Joker

海子

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23.凪

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 フィリップ様、ここから先は、どうかあなたさまの胸に、おしまいください。 
書かずに行こうと、思いました。
知られてはならないとも、考えました。
ですが、やはりどうしても、書かずにはいられなかったのです。



 最初に、わたくしの心がざわめいたのは、刺客に追われてブリストンから逃げる際、あの無礼な御者が、わたくしを抱き上げた時です。 
リックは、刺客に追われるわたくしを、力強い腕で抱き、馬上に押し上げました。
自分の身を顧みず、わたくしを助けてくれました。 
その時から、わたくしの胸が、ざわめき始めたのです。 
最初は、何故そのように胸がざわめくのか、わかりませんでした。 
わたくしは、リックを、無礼でずうずうしい御者と思っていたはずなのです。 
それなのに、そう思うのとは裏腹に、気持ちのざわめきは止めようもなく、堰を切ってあふれだすのです。 
リックは、いつも、わたくしたちを助けてくれました。 
わたくしたちを、無事にウッドフィールドへ連れていくために、心を砕いてくれました。
蔭でわたくしは、それを裏切っていたのですが。
知らぬ間に、わたくしは、あの無礼な御者に、心を奪われてしまったのです。 
リックとレティシアのことを、一度もお父様に知らせなかったのは、ふたりに対するお父様のお怒りを、恐れたからではありません。 
リックを、お父様から守りたかったからです。
わたくしには、レティシアを奪っておいて、ただで済むとは、到底、思えませんでした。 



 リックへの気持に気付いてしまった時、わたくしは、深く動揺いたしました。 
誰かを愛したことなど一度もなく、あるのは、ただ、未知への感情への、怖れと不安でした。
そのようなわたくしが、リックとレティシアが次第に惹かれあう様子を見て、どのように苦しい気持ちでいたか、お分かりでしょうか? 
レイクビューで、レティシアが帰ってこなかった夜、わたくしは胸を切り裂かれるような思いで、一睡もできずに、夜を過ごしました。 



 フォレストバーグで、刺客に襲われた時、先ほど、わたくしは、レティシアが哀れになり、お父様を裏切り、リックを助けたと書きましたが、それは真実ではありません。
銃を突きつけられたリックを見て、到底見殺しにはできませんでした。
何とか、助けなければ、と思う一心で、あのような行動をとりました。 
リックの命が助かったあと、彼にすがることのできるレティシアを見て、わたくしの心は千々に乱れました。
レティシアに対する、わたくしの気持も複雑でした。 
わたくしは、レティシアと長く接するうちに、本当にレティシアのことを哀れに思うようになり、お父様の手から逃がしてやりたい、助けてやりたいと思うようになりました。
けれども一方で、リックのことに関しては、どうしても押さえきることのできない、暗い感情が、吹き出して来るのです。
わたくしは、悩みました。
レティシアをセヴェロリンスクに連れていくか、わたくし自身の命と引き換えに諦めるか。 



 わたくしが決心をしたのは、ウッドフィールドに着いた次の日の夜半、レティシアとリックが話すのを、聞いてしまったからです。 
レティシアは、リックにこういいました。 
ウッドフィールドまでは、恋をしようと。
一度だけでいいから、ちゃんと恋がしてみたい、と。 
それを聞いて、わたくしの気持は決まりました。
レティシアをセヴェロリンスクへ連れていくことを、諦めたのです。 
レティシアの気持は、わたくしの気持でもありました。 
一度でいいから、ちゃんと恋をしてみたい。
それは、わたくしが決して言葉にすることができない、けれども心の奥底にひっそりと根ざす、願望でもあったのです。
フィリップ様、わたくしは、自分の気持ちを伝えることなど、考えたことはございません。
ふたりの間に割って入ろうなどと、考えてみたこともありません。 
そんなことをすれば、わたくしは、滑稽な道化師になるだけです。 



 わたくしは、これからのふたりの暮らしの助けになればと思い、レティシアとウッドフィールドを出発し、ブリストンへ向かおうとするリックに、紙幣の入った封筒を手渡しに行きました。
もちろん、そのようには言わず、これまでの支払いだと言って。
その去り際、リックは、わたくしに何と言ったとお思いになりますか?
「あんた、中々いい度胸してるぜ。器量も悪くない。ちょっとは、愛想よくしてみろよ。男があんたの前に列をなすぜ」
笑いながら、そのように言いました。 
その言葉は、どれほど残酷に、わたくしの心を傷つけたことでしょう。 



 わたくしが苦渋の思いで、決断したにも関わらず、レティシアは、セヴェロリンスクに行くと、わたくしを心配して、一緒に行くと言い張りました。
わたくしは、レティシアを振り切ることはできませんでした。 
それは、やはりわたくしが、お父様を、死を・・・、恐れていたからなのでしょう。 



 セヴェロリンスクに到着してからも、わたくしは、お父様のもとへレティシアを連れて行くことを、躊躇していました。
連れてゆけば、レティシアとしての人生は終わり、再び、レティシアはブロンディーヌとして、そして今度はお父様の所有物として、生きることになるからです。 
レティシアの母親と、同じ運命をたどることになるのです。 
そういったことは、リックという恋人を持ったために、これまで以上に、レティシアをずたずたに引き裂くことは、明らかでした。 
ですから、お父様から再三の催促があったにも関わらず、わたくしは、その日を先延ばしにしていました。
ところが、お姉様にようやくお会いしたその日、お姉様の不用意な一言が発端で、レティシアは、全てを知ることになったのです。 
わたくしは、レティシアに、心の底から同情しました。 
哀れに思いました。 
どうあっても助けなければならないと、思いました。 
でも・・・、でも、どうしても許せないことが、起こりました。 
わたくしはどうしても、許せなかったのです・・・。
レティシアのお腹に、赤ちゃんが宿ったことを。 
考えてみれば、わたくしは、あの時、お姉様をも、妬んでいたのです。 
アレクセイ国王への恋慕に溺れる、お姉様を嘲笑しながら、心のどこかで、妬んでいました。 



 わたくしは、レティシアをお父様のもとへ、向かわせました。 
行かせればどうなるかわかっていても、憎しみでいっぱいになったわたくしは、そうせずにはいられなかったのです。
わたくしが、心惹かれる男性の子供を宿した、レティシア。
わたくしは、一言も想いを告げることが許されないのに、優しく抱擁されるレティシア。 
そういった、濁った苦しい想いが、次から次へとあふれだして、押さえようとしても押さえようがないのです。
わたくしは、初めて、自分で自分を抑えることが、できなくなっていました。 
けれども結局は、お父様のもとへ向かったレティシアを放ってはおけずに、後から追ったのです。
わたくしが、お父様のいるミラージュの隠れ家へ着いた時、レティシアは隙をついて、お父様のもとを逃げ出したところでした。 
兵士たちが、レティシアを追っていました。 
わたくしも、急いでレティシアを捜しました。 
そして、わたくしは、自らの胸を刺して、庭に倒れるレティシアを見つけました。
わたくしは、そのレティシアを見て、もうこれで最期にしてあげよう、そう思いました。 
この娘は、死んだ方が幸せなのだと、レティシアに向かい、ナイフをふりあげました。 
でも・・・、でも、どうしても降り下ろせなかったのです。 
レティシアを、心から愛するリックは、ウッドフィールドでの別れの朝、必ず迎えに行くから待っているように、何かあれば、必ず連絡するようにと、何度も何度も、約束させていました。
リックは、レティシアの死を知って、どれほどの、深い悲しみを背負うことになるのか。 
わたくしが初めて愛した人に、どれほどの、絶望を味わせることになるのか。 
それは、わたくしにとっても、耐えがたい苦痛でした。 
わたくしは、どうしても、レティシアに止めを刺すことができませんでした。 
代わりにわたくしは、馬車に待たせていたエマを呼び、すぐさまレティシアをその場から運び去りました。
そうして、レティシアは助かることができたのです。 



 レティシアをさる場所へ隠したのは、このわたくしに対して、無礼な態度を取り続けたリックに、罰をあたえるためと、先ほど書きました。
けれども、それも真実ではありません。
あえて、下世話な言葉で書きますと、わたくしの嫉妬です。 
このわたくしが、あのふたりを結び付けるようなことを、どうしてできましょうか。 
ふたりには、ほんのしばらく、辛い気持を味わってほしいものです。
たとえそれが、わたくしの何十分の一かだとしても。 



 全てが終わって、やはり、これでよかったのだと思います。
お父様のことも、お母様のことも、リックのことも、レティシアのことも、わたくしの心の傷は、到底癒えそうにありません。 
ですが、最初にもお話した通り、今、わたくしは、胸の内に、一筋の希望も、感じているのです。 
実を申し上げて、わたくしは、ある大きな夢を描いております。 
それは、新天地で自分の土地を持ち、豊かな土壌に作物を実らせるという夢です。
その夢の実現の為に、わたくしは、新たな大地を目指します。
わたくしは、全てをあなたさまに告白し、ようやくこれまでの自分に、幕を引くことができたような気持ちでいます。
不思議です。
お父様のことも、お母様のことも、胸が張り裂けそうなほど哀しいはずなのに、一方で安堵の気持も強いのですから。
それでは、フィリップ様、本当にこれでお別れです。 
どうぞ、お健やかに、お過ごしになられますよう。
ごきげんよう、国王陛下。
                               アンヌ

                                  <完> 


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