魂売りのレオ

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第三話 その自殺、止めるべからず

その自殺、止めるべからず 七

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 旅行六日目、ぼくらは中央歓楽街のスターダスト・カジノにいた。
 中央はすごい。さすがは街一番の歓楽街なだけあってどこを見ても華やかで、豪華な街並みを見ているとそれだけでもたのしくなってくる。
 中でもスターダスト・カジノは桁違いだった。外観はもちろん、入り口とロビーだけでどれだけ金がかかっているのか想像もできないほど見事で、カジノフロアの豪勢なさまと言ったら目が眩むようだった。これほどのカジノを持っているのだから、キャンサーの借金をポケットマネーで完済できるのも納得がいく。きっとアクベンスは貴族並の大金持ちに違いない。
 しかしどれだけ金があっても死んでしまっては意味がない。アクベンスは顔に死相が出ている。
 これほどの財産を築くまでどれほど努力したことだろう。親の遺産だろうか。それとも一代で築いたのだろうか。たとえ遺物だとしても、それをこのレベルで存続させるのは容易ではない。やはり血の滲むような努力があり、血を吐くような苦労を耐え抜いて、そうしていまがあるんだろう。それが、運命とはいえ死んでしまうのは、やはり同情を禁じ得ない。男のぼくに口説き文句を言ってくるような近寄り難いひとだけど、それでもやっぱり死んでほしくないなぁ。
 ぼくらはロビーを抜け、店員にアクベンスを呼んでもらおうと声をかけた。すると、
「おや、ミドリさんにクロさんじゃないっすか」
 偶然にもそれはキャンサーだった。
 気づかなかった。だって、全然顔色が違うんだもの。まだ痩せてはいるものの、明らかに血色がよく、店員衣装は不似合いながらそれなりにビシッとしていた。最初会ったときは死神のような見た目だったのに、数日でこうも変わるものか。レオは驚いて、
「ずいぶん健康になったな。それに年も若く見える。おまえいくつだ?」
 と訊いた。すると、
「へえ、三十二でやんす」
 と相変わらず下手くそな敬語で言った。ぼくらよりだいぶ年上だ。しかしレオは敬語を使うことはない。レオは相手がいくつだろうと、王族だろうと、彼女にとっては総じて下等だ。
「そうか、若返ったな。最初見たときは五十に迫るかと思ったぞ」
「いやぁ、ミドリさんのおかげでやす。ミドリさんが助けてくれたから、こうしてメシが食える日々を過ごしてやす。感謝してるでやんす」
「いや、礼には及ばん。わたしもおまえが息を合わせてくれたおかげでヤツをギャフンと言わせることができた」
 へ? いったいふたりはなにを言ってるんだろう。キャンサーが助かったのはアクベンスのおかげでしょ? レオがアクベンスをギャフンと言わせたのは実力でしょ? それを言うと、
「いや、こいつの協力がなければ難しかった」
 レオは言った。
「いいか、このキャンサーはすごい洞察力の持ち主だ。どうやら瞬時に状況を察して最適な行動ができる。いや、最適をはるかに越えた絶妙な言動がおkなえる」
「どういうこと?」
「こいつは地上に降りて、わたしとあの男が対立しているのを知った。まあ、それはだれでもわかるだろう。明らかにケンカムードだったからな。だがそこからの行動が凡人と違う。ふつうならあの男に媚を売る。なんせ、借金を肩代わりしてくれるというんだからな。本来ならあいつの味方をし、けなそうとするわたしに敵対するはずだ。しかしこいつは違った。瞬時にわたしが場をコントロールしていることを察し、わたしの協力をしてくれた」
「協力って、なにを?」
「あの男を苛立たせようと、恩知らずな態度で冷静さを失わせてくれた」
「いやぁ、そうしなけりゃ生きていけやせんでしたからね」
 そう言ってキャンサーは頭を掻いた。
 つまりこういうことらしい。本来アクベンスは自殺を止めようとはしたが、借金の肩代わりまではしないはずだった。それが、レオの挑発で金を出す気になった。しかしそれではまだ半分で、生きたところでその後食っていく道がなかった。そこでキャンサーはレオがアクベンスを言い負かそうとしていることに気づき、レオの言い分が正しいとなるよう言葉を合わせたという。
「そうすれば旦那がどこまでも世話してくれそうでやんしたから」
 と彼はヘラヘラ笑った。なるほど、レオが好みそうな人物だ。レオは正義が大きらいで、逆に悪党にはやたら肩入れしたがる。とくに正義を利用して甘い汁を吸おうなんてヤツは大歓迎だ。
「で、どうだ。仕事はうまくいってるか?」
「へえ、ダメでやんすね」
「ほう」
「なんせあっしは木工職人でやすから。ひと様にご丁寧な接客なんて無理でやんす。失敗ばっかでやんすよ。ただ……」
「ただ?」
「うまくいけばカジノを乗っ取れそうでやんす」
「ほう?」
 それを聞いた途端レオの目が輝いた。ただでさえアクベンスをきらい、キャンサーを気に入ったレオだ。そこに”乗っ取り”なんて言葉が出てくればワクワクすること間違いない。
「どういうことだ?」
「へえ。実は旦那は死にそうでやんす」
「ほう!」
「というのも目に見えて顔色が悪くなったし、見た目も一気に老け込んだでやんす。あっしとほとんど同い年なのに、もう四、五十歳に見えるでやす」
「なにがあった?」
「それが、正義とやらに仕立て上げられてるでやんす」
 キャンサーが言うには、アクベンスは先日自殺を止めたことで評判になり、カジノは客が増え、それだけ見ればすばらしい宣伝効果があった。しかし同時に「自殺をしようとするひとがいれば、彼を呼んで助けてもらうべき」という評判も出回り、あの事件からほんの数日のあいだに二十件もの自殺未遂があった。
 そのたびにアクベンスは駆り出された。ギャンブル街という特色上そのほとんどが借金苦による自殺で、評判になってしまった以上助けないわけにもいかず、しかもそれをみんな店で雇っているという。
「そいつらをいま、あっしがまとめて、旦那を破滅に導こうとしてるでやんす」
「ほう」
「どんどん店の雰囲気を悪くして、失敗やトラブルばかり起こさせて、旦那の責任にして追い出すでやんす。そこでうまいこと店をあっしがもらうでやんす」
「なるほど、難しそうだができるのか?」
「へへへ、どうしてほんの数日で自殺未遂が二十件も起きるんでやすかねぇ。だれかが言ってるんじゃないすか? いま自殺をしようとすれば巨大カジノのオーナーが金を出してくれるって」
 とキャンサーは純粋無垢な笑顔で言った。さらにこう続けた。
「しかしいくらなんでもそんなたくさんのひとの借金が払えやすか? そんなたくさんひとを雇えやすか? あっしならできやせん。でも、飛び降り自殺が起きそうになるたびに、周りの住民が”スターダスト・カジノのオーナーだ! あのひとなら助けてくれる! あの店のオーナーは正義だから!”とあおるでやんす。みんながコールして、むしろ助けなければ悪だとでも言うように。きっとだれかがそうなるよう扇動してるんでやすなぁ」
 そう言ってキャンサーはへへへと笑った。悪どいなぁ。それってつまり、わたしがそうなるよう仕向けてますって言ってるんだろう。よく良心が傷まないよ。きっと良心なんてないんだろうな。レオが気に入るわけだ。
 レオは感心しているらしく、うんうんとうなずいた。
「なるほど、とんだ悪党だ。さすがは莫大な借金をこさえられるだけはある。しかし、いくら周りに騒がれたからってどうしてそこまで身銭を切れるんだろうか」
「そこがあっしもわからんのでやんすよ」
 キャンサーは腕を組み、首をかしげて言った。
「いくら世論に押されてるとはいえ、よくもまあ赤の他人に金を出すでやすよ。そのうえ店に招き入れて、それも二十人もでやんす。意地を張るには身を削り過ぎでやすよねぇ」
「なにかこころ当たりはないのか?」
「あっしもそれを知りたくて身辺を探ってるんでやすが、どうもわかりやせん。まさか店の風評のためにそこまでしてるとは思えやせんし、途中で止まられると困るんで、理由を知っておきたいんでやすが……」
 レオとキャンサーはううんとうなり、考え込んだ。いやだなぁ、ひとを破滅に追いやる相談なんて。なんだかアクベンスがかわいそうになってきたよ。どうにかして助けてあげたいけど、レオにきらわれてるんじゃどうしようもないし、そもそも死相が出てるしなぁ。
「ま、ともあれうまく行ってるならいいだろう。それよりそろそろあの男を呼んでくれないか? 我々は今日帰るんだ。あまり時間がない」
 とレオが言うと、キャンサーは自身のおでこをポンと叩いて、
「おっと、話し込んでしまいやしたね。それでは旦那を呼びやすので、応接間まで案内しやす」
 そんなわけでぼくらは応接間に通された。さすがは一流カジノの応接間なだけあって、その一室だけで家が何軒買えるかわからないほど豪華できらびやかだった。ある種努力の賜物たまもので、ある意味欲望によって作られた部屋。ぼくはその、ため息の出るような美しい部屋があまり好ましくなかった。きっと金持ちはこんな部屋が好きなんだろう。だから客間がこんな黄金や宝石でいろどられている。その点、ぼくは狭くて汚い部屋の方が好きだなぁ。テーブルの上は食べカスとこぼした飲み物の跡が残っててさ、眠くなったらそのままソファにごろんとしちゃうんだ。でもここじゃ、そんなことはできないんだろうなぁ。
 ぼくは無意識のうちにピシッと椅子に座っていた。きっと部屋の貫禄に押されて背筋が伸びているんだろう。よくレオはテーブルに足なんか乗せられるよ。怒られそうでいやだなぁ。
 でもそんなのは杞憂きゆうだった。ほどなくしてアクベンスが現れた。
「やあ、クロさん。来てくださったのですね」
 とてもうれしそうな声だった。しかしぼくは絶句してしまった。
 なんて顔色だろう。元々白い肌をしていたが、それが本当に真っ白で、まるで血の気を感じない。しかもかなり老けて見え、キャンサーは四、五十歳に見えると言っていたが、六十歳と言われてもおかしくなかった。それがかすれ声で笑っているものだから、よけいに痛々しく感じる。歩く姿も危なっかしく、死相の見えないぼくでもひと目で先がないことがわかった。
「おや、どうかしましたか? そんな気の毒そうな目をして」
 そりゃあだれだってその姿を見れば気の毒に思うさ。どうしてそんなになってしまったのか。アクベンスはぼくの疑問を察したのか、
「ああ、わたしが少し疲れているからですかね。心配していただけるなんて光栄だ」
 のんきなこと言ってるよ。大丈夫かなぁ? ああ、ダメなんだっけ。
「ずいぶん老けたな」
 レオは足をテーブルに乗せたまま鼻で笑った。すると、
「はは、愚かでして」
 とアクベンスは意外にも素直に言った。
「実は自殺しようとしているひとを何人も救っているうちに、貯金が尽き、店もぐちゃぐちゃになってしまいましてね。我ながら愚かなことです」
「やっと正義の愚かさを知ったか。少しは利口になったようだな」
 レオがそう言うと、アクベンスは弱々しい瞳をかろうじてキッと睨ませ、
「いえ、正義は愚かではありません。愚かなのは……欲にまみれたわたしです」
 と言った。
 えっ? なにを言ってるんだろう。ひとを助けるために大金を失い、店を失いかけているというのに、いったいどこが欲にまみれてると言うのか。まさか名誉欲とか?
 レオもこればかりはわからず首をかしげていた。しかし、彼は語った。
「愛です。わたしは愛のために正義を貫いているのです」
 愛だって!? いったいぜんたいどういうことだ?
「わたしは……ある女性を愛してしまいました。そのひとは正義を愛するひとです。ひとのいのちのとうとさを知っているひとです。もしそのひとに見られていると思うと、わたしは全財産を失い、すべてを失っても、正義であらねばと思うのです」
 はあ、ずいぶんな女がいたもんだなぁ。これほどの店のオーナーが身を滅ぼしてでも想い焦がれるなんて、よほどの美人に違いない。
 しかし女を愛するということは、どうやらホモじゃないらしい。よかった、だってぼくに変なこと言うんだもの。てっきりホモに狙われてるかと思ってた。なんだか安心したよ。
「もし彼女といっしょになれるのでしたら、わたしは金も地位もいりません。それで、もしかしたら彼女が振り向いてくれるかと思い、愚かと知りながら自滅しているのです」
 ……なんてすごい想いなんだろう。かつてこれほどの愛を見たことがあるだろうか。もはや執念と言っても過言ではない。しかも彼は口先ではなく実際に行動している。ただひとりの女に惚れたばかりに、本当にすべてを失いつつある。
 ぼくはその想いに感動し、哀れみと知りつつも言った。
「ねえ、きっとその想いは通じるよ」
「えっ!?」
 アクベンスは目を見開き、わなわなと震えた。ぼくは続けた。
「そんなに想ってるんだもん。そんなに愛されて、きらいなんて言うひといないよ」
 途端、アクベンスはひざから崩れ落ちた。おお、おお、と涙を流し、天をあおいで、
「く、クロさん!」
 と慟哭どうこくにも似た叫びを上げた。
 ああ、言ってよかった。彼のいのちは助けられないけど、もしかしたら救えたかもしれない。もちろん確証なんかない”ざれごと”だ。実際はフラれてしまうかもしれない。でももしかしたら、あの日怨恨えんこんに取り憑かれたヴルペクラのこころを救えたように、この言葉が彼の救いになったかもしれない。
 ぼくはアクベンスに歩み寄り、そっと手を差し伸べた。自分で言うのもなんだけど、きっとすごくやさしい顔をしていたと思う。アクベンスはその手を強く握り、涙を流れるままにして叫んだ。
「愛してくださるのですね!」
「は?」
 ぼくは石のように硬直した。わけがわからなかった。
「わたしの愛が伝わったのですね!」
「な、なにを言ってるんだ?」
「いま言ったではないですか! その想いは通じると!」
「言ったけど、それはその女性に……」
「わたしが愛しているのはあなたです!」
「はあ!?」
 ぼ、ぼ、ぼ、ぼくだって!?
「ちょっと待って、ぼくは男だよ!」
「えっ!?」
 アクベンスは全身が飛び上がりそうなほど驚いた。驚き過ぎて一瞬顔が縦に倍伸びて見えるほどだった。
「ま、まさかぼくを女だと……?」
「……」
 アクベンスは答えなかった。その代わり声にならないかすれた息をかは、かは、と吐いた。
「は、放せよ!」
 ぼくはアクベンスの手を振り払った。こいつ、ぼくを……ぼくを女だと思いやがったな! ぼくはそれが一番ムカつくんだ! ぼくは男だ! それも騎士だ! いまはレオのひもになって毎日だらだら過ごしてるけど、ひとたび剣を構えれば、どんな悪党だろうと、どんな剣士だろうと全員ブッ倒してやれるほどの達人だ! そりゃあ背も低いし体も細いさ! 母親似で、男にしてはなよっちい顔つきなのも知ってるよ! でもね! それでもなんでも、ぼくは女に間違われるのが大っきらいなんだ!
「よくもぼくを女だなんて言ったな! せっかく同情してやったのに! このクソやろう!」
「あわわ」
「いいか、おまえはバカだ! どうしようもないクソバカだ! おまえについてる目玉はふたっつともクソだ! いいや、おまえの存在自体がクソだ! あんまりクソだから教えてやるよ! おまえはこれから一ヶ月以内に死ぬんだ! 全財産を失って、店も失って、ぼろぼろになって無様ぶざまにくたばるんだ! 希望なんかないさ! せいぜいバカな自分を後悔して、男をオカズにオナニーでもしてろよ! このクソバカやろう!」
 ぼくはそう怒鳴り散らしてきびすを返し、
「行くよ! ぼくはこんなクソの宮殿にはいたくない! このクソバカとおなじ空気を吸ってると思うだけで吐き気がする!」
 とレオに言った。レオは聞いてるのか聞いてないのか、腹を抱えて笑っていた。
「あははははは! 今日のおまえは最高だ! 愛してるぞ!」
「くだらないこと言ってないで行くよ!」
「あははは! わかった、わかった。あははは!」
 ぼくはアクベンスがどんな顔をしているかも見ずにドスドス立ち去った。あんなヤツ死んじまえばいいんだ。顔も見たくない。ちくしょう、ぼくは男だってのに。
 部屋を出ると、聞き耳を立てていたらしいキャンサーがへへへと笑っていた。
「いやぁ、クロさん怒ると恐いでやんすねぇ。しかしなるほど、旦那を突き動かしていたのは情欲でやしたか。勉強になりやした」
「まさかおまえまでぼくを女だと思ってやしないだろうな!?」
「いやいや、滅相もござんせえ。クロさんはどう見ても男でやんす」
「ふん! あんなヤツ、骨のずいまでしゃぶってやれよ! 二度と立ち直れないまでボロボロにするんだ!」
「へえ、お任せくだせえ」
 ぼくは荒っぽい気持ちが抑えられず、キャンサーに挨拶もせず立ち去った。その背後でレオとキャンサーの会話が聞こえた。
「おもしろかったな。ところでわたしもあの男が死ぬところが見たい。我々は魔の森の館に住んでいるから、死にそうになったら教えてくれないか?」
「へえ、恩人の頼みとあればお安い御用で」
「助かる。おまえなら森を歩けば案内が付くようにしておくから頼んだぞ。それからこのことはすべて他言無用で頼む。死にたくないだろう?」
「へえ、噛みついちゃいけない相手はよくわかってやすから。たのしみにお待ちくだせえ」
「ああ、たのしみにしている。まったく、実にたのしみだよ」
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