4 / 67
1.ヴィクトル
1
しおりを挟む
「陛下・・・、国王陛下!」
寒波の続く一月中旬のある午後、窓辺に佇み、笑みを浮かべつつ、手紙に眼を落していたフィリップだったが、その棘のある声に、はっと我に返って、顔を上げると、不服そうに顔をしかめる侍従長、ジャン=バティスト・シモン・デュ・コロワが、眼に入った。
「侍従長、何か用が?」
真顔に戻ると、そう応じつつ、フィリップは手にしていた手紙を、速やかにたたみ、執務机の一番上の引き出しにしまった。
フィリップの住まいである、ブルークレール宮殿宛てに、フクロウの印章が押された封筒で、フィリップの偽名、アルフォンス・ランベール・ド・ジュール伯と宛名の記された、その手紙は、何があっても早急にフィリップの手元に届けられるよう、指示が出ていた。
それは、レティシアが数年前、記憶を取り戻して以来、半年に一度の頻度で、王宮に届く、レティシアからの手紙だった。
その内容のほとんどは、リックとの間に授かったジョセフィンのやんちゃぶりで、あのリックが、小さな娘に手を焼かされているのだと思えば、フィリップは笑いが込み上げるのを、抑えられなかった。
それは、フィリップの、心癒される時間だった。
「何か用が、では、ございません。私は、先ほどから、何度もお呼びしております」
「それは、悪かった。それで、用件は?」
「マルロー内務大臣が、お見えです」
「内務大臣が?そんな予定は聞いていなかったように思うが・・・」
「午前中に、連絡がありました」
「随分、一方的で、急な話だね。明朝、会議で顔を合わせるというのに。何か、急ぎの用でも出来たかな。まあ、いい。別段、断る理由もない。会おう」
と、フィリップは、今、フィリップとデュ・コロワ侍従長のいる王宮内の執務室から、大臣や長官に会う時には、大抵使われることになっている、王宮の会議室へと足を向けかけた。
「会議室ではございません」
「何?」
「マルロー内務大臣は、会議室にはおりません。陛下の私室にお通ししました」
「私の?」
デュ・コロワ侍従長の意図を掴み切れない、フィリップだった。
「本日、午後からの予定は、一切ございません。ですから、マルロー内務大臣を交え、じっくりと、お話させていただきたいことがございます」
フィリップは、嫌な予感がした。
そして、そう言えば、と、フィリップは思い出した。
我が身の保身と、政敵の失脚を画策することが日常の王宮に長く努めていながら、デュ・コロワ侍従長と、マルロー内務大臣は、年齢が共に、五十代前半という同世代で、幼少の頃から、無二の親友であったということを。
「侍従長、申し訳ないが、マルロー内務大臣の面会は断ってくれないか。先ほどから、熱っぽい。どうやら少し、咳も出てきたようだ。今日は、もう仕事を切り上げて、少し、休もうと思う」
フィリップは、こほこほと、咳込んで見せた。
「いいえ、今日ばかりは、どのような言い訳もお聞きしません、陛下。今日こそは、私と、マルロー内務大臣の進言を、聞き入れていただきます」
じりっと、にじり寄るデュ・コロワ侍従長だった。
フィリップは、デュ・コロワ侍従長とマルロー内務大臣の進言というのが何か、もう既に察しはついた。
フィリップは心の内で、長いため息をついた。
敵国グラディウスの侵略により、ユースティティアの王都アルカンスィエルが陥落し、十六歳で国を追われた、ユースティティアの現国王、フィリップ・シャルル・アントワーヌ・デュヴィラールは、二十八歳という年齢を迎えていた。
グラディウスの侵略を受け、王都が陥落し、病弱な妹を伴って、一度は隣国フォルティスに亡命したものの、すぐさまユースティティアに舞い戻り、失った王都を取り戻すため、グラディウスとの戦いに身を投じたフィリップだった。
圧倒的不利なユースティティア軍の指揮をとる、サヴァティエ総司令官の下、死を恐れず、一兵卒としてユースティティア軍のため、勇敢な働きを見せたフィリップに、サヴァティエ総司令官は、心打たれた。
自身の健康に不安を抱くようになっていたサヴァティエ総司令官は、激戦の末、王都アルカンスィエルを取り戻し、グラディウス軍をユースティティアから追い払った後、これまでの腐敗政治を断ち切り、国民に希望と安寧を与える、新たなユースティティアに相応しい国王として、前国王の庶子、フィリップを指名し、その圧倒的な人望と権力で、実績のない、若き国王に猛反発する周囲を黙らせ、その後見についた。
軍服を脱いだ総司令官、つまりサヴァティエ公爵の、フィリップへの指導は、この上なく厳しいものだった。
寝食を忘れ、内政、経済、外交、軍事のあらゆる知識と策略、戦略を、フィリップに叩き込んだ。
特に、外交と軍事に関しての指導は、峻烈で、一切の妥協を許さなかった。
そして、フィリップも、サヴァティエ公爵の、どれほど厳しい指導にも、決して音を上げることはなかった。
何故なら、サヴァティエ公爵とフィリップには、決して忘れることのできない光景があったからだった。
それは、グラディウスとの闘いで、無残に焼け落ちた王都の景色だった。
その凄惨な光景は、二度と、自分たちの土地が、敵国に侵略されるようなことがあってはならないと、何の罪もない民を路頭に迷わせてはならないと、固く心に刻み込ませ、誓わせた。
約四年の間、自らの知識と経験を、余すことなくフィリップに教え込み、叩き込み、サヴァティエ公爵は、昇天した。
フィリップの本当に試練は、サヴァティエ公爵亡き後に、訪れた。
サヴァティエ公爵が亡くなり、その威光が消え、若き国王に対する非難と批判が、ぽつぽつと噴き出し始めた。
そして、敵国グラディウスも、経験豊富な参謀が亡くなったと知るや、再び徐々に、ユースティティアへ、食指を動かし始めた。
それは、ユースティティアという敵国の存在を、明確にしておくことで、王権の強い専制君主が司る内政への民の不満を、逸らせる目論見があった。
国境では、頻繁に、緊迫した事態が訪れるようになり、武力衝突が起こり始めた。
けれども、フィリップは、決して、動じたりはしなかった。
何故なら、それらは、全て、想定の範囲で、既に、対策済みだった。
フィリップは、そうなることを予想して、フォルティス、そしてイーオンと同盟を結び、一際強固な連携を築いていた。
かつてのユースティティアとは違い、むやみに手出しをすれば、周辺諸国が黙ってはいないと示すことは、グラディウスに対して、有効な抑止力となった。
サヴァティエ公爵が亡くなり、始めは、お手並み拝見と、冷たくフィリップを眺めていた政治家、貴族たちも、その冷静さ、緻密な戦略、そして根回しに、これは中々侮れないと、一目置くようになった。
フィリップは、国のため、国民のために身を尽くした。
祖国ユースティティアに、安寧と、繁栄をもたらすため、昼夜を問わず、働き続けた。
二年、三年が過ぎてゆく内、貴族も、平民も、認めざるを得なくなった。
自分たちの若い国王が、政治家として、国王として、優秀で有能な逸材であるということを。
民は、若き国王を、心から仰ぐようになった。
それは、フィリップの父、ギョーム王や、異母兄にあたる先代国王のジャン王には、決してなかった光景だった。
けれども、フィリップが国王としての威厳を持ち、威風堂々と、国王の座に君臨していたかと言えば、決してそうではなかった。
ユースティティアの若き国王は、普段、驚くほど気さくだった。
むしろ、国王の権威を知らしめる目的の、儀礼的で、時間ばかりを費やすしきたりを苦手とし、そのほとんどを廃止にしてしまった。
住む場所にしても、戦火で無残な体となったブロンピュール宮殿を修復し、歴代国王と同じく、その壮大な純白の宮殿を住まいにするのかと思いきや、市街地により近く、機能的だからと、ブロンピュール宮殿の豪華さには、及びもつかないブルークレール宮殿を改装して、政治の場とし、その敷地の一角に、私邸を構えてしまった。
それでは、一国の王として、あまりにも見劣りがするのではないかと、重臣、貴族たちから異論が上がるのも、当然だったが、フィリップは全く意に介さなかった。
ユースティティアの伝統を、軽んじるつもりは全くないけれど、時代の変化について行かなければ、取り残されるよ、と、頭の固い重臣たちが、国王に諭される有様だった。
王宮を追われた母と、病弱な妹と、貧しさを味わい、母と妹の暮らしを守るため、わずか十歳で全寮制の陸軍の学校へ入った後、陸軍士官学校騎兵科へと進み、厳しい訓練に耐えつつ、学び続け、優秀な成績を収め続けた、フィリップは、社会を知り、世間を知り、既にユースティティアの将来を見据えていた。
絶対君主制から、立憲君主制へと移行する時を。
既に議会政治の成熟しているフォルティスに習って、推し進めて行かなくてはならないだろうと、構想を練り始めていた。
それには、今、多くの利権を手にする特権階級から、激しい反発があることは必至で、いかに血を流すことなく、国の体制を移行していくか、それは、自分の国王としての使命だろうと、覚悟を決めていた。
国境付近では、グラディウスとの緊迫した関係が続いていた。
国境では、サヴァティエ公爵が亡くなって以来、この七年、武力衝突が絶えず、三度に及ぶ激しい戦闘があり、予断は許さなかった。
攻め入って、外国へ活路を見出そうとするグラディウスと、決してそうはさせまいとするユースティティアの攻防は、収まる気配がなかった。
当然、国王として、フィリップは日々、難しい選択を迫られ、全身全霊で臨んだ。
その政に心血を注ぐ、国王フィリップの生活一切を世話し、支える立場にあるのが、侍従長、ジャン=バティスト・シモン・デュ・コロワだった。
デュ・コロワ侍従長は、フィリップが政治に専念できるよう、心を砕いて尽くした。
フィリップの方も、真面目で、気配りの行き届いたデュ・コロワ侍従長に信頼を寄せていた。
ふたりの間には、深い信頼関係があり、何のわだかまりもないはずだった。
――ただ、一点を除いては。
その長らく放置され続けて来た、どうしても譲れない一点に、デュ・コロワ侍従長は、今日こそ、何が何でも、決着をつけるため、親友であるマルロー内務大臣に加勢を頼み、フィリップに挑もうとしていた。
マルロー内務大臣は、フィリップの私室で、既に待ち受けていた。
そして、私室のソファに座ったフィリップの右側に、小柄で、頭髪の薄いデュ・コロワ侍従長、そして、左側には、恰幅のいい、豊かな黒髪を持つ、マルロー内務大臣という、対照的な容姿のふたりが、挟む様にして立ち、詰め寄った。
「陛下は、長い間棚上げしてこられた、ご自身のこの問題を、一体、どのようにお考えですか!」
嘆かわしいと言わんばかりの、デュ・コロワ侍従長だった。
「侍従長の心配は、最もだ。私が、みなに心配をかけていることに関しては、素直に謝る。だけど、結婚は、ひとりでできるものじゃない。そうだろう、マルロー内務大臣?」
感情的になっている侍従長よりは、懐柔しやすいかと判断し、フィリップは、マルロー内務大臣に水を向けた。
「陛下は、理解力に長けている方と、存じています。しかし、ご自身の結婚に関しては、どうも理解力が格段に劣るようですな。侍従長も、私も、ユースティティアの王位についておられる方のご結婚が、容易いものだとは、全く考えてはおりません。むしろ、慎重に、先方にも失礼のなきよう、進めて行かなくてはならないと、認識しております。問題は・・・」
と、マルロー内務大臣は厳しい面持ちで、ソファに座るフィリップを鋭く見下ろし、
「問題は、陛下が、ご自身の結婚に、全く関心がないことでございます」
そう言い放った。
寒波の続く一月中旬のある午後、窓辺に佇み、笑みを浮かべつつ、手紙に眼を落していたフィリップだったが、その棘のある声に、はっと我に返って、顔を上げると、不服そうに顔をしかめる侍従長、ジャン=バティスト・シモン・デュ・コロワが、眼に入った。
「侍従長、何か用が?」
真顔に戻ると、そう応じつつ、フィリップは手にしていた手紙を、速やかにたたみ、執務机の一番上の引き出しにしまった。
フィリップの住まいである、ブルークレール宮殿宛てに、フクロウの印章が押された封筒で、フィリップの偽名、アルフォンス・ランベール・ド・ジュール伯と宛名の記された、その手紙は、何があっても早急にフィリップの手元に届けられるよう、指示が出ていた。
それは、レティシアが数年前、記憶を取り戻して以来、半年に一度の頻度で、王宮に届く、レティシアからの手紙だった。
その内容のほとんどは、リックとの間に授かったジョセフィンのやんちゃぶりで、あのリックが、小さな娘に手を焼かされているのだと思えば、フィリップは笑いが込み上げるのを、抑えられなかった。
それは、フィリップの、心癒される時間だった。
「何か用が、では、ございません。私は、先ほどから、何度もお呼びしております」
「それは、悪かった。それで、用件は?」
「マルロー内務大臣が、お見えです」
「内務大臣が?そんな予定は聞いていなかったように思うが・・・」
「午前中に、連絡がありました」
「随分、一方的で、急な話だね。明朝、会議で顔を合わせるというのに。何か、急ぎの用でも出来たかな。まあ、いい。別段、断る理由もない。会おう」
と、フィリップは、今、フィリップとデュ・コロワ侍従長のいる王宮内の執務室から、大臣や長官に会う時には、大抵使われることになっている、王宮の会議室へと足を向けかけた。
「会議室ではございません」
「何?」
「マルロー内務大臣は、会議室にはおりません。陛下の私室にお通ししました」
「私の?」
デュ・コロワ侍従長の意図を掴み切れない、フィリップだった。
「本日、午後からの予定は、一切ございません。ですから、マルロー内務大臣を交え、じっくりと、お話させていただきたいことがございます」
フィリップは、嫌な予感がした。
そして、そう言えば、と、フィリップは思い出した。
我が身の保身と、政敵の失脚を画策することが日常の王宮に長く努めていながら、デュ・コロワ侍従長と、マルロー内務大臣は、年齢が共に、五十代前半という同世代で、幼少の頃から、無二の親友であったということを。
「侍従長、申し訳ないが、マルロー内務大臣の面会は断ってくれないか。先ほどから、熱っぽい。どうやら少し、咳も出てきたようだ。今日は、もう仕事を切り上げて、少し、休もうと思う」
フィリップは、こほこほと、咳込んで見せた。
「いいえ、今日ばかりは、どのような言い訳もお聞きしません、陛下。今日こそは、私と、マルロー内務大臣の進言を、聞き入れていただきます」
じりっと、にじり寄るデュ・コロワ侍従長だった。
フィリップは、デュ・コロワ侍従長とマルロー内務大臣の進言というのが何か、もう既に察しはついた。
フィリップは心の内で、長いため息をついた。
敵国グラディウスの侵略により、ユースティティアの王都アルカンスィエルが陥落し、十六歳で国を追われた、ユースティティアの現国王、フィリップ・シャルル・アントワーヌ・デュヴィラールは、二十八歳という年齢を迎えていた。
グラディウスの侵略を受け、王都が陥落し、病弱な妹を伴って、一度は隣国フォルティスに亡命したものの、すぐさまユースティティアに舞い戻り、失った王都を取り戻すため、グラディウスとの戦いに身を投じたフィリップだった。
圧倒的不利なユースティティア軍の指揮をとる、サヴァティエ総司令官の下、死を恐れず、一兵卒としてユースティティア軍のため、勇敢な働きを見せたフィリップに、サヴァティエ総司令官は、心打たれた。
自身の健康に不安を抱くようになっていたサヴァティエ総司令官は、激戦の末、王都アルカンスィエルを取り戻し、グラディウス軍をユースティティアから追い払った後、これまでの腐敗政治を断ち切り、国民に希望と安寧を与える、新たなユースティティアに相応しい国王として、前国王の庶子、フィリップを指名し、その圧倒的な人望と権力で、実績のない、若き国王に猛反発する周囲を黙らせ、その後見についた。
軍服を脱いだ総司令官、つまりサヴァティエ公爵の、フィリップへの指導は、この上なく厳しいものだった。
寝食を忘れ、内政、経済、外交、軍事のあらゆる知識と策略、戦略を、フィリップに叩き込んだ。
特に、外交と軍事に関しての指導は、峻烈で、一切の妥協を許さなかった。
そして、フィリップも、サヴァティエ公爵の、どれほど厳しい指導にも、決して音を上げることはなかった。
何故なら、サヴァティエ公爵とフィリップには、決して忘れることのできない光景があったからだった。
それは、グラディウスとの闘いで、無残に焼け落ちた王都の景色だった。
その凄惨な光景は、二度と、自分たちの土地が、敵国に侵略されるようなことがあってはならないと、何の罪もない民を路頭に迷わせてはならないと、固く心に刻み込ませ、誓わせた。
約四年の間、自らの知識と経験を、余すことなくフィリップに教え込み、叩き込み、サヴァティエ公爵は、昇天した。
フィリップの本当に試練は、サヴァティエ公爵亡き後に、訪れた。
サヴァティエ公爵が亡くなり、その威光が消え、若き国王に対する非難と批判が、ぽつぽつと噴き出し始めた。
そして、敵国グラディウスも、経験豊富な参謀が亡くなったと知るや、再び徐々に、ユースティティアへ、食指を動かし始めた。
それは、ユースティティアという敵国の存在を、明確にしておくことで、王権の強い専制君主が司る内政への民の不満を、逸らせる目論見があった。
国境では、頻繁に、緊迫した事態が訪れるようになり、武力衝突が起こり始めた。
けれども、フィリップは、決して、動じたりはしなかった。
何故なら、それらは、全て、想定の範囲で、既に、対策済みだった。
フィリップは、そうなることを予想して、フォルティス、そしてイーオンと同盟を結び、一際強固な連携を築いていた。
かつてのユースティティアとは違い、むやみに手出しをすれば、周辺諸国が黙ってはいないと示すことは、グラディウスに対して、有効な抑止力となった。
サヴァティエ公爵が亡くなり、始めは、お手並み拝見と、冷たくフィリップを眺めていた政治家、貴族たちも、その冷静さ、緻密な戦略、そして根回しに、これは中々侮れないと、一目置くようになった。
フィリップは、国のため、国民のために身を尽くした。
祖国ユースティティアに、安寧と、繁栄をもたらすため、昼夜を問わず、働き続けた。
二年、三年が過ぎてゆく内、貴族も、平民も、認めざるを得なくなった。
自分たちの若い国王が、政治家として、国王として、優秀で有能な逸材であるということを。
民は、若き国王を、心から仰ぐようになった。
それは、フィリップの父、ギョーム王や、異母兄にあたる先代国王のジャン王には、決してなかった光景だった。
けれども、フィリップが国王としての威厳を持ち、威風堂々と、国王の座に君臨していたかと言えば、決してそうではなかった。
ユースティティアの若き国王は、普段、驚くほど気さくだった。
むしろ、国王の権威を知らしめる目的の、儀礼的で、時間ばかりを費やすしきたりを苦手とし、そのほとんどを廃止にしてしまった。
住む場所にしても、戦火で無残な体となったブロンピュール宮殿を修復し、歴代国王と同じく、その壮大な純白の宮殿を住まいにするのかと思いきや、市街地により近く、機能的だからと、ブロンピュール宮殿の豪華さには、及びもつかないブルークレール宮殿を改装して、政治の場とし、その敷地の一角に、私邸を構えてしまった。
それでは、一国の王として、あまりにも見劣りがするのではないかと、重臣、貴族たちから異論が上がるのも、当然だったが、フィリップは全く意に介さなかった。
ユースティティアの伝統を、軽んじるつもりは全くないけれど、時代の変化について行かなければ、取り残されるよ、と、頭の固い重臣たちが、国王に諭される有様だった。
王宮を追われた母と、病弱な妹と、貧しさを味わい、母と妹の暮らしを守るため、わずか十歳で全寮制の陸軍の学校へ入った後、陸軍士官学校騎兵科へと進み、厳しい訓練に耐えつつ、学び続け、優秀な成績を収め続けた、フィリップは、社会を知り、世間を知り、既にユースティティアの将来を見据えていた。
絶対君主制から、立憲君主制へと移行する時を。
既に議会政治の成熟しているフォルティスに習って、推し進めて行かなくてはならないだろうと、構想を練り始めていた。
それには、今、多くの利権を手にする特権階級から、激しい反発があることは必至で、いかに血を流すことなく、国の体制を移行していくか、それは、自分の国王としての使命だろうと、覚悟を決めていた。
国境付近では、グラディウスとの緊迫した関係が続いていた。
国境では、サヴァティエ公爵が亡くなって以来、この七年、武力衝突が絶えず、三度に及ぶ激しい戦闘があり、予断は許さなかった。
攻め入って、外国へ活路を見出そうとするグラディウスと、決してそうはさせまいとするユースティティアの攻防は、収まる気配がなかった。
当然、国王として、フィリップは日々、難しい選択を迫られ、全身全霊で臨んだ。
その政に心血を注ぐ、国王フィリップの生活一切を世話し、支える立場にあるのが、侍従長、ジャン=バティスト・シモン・デュ・コロワだった。
デュ・コロワ侍従長は、フィリップが政治に専念できるよう、心を砕いて尽くした。
フィリップの方も、真面目で、気配りの行き届いたデュ・コロワ侍従長に信頼を寄せていた。
ふたりの間には、深い信頼関係があり、何のわだかまりもないはずだった。
――ただ、一点を除いては。
その長らく放置され続けて来た、どうしても譲れない一点に、デュ・コロワ侍従長は、今日こそ、何が何でも、決着をつけるため、親友であるマルロー内務大臣に加勢を頼み、フィリップに挑もうとしていた。
マルロー内務大臣は、フィリップの私室で、既に待ち受けていた。
そして、私室のソファに座ったフィリップの右側に、小柄で、頭髪の薄いデュ・コロワ侍従長、そして、左側には、恰幅のいい、豊かな黒髪を持つ、マルロー内務大臣という、対照的な容姿のふたりが、挟む様にして立ち、詰め寄った。
「陛下は、長い間棚上げしてこられた、ご自身のこの問題を、一体、どのようにお考えですか!」
嘆かわしいと言わんばかりの、デュ・コロワ侍従長だった。
「侍従長の心配は、最もだ。私が、みなに心配をかけていることに関しては、素直に謝る。だけど、結婚は、ひとりでできるものじゃない。そうだろう、マルロー内務大臣?」
感情的になっている侍従長よりは、懐柔しやすいかと判断し、フィリップは、マルロー内務大臣に水を向けた。
「陛下は、理解力に長けている方と、存じています。しかし、ご自身の結婚に関しては、どうも理解力が格段に劣るようですな。侍従長も、私も、ユースティティアの王位についておられる方のご結婚が、容易いものだとは、全く考えてはおりません。むしろ、慎重に、先方にも失礼のなきよう、進めて行かなくてはならないと、認識しております。問題は・・・」
と、マルロー内務大臣は厳しい面持ちで、ソファに座るフィリップを鋭く見下ろし、
「問題は、陛下が、ご自身の結婚に、全く関心がないことでございます」
そう言い放った。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
離宮に隠されるお妃様
agapē【アガペー】
恋愛
私の妃にならないか?
侯爵令嬢であるローゼリアには、婚約者がいた。第一王子のライモンド。ある日、呼び出しを受け向かった先には、女性を膝に乗せ、仲睦まじい様子のライモンドがいた。
「何故呼ばれたか・・・わかるな?」
「何故・・・理由は存じませんが」
「毎日勉強ばかりしているのに頭が悪いのだな」
ローゼリアはライモンドから婚約破棄を言い渡される。
『私の妃にならないか?妻としての役割は求めない。少しばかり政務を手伝ってくれると助かるが、後は離宮でゆっくり過ごしてくれればいい』
愛し愛される関係。そんな幸せは夢物語と諦め、ローゼリアは離宮に隠されるお妃様となった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる