってだ。
 この数ヶ月、俺とメレディスで作法など必要な知識を与えているが、残りは実践を積むくらいしかやることが無い。

「ミシェル。君から婚約者を奪った身で言うのも何だが、お前もそろそろきちんとした相手を決めた方が良いんじゃないか?」
「何を今さらなことを」
「いや、お前はいろいろと拗らせすぎだぞ。なんで女遊びばかりしているのかを知っているうえで言わせてもらうが、本当に愛しているのであれば相応の誠意を見せるべきだろう」

 唐突にエリアスがいつになく真剣な表情で諭してくる。
 本人曰く学は殆ど無いそうなのだが、こういった人間関係には敏感らしく、俺がわざと浮き名を馳せている理由も知っているようだ。

「この三ヶ月でお前の恋人じゃないかといわれている女性が何人いたと思うんだ」
「この三ヶ月か……そうだな、二十人くらいか? 割り切った関係の商売女と、行き遅れそうで焦りはじめた令嬢がただな。後者は遊ばれているとも気が付かずに、哀れなものだ」
「そうやって逃げ続けていると、いつか後悔することになるぞ」
「……言われなくても判っているさ」

 そうだ。いつかは決着を付けねばならない。平和も幸せも永遠に続くものでは無いのだから。
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