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まれびとの社(二部)
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お土産のいちご飴と巨峰飴を日向さんと年神様に渡している傍で、「なにぃ!?」と神直日神が絶叫をあげた。
まるでムンクの”叫び”みたいなポーズだ。
「お、お前、妻がいたのか!?結婚してたのか!?そんなむさ苦しい顔で!!」
神直日神的には、鬼よりも顔が引っかかるらしい。
愕然とした表情が、「嘘だろ…」とか「マジか…」とか絞り出しながら、ノートパソコンと向き合っている鬼頭さんの頭に、平手を振り下ろしている。
なぜ引っ叩く必要があるのか。可哀想に、鬼頭さんは涙目だ。
されるがままなのは、神様に抵抗する勇気がないからだろう。
なんて理不尽だ。
「私も初耳です…」とは日向さん。
いちご飴を手に瞠目して、大神さんに「知ってました?」と訊いている。
「ああ、知ってる。カヨさんだったかな。幕末生まれの、快活とした女性だった」
大神さんは言って、麦茶で喉を潤す。
「鬼と人間では式はどうしたんだい?今よりも家と家の結びつきを重視してただろう?」
からころと、巨峰飴を口に含みながら年神様が首を傾げた。
「ご家族は亡くなっていたと思いますよ」
「でも、カミングアウトの時は奥さんもびっくりしたんじゃないですか?」
イメージとして、昔は人と妖怪が身近で、人にとって妖怪はとても危険な存在だったんじゃないだろうか。
そう思って訊けば、大神さんは肩を竦めた。
「カヨさんは妖怪を見る目を持っていたんですよ。さらに、とても勘が鋭く、新の秘密もすぐに見抜いたそうです。確か、野犬に襲われていたカヨさんを助けたのが出会いだと聞きましたよ。当時は帽子もなかったので、ほっかむりで角を隠してましたしね。最初は恩を仇で返すようなやり取りだったようですよ。まぁ、紆余曲折を経て婚姻しましたが」
「なんだかドキドキしちゃいますね」
私が言えば、日向さんも何度も頷く。
コイバナは嫌いじゃない。
むしろ大歓迎である。
「息子もいますよ」
これには年神様もびっくりしたらしい。
私もびっくりだ。
神様と人の間だけでなく、妖怪と人の間でも子供が作れてしまうのだ。全く想像していなかった。
「名前はなんと言ったかな…」
「玲生だよ」
聞き役に徹していた鬼頭さんが苦笑する。
明治時代の名前なのに、めちゃくちゃカッコイイ。てっきり、一郎とか清とか太郎とかだと思った。
須久奈様と神直日神は、「子供…!」とがたがたと震えている。
「私、全然知りませんでした。息子さんと会ってるんですか?というか…ご健在ですよね?」
日向さんの言葉に、鬼頭さんは困ったように頷く。
「玲生は見た目だけは妻に似て人間だけど、他は私に似てるから。普通に元気だよ。2、30年周期くらいで顔を見せに来るかな。あとは外国を飛び回ってるね」
「自称芸術家。金の無心だけは頻繁に来てるな」
それはなかなか…。
言葉が出ずに口を噤んだ私と日向さんとは対照的に、なぜか神直日神はご機嫌に鬼頭さんの肩を揉み始めた。
もう全てが謎行動すぎて怖い。
鬼頭さんもびくびくしながら、うちのプリンターを起動させる。薬袋さんから送信された写真をプリントアウトするらしい。
まぁ、神様の行動を一々気にしていても仕方ない。
「そういやぁ、お前、寺に行ったんだろ?どうだったんだ?」
鬼頭さんの肩に手を置いたまま、神直日神が大神さんに目を向けた。
なんだかんだ、神直日神って鬼頭さんを気に入ってる。鬼頭さんにしてみれば恐怖なんだろうけど、作業を続けられるくらいの胆力は残っているので、須久奈様ほどの恐怖はないと推測してみる。
「住職に会えました」
「前住はいました?」
薬袋さんと前住のやり取りを伝えれば、大神さんは緩く頭を振った。
「昨年末に亡くなったそうで、話が聞けたのは住職と坊守…奥方です。恐らく、前住が生前に伝えていたのでしょう。”決して川守村には近づくな”と。住職が知り得る川守村は、その一点のみ。村に何があり、なぜ危険視されているのかさえ分からないと言っていました」
槙村さんと同じだ。
「東衛寺には川守村所縁の個人の墓が何基かあるそうですが、殆どが無縁仏状態。年に1人2人が参りに来るくらいだということです。ただ、気になったことが1つ。前住が亡くなるまで、頻繁に東衛寺を訪ねて来る男がいたそうです。名前は中村。60手前の男性だそうで、川守村について調べているというので、彼に尋ねてみてはとのことですが連絡先は不明です」
大神さんは苦い表情だ。
これにそわそわと、日向さんが「実は…」と私たちを見渡した。
「私、帰り際に奥さんに呼び止められたんです」
ぎょっとしたのは大神さん。
初耳だったのか、眉宇を顰めながら日向さんを見ている。
「奥さん、中村さんが苦手だったらしくて、あまり関わらない方がいいかもって」
「理由は訊いたか?」
「川守村について尋ねて来る人は年に2、3人はいるそうなんですけど、中村さんは月1ペースで来ては、前住さんに土下座して”思い出して下さい”って懇願してたそうです。それが鬼気迫る勢いで、前住さんも困惑していたらしくて…」
「何を思い出せと?」
「……社の場所です。川守村に一番近いお寺が東衛寺なんです。なので、お寺の人が葬儀やお盆の度に川守村まで登っていたらしくて。最後に登ったのが前住さんだったのを知って、中村さんが社は何処にあったか思い出してほしい、簡単でいいから川守村の地図を描いてほしいってお願いに来てたと聞きました。前住さんも登ったのは子供の頃だったので、よく覚えていないと断っていたそうですが、納得できずに何度も通うようになったと、奥さんは嫌ってました」
「執念を感じるね」
年神様はガリッと巨峰飴を噛んで考え込んだ。
と、プリンターが騒々しく動き始めた。
資料館のパネルの写真は2枚だったけど、薬袋さんから送られて来た写真は全部で6枚。
プリンターから吐き出されるのは、A4サイズの用紙にプリントされた不鮮明な写真。昔のカメラだから、これが普通なのかもしれないけど、見慣れない白黒写真は分かり辛い。
次々と…とは言っても、古いプリンターなので、じれったい速度で、ぺ、と乱暴に用紙を吐き出していく。
1枚目と2枚目は資料館のパネルで展示されていた。川守村の風景と笹舟流しの神事だ。
3枚目は結婚式のもの。
確か、花嫁行列と言うんだと思う。角隠しを被った花嫁と紋付き袴の花婿が、村の小道を歩いている。2人の後ろには親族なのか、和装の人たちが列を成して続く。
見知らぬ光景なのに、「昔の嫁入りはこんな感じだよ」と年神様が教えてくれると、なんだか懐かしく感じるから不思議だ。
4枚目はお葬式の様子だ。
これは今も昔も変わらない。特に斎場が近くにない田舎は、今も家で行う。うちも祖父母の葬儀は家でした。襖を取り外せば、連なった座敷は多くの弔問客を受け入れることができるのだ。
5枚目は、のっぺりとした無表情で横並びする子供たち。
カメラを前に緊張しているのか、ぎゅっと拳を握る子供もいる。
そして、最後の1枚は例の社だ。
白黒写真なので色合いは分からないけど、黒ずんだ小さな社の中に、黒ずんだ何かが鎮座している。ゑびす様と言われなければ、お地蔵さんにも見えるし、歪曲すればコケシのようにも見える。その社の前に、手ぬぐいを頭に巻いたモンペ姿の女性が跪いて手を合わせている。
「これ、カラーにできねぇの?」
「写真編集ソフトはもってないので…。フリーのはトリミングや色補正で、恐らく解像度をあげるのは難しいと思います。…すみません」
鬼頭さんは悪くないのに、ひたすら低姿勢で頭を下げている。
一方、須久奈様と年神様は卓上に並ぶ写真を見据え苦い顔だ。
「神事の一部を拡大しました。見辛いですが…」
鬼頭さんは言って、プリントアウトした最後の1枚を卓上に置いた。
やっぱり解像度が悪い。
それでも、拡大してくれたお陰で、おかっぱ頭の女の子の手に笹舟があるのが辛うじて分かる。
「これ、悪いものを乗せてるんですよね?人形祓いや流し雛とはまた違うんですか?」
「流し雛か…」
神直日神が苦々しく顔を歪めた。
須久奈様と年神様を見れば、2柱も似通った顔つきだ。
いちご飴を咀嚼して飲み込んでから、そわそわと3柱を見渡す。
「そういえば、資料館でも須久奈様は流し雛に反応してましたね…」
私の言葉に、鬼頭さんが「そうなの!?」と丸々と目を見開いた。
須久奈様の不興を買ったのかと、がくがくと震えている。
「流し雛は悪いものではないけどね。その起源に思うところがあるんだよ」
年神様が言って、巨峰飴を食べ終えた割り箸を包みの上に置く。
麦茶を飲んで、次いで手を伸ばすのは梅が枝餅だ。
「起源…」と口ごもり、気難しげに眉間に皺を刻んだのは大神さんで、考えることを放棄したのが私と日向さんだ。
「流し雛の形だよ」
神直日神がぶっきら棒にヒントをくれて、鬼頭さんが流し雛を検索した。
ノートパソコンの画面をこちらに向けてくれる。
表示された画像は様々だ。
丸く編み込まれた藁の舟に男女の紙人形を乗せたものもあれば、刺身で馴染み深い舟盛りの舟に雛人形を乗せたものまである。
ざっと見、一番多いのは藁の舟と紙人形の組み合わせかな。
あとは地域によって花を添えたり、紙人形が2人から4人に増えたりしている。
「あ」
大神さんが「そうか」と頭を上げた。
「桟俵は葦舟の代用品なんですね」
そこまで言われれば、流石の私だって勘付く。
「もしかして、流し雛ってヒルコノミコト様に見立ててるんですか…?」
「長い時を経て変化はしているけど、起源は葦舟に乗せられて捨てられた蛭子命だね。桟俵を用いていたのは、悪しきものを遠ざけるという呪術の要素を組み込んだからだよ」
「ヒルコノミコト様をモデルにしてるって聞くと、流し雛が怖く見えます」
写真では華やかな行事なのに…。
「でも、流し雛や人形祓いは、悪いものを祓うんですよね?」
「穢れを浄化するという意味では一緒だね。流し雛は雛祭りの日が多いけど、人形祓いは基本的に大祓かな。言ってしまえば、罪や穢れを人形に移して川や海に流して浄化をするのを目的とした自祓いなんだよ」
「じばらい?」
「自分で自分を祓うことかな」
「セルフだよ。セ、ル、フ」と、神直日神が肩を竦める。
「セルフお祓い!なんというか…効果がなさそうな感じですね」
私なら、ちゃんと神主さんにやってもらいたい。
「それじゃあ、こっちの笹舟も自祓いなんですか?笹舟に人形を乗せてるとか?」
「これは手紙にも書いてただろう?”1年の恨みつらみを笹舟にぶつけて流す。それがクワアウ流しだ”と」
「結局は同じ悪いモノじゃないんですか?」
神直日神が説明してくれるけど、違いが分からない。
首を捻っていると、「すみません」と大神さんが軽く手を挙げた。
「脱線してしまいますが、誤解を解いておきたいので説明させて下さい。一花さんの考える罪や穢れ。それは大罪のことではありません」
大神さんが私の考えを見抜いたように口を開いた。
「齟齬が生じているようなので確認しますが、一花さんは犯罪者が抱えた大罪をイメージしているのではないですか?」
「はい。違うんですか?」
「ああ、なるほどね」と、年神様が額に手を当てた。
「通常の神事で使われる”罪”や”穢れ”というものは、ささやかな悪いものです。例えば嘘。些細な不正。罰せられることはない、良心が痛む程度の罪悪感。それらが積み重なり、心が摩耗し、穢れとなるんです。つまり心身の不調という意味ですね。身代わりとしてそれらを引き受けてくれるのが人形になります。人形に名を記すことで身代わりとなり、息を吹きかけることで罪と穢れが人形に移る。川に流すことで祓いは完了となります」
大神さんの説明は分かりやすい。
罪というから、てっきり警察に厄介になるものばかりが頭に浮かんでいた。穢れの意味も、私が思い浮かべた邪悪なものと違った。だからセルフで祓えるのだと納得する。
「鎮魂。もしくは誰もが持つ罪や穢れを祓うことを目的にした流し雛に対し、クワアウ流しは恐らくですが、明確な悪意、憎悪を乗せて流すだけの行為です。呪詛に近いのではないでしょうか」
「そんなものが流れて来る下流域はたまったものじゃないよ」
鬼頭さんは言いながら、プリンターのケーブルを片付け始めた。
呪いなんて爆弾もいいところだ。
「い…一花。この件から下りるか?」
「ダメですよ!絶対にダメ。もし途中棄権なんてしたら、きっと正真正銘の神罰が下ります」
「だろうな~」と、神直日神が寝転んだ。
「これは須久奈を引っ張り出すことが目的だろうけど、同時に一花ちゃんへか、もしくは久瀬家もひっくるめてなのかは分からないけど、試験のような気もするね。もし試験を兼ねていたら下りるのは賢明ではないよ。まぁ、単なる暇潰しの可能性もあるけどね」
「いやいや。ムチャブリだろ~」
神直日神がけたけたと笑い、年神様が口角を歪めて苦い顔を作った。
須久奈様に至ってはイライラを治めるように、なぜか私に抱きついて「すーはー」とニオイを嗅いで来る。
本当に止めてほしい。
「も…あいつ殺したい…っ」
「成す術もなくヘッドロックされてたじゃないですか。返り討ちに遭います。危ないですよ」
どうどう、と須久奈様の背中を叩けば、須久奈様は悔しそうに歯軋りする。
「須久奈がヘッドロックか~。やっぱ格が違うよな~。須久奈の怪力を往なすなんて、普通は無理だろ?」
どこか遠い目で神直日神が天井を見ている。
須久奈様の蹴りで内臓がぐしゃり、昨日はアイアンクローで顔がぐしゃりかけた神様の言葉は重い。
神直日神の隣では、神社で簡単に捕まっていた鬼頭さんも魂の抜けた顔つきだ。鬼といえば怪力をイメージするけど、それを凌ぐ怪力の須久奈様が往なされたのだから、間接的に高木神様の畏ろしさを痛感したのだろう。
「回収は私がしますよ」
大神さんが手にしたプリントを卓上に戻しながら男気を見せた。
なんと心強い言葉か。
イケメンは言動までイケメンだ。
「回収した物はどうするんだい?」
年神様が須久奈様に目を向けると、須久奈様は「いらない」と頭を振る。
「忌み物の正体が分からないから回収するようにとは言ってましたが、渡すようには言われてません」
たぶん…。
百花にも確認が必要かもしれないけど、高木神様から回収後については言明されなかったように思う。
「では、忌み物は私たちが貰い受けます。受けた報酬の半分を須久奈様に渡すのでいかがでしょうか?」
「ああ…それで構わない」
須久奈様が頷いた。
「その報酬で宴だな~」と、神直日神が舌なめずりする。
年神様も満更でないようだ。ほんのりと口元を緩め、小さく頷いている。
神様が全員そうなのか、それとも3柱が特別そうなのかは分からないけど、本当に酒好きだ。
「大神さん。回収までの間、よろしくお願いします」
深く頭を下げた私に、「こちらこそ」と大神さんは心強い言葉で頷いてくれた。
顔も心意気もイケメンである。
まるでムンクの”叫び”みたいなポーズだ。
「お、お前、妻がいたのか!?結婚してたのか!?そんなむさ苦しい顔で!!」
神直日神的には、鬼よりも顔が引っかかるらしい。
愕然とした表情が、「嘘だろ…」とか「マジか…」とか絞り出しながら、ノートパソコンと向き合っている鬼頭さんの頭に、平手を振り下ろしている。
なぜ引っ叩く必要があるのか。可哀想に、鬼頭さんは涙目だ。
されるがままなのは、神様に抵抗する勇気がないからだろう。
なんて理不尽だ。
「私も初耳です…」とは日向さん。
いちご飴を手に瞠目して、大神さんに「知ってました?」と訊いている。
「ああ、知ってる。カヨさんだったかな。幕末生まれの、快活とした女性だった」
大神さんは言って、麦茶で喉を潤す。
「鬼と人間では式はどうしたんだい?今よりも家と家の結びつきを重視してただろう?」
からころと、巨峰飴を口に含みながら年神様が首を傾げた。
「ご家族は亡くなっていたと思いますよ」
「でも、カミングアウトの時は奥さんもびっくりしたんじゃないですか?」
イメージとして、昔は人と妖怪が身近で、人にとって妖怪はとても危険な存在だったんじゃないだろうか。
そう思って訊けば、大神さんは肩を竦めた。
「カヨさんは妖怪を見る目を持っていたんですよ。さらに、とても勘が鋭く、新の秘密もすぐに見抜いたそうです。確か、野犬に襲われていたカヨさんを助けたのが出会いだと聞きましたよ。当時は帽子もなかったので、ほっかむりで角を隠してましたしね。最初は恩を仇で返すようなやり取りだったようですよ。まぁ、紆余曲折を経て婚姻しましたが」
「なんだかドキドキしちゃいますね」
私が言えば、日向さんも何度も頷く。
コイバナは嫌いじゃない。
むしろ大歓迎である。
「息子もいますよ」
これには年神様もびっくりしたらしい。
私もびっくりだ。
神様と人の間だけでなく、妖怪と人の間でも子供が作れてしまうのだ。全く想像していなかった。
「名前はなんと言ったかな…」
「玲生だよ」
聞き役に徹していた鬼頭さんが苦笑する。
明治時代の名前なのに、めちゃくちゃカッコイイ。てっきり、一郎とか清とか太郎とかだと思った。
須久奈様と神直日神は、「子供…!」とがたがたと震えている。
「私、全然知りませんでした。息子さんと会ってるんですか?というか…ご健在ですよね?」
日向さんの言葉に、鬼頭さんは困ったように頷く。
「玲生は見た目だけは妻に似て人間だけど、他は私に似てるから。普通に元気だよ。2、30年周期くらいで顔を見せに来るかな。あとは外国を飛び回ってるね」
「自称芸術家。金の無心だけは頻繁に来てるな」
それはなかなか…。
言葉が出ずに口を噤んだ私と日向さんとは対照的に、なぜか神直日神はご機嫌に鬼頭さんの肩を揉み始めた。
もう全てが謎行動すぎて怖い。
鬼頭さんもびくびくしながら、うちのプリンターを起動させる。薬袋さんから送信された写真をプリントアウトするらしい。
まぁ、神様の行動を一々気にしていても仕方ない。
「そういやぁ、お前、寺に行ったんだろ?どうだったんだ?」
鬼頭さんの肩に手を置いたまま、神直日神が大神さんに目を向けた。
なんだかんだ、神直日神って鬼頭さんを気に入ってる。鬼頭さんにしてみれば恐怖なんだろうけど、作業を続けられるくらいの胆力は残っているので、須久奈様ほどの恐怖はないと推測してみる。
「住職に会えました」
「前住はいました?」
薬袋さんと前住のやり取りを伝えれば、大神さんは緩く頭を振った。
「昨年末に亡くなったそうで、話が聞けたのは住職と坊守…奥方です。恐らく、前住が生前に伝えていたのでしょう。”決して川守村には近づくな”と。住職が知り得る川守村は、その一点のみ。村に何があり、なぜ危険視されているのかさえ分からないと言っていました」
槙村さんと同じだ。
「東衛寺には川守村所縁の個人の墓が何基かあるそうですが、殆どが無縁仏状態。年に1人2人が参りに来るくらいだということです。ただ、気になったことが1つ。前住が亡くなるまで、頻繁に東衛寺を訪ねて来る男がいたそうです。名前は中村。60手前の男性だそうで、川守村について調べているというので、彼に尋ねてみてはとのことですが連絡先は不明です」
大神さんは苦い表情だ。
これにそわそわと、日向さんが「実は…」と私たちを見渡した。
「私、帰り際に奥さんに呼び止められたんです」
ぎょっとしたのは大神さん。
初耳だったのか、眉宇を顰めながら日向さんを見ている。
「奥さん、中村さんが苦手だったらしくて、あまり関わらない方がいいかもって」
「理由は訊いたか?」
「川守村について尋ねて来る人は年に2、3人はいるそうなんですけど、中村さんは月1ペースで来ては、前住さんに土下座して”思い出して下さい”って懇願してたそうです。それが鬼気迫る勢いで、前住さんも困惑していたらしくて…」
「何を思い出せと?」
「……社の場所です。川守村に一番近いお寺が東衛寺なんです。なので、お寺の人が葬儀やお盆の度に川守村まで登っていたらしくて。最後に登ったのが前住さんだったのを知って、中村さんが社は何処にあったか思い出してほしい、簡単でいいから川守村の地図を描いてほしいってお願いに来てたと聞きました。前住さんも登ったのは子供の頃だったので、よく覚えていないと断っていたそうですが、納得できずに何度も通うようになったと、奥さんは嫌ってました」
「執念を感じるね」
年神様はガリッと巨峰飴を噛んで考え込んだ。
と、プリンターが騒々しく動き始めた。
資料館のパネルの写真は2枚だったけど、薬袋さんから送られて来た写真は全部で6枚。
プリンターから吐き出されるのは、A4サイズの用紙にプリントされた不鮮明な写真。昔のカメラだから、これが普通なのかもしれないけど、見慣れない白黒写真は分かり辛い。
次々と…とは言っても、古いプリンターなので、じれったい速度で、ぺ、と乱暴に用紙を吐き出していく。
1枚目と2枚目は資料館のパネルで展示されていた。川守村の風景と笹舟流しの神事だ。
3枚目は結婚式のもの。
確か、花嫁行列と言うんだと思う。角隠しを被った花嫁と紋付き袴の花婿が、村の小道を歩いている。2人の後ろには親族なのか、和装の人たちが列を成して続く。
見知らぬ光景なのに、「昔の嫁入りはこんな感じだよ」と年神様が教えてくれると、なんだか懐かしく感じるから不思議だ。
4枚目はお葬式の様子だ。
これは今も昔も変わらない。特に斎場が近くにない田舎は、今も家で行う。うちも祖父母の葬儀は家でした。襖を取り外せば、連なった座敷は多くの弔問客を受け入れることができるのだ。
5枚目は、のっぺりとした無表情で横並びする子供たち。
カメラを前に緊張しているのか、ぎゅっと拳を握る子供もいる。
そして、最後の1枚は例の社だ。
白黒写真なので色合いは分からないけど、黒ずんだ小さな社の中に、黒ずんだ何かが鎮座している。ゑびす様と言われなければ、お地蔵さんにも見えるし、歪曲すればコケシのようにも見える。その社の前に、手ぬぐいを頭に巻いたモンペ姿の女性が跪いて手を合わせている。
「これ、カラーにできねぇの?」
「写真編集ソフトはもってないので…。フリーのはトリミングや色補正で、恐らく解像度をあげるのは難しいと思います。…すみません」
鬼頭さんは悪くないのに、ひたすら低姿勢で頭を下げている。
一方、須久奈様と年神様は卓上に並ぶ写真を見据え苦い顔だ。
「神事の一部を拡大しました。見辛いですが…」
鬼頭さんは言って、プリントアウトした最後の1枚を卓上に置いた。
やっぱり解像度が悪い。
それでも、拡大してくれたお陰で、おかっぱ頭の女の子の手に笹舟があるのが辛うじて分かる。
「これ、悪いものを乗せてるんですよね?人形祓いや流し雛とはまた違うんですか?」
「流し雛か…」
神直日神が苦々しく顔を歪めた。
須久奈様と年神様を見れば、2柱も似通った顔つきだ。
いちご飴を咀嚼して飲み込んでから、そわそわと3柱を見渡す。
「そういえば、資料館でも須久奈様は流し雛に反応してましたね…」
私の言葉に、鬼頭さんが「そうなの!?」と丸々と目を見開いた。
須久奈様の不興を買ったのかと、がくがくと震えている。
「流し雛は悪いものではないけどね。その起源に思うところがあるんだよ」
年神様が言って、巨峰飴を食べ終えた割り箸を包みの上に置く。
麦茶を飲んで、次いで手を伸ばすのは梅が枝餅だ。
「起源…」と口ごもり、気難しげに眉間に皺を刻んだのは大神さんで、考えることを放棄したのが私と日向さんだ。
「流し雛の形だよ」
神直日神がぶっきら棒にヒントをくれて、鬼頭さんが流し雛を検索した。
ノートパソコンの画面をこちらに向けてくれる。
表示された画像は様々だ。
丸く編み込まれた藁の舟に男女の紙人形を乗せたものもあれば、刺身で馴染み深い舟盛りの舟に雛人形を乗せたものまである。
ざっと見、一番多いのは藁の舟と紙人形の組み合わせかな。
あとは地域によって花を添えたり、紙人形が2人から4人に増えたりしている。
「あ」
大神さんが「そうか」と頭を上げた。
「桟俵は葦舟の代用品なんですね」
そこまで言われれば、流石の私だって勘付く。
「もしかして、流し雛ってヒルコノミコト様に見立ててるんですか…?」
「長い時を経て変化はしているけど、起源は葦舟に乗せられて捨てられた蛭子命だね。桟俵を用いていたのは、悪しきものを遠ざけるという呪術の要素を組み込んだからだよ」
「ヒルコノミコト様をモデルにしてるって聞くと、流し雛が怖く見えます」
写真では華やかな行事なのに…。
「でも、流し雛や人形祓いは、悪いものを祓うんですよね?」
「穢れを浄化するという意味では一緒だね。流し雛は雛祭りの日が多いけど、人形祓いは基本的に大祓かな。言ってしまえば、罪や穢れを人形に移して川や海に流して浄化をするのを目的とした自祓いなんだよ」
「じばらい?」
「自分で自分を祓うことかな」
「セルフだよ。セ、ル、フ」と、神直日神が肩を竦める。
「セルフお祓い!なんというか…効果がなさそうな感じですね」
私なら、ちゃんと神主さんにやってもらいたい。
「それじゃあ、こっちの笹舟も自祓いなんですか?笹舟に人形を乗せてるとか?」
「これは手紙にも書いてただろう?”1年の恨みつらみを笹舟にぶつけて流す。それがクワアウ流しだ”と」
「結局は同じ悪いモノじゃないんですか?」
神直日神が説明してくれるけど、違いが分からない。
首を捻っていると、「すみません」と大神さんが軽く手を挙げた。
「脱線してしまいますが、誤解を解いておきたいので説明させて下さい。一花さんの考える罪や穢れ。それは大罪のことではありません」
大神さんが私の考えを見抜いたように口を開いた。
「齟齬が生じているようなので確認しますが、一花さんは犯罪者が抱えた大罪をイメージしているのではないですか?」
「はい。違うんですか?」
「ああ、なるほどね」と、年神様が額に手を当てた。
「通常の神事で使われる”罪”や”穢れ”というものは、ささやかな悪いものです。例えば嘘。些細な不正。罰せられることはない、良心が痛む程度の罪悪感。それらが積み重なり、心が摩耗し、穢れとなるんです。つまり心身の不調という意味ですね。身代わりとしてそれらを引き受けてくれるのが人形になります。人形に名を記すことで身代わりとなり、息を吹きかけることで罪と穢れが人形に移る。川に流すことで祓いは完了となります」
大神さんの説明は分かりやすい。
罪というから、てっきり警察に厄介になるものばかりが頭に浮かんでいた。穢れの意味も、私が思い浮かべた邪悪なものと違った。だからセルフで祓えるのだと納得する。
「鎮魂。もしくは誰もが持つ罪や穢れを祓うことを目的にした流し雛に対し、クワアウ流しは恐らくですが、明確な悪意、憎悪を乗せて流すだけの行為です。呪詛に近いのではないでしょうか」
「そんなものが流れて来る下流域はたまったものじゃないよ」
鬼頭さんは言いながら、プリンターのケーブルを片付け始めた。
呪いなんて爆弾もいいところだ。
「い…一花。この件から下りるか?」
「ダメですよ!絶対にダメ。もし途中棄権なんてしたら、きっと正真正銘の神罰が下ります」
「だろうな~」と、神直日神が寝転んだ。
「これは須久奈を引っ張り出すことが目的だろうけど、同時に一花ちゃんへか、もしくは久瀬家もひっくるめてなのかは分からないけど、試験のような気もするね。もし試験を兼ねていたら下りるのは賢明ではないよ。まぁ、単なる暇潰しの可能性もあるけどね」
「いやいや。ムチャブリだろ~」
神直日神がけたけたと笑い、年神様が口角を歪めて苦い顔を作った。
須久奈様に至ってはイライラを治めるように、なぜか私に抱きついて「すーはー」とニオイを嗅いで来る。
本当に止めてほしい。
「も…あいつ殺したい…っ」
「成す術もなくヘッドロックされてたじゃないですか。返り討ちに遭います。危ないですよ」
どうどう、と須久奈様の背中を叩けば、須久奈様は悔しそうに歯軋りする。
「須久奈がヘッドロックか~。やっぱ格が違うよな~。須久奈の怪力を往なすなんて、普通は無理だろ?」
どこか遠い目で神直日神が天井を見ている。
須久奈様の蹴りで内臓がぐしゃり、昨日はアイアンクローで顔がぐしゃりかけた神様の言葉は重い。
神直日神の隣では、神社で簡単に捕まっていた鬼頭さんも魂の抜けた顔つきだ。鬼といえば怪力をイメージするけど、それを凌ぐ怪力の須久奈様が往なされたのだから、間接的に高木神様の畏ろしさを痛感したのだろう。
「回収は私がしますよ」
大神さんが手にしたプリントを卓上に戻しながら男気を見せた。
なんと心強い言葉か。
イケメンは言動までイケメンだ。
「回収した物はどうするんだい?」
年神様が須久奈様に目を向けると、須久奈様は「いらない」と頭を振る。
「忌み物の正体が分からないから回収するようにとは言ってましたが、渡すようには言われてません」
たぶん…。
百花にも確認が必要かもしれないけど、高木神様から回収後については言明されなかったように思う。
「では、忌み物は私たちが貰い受けます。受けた報酬の半分を須久奈様に渡すのでいかがでしょうか?」
「ああ…それで構わない」
須久奈様が頷いた。
「その報酬で宴だな~」と、神直日神が舌なめずりする。
年神様も満更でないようだ。ほんのりと口元を緩め、小さく頷いている。
神様が全員そうなのか、それとも3柱が特別そうなのかは分からないけど、本当に酒好きだ。
「大神さん。回収までの間、よろしくお願いします」
深く頭を下げた私に、「こちらこそ」と大神さんは心強い言葉で頷いてくれた。
顔も心意気もイケメンである。
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