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第二話 指のない人形使い
指のない人形使い 四
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商品倉庫――それは一見なんの変哲もない廊下の壁の向こうにあり、レオが開けと念じたときにだけ開く秘密の部屋だ。いくつもの銀のかごが置かれており、その中には色とりどりに輝く小さな光の球——”魂”が捕らえられている。
室内は常に魔力が充満しており、入ると肌がピリピリと、小さな刺激を感じる。使い魔のアルテルフはより敏感で、あたたかい心地よさを感じている。
そんな中、レオは”商品”を品定めしていた。どうやら魂を使って人形を踊らせるらしい。しかしどうするつもりなんだろう。魂を使ったところでメンキブさんの失った指を治せるわけじゃないのに。
ぼくがそんなことを考えていると、
「アーサー、おまえはわたしが魂を使ってなにをするのか、と考えているだろう」
とレオが商品棚を見渡しながら言った。向こうを向いているのに、まるで背中に目がついていて、ぼくの表情を読み取ったみたいだ。いつものことながらレオの勘のよさには驚いてしまう。
ぼくは素直にうなずき、訊いた。
「うん。だって、魂を使ったところで指が治るわけじゃないだろう?」
「その通りだ。おまえも知っての通り、怪我を治すことなどできやしない。そんなことができれば医者はみな廃業だ」
「まあ、そうだね」
「指を治せない限り人形繰りはできない。しかし人形が踊りさえすればなんとかなる」
「踊りさえすれば?」
「要は人形使いとしてやっていければいいんだろう? なら人形が自分で踊るようにして、適当に糸をくくり付けて操るふりをすればいい」
「それはまあそうだろうけど、人形が自分で踊るなんてどうやるのさ」
「魂を宿してやればいい」
「魂を宿す?」
「そうだ。魂はものや生きた人間に憑依することができる。とくにひとの念のこもったものや、ひとのかたちをしたものには入り込みやすい。人形なんかまさに最高の容れ物だ。そこでわたしは踊りの得意だった魂を選び、人形に憑依させる。そして魂の意思で動けるよう細工してやれば、自分で踊る操り人形の完成だ」
なるほど、そういうわけで魂を選んでいるのか。たしかに人形には魂が宿ると聞いたことがある。人形がひとりでに動いたり、夜中にうめき声を上げるなんて話もある。あくまでおとぎ話のひとつだと思っていたけど、レオが言うなら本当なんだろう。
「お、あった。これだ。この魂だ」
そう言ってレオはひとつのかごを手に取った。
「え、それを選ぶの?」
それは奇妙な魂だった。歳のころは八つかそこらの幼い少女で、赤黒い輝きを放っていた。
魂の色はすなわち精神の色だ。色を見ればそのひとが生前どんなこころの持ち主だったかがわかる。緑は癒しの色で、おだやかな者や、慈しみの深い者が多く、黄色は愉快なことを好み、好奇心の強い傾向がある。青は冷静、あるいは冷めたこころ、不安や悲しみを抱いていることが多く、赤は情熱、交戦的、過激の色合いで、怒りを抱いていることも多い。明るければ明るいほど好ましい気性で、暗いものは負の念が強い。
今回レオの選んだ魂は、ドロリと濁る血溜まりのようなドス黒い色をしていた。少女の放つ光じゃない。長い人生でよほどひどい思いをして、怒りや恨みに狂わなければ出ないような恐ろしい輝きだ。見ているだけで不安になる。
「これ、大丈夫なの……?」
「フフ、大丈夫さ。あのじじいが変態でなければな。フフフ……」
「どういうこと……?」
ぼくはなんだかいやな予感がした。レオは間違いなく悪いことを企んでいる。”変態でなければ”ってどういう意味だろう。
「なるほどー! さすがレオ様、最悪ですね!」
「ふはははは。もっとほめてくれ」
どうやらアルテルフにはレオの目的がわかるらしい。使い魔はぼくら人間より”かたちのないもの”をはっきり見ることができる。彼女にはこの赤黒い魂がどんな性質の持ち主か見えているんだろう。
「ねえ、レオ。まさか怖い魂を人形に宿して、メンキブさんにひどいことするつもりじゃないよね?」
「ハハハ、おまえはあのじじいがやさしくて立派なヤツだと思っているんだろう?」
「そうだけど……」
「なら大丈夫だ。きっと人形と仲よくやっていくだろう。なに、心配はない。こいつがかみつくのは頭のおかしいヤツだけだ」
そう言ってレオは実にたのしそうに笑った。アルテルフもつられてケラケラ笑っている。
――こいつがかみつくのは頭のおかしいヤツだけ?
「ねえ、メンキブさんは頭のおかしいひとなの?」
「それを確かめるためのこいつだ。あのじじいがまともなら幸福な余生を送るだろうし、そうでなければ悲惨な目に合うだろう。まあ、試してみようじゃないか」
そう言ってレオはかごを持って部屋を出た。
——あ、まって……
ぼくは無意識に手を伸ばして止めようとした。止めなければならないと思った。だけどなぜかレオの肩をつかまずそのまま行かせてしまった。
なぜだろう。
ぼくは虚空をつかんだ手を引き戻し、手のひらをじっと見つめた。ぼくはレオを信じているけど、自分のことも信じている。レオとアルテルフはいろいろ言うけど、メンキブさんの頭がおかしいなんて思えない。
……大丈夫、だよね?
庭に戻るとメンキブさんは人形を赤子のように抱きかかえていた。熱病に苦しむ我が子を心配するような目で、じっと人形の顔を見つめている。それはぼくには深い想い入れの現れに見えた。単なる人形ではない、人生の一部が、いのちのかたわれが再びよみがえるかどうかの瀬戸際に向ける眼差しに思えた。
そうだ、きっと大丈夫だ。これほどの芸人がいかれてるわけがない。レオはお風呂を邪魔されて毛嫌いしているだけで、このひとは立派な一流の芸人なんだ。ぼくらはその希望を現実のよろこびに変えてあげなくちゃいけないんだ。
大丈夫。大丈夫だ。
レオが近寄るとメンキブさんは顔を上げ、レオの持つ銀のかごを見やった。
「それは?」
「ここに踊りが好きだった八歳の少女の魂が入っている。これを人形に宿せば、生きた人間のように踊ることができる」
「なんと!」
「と言ってもふつうなら魂が宿ったところでそこまで動けんがな。プロフェッショナルのわたしでなければできない仕事だ」
「ははあ……よくわからんがすごい話じゃ。長年大切に扱われた道具に魂が宿るという話はよく聞くが、本当にあることなんじゃな」
「ああ、あれはその辺で死んだヤツが勝手に入ってるんだ。ろくなもんじゃないぞ」
「ほお……」
「とにかく、人形が踊れば文句なかろう」
メンキブさんは髭を撫でるようにあごを触り、うむ、とうなずいた。
「わしはまたこの子の踊る姿が見たい。指が治らんのはつらいが、この子が踊ってくれるならほかはなにもいらん。レオさんや、お願いできるかのう?」
「いいだろう。交渉成立だ。ただ、少し注意がある」
「注意……とな?」
「魂というのは放っておけば消えてしまう代物だ。我々生きた人間は、人体という器の中に魂があるから蒸発せずに済んでいるが、それでも常にエネルギーを消費して生きている。動いたり、頭を使ったりすればなおさらだ。だからメシを食い、エネルギーを補給しているだろう。人形もそうだ。魂が器に入って安定したところで、エネルギーが補給できなければ結局のところ消えてしまう」
「なるほど……食事か」
「では魂の食事とはなにか。それは念だ。これは生きている人間もそうだが、魂は念を受け取ることでエネルギーを補給する。きさまも覚えがあるだろう。芸をして子供によろこばれると、体に活力がみなぎり、快感の巡る感覚があったろう。あれが念だ。人間は体を維持するためにものを食わなければ生きていけないが、人形のように体を維持する必要のないものは念だけで十分生きていける。つまり、絶えず人形に強い想いを持ち続けていれば、それだけできさまの念が届き、魂が維持される。それは愛でも恐怖でも、どんな感情でも念となる。わかったか?」
「ああ、わかったぞい。それなら心配なしじゃ。わしはこのアティクを愛しておる。実を言うとアティクはわしの初恋の少女を元に作られておるのじゃ。わしはこの子を作ってからおよそ四十年、毎日毎日愛を注ぎ込んでおる。アティクに対する愛は生半可なものではない」
「なら問題はないな。よし、あとは金だ」
とレオが言うと、どこからともなく馬が現れ、メンキブさんの傍で止まった。
「特別に馬を貸してやる。人形繰りしか知らんのでは馬など乗れんだろう。しかしこいつは手綱を握って落ちないようにさえしていれば、勝手にきさまの望むところに連れて行ってくれる。こいつに乗って金を積み戻ってこい。そうしたら仕事をしてやる」
「はてさて、わしでも乗れる馬とは不思議なことだらけじゃ。魔法は便利じゃのう。ところでわしは見ての通り手が不自由じゃ。手綱を握るのでせいいっぱいじゃろうから、この子を連れては乗れん。落としてしまったら大変じゃ。アティクを見守っててくれんかのう?」
「かまわん、好きにしろ」
「すまんのう。それじゃ行って来るぞい」
そう言ってメンキブさんは馬に乗り、森の道を駆けて行った。
よかったね、メンキブさん。いろいろひどいことを言われたけど、最後はこうして願いを叶えてもらえるんだね。うれしそうな顔してたなぁ。
でもそうだよね。だってむかし好きだった女の子をかたち取った人形を四十年も愛し続けて、それがある日動かせなくなっちゃったのが、また踊らせられるんだものね。きっと死んだ娘が生き返るような心地だろうなぁ。
ぼくはふと、椅子の上にちょこんと座らされた少女人形に目が行き、その精巧な出来と”ゴム”の質感が気になって触ろうとした。すると、
「触るな!」
レオが強い声で制した。
「え?」
「アーサー、それに触るな。汚らわしい」
「汚らわしいって、こんなにきれいで、かわいくて、いいにおいがするのに?」
レオははぁ、とため息を吐き、
「おまえは本当に疑うということを知らないな」
「疑うって、なにを疑うのさ」
「アーサー、香水をつけるとはどういうことかわかるか?」
「いいにおいをつけるためじゃないの?」
「その場合もある。しかし基本的にはにおい消しだ。臭いにおいが取れないときなど、においをごまかしたいときに使うものだ」
「じゃあこの人形は臭いってこと?」
「知らん。が、わたしの勘がそう言っている。だから触るな」
勘が言ってるって、いったいこの人形になにがあるっていうんだろう。もしかしておじいさんの加齢臭がついてるってこと? でもそんなことであんなに強く止めるかな?
「アーサー、その顔はわかってないな」
「そりゃあわかってないよ。なにひとつ説明を聞いてないんだから」
「ふむ、それもそうだ……よし、ちょうどいい。ひとを疑うことを知らないおまえにはいい勉強になる。ことが済んだら説明してやろう」
「ことが済んだら?」
「おまえはいま話してもいろいろ反発しそうだからな。まあ、ことが済めばわかる。おまえがどれだけ善人的思考の持ち主で、世の人間がどれだけ狂っているかがな」
なんだよそれ、いったいなにがわかるっていうんだ。どうやらメンキブさんが狂ってるって言いたいみたいだけど……
「アルテルフ、ブローチを持ってこい。どんなものでもいい」
レオがそう言うと、
「ブローチですか? ……あ、なるほどー! 了解でーす!」
そう言ってアルテルフは館に入り、花のデザインがほどこされた、ぼくの小指くらいのブローチを持って来た。
「よし、これでいい。これでアーサーにもわからせてやれるぞ」
「わかるって、これでどうなるのさ」
「それは、なあ……」
レオはあえてはっきり言わず、ニヤリとアルテルフと笑い合った。なんだよ、教えてくれたっていいのに。それともぼくに知られたら困ることでもあるんだろうか。ぼくが反発するようなことが起きるんだろうか。
……やっぱりいやな予感がするなぁ。あのとき止めておけばよかったかもしれない。悪いことが起きなければいいけど……
室内は常に魔力が充満しており、入ると肌がピリピリと、小さな刺激を感じる。使い魔のアルテルフはより敏感で、あたたかい心地よさを感じている。
そんな中、レオは”商品”を品定めしていた。どうやら魂を使って人形を踊らせるらしい。しかしどうするつもりなんだろう。魂を使ったところでメンキブさんの失った指を治せるわけじゃないのに。
ぼくがそんなことを考えていると、
「アーサー、おまえはわたしが魂を使ってなにをするのか、と考えているだろう」
とレオが商品棚を見渡しながら言った。向こうを向いているのに、まるで背中に目がついていて、ぼくの表情を読み取ったみたいだ。いつものことながらレオの勘のよさには驚いてしまう。
ぼくは素直にうなずき、訊いた。
「うん。だって、魂を使ったところで指が治るわけじゃないだろう?」
「その通りだ。おまえも知っての通り、怪我を治すことなどできやしない。そんなことができれば医者はみな廃業だ」
「まあ、そうだね」
「指を治せない限り人形繰りはできない。しかし人形が踊りさえすればなんとかなる」
「踊りさえすれば?」
「要は人形使いとしてやっていければいいんだろう? なら人形が自分で踊るようにして、適当に糸をくくり付けて操るふりをすればいい」
「それはまあそうだろうけど、人形が自分で踊るなんてどうやるのさ」
「魂を宿してやればいい」
「魂を宿す?」
「そうだ。魂はものや生きた人間に憑依することができる。とくにひとの念のこもったものや、ひとのかたちをしたものには入り込みやすい。人形なんかまさに最高の容れ物だ。そこでわたしは踊りの得意だった魂を選び、人形に憑依させる。そして魂の意思で動けるよう細工してやれば、自分で踊る操り人形の完成だ」
なるほど、そういうわけで魂を選んでいるのか。たしかに人形には魂が宿ると聞いたことがある。人形がひとりでに動いたり、夜中にうめき声を上げるなんて話もある。あくまでおとぎ話のひとつだと思っていたけど、レオが言うなら本当なんだろう。
「お、あった。これだ。この魂だ」
そう言ってレオはひとつのかごを手に取った。
「え、それを選ぶの?」
それは奇妙な魂だった。歳のころは八つかそこらの幼い少女で、赤黒い輝きを放っていた。
魂の色はすなわち精神の色だ。色を見ればそのひとが生前どんなこころの持ち主だったかがわかる。緑は癒しの色で、おだやかな者や、慈しみの深い者が多く、黄色は愉快なことを好み、好奇心の強い傾向がある。青は冷静、あるいは冷めたこころ、不安や悲しみを抱いていることが多く、赤は情熱、交戦的、過激の色合いで、怒りを抱いていることも多い。明るければ明るいほど好ましい気性で、暗いものは負の念が強い。
今回レオの選んだ魂は、ドロリと濁る血溜まりのようなドス黒い色をしていた。少女の放つ光じゃない。長い人生でよほどひどい思いをして、怒りや恨みに狂わなければ出ないような恐ろしい輝きだ。見ているだけで不安になる。
「これ、大丈夫なの……?」
「フフ、大丈夫さ。あのじじいが変態でなければな。フフフ……」
「どういうこと……?」
ぼくはなんだかいやな予感がした。レオは間違いなく悪いことを企んでいる。”変態でなければ”ってどういう意味だろう。
「なるほどー! さすがレオ様、最悪ですね!」
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どうやらアルテルフにはレオの目的がわかるらしい。使い魔はぼくら人間より”かたちのないもの”をはっきり見ることができる。彼女にはこの赤黒い魂がどんな性質の持ち主か見えているんだろう。
「ねえ、レオ。まさか怖い魂を人形に宿して、メンキブさんにひどいことするつもりじゃないよね?」
「ハハハ、おまえはあのじじいがやさしくて立派なヤツだと思っているんだろう?」
「そうだけど……」
「なら大丈夫だ。きっと人形と仲よくやっていくだろう。なに、心配はない。こいつがかみつくのは頭のおかしいヤツだけだ」
そう言ってレオは実にたのしそうに笑った。アルテルフもつられてケラケラ笑っている。
――こいつがかみつくのは頭のおかしいヤツだけ?
「ねえ、メンキブさんは頭のおかしいひとなの?」
「それを確かめるためのこいつだ。あのじじいがまともなら幸福な余生を送るだろうし、そうでなければ悲惨な目に合うだろう。まあ、試してみようじゃないか」
そう言ってレオはかごを持って部屋を出た。
——あ、まって……
ぼくは無意識に手を伸ばして止めようとした。止めなければならないと思った。だけどなぜかレオの肩をつかまずそのまま行かせてしまった。
なぜだろう。
ぼくは虚空をつかんだ手を引き戻し、手のひらをじっと見つめた。ぼくはレオを信じているけど、自分のことも信じている。レオとアルテルフはいろいろ言うけど、メンキブさんの頭がおかしいなんて思えない。
……大丈夫、だよね?
庭に戻るとメンキブさんは人形を赤子のように抱きかかえていた。熱病に苦しむ我が子を心配するような目で、じっと人形の顔を見つめている。それはぼくには深い想い入れの現れに見えた。単なる人形ではない、人生の一部が、いのちのかたわれが再びよみがえるかどうかの瀬戸際に向ける眼差しに思えた。
そうだ、きっと大丈夫だ。これほどの芸人がいかれてるわけがない。レオはお風呂を邪魔されて毛嫌いしているだけで、このひとは立派な一流の芸人なんだ。ぼくらはその希望を現実のよろこびに変えてあげなくちゃいけないんだ。
大丈夫。大丈夫だ。
レオが近寄るとメンキブさんは顔を上げ、レオの持つ銀のかごを見やった。
「それは?」
「ここに踊りが好きだった八歳の少女の魂が入っている。これを人形に宿せば、生きた人間のように踊ることができる」
「なんと!」
「と言ってもふつうなら魂が宿ったところでそこまで動けんがな。プロフェッショナルのわたしでなければできない仕事だ」
「ははあ……よくわからんがすごい話じゃ。長年大切に扱われた道具に魂が宿るという話はよく聞くが、本当にあることなんじゃな」
「ああ、あれはその辺で死んだヤツが勝手に入ってるんだ。ろくなもんじゃないぞ」
「ほお……」
「とにかく、人形が踊れば文句なかろう」
メンキブさんは髭を撫でるようにあごを触り、うむ、とうなずいた。
「わしはまたこの子の踊る姿が見たい。指が治らんのはつらいが、この子が踊ってくれるならほかはなにもいらん。レオさんや、お願いできるかのう?」
「いいだろう。交渉成立だ。ただ、少し注意がある」
「注意……とな?」
「魂というのは放っておけば消えてしまう代物だ。我々生きた人間は、人体という器の中に魂があるから蒸発せずに済んでいるが、それでも常にエネルギーを消費して生きている。動いたり、頭を使ったりすればなおさらだ。だからメシを食い、エネルギーを補給しているだろう。人形もそうだ。魂が器に入って安定したところで、エネルギーが補給できなければ結局のところ消えてしまう」
「なるほど……食事か」
「では魂の食事とはなにか。それは念だ。これは生きている人間もそうだが、魂は念を受け取ることでエネルギーを補給する。きさまも覚えがあるだろう。芸をして子供によろこばれると、体に活力がみなぎり、快感の巡る感覚があったろう。あれが念だ。人間は体を維持するためにものを食わなければ生きていけないが、人形のように体を維持する必要のないものは念だけで十分生きていける。つまり、絶えず人形に強い想いを持ち続けていれば、それだけできさまの念が届き、魂が維持される。それは愛でも恐怖でも、どんな感情でも念となる。わかったか?」
「ああ、わかったぞい。それなら心配なしじゃ。わしはこのアティクを愛しておる。実を言うとアティクはわしの初恋の少女を元に作られておるのじゃ。わしはこの子を作ってからおよそ四十年、毎日毎日愛を注ぎ込んでおる。アティクに対する愛は生半可なものではない」
「なら問題はないな。よし、あとは金だ」
とレオが言うと、どこからともなく馬が現れ、メンキブさんの傍で止まった。
「特別に馬を貸してやる。人形繰りしか知らんのでは馬など乗れんだろう。しかしこいつは手綱を握って落ちないようにさえしていれば、勝手にきさまの望むところに連れて行ってくれる。こいつに乗って金を積み戻ってこい。そうしたら仕事をしてやる」
「はてさて、わしでも乗れる馬とは不思議なことだらけじゃ。魔法は便利じゃのう。ところでわしは見ての通り手が不自由じゃ。手綱を握るのでせいいっぱいじゃろうから、この子を連れては乗れん。落としてしまったら大変じゃ。アティクを見守っててくれんかのう?」
「かまわん、好きにしろ」
「すまんのう。それじゃ行って来るぞい」
そう言ってメンキブさんは馬に乗り、森の道を駆けて行った。
よかったね、メンキブさん。いろいろひどいことを言われたけど、最後はこうして願いを叶えてもらえるんだね。うれしそうな顔してたなぁ。
でもそうだよね。だってむかし好きだった女の子をかたち取った人形を四十年も愛し続けて、それがある日動かせなくなっちゃったのが、また踊らせられるんだものね。きっと死んだ娘が生き返るような心地だろうなぁ。
ぼくはふと、椅子の上にちょこんと座らされた少女人形に目が行き、その精巧な出来と”ゴム”の質感が気になって触ろうとした。すると、
「触るな!」
レオが強い声で制した。
「え?」
「アーサー、それに触るな。汚らわしい」
「汚らわしいって、こんなにきれいで、かわいくて、いいにおいがするのに?」
レオははぁ、とため息を吐き、
「おまえは本当に疑うということを知らないな」
「疑うって、なにを疑うのさ」
「アーサー、香水をつけるとはどういうことかわかるか?」
「いいにおいをつけるためじゃないの?」
「その場合もある。しかし基本的にはにおい消しだ。臭いにおいが取れないときなど、においをごまかしたいときに使うものだ」
「じゃあこの人形は臭いってこと?」
「知らん。が、わたしの勘がそう言っている。だから触るな」
勘が言ってるって、いったいこの人形になにがあるっていうんだろう。もしかしておじいさんの加齢臭がついてるってこと? でもそんなことであんなに強く止めるかな?
「アーサー、その顔はわかってないな」
「そりゃあわかってないよ。なにひとつ説明を聞いてないんだから」
「ふむ、それもそうだ……よし、ちょうどいい。ひとを疑うことを知らないおまえにはいい勉強になる。ことが済んだら説明してやろう」
「ことが済んだら?」
「おまえはいま話してもいろいろ反発しそうだからな。まあ、ことが済めばわかる。おまえがどれだけ善人的思考の持ち主で、世の人間がどれだけ狂っているかがな」
なんだよそれ、いったいなにがわかるっていうんだ。どうやらメンキブさんが狂ってるって言いたいみたいだけど……
「アルテルフ、ブローチを持ってこい。どんなものでもいい」
レオがそう言うと、
「ブローチですか? ……あ、なるほどー! 了解でーす!」
そう言ってアルテルフは館に入り、花のデザインがほどこされた、ぼくの小指くらいのブローチを持って来た。
「よし、これでいい。これでアーサーにもわからせてやれるぞ」
「わかるって、これでどうなるのさ」
「それは、なあ……」
レオはあえてはっきり言わず、ニヤリとアルテルフと笑い合った。なんだよ、教えてくれたっていいのに。それともぼくに知られたら困ることでもあるんだろうか。ぼくが反発するようなことが起きるんだろうか。
……やっぱりいやな予感がするなぁ。あのとき止めておけばよかったかもしれない。悪いことが起きなければいいけど……
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