Joker

海子

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17.イーオン<永遠> 前編

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 シルヴィアは、背筋を伸ばして、応接間のソファに座っていた。 
ちらりと、隣に座るウィンベリー伯爵の顔を盗み見ると、小心者の伯爵は、せわしなく眼をきょろきょろと動かして、落ち着かない様子だった。 
それは、この場所が、グラディウスのミグノフ総督の私邸の応接間であり、眼の前にそのミグノフ総督自身が、座っているからに違いなかったが、れっきとしたイーオンの貴族でありながら、ひとかけらの品格も感じられない様のウィンベリー伯爵を、シルヴィアは内心侮蔑していた。 
ミグノフの腰巾着。 
イーオンの貴族でありながら、保身のために、ミグノフ総督の顔色をうかがうウィンベリー伯爵を、イーオンの人々は、陰で、そう呼んでいた。
ジェームズだったら・・・、ジェームズだったら、例え、ミグノフ総督の前だったとしても、イーオンの貴族の名に恥じない態度を示しただろう、そう思うと、シルヴィアは、口惜しい気持ちになった。
とはいえ、結局、ゴードン家の抱える莫大な借金を返済するため、シルヴィアは、ウィンベリー伯爵の取り計らいで、ミグノフ総督と結婚しようとしていたので、ウィンベリー伯爵を嗤う資格は、自分にはないのだと思った。 
総督の私邸には、エレノーラも来る予定だった。 
けれども、エレノーラは、体調が良くない。
今朝も、ひどい貧血のせいで、立ちあがることができなかった。 
だから結局、シルヴィアはウィンベリー伯爵とふたりで、総督に会うことになった。 
シルヴィアは、お茶には手をつけず、黙ったままだった。
ミグノフ総督は、口ひげをはやした五十半ばの小男で、値踏みするような眼で、応接間のソファに座ったシルヴィアを眺めていた。 
「私と、結婚すれば・・・、全て解決する。そうは思わないかな?」 
シルヴィアは、答えなかった。 
誰に言われなくても、この縁談が寄せられた時から、毎夜毎夜、時には明け方まで眠れない程、考えていたことだった。 
その時、 
「ウィンベリー伯爵、少しこちらへ」 
図ったかのように、ミグノフ総督の死別した前妻の息子、フョードルが顔を出して、ウィンベリー伯爵を呼んだ。 
ミグノフ総督の息子と言っても、シルヴィアよりも十歳年上だった。 
ウィンベリー伯爵は、フョードルに呼ばれて、まるでこの家の使用人でもあるかのように、あたふたと部屋を出て行った。 
応接間には、ミグノフ総督と、シルヴィアの二人きりになった。
ウィンベリー伯爵が出て行くと、すぐにミグノフ総督が立ちあがり、ソファに座るシルヴィアの後ろに回って、その肩に触れて来た。 
「シルヴィア、今日こそは、返事を・・・」 
その手が、次第に肩から、腕に落ちて来て、それと同時に屈んだ総督の唇が、シルヴィアの白い首筋にあてられた。 
驚きと、怒りと、嘆きが入り混じった感情が溢れて、唇がわなわなと震えだすのが、わかった。 
堪らずに、シルヴィアは立ち上がった。
「お返事は、この次に。この次は、必ず、お返事を。失礼いたします」 
シルヴィアは、逃げるように、その場を離れた。 



 鈍い日差しがエレノーラの眼に障りそうで、シルヴィアは、カーテンを引いた。 
寝室のベッドに起き上がったエレノーラの肌艶は、悪かった。 
そして、表情は暗かった。 
シルヴィアは、その傍らに座って、黙っていた。 
「今度お会いした時には、必ずお返事しますと、申し上げました」
 囁くように、シルヴィアが口を開いた。
「シルヴィア・・・」 
エレノーラは、どう声をかけていいのかわからなかった。 
グラディウスの総督の元へなど、それもエレノーラより年上の、四十近く歳の違う男の元へなど、シルヴィアが嫁ぎたいはずはなかった。 
エレノーラは娘の心中を、十分に察していた。 
そして不憫だった。 
けれども、主亡きあと、この家が背負う莫大な借金を返すすべは、他になかった。 
総督の申し出は、シルヴィアとの結婚を条件に、借金の返済を肩代わりしようというものだった。
当然、総督の申し出は政治的な利点からで、シルヴィアに愛情を抱いていたからではない。 
そして、シルヴィアが総督との結婚を承諾しようとするのは、体調を崩している自分のためであることも、エレノーラは理解していた。
総督と結婚すれば、豊かな資産を背景に、これまでとは比べ物にならない程、エレノーラは手厚い治療と看病を受けることができるはずだった。 
借金と、病弱な母の為に、十七歳の勝気で責任感の強い、美しい娘が、自らを犠牲にしようとしているのだと思うと、エレノーラは堪らない気持ちになった。 
「シルヴィア、総督にお返事をする前に、やはり一度、ジェームズに相談してはどうかと思うの」 
「それは、駄目よ、お母様。ジェームズに、迷惑はかけられないわ、絶対に」 
シルヴィアは、即座に否定した。 
何の関係もないジェームズに、ゴードン家の責任を押し付けるわけにはいかなかった。 
「でも、このままじゃ、あなたがあまりにも・・・」 
 可哀想で、と言いかけて、エレノーラは口をつぐんだ。
「私のことはいいの、お母様。私はいいのよ」 
シルヴィアは、痩せて、骨が浮き出るエレノーラの手を、そっと握った。 
「シルヴィア・・・」 
「今日は、朝から何もまだ召し上がってないのでしょう、お母様。何か持って来させます。サラを探して来ますわ」 
そういうと、シルヴィアは、静かに立ちあがった。 
シルヴィアは、二階にあるエレノーラの寝室を離れて、サラを探しに出た。
その時、何気なく、庭の方を見ると、人影のようなものが眼に入って、庭に面したバルコニーへと近づいた。 
そして、目を疑った。 
立っていたのは、サラと、ジェームズだった。 
シルヴィアは、見てはいけないものを見てしまったかのように、二人に気付かれないように、慌てて柱の陰に姿を隠してから、その様子を盗み見た。 
サラは、泣いていた。 
そして、ジェームズはその肩を抱き、真剣な表情で、サラに何かを言い聞かせていた。 
サラは、小さく何度も頷く。 
そして、ジェームズが、サラを抱き寄せた。 
それ以上、シルヴィアはその場にいることができなかった。 
眩暈がしそうだった。 
以前から、想像はしていたことだった。 
いつの頃からか、サラを見つめるジェームズの瞳が、優しくなったことに、気付いた。 
ジェームズに話しかけられて、サラの頬が赤らんでいた。 
お互いに惹かれあっているのではないかと、想像はしていた。
けれども、今、その姿を目の当たりにして、とても平常心ではいられなかった。 
シルヴィアは、目を閉じて、胸に手を当てて、大きく何度か呼吸した。
そして、しばらくじっと考えた後、エレノーラの寝室へ戻った。 
エレノーラは、入って来たシルヴィアの顔が、ひどく強張っていることに気付いた。
「何かあったの、シルヴィア?」 
「お母様、私、総督の申し出をお受けいたします」 
「シルヴィア・・・」 
シルヴィアは、決心した。
 
  
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