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第三章 十一月の受難

仮想新婚、からの5

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 「行方不明の赤ちゃんが、こちらにいるとの情報がありましてね」


 手前にいる猪首の中年男が言った。

 身長は私よりやや高い。
 柔道でもやっていそうなガッチリとした体躯にくたびれたコート。
 そのコートの内ポケットから警察手帳を取り出して提示する。


 不安が的中した──。


 「赤ちゃんはいますけど。
 預かっている子ですよ……?」

 平静を装ったものの声が震えた。

  「失礼します」

 後ろで壁のように突っ立っていた別の男が口を開き、猪首男に続くように警察手帳を示した。
 二人の刑事は有無を言わさず部屋に割り入ってくる。
 無遠慮な足音が薄い床に響いた。

 「何ですか?」

 「うわぁぁんっ!」

 佐山がルナを守るように抱き上げる。
 弾みでサルが転がり落ちた。
 二人の刑事は、佐山に対しても私にしたような説明を繰り返す。

 「預かっている子だって言ってるでしょう!」

 焦りから声を荒げると、壁男の方がこちらを向いた。
 林と名乗っていたか。
 ガタイの良い身体の上にくっついている顔は意外に若い。

 「間違いないな」

 猪首の中年男、小山内が呟いた。
 懐から一枚の写真を取り出す。
 私に見えるように、ゆっくりと掲げて見せた。

 「この子、ニュースでご存知ですかね?
 岩崎梨奈ちゃん。
 彼が抱いている子にそっくりだ」


 足元がぐらつく。
 ご存知も何も、マスコミに公開されているのと同じ写真だ──。

 「これは、どういうことですかな?」

 粘り気のある口調で、小山内が言った。

 「に、似てるけど別人なんです!」

 「そんな話が通ると思うか!?」

 林が凄んできた。
 小山内が横からたしなめるような視線を送る。

 改めて写真を眺めると、やはりルナと梨奈ちゃんは瓜二つだ。
 マズい。

 「あんたがやったね?」

 小山内の口調もガラリと変わった。
 こちらを油断なく見据えたまま、スマホを耳に当てる。


 「当たりだ」


 違う。
 ルナは梨奈ちゃんじゃない!

 小山内が顎をしゃくると林が動き出した。
 ルナに向かって。

 「やめて! 別人なのよ!」

 「待ってください。宮原さんも落ち着きましょう」

 佐山がルナをかばう。

 その時だった。

 ドアが乱雑に引かれ、複数の足音が入り乱れる。
 数人の男たちが土足で踏み込んで来た。
 あっという間に取り囲まれる。
 初めから、この部屋は監視されていたのだ。

 どう落ち着いたらいいの?
 こんなことになるなんて──。

 ルナはぐすぐすと泣き続けている。
 ごめん、ルナ。怖い思いをさせて。

 平衡感覚を失って、私はその場にへたり込んだ。
 悲痛な泣き声が痛いくらい胸に刺さるのに、身体が動かない。

 「こちらの話を聞いてください」

 佐山はなおも訴える。

 「あんたねぇ。
 つかぬことを聞くけど、この女とどういう関係かね?」

 小山内は、粘っこい口調で逆に質問を重ねた。

 「そうやってかばうと罪が重くなるよ」

 「それは話を聞いてから判断してください」

 佐山の冷静な受け答えにつられてか、僅かに心に余裕ができた。

 ルナは梨奈ちゃんじゃない。
 これを分かってもらうには。

 へたり込んで低くなった目線の先に、ある物を見つけた。


 これだ。


 私は手を伸ばす。
 ソファの、背もたれと座面の間。

 「この子を預かる時、一筆書いてもらった物があります」

 狭い空間を探りながら説明すると、場にはうんざりとした空気が流れた。

 どう思われようと構わない。
 あの紙があれば。

 【この子を預かってください。
 三ヶ月後、あなたに審判が下されます】

 ルナが現れたのと同じ日に、部屋の中に落ちていた。
 日付けや差出人が記されているわけではないので、証拠としては薄いかもしれない。
 でも、もうこれしかないのだ。


 ことの証明──。


 「……そこが保管場所なのか?」

 林が至極真っ当な疑問を呈する。
 本当にこんなことになるとは思ってもおらず、グシャッと丸めて隠したままだった。



 「あれ……?」

 おかしい。
 確かにここに入れたのだが。


 私の指に引っかかったのは、一塊の埃のみであった。


 下に落ちた可能性も考え、這うようにして床を凝視する。
 紙は何処にも無かった。


 私とルナが一緒に居るための、不確かだけど唯一の証明が消えている。
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