まま恋。

美木いち佳

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 五月の半ば、梅雨を待つ束の間の爽やかな陽気。校庭の外周では、真っ赤なツツジが太陽に応えて鮮やかに両手を広げている。もう少ししたら紫陽花も雨を飲む準備をし始めるのだろうけど、白く輝くテントの下で賑やかな声に体を浸らせていると、カラリと気持ち良いこんな日がいつまでも続いてくれたらなと、どうしても思ってしまう。
 ただ、とりあえず今日のところはオールブルー。雲ひとつ見えない、これ以上ない程の体育祭日和だった。

「はーい!ご覧の通り、騎馬戦二年女子の陣は、赤組が二騎を残しての勝利となりましたー!赤組に勝利ポイントが加算されまーす!」
 冴子先生の揚々とした声が場内に響く中、白い鉢巻を結び直しながら、紗奈ちゃんが種目を終えて帰って来た。
「はー!赤組強すぎない?」
「お疲れ様!騎馬戦、惜しかったね」
 脇腹についた砂の痕を払うけど、少し色が残ってしまっている。諦めて紗奈ちゃんは、私の渡したペットボトルの蓋を開けた。
「んー。背が高いってだけで担ぎ上げられても困るのよね。バランス取れなくてすぐ崩されちゃった」
 そうは言いながらもその前に、電光石火のごとく相手の騎馬を五つは崩していた。大将顔負けの働きに違いない。ただ、全体で見れば惜しくも及ばず、また総合得点差は開いてしまった。
「でもすごかったよ!格好良かった!」
「ありがと。でもその褒め言葉は王子のために取っときな?」
「えっ!?」
「ふふ。頬っぺただけ赤組みたいよー?遥」
 更新されたばかりのスコアボードに、私たちは揃って目を向ける。そして、はー、とため息。
 紗奈ちゃん、鷹矢くん、私は奇数クラスなので白組、偶数クラスの湊人と美冬ちゃんが赤組となったこの紅白戦は、赤の圧倒的強さを見せつけられるワンサイドゲーム。例年、スポーツエリートの六組を擁する赤組が強いとは言われているけれど、これではいくらなんでも差がありすぎる。
「うちの先輩で普通科の人たちもほとんど赤組だしねー。やっぱ燃える色は強いわ」
 紗奈ちゃんの話によると、バレーで対戦する高校も、赤いユニフォームのチームは大抵強いと言う。横断幕も「燃えろ!」とか「完全燃焼!」とか、とにかく熱いらしいのだ。それを聞くと、白という色は爽やかなあまり情熱とか熱気とか、そういったものが足りないのかもしれないなと思ったり。
「でもまだ、残りの種目取れば逆転あるかも…!」
「そうねー、最終種目のリレー、ワンツーを白が決めればね」
「え」
「遥からアンカー王子への息ぴったりのバトンパスに、もう懸けるしかないね?」
「えっ!?」
 そう、紗奈ちゃんと鷹矢くんは当然として、私もなぜかリレーの走者に選ばれてしまったのだ。各学年ごとに四人を選抜して、それを二手に分ける。一チーム六人組で、紅白二チームずつ、計四チームで走る色別対抗男女混合リレーは、この体育祭のラストを飾るメインの競技。紗奈ちゃんは白のBチーム、鷹矢くんと私はAチームとして登録されている。
「ど、どうしよう、絶対私で抜かれちゃう…!」
「何言ってんの、二年の白組では間違いなくあたしの次に速いタイムなんだから」
「あ、あの測定会のときは何かの奇跡が…」
「大丈夫だって。同じ小学校の子から聞いてるよー?遥、毎年リレーの選手だったって」
「それは小さいときの話…!」
「あーほら!男子の騎馬戦始まる!王子、大将なんでしょ?」
「続いてのプログラムは、二年生男子による騎馬戦ですっ!熱い男の闘いを、どうぞお見逃し無くっ!」
 弾むアナウンスは代わって、放送委員を務める美冬ちゃんのものだ。さっきの騎馬戦、出ていたはずだけど。もうしっかり放送席に座っているなんてさすがは美冬ちゃん、仕事ができる。
 そして間もなく法螺貝の音が響き渡る。
「遥、こっちこっち!」
「あ、うん!」
 その余韻が消えぬうちに、和太鼓の激しいひと打ち。両者の騎馬はグラウンド中央に向かって駆けて行く。鷹矢くんの騎馬は「大将」と書かれた純白の旗を掲げながら、今は表立っては前線に赴かない。大将が攻め落とされれば即刻負けが確定するからだ。
 女子の戦が負けた以上、ここは絶対に落とせない白の正念場。慎重に慎重を期して、向かい来る赤の軍勢を、大将を守るように取り囲む白の兵たちが食い止める。
「赤は押せ押せね」
「皆、大将しか狙ってこない…!」
 砂埃で視界不良の中、赤組大将の燃えるような旗色だけは鮮明に浮かび上がる。舞う土煙を裂くように一直線、鋭い眼光でただ一点を見つめ来るのは、湊人だ。
「赤組大将、二年六組林堂湊人くん、敵陣を突っ切る猛攻ですっ!」
「やっぱ、そうきたか」
「え、湊人、大将なのに!?」
 普通、大将は一騎討ちの局面になるまで温存しておくのがセオリーだ。無闇に突っ込んで倒されたらおしまいなのに。
「おおっと!これは、白組大将、二年五組蓮未鷹矢くんを、正面から攻略しようということなのでしょうかっ!」
 もう大多数の騎馬は敗れ、自陣にて戦果報告を待つ態勢だ。少しずつ視界は晴れて、数少ない騎馬が取っ組み合いをしている。その中心で睨み合う、二人。
「鷹矢くん…」
 声援が飛び交っている。でも私は両手を前で固く結んだまま、祈るようにじっと見つめることしかできなかった。
「…湊人」
 四月に二人の言い争いを聞いてしまってからは、湊人の前では鷹矢くんの話はタブーになりつつあるし、鷹矢くんも湊人を爽やかに敵視している節がある。有り体に言えば、仲が良くないのだ。それを知っている分、伝わる緊迫感は並々ならぬものだった。
 ふと、青空をバックに二人の口が動くのが見えた。何か言葉を交わしているようだけど、当然ここからでは聞こえない。ただ、両者口を閉ざした後、目に込めた力が一層切れ味を増したことだけは確かだった。
「…!」
 走る緊張。
 フォオォー、フォオォー。しかしここで再び、法螺貝が鳴る。
「それではこれより、一騎討ちを始めますっ。残騎は、赤が四、白が四…なんと!互角ですっ」



「ふー。息詰まるわぁ」
 和太鼓がドンと鳴るたび、どちらかの騎馬は敗れていく。それも互い違いに。そして今、鷹矢くんが手に掴んでいるのは赤い鉢巻。勝負は大将戦にもつれ込む。
「さあ、いよいよ大詰めっ!全てがこの闘いで決まります!一体男たちは何を懸けて闘うのか…大将戦の幕が、」
 ドンッ。
「切って落とされますっ!」
「鷹矢くんッ…」
 真っ向からがっちり組み合う赤と白。高さは鷹矢くんのほうが有利だ。一際大きくなる歓声も、少しずつ遠退いていくほど、私は二人の闘いに集中していた。
「…湊人…」
 振りほどいた手を、素早く繰り出しては払われのカウンターの連続。前に後ろに、左に右に、激しく動く大将を支える騎馬の三人も、歯を食い縛りながらどうにかバランスを保つ。ここまできたら譲れない、そんな意地を感じる。チーム一丸となって。ただ、やはり大将という大役を担う二人には、それが突出して強いように思えた。それが競技とは関係ない因縁からくるものであっても、観客を熱くさせることには変わりない。
 そうして、これは持久戦になるぞと思われた時だった。
「あッ…」
 隣の紗奈ちゃんの叫び声、悲鳴にも似た大声援、傾ぐ旗。
 そして下から掬い上げる歪んだ目。
「そこまでっ!」
 今日一番の和太鼓の号砲が耳をつんざく。
 くずおれた騎馬の上にカランと折り重なったのは、
「…勝者、」
 赤の旗。
「白っ!」
「きゃあ!やった!遥!さすが王子!」
 ワアッと巻き起こる拍手喝采、抱き合いながら喜ぶ白組。私も紗奈ちゃんに抱きしめられながら、激戦の名残を目に留めていた。
 それに応えるように、砂にまみれることなど知らず輝く笑顔は、真っ赤な鉢巻を空高く突き上げていた。



 それにしても暑い。私は髪を結い直していた。顎を滴り落ちる雫がくすぐったくて、拭う。日焼け止めなんて意味が無い。とうに落ちてしまっていた。手の甲にひりひりと汗がしみる。
 朝、出掛ける前の天気情報で、確かに今日は真夏日と聞いてはいたけど、こんなにも太陽が容赦ないなんて。見上げたらチカチカ、目も開けていられないほど。
 でも、何度も顔を上げてしまう。そうしていれば、たった一度だけで私の心に焼き付いた、彼の笑顔が降ってきそうな気がして。
 ――いつ、また、あなたに会える?
「清次さん」
「…あ!はい!」
 いけない。ついぼうっとしてしまっていた。
 この昼下がりの一番気温が上がる時間帯、私たちリレーの選手は、自チームのテントを離れ最終調整の真っ只中。
「いよいよ本番ね。よろしく!」
「はい、よろしくお願いします!」
「確認なんだけど…」
 今は三年生の組体操の演技が行われている最中だけれど、白組の勝敗は最後の競技に委ねられているというこの状況。対戦種目ではない鮮やかなマスゲームを楽しむ余裕は、私たちには無かった。
「先輩!ハルカ!バトンパス、僕も一回いいですか?」
「え、あ…は、蓮未くん…!」
 先輩とパスの確認をしているところへ、鷹矢くんも合流した。この爽やかな笑顔、凛々しく鉢巻を結んだ姿を目にして先輩は、バトン受け渡し体勢のままつい固まってしまったようだ。キラキラオーラにコーティングされつつある先輩に、私は遠慮がちに声を掛ける。
「えっと、じゃあ先輩からもう一度、お願いします!」
「お願いします」
「あ、うん、じゃあ、行くね…」
 四走の先輩から私へ、そして鷹矢くんはアンカーだ。その彼に繋ぐ私の五走抜擢は、このバトンパスのスキルを買われてのことだった。小学校の六年間、だてに毎年リレーをやっていたわけではなかったみたいだと、自分でも驚いている。
「一、二、ハイ!」
「ハイ!」
 鷹矢くんとの息がぴったりなのは、お昼休みも利用して二人で少しずつ練習をしていたから。そうやって体を動かしていれば、余計なことを考えなくて良かったのも、私にとっては助けになった。
 でも今日は、強く光を溢す太陽が、その存在を忘れさせてはくれない。
「一、二、ハイ!」
「ハイ!」
 今にも彼が現れるんじゃないかって。わっと風が吹けば、私はそのたび眩しい笑顔を探している。
「よし、この感覚。絶対一位獲ろう!」
 でも、いない。どこにも。やさしい微笑みに迎えられて、振り切るように、私は少しだけ大きめに頷く。
「うん」
 と、あれ。気のせいかな。足元がぐにゃりと柔らかいような。そう思って下を見るけど、なんの変哲もないただの地面。
「ハルカ?」
「うん?」
「大丈夫?なんだかぼーっとしてるけど」
「…そう?ふふ、今日暑いもんね」
「うん、だから水分補給はちゃんと…あ、ほら、これ飲んで」
 そう言って、鷹矢くんは木陰に置いておいたペットボトルを差し出してくれる。半分はすでに飲み干されている、スポーツドリンク。
「あ、ありがとう…」
 でもこれって所謂、間接、
「蓮未ー!そろそろ集合だってー!」
 キス、だよね。と、躊躇いながらもそれを私が受け取ると同時、呼ばれて鷹矢くんは振り返る。アンカーと五走のスタンバイ地点は真逆だった。
「じゃあ僕行くから。頑張ろうね」
「うん」
 にこやかに手をひらりとさせながら、その後ろ姿が、振れて、ぶれて。
「…あれ?」
「遥ー!あたしらも行くよ!」
「あ、うん!」
 やっぱり、恥ずかしくって口、付けられないや。私は鷹矢くんから貰ったドリンクをそっと自席に立て掛けると、紗奈ちゃんの呼ぶほうへ走った。



「いよいよ最後のプログラムとなりましたっ。皆様お待ちかね、色別対抗男女混合リレー、まもなくスタートですっ」
 今日最後の種目だけあって、美冬ちゃんのアナウンスもぐっと力が入る。その間にも、第一走者の紗奈ちゃんはすでにスタートラインに立ち屈伸を始めていた。
 リレーではそれぞれが半周ずつを走るので、一、三、五走はこの放送席の真ん前で準備をしている。だから時折、美冬ちゃんがウィンクで応援を飛ばしてくれて。一応敵チームなのだけど、そこはお互い気にしない。気づいた紗奈ちゃんもバトンを振って応えている。
 二、四走、そしてアンカーは反対側、各チームのテントが並ぶ前で出番を待つ。ちらと後ろへ視線を投げると、頼もしい鷹矢くんの背中はすぐに分かった。ぎらぎらと闘志を燃やす湊人の姿も。彼もまた赤Aチームのアンカーを任されているそうだ。きっと、騎馬戦のリベンジを誓っているに違いない。湊人は大変な負けず嫌いだから。

 スターターがスタンバイする。放送席にも動きがあった。いよいよだ。
「…それでは、第八十八回見鐘台高校体育祭、最終種目、色別対抗男女混合リレー、スタートですっ」
「位置について」
 トップバッターは四人とも、動きを止める。
「用意、」
 ぐんと態勢を低くして。
 パァンッ。
「スタートしましたっ!速いっ、郡を抜くのは白組Bチーム、二年五組の川崎紗奈さんっ!さすが学年一の足を持つ…ああっ、もう二走の三年一組竹田義輝くんにバトンが渡ろうと…渡っていますっ!助走のタイミング、パス、完璧ですっ!」
 トップバッターは紗奈ちゃんが断トツだった。次いで赤A、白A、赤B。二位と三位は僅差。このまま行けば白組の上位独占も夢じゃない。
「さあ、第三走者まですべてバトンが渡りましたっ!この時点で白組、上位を占めていますっ!デッドヒートは味方同士で繰り広げられるのかっ!」
 土を蹴る音が鮮明に聞こえる。なんだかふわふわと足が軽い。汗でバトンが滑らないか心配していたけど、今はもう止まっている。鷹矢くんとのリズムも完璧。いける気がする。
 私は、三走の背中がびゅっと遠ざかるのを見送りながらゆっくりスタートラインに立つ。ポニーテールを裂いて、ぎゅっと。きつくした。
「おおっ、第四走者で順位変動っ!ここで白Aがトップに立ちましたっ!体二つ分の差を追う、熾烈な二位争いは白Bと赤Aっ!」
 そして私は一番内側に位置取った。頭を一周する白い鉢巻をひと撫で。一位で、繋ぐ。そうしたら鷹矢くんは絶対最初にゴールテープを切ってくれる。
「清次さんッ…」
「はいっ」
 先輩が差し出してくれた角度も練習通り。私のスタートも、バトンが手に触れるタイミングも全て。
「ついに五走っ、トップでバトンを受けたのは白A、二年五組清次遥さんっ、」
 ぐら。
 地面が沈む。視界が端から覆われていく。まだらに、真っ黒。
「そしてアンカーは、言わずと知れた見鐘台の王子様、先ほどは騎馬戦でも見事な活躍でしたっ!二年六組蓮未鷹矢くんの元へ今、最後のストレートっ…」
 もう真ん中の一点しか見えない。ちゃんと走れているのかも分からない。弾む自分の息だけが頭に響く。キィンと耳鳴り、ブラックアウトした中で、そこかしこに白い星が瞬いて。
「遥!」
 鷹矢くん、どこ?
「はるっ…!?」
 ぐら。
 だめ、倒れないで。
「ハルカッ…!!」
 ノイズが酷い。気持ち悪い。
 でもこれだけは絶対、落としちゃ、だめ。
「ハルカ!!」
 ザザザザッ。
「…転倒っ!?アンカーへ手渡すその瞬間にまさかの…遥っ大丈…!?あっ、ですがっ、」
 巻き上がる熱風、頬を突く砂粒。
「バトン、生きてるっ!」
 私の手ごと、包む熱。
「走れ!!王子!!」
 それから、めちゃくちゃな黒を切り裂く眼差しは。
「…ッ」

 何ヵ月ぶりだろう。
 やっと、会えたね。

「…その間、赤A、白Bと続々アンカーに渡っていますっ…こ、えっ!?」
「遥が繋いだんだから!一位獲らなきゃ、あたしが許さないぞー!!」
「清次さん、救護テントへ…」
「無理です、歩けません!」
「熱中症っぽいから、とにかく脇の下と首、冷やして…」
「先生、水!」
「氷も!早くね!」
 強く、必死な表情だけがここに焼き付いたまま。
「飲める?清次さん!」
「…な、なんとっ、猛追ですっ!王子の激走っ!トップの赤A林堂くんと、もう肩が、触れそうなところまで迫って…っ!」
 身体中、びりびりする。熱くなって冷たくなっての繰り返し。少しずつ毛布にくるまれていくように、外界の音という音はこもって、聞こえなくなって、
「一着フィニッシュは――…!」
 私は意識を閉じた。



 消毒用のアルコールの匂い。それからちょっと固い感触が頬に。腕を滑らせたら、布が擦れる音と一緒にすぐそこで誰かが動く気配がした。
「遥!」
 じんわり開いた瞼が捉えた、顔。腰を浮かせて真上から私を覗き込んでいるのは、
「あれ…」
 心配そうに眉を下げた紗奈ちゃんだった。
「はあ、良かった。気分どう?辛くない?」
 そしてぼんやりと白い天井。
「しばらく寝てなってさ」
「…ここ…」
「保健室。バトンパスの時倒れたの、覚えてない?」
 少しずつ頭がクリアになる。そうだ、私。
「…あっ!リレー…!?」
 だから寝てな、と紗奈ちゃんは、起き上がった私の肩を固いシーツに優しく沈める。
「勝ったよ、王子が一位」
「じゃあ…!」
「ぎりぎりで林堂、抜いたからね」
「え?」
「着順は白赤白赤。だから、白組は負け」
「…そっか…」
「そんなことより、体は?大丈夫?」
「うん、平気…」
 ぱたぱたぱたっ。慌ただしく、上履きを廊下に打ち付ける音が段々と迫ってくる。
「遥っ!」
「美冬ちゃん…」
 保健室の戸を引き開けた美冬ちゃんは、まだ赤い鉢巻を着けたまま息を切らしている。
「美冬、ヒーローインタビューは?」
「そんなの冴子先生に押し付けてきたよっ!遥、大丈夫っ?派手に倒れたから心配でっ…」
 傍らにもう椅子は無く、美冬ちゃんは両膝を付いて目線を合わせてくれる。
「あはは、ごめん、大丈夫だよ」
「足すりむいたくらいで済んで良かった。頭から突っ込んでさ…はい」
 紗奈ちゃんは奥からもうひとつ丸椅子を持ってきて、美冬ちゃんにと横へ置く。
「王子が抱き止めてくれなかったら、大ゴトだったよ」
「…えっ?」
「ありがとっ。…うん、助走に急ブレーキかけてねっ、間一髪っ」
 そう言えば、あのとき私、確かにこの目に映した気がする。
「そう、なんだ…」
 あれは、タカヤくんだった。
「熱中症だったみたいね。ごめん、倒れるまで気づかなくて…」
 腰を落ち着かせた美冬ちゃんの隣に、紗奈ちゃんもまた座り直す。
「そんな!私の不注意だから…」
 タタタタタタッ。最後のほうは、力強く廊下を蹴り抜く足音に掻き消される。開け放たれたままの扉の向こうから、先に室内へ入り込む、必死な息遣い。
「ハルカッ!!」
 その強い声に、私は飛び起きる。
「…!」
 曲がりきれずに翻した体。さっきまで真っ白だったはずの体操服を、横から背中から砂を刷り込まれ、汚していた。
「王子、なんでここにっ?インタビュー、さっき始まったばっか…」
 その表情が、鬼気迫っていて。
「そんな場合じゃないッ!」
「へっ!?」
 美冬ちゃんが震え上がるほどだった。
「ハルカ、俺が渡したドリンク飲まなかったろ!?」
 あまりの勢いに、美冬ちゃんは椅子ごと場所を明け渡す。紗奈ちゃんも身を仰け反らせて、だから彼の両手は私を縫い留めるようにシーツに深く突き刺さって、
「え、あ…」
 両の瞳ははげしく私を捕まえる。
「なんでおまえはいっつも、俺の言うこと無視して!だからッ…」
 タカヤくん、すごく、怖い顔。
 こんな彼は初めてだった。指先まで寒くなるくらい怖いのに、それ以上にタカヤくん自身が何かに怯えているような。
「ちょっと」
 牙を剥いた狼を窘めるように、紗奈ちゃんが見かねて彼の肩を引く。
「遥は今、目を覚ましたばっかなんだよ?怪我人にそんな…」
「うるさいッ!黙ってろ!」
「…お、王子っ?」
 青ざめた美冬ちゃんはもう私の足元のほうまで後ずさって、ベッドの枠にしがみついている。
「タカヤくん!抑えて…」
 こんなに取り乱した彼を、どうしたら良いか分からない。見境無く紗奈ちゃんにひどいことをしたりしないかなんて不安がよぎり、私は咄嗟に両手を二人の間に割り込ませた。
「誰のせいでッ!」
 ぐいッ。止めに入った手は乱暴に捕まった。強く、引き上げられる。
「痛っ…」
「王子!」
「だいたい、おまえがそうやって心配ばかり…ッ!」
 顔を伏せた、私の前髪に怒声が触れる。
「おい、蓮未…!?」
 入り口から投げ込まれる困惑した声。湊人だ。私は、痛みで曲げた顔のまま、やって来た湊人と目が合った。泥まみれの顔が、みるみる苦い色で上塗りされる。
「お前ッ…!病人に何やって…!」
 駆け寄る湊人が引き剥がしに掛かるけど、
「だからうるさいんだよッ!」
 激しい声とともに一蹴される。
「関係ない奴は引っ込んでろ!」
 彼が叫ぶごとに深く食い込む、指が燃えるよう。
「なんっ?お前本当に蓮未か!?王子キャラはどこやったんだよ!?」
 痛い。
「…俺は、王子なんかじゃッ…」
「いいから、離せよ!」
 それでも向かっていく湊人が殴りかかりそうだったから、私も掴まれた両手を抜こうと、身をよじる。
「待って、湊人!タカヤく…」
 ぱんっ。
「…!」
 甲高い乾いた音。紗奈ちゃんが、タカヤくんに平手を見舞った音だった。
「落ち着きなよ王子。らしくない。遥、具合悪いんだから。分かるでしょ?」
「…」
 ふっと、燃えたぎっていた空気が鎮まった。打たれた赤色をこちらに見せながら、呆然と虚空を見つめている。朽葉色の髪の隙間に見え隠れする、瞳の色は暗くて、まだどこかに怯えを残して。
「…王子っ?遥のこと心配なのは分かるけどっ…」
 静かになった彼に、美冬ちゃんはおそるおそるながら近寄って言葉をかける。
「…ごめん、ハルカ」
 ぐっと一層顎を引くからもう、唇を噛み締めていることしか窺えない。
「ううん、私こそ、心配かけて…」
「ゆっくり、…休めよ」
 昂った感情の名残で、声は震えていた。それだけ言うと、下を向いたそのままで、彼はふらりと出て行ってしまった。追いかけたかったけど、足が動かない。怪我が痛いんじゃない。それは大したことない。
 彼の激情に、私が触れられないそれが核として棲んでいるみたいに感じて、情けないけど、何もできない。
「林堂も、まだインタビュー途中でしょっ?」
「…蓮未、連れて来いって言われたんだよ…あいつ一言も喋らないうちに、振り切って逃げたから…」
 そう言いながら、すでにシンとした扉のほうを見やって続ける。
「ていうか、なんだよ急に。キレやがって」
「本当、性格別人。正反対」
「まるで二重人格だねっ?」
「…」
 三人の、視線が集中する。
「遥」
「…え…」
「王子、あれが初めてじゃないよね?」
「…」
「一年のときから、時々人が変わったみたいになったこと、あったよねっ?」
「それは…」
「あー、文化祭のときとかな」
「…」
 忌々しそうに下唇を突き出す湊人。神妙な面持ちを崩さない紗奈ちゃん。首を傾げ心配そうに見つめる美冬ちゃん。
 もう、観念するしかないみたいだ。この三人には、最初から話しておくべきだったのかもしれない。鷹矢くんの中の「彼」という存在のことを。
 そしてそれを話してしまえば、この関係についても、必然的に明るみになる。私が、彼の恋を継いだに過ぎない、単なるキャストだということが。
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