魂売りのレオ

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第四話 アクアリウスの罠

アクアリウスの罠 一

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 ひとを救うというのは簡単じゃありません。わたしもできる限り多くのひとを救いたいと思っていますが、そのためにはそれなりに財や知恵、そして責任と労力が必要です。自分のことだけで精一杯なのに、無責任なことを言って、相手だけでなく自分までボロボロになってしまった。そんな過去の失敗が、いまでもありありと思い出されます。
 結局、手の届く範囲のことしかできないのですね。なにかをするのも、だれかを救うのも、せいぜい手の届く範囲まで。
 でもそれでいいんです。それ以上は足を踏み出さなければなりません。危険な場所はたいがい足元がぬかるんでいます。
 しかし世の中には身をにしてでもひと助けがしたいという稀有けうな人間がいるものです。もしあなたの傍にそんな方がいたら、転ばないよう支えてあげましょう。なにせそのひとは自ら進んでぬかるみに飛び込んでしまうのですから。

第四話 アクアリウスの罠

 ぼくはアーサー。歳は十七。代々王都の近衛兵長を勤めた騎士の一族の末裔まつえいだ。
 自分で言うのもなんだけど、ぼくは剣の腕ならだれにも負けない。もしかしたらぼくより強いひともいるかもしれないけど、少なくとも模擬戦では遅れをとったことはないし、兵士をしていたころの成績はベテランと比べても見劣りしない。
 そんなぼくは一年前から魔の森と呼ばれる秘境に住むレオという美女の元で”ひも”生活を送っており、だらだらと活気のない日々を繰り返している。
 するとどうしたって剣の腕は鈍る。兵士だったころは毎日何時間も訓練をしていたが、いまの暮らしは起きては寝て、遊んでは食べの繰り返しだ。これで剣技を維持できるはずがない。
 そこでぼくはときどきレオの使い魔”レグルス”に稽古けいこをつけてもらっている。
 レグルスは強い。なにせ彼女は虎だ。それもふつうの虎より何倍も大きく、あらゆる敵を剛腕のひと振りで薙ぎ倒してきたという、とんでもない巨獣だ。
 使い魔がひとに変げするとき、その容姿は元の姿が反映する。たとえばアルテルフは成鳥にもかかわらず小柄な鷹で、だから人間になると少女のように小さくなる。
 レグルスの場合、体格はレオとほとんど変わらない。だが質感が違う。レオが女性らしい柔和にゅうわな四肢をしているのに対し、レグルスの肌には筋肉の質感が浮いている。そしてなぜか胸がかなり大きい。片方の胸に赤ん坊の頭がすっぽり中に入ってしまうくらいある。それがぴっちりとした服で覆われていて、腕を振るたびにブルンブルンと揺れるから、目のやり場に困ってしまう。
 そんなんだから、ぼくはつい遅れをとってしまう。
「脇が甘い!」
 ぼくはレグルスと木剣で打ち合い、また一発もらってしまった。痛みはあまりない。木剣といっても中身をスカスカにくり抜いたもので、当たっても怪我しないようになっている。それをレオの魔法で重く感じるようにし、鋼鉄と同じ振り心地ごこちにしているから、動きは実戦と変わらない。するとぼくは昼前現在、すでに五十回は死んでいることになる。
「どうしたのですか。それで騎士を名乗るつもりですか」
 レグルスは、こと戦いになるとキツい。ふだんはお堅い生真面目きまじめな使用人で、常に気遣いが行き届き、決して相手を傷つけたりしない。しかし元来がんらい好戦的な彼女は剣を持つと一切の容赦ようしゃがなくなる。それは言葉遣いにさえ如実にょじつに現れる。
「その程度の腕でレオ様のおそばにいようなどと、恥ずかしくないのですか。わたくしならいますぐ四つん這いになって首輪をつけて飼ってもらうところでしょう」
「ぐっ……」
 ずいぶんな言いざまだ。だがそれだけ彼女は闘いに真剣で誇りを持っている。罵倒に聞こえるが、ぼくを奮い立たせる真の戦士の言葉だ。
 それにしてもやりにくい。本当だったら負けないはずなのに、どうしても胸が目に入ってしまう。こんなのぼくの実力じゃないんだ。ぼくは本当はもっと強いはずなのに……
「まさかわたしが女だからと気遅れしているわけじゃありませんよね? 戦いに男も女もありませんよ」
「うぐぐ……」
 彼女の言う通りだ。いのちのやり取りがはじまれば、そこに性別は関係ない。刃を相手に突き刺すか、あるいは刺されるかしかない。心臓をえぐられたあとで「胸に見惚みとれて死にました」なんて言うわけにはいかない。
 しかしレグルスは見惚れるほど美しい。それこそレオと並ぶほどの美女だ。顔立ちが整っているのはもちろん、やわらかみのある丸っこい瞳に、やや太めのキリッとした眉、短めのざくざくした髪、そのどれもが墨を落としたように黒く、つやがあり、健康的な褐色肌が相まって、好みによっては彼女こそが世界一の美女かもしれない。
 そんな美女が肉体美と豊かな胸を持って汗をかけば、それだけで芸術であり、男が惑うのは当然だ。
「さあ、次に行きますよ。そろそろ一本取ってください。もっとも、わたしの腕力を押しのけて剣を返せるのでしたらね」
 そう言ってレグルスは剣を構えると、常人では見えない速度でぼくの横腹を薙ぎ払おうとした。ぼくは瞬時に剣で受け、その後すさまじい連撃を浴びせられた。ひと振りひと振りが瞬息しゅんそくで、すべてが必殺級の一撃だ。虎の持つ生まれ持った強さが人間の技術に乗って絶え間なく繰り出される。ぼくほどの達人じゃなきゃ、視覚でとらえることもできず食らってしまうだろう。悔しいけど、彼女は強い。
 もっとも、ぼくだって負けてないつもりだ。パワーをいなして反撃に出る手立ては持っている。技術は圧倒的にこちらが上だ。
 だけど、その……つい目が行ってしまう。だって、レグルスは下着をつけていないんだ。だから先端がとがってるのがはっきりわかるし、その周りの輪も大きめでぷっくりしているのがどうしても気になってしまう。真剣勝負で気をらしちゃいけないはずなのに、視線が吸い込まれて防戦一方になってしまう。
 ぼくは体勢を整えようと、いったん後ろに退いて剣を構え直した。向こうも反撃を警戒して、いちど動きを止め、ぼくの全身を見据えた。達人は相手の目を見ながら、同時に足のつま先まで見る。四肢の先端の動きひとつで次の動作を予測し、視線は目から一切逸らさない。
 しかし、達人であるはずのレグルスが突然、
「きゃっ!」
 とほほを赤く染め、なよなよしくくねった。
「え?」
「あ、アーサー様……それ……いやぁ!」
 レグルスはふだんの威厳ある声ではなく、毛虫を見た少女のような声でうめき、顔を手で覆った。”それ”っていったい……
「あっ!」
 ぼくは瞬時に前屈みになって股間を押さえた。き、気がつかなかった。ああ、ぼくは最低だ。騎士が戦いの最中に、いくら相手が美女で、豊満で、ぷっくりしていたからって……
「ち、違うんだレグルス!」
「なにが違うんですか! そんなになって、わたくしをそんな目で見ていたなんて……ま、まさか……」
 レグルスは身を縮め、胸を隠すように腕を巻きつけ、震えながら、
「まさか、いままでの稽古でもずっとそういう目で見ていたんですか!?」
「そ、それは……」
「やっぱり! ふええええん!」
 レグルスは泣き出してしまった。違うんだ。わざとじゃない。たしかにいちど目に入ったらそんな感情が生まれもしたし、気づかなかっただけでこうなっていたかもしれないけど、決してわざとじゃないんだ!
「あははははは!」
 突如、レオの笑いがこだました。声の元を見ると、溜め池を囲う石の上にレオが座り、片手にウィスキーのグラスを握っていた。戦いに必死で気づかなかったが、いつからか見ていたらしい。
「まったく、レグルスを泣かせるとは大したスケベだな」
「れ、レオ……!」
「さすがはわたしの愛した男だ。腕の剣では敵わないから、男の剣で勝とうとはなぁ。あははは!」
「ち、違うよ! これはつい……」
「違うもなにも、そうなっているではないか」
「ううっ……」
 言い返せない……だって、たしかにそうなっている。
「れ、レオ様ァ!」
 レグルスは剣を放り捨ててレオに駆け寄り、幼児のようにその脚にすがった。彼女は性的なことに一切耐性がない。いやらしい話を聞いただけで顔を真っ赤にし、場合によってはこんなふうに泣いてしまう。
 剛腕で生真面目な虎も、こうなると子猫以下だ。そんなレグルスをレオが、
「よしよし、怖かったな。もう大丈夫だぞ」
 と頭を撫でると、ひっく、ひっく、としゃくり上げ、レオの太ももに顔を埋めた。強いんだか弱いんだかわかんない虎だよ。でもまあ、以前レオもこう言っていたしなぁ。
「ひとも、獣も、こころはひとつではない。やさしさと残忍さを同時にあわせ持ち、強さと弱さをともに内包し、ひどく真面目かと思えば実はとんでもなくみだらだったりする。そんなものだ」——と。
 ぼくは騎士だから弱さや恥になるようなこころを切り捨てるよう努力しているけど、レオに言わせればそんなのは無駄な努力で、
「だったら少しはすぐ元気になる”それ”をおとなしくさせてみろ」
 と言われてぐうの音も出なかった。ぼくのような騎士でも浮ついたこころを持ってしまうんだから、猛獣でもやはり弱さはあるんだろう。……ぼくももっとこころを鍛えないとなぁ。
「さて、おまえたちそろそろ疲れただろう。わたしは腹が減った。昼メシにしようじゃないか」
 レオがそんなことを言っていると、
「カアー、カアー」
 空からカラスの鳴き声が聞こえた。
「おや?」
 とレオが言うと、レグルスはバッと立ち上がり、しゃんとして見せた。元来気丈な彼女は、ひと前で極力恥ずかしいところを見せないようにしている。カラスとはいえ、獣の世界では一個人だ。
「あのカラスは、もしや……」
 そう言ってレオが立ち上がると、その目の前に一羽のカラスが降り立った。
「白いカラス?」
 とぼくはつぶやいた。そう、白かった。しかしかたちはどう見てもカラスで、鳴き声もカラスだった。
「スードじゃないか」
 そう言ってレオはパッと明るい顔をした。するとスードと呼ばれた白カラスはもやもやと膨らみ、かたちを変え、ひとの姿になった。
 それは白い少女だった。肌は雪のように白く、髪も純白。少女らしくやわらかい顔立ちで、黒を基調としたひらひらのメイド服を着ていた。そのスカートの両端をつまんで、
「お久しぶりです、レオ様」
 と小さく首をかしげた。
「この子もレオの使い魔?」
 ぼくはスードを見るのははじめてだった。そもそもレオの使い魔は、鷹のアルテルフ、虎のレグルス、馬のデネボラ、蜘蛛のゾスマの四匹だ。このほかにはいないはずだけど……
「いや、違う。こいつはわたしの使い魔ではない」
 レオはそう言ってスードを見つめ、懐かしむように目を細め、言った。
「こいつはサダルスード。わたしの師匠であり、いのちの恩人であるアクアリウス様の使い魔だ」
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