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第五話 だらしない女
だらしない女 七
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「このいけないパパ! 反省しなさい!」
ぼくはその夜、全裸で両手足をふん縛られ、例のすだれムチでメッタ打ちにされた。そのうえで、
「あなたがもう娘に欲情できないよう、ぜーんぶ搾り取ってあげるわ!」
と、レオはありとあらゆる手段を使ってぼくに胤を吐き出させた。縛られて自由が効かないからされるがままで、そのすさまじい手解きでぼくはもう、汗も声もすべて出し切ってしまった。
しかしそれでもレオは容赦せず、
「あら、もうおねんね? でも男にはこんな弱点があるのよ」
と言って、まさかあんなところに、あんなことをした。するとくたくたで立ち上がれなくなったはずのものがよみがえり、ゼロよりも下、マイナスまで搾り取られてしまった。
「ふぅ、これで数日は悪い気を起こさないでしょう。たのしかったわ」
たのしかっただって? ぼくはへろへろだよ。精も根も尽き果ててしまった。それに、あんなところにあんなことをされてよろこぶようじゃ、騎士としてもう終わりだよ。
「でも、よかったでしょう?」
……まあ、否定はしないけどさ。ただ、あんまり刺激が強すぎて……
「でも、たまにはいいでしょう?」
………………レオがどうしてもって言うなら付き合うけどさ。
「あら、もうこんな時間なのね。ずいぶん白熱しちゃったわ」
時計の針は真夜中を指していた。よく持ったなぁ、ぼくの体。もうくたくただし、疲れてお腹が空いたよ。
「ねえパパ、ちょっとキッチンに行かない? ママはお腹が空きましたわ」
「そうだね。それにのどが渇いた」
そんなわけでぼくらはこっそり廊下を歩き、真夜中のキッチンへと向かった。
今夜は月が丸く、窓から漏れる月明かりで十分足元が見える。しかしそれは不都合なことで、レオは暗闇を求めていた。
「だって見られたら恥ずかしいでしょ。娘に夜中食べるなと言っておいて、自分たちがこんなことしてるなんて、バレたら面目丸潰れじゃない」
「そんな心配しなくてもいいと思うけどなぁ。みんなとっくに寝てるよ。それに、明るかろうが、暗かろうが、キッチンでごそごそ音がしてれば見えなくてもおなじことだよ」
「バカねぇ。”聞かれない魔法”を使えば周りに音が漏れないのよ。一応いまも使ってるけど、これじゃ見られたらおしまいなのよ」
「あ、そうか」
すっかり魔法のことを忘れていた。魔法を使えば音を消せるんだった。
「パパったらもう。とにかく急ぐわよ」
ぼくらはキッチンに忍び込み、食材の入ったかごや棚を物色した。
「このチーズいただきましょ」
「あ、それぼくもほしいなぁ」
「もぐもぐ、はい。あ、パパこれなんてどう? パパのより大きいソーセージ」
「……うん。もらうよ」
「ちょっとくわえてみようかしら」
「や、やめなよ」
「うふふ、嫉妬しちゃって」
「しないよ。それよりまだ夕食のパンは残ってる?」
「あるわよほら」
レオはパンをひとつ手に取り、ぼくに渡した。それを受け取るとき、ぼくは両手を差し出し、レオの手ごと包み込んだ。
すると、
「あ……」
「……」
ぼくらは言葉を止めた。そして、
「あはは」
「ふふふ」
ふたりして笑った。
「なつかしいね……」
「そうだな……」
「あのころもこんなことをしてたね」
ぼくらはむかし、こうしてレオの館でつまみ食いをしていた。十年前、近隣諸国との軋轢で戦争の気配があったころ、いっとき父さん以外の家族がこの辺りに隠遁していた。そのときぼくはレオと出会い、毎日のように森や館でいっしょに遊んだ。
たまにキッチンに忍び込み、こうして食材を漁っていた。そんなある日、ぼくはレオからパンを受け取ろうとして、レオの手に触れたことがあった。そのときぼくはひどく慌てて、なんども頭を下げたのだが、幼いレオはむしろぼくの手をがっちり握って、
「はい、パン」
と、まっすぐ目を見ながら渡してきた。どうしてそんなことをするのか、ぼくにはわからなかったが、ただとにかくドキドキして頭が回らなかったのと、それ以来レオがやたら手を握ってくるようになったことは覚えている。
「おまえ、あのころからわたしのことが好きだったんだろう?」
「うん……そうかもね」
「わたしもだ」
「レオも?」
「わたしもあのころからずっとおまえが好きだった。ずっとおまえがここに来ないかと思っていた」
「レオ……」
「ふふ……」
レオはぼくの手をつかみ、まっすぐ目を見つめ、
「はい、パン」
と手渡した。それを受け取ったぼくのこころはもうパンどころじゃなくなっていた。
「あそこでおまえが慌てなければ、きっとわたしはキスをしていただろう」
そう言ってレオはゆっくりと顔を近づけた。ぼくは黙って、おなじようにお迎えをしようとした。
そんなとき、
「あーっ!」
入り口から声がし、ぼくらは振り向いた。
「あ、デネボラ!」
レオは肩を跳ね上げ、床に並んだ食材のかごを慌てて背に隠した。しかしもうとっくに見られており、
「ずるいですぅ! 自分も夜中に食べてるじゃないですかぁ!」
「ち、違う! これはアーサーが!」
「え、ぼく!?」
「わたしはダメだと言ったんだ! しかしこいつがどうしても腹が減ったとうるさくて……」
「違うよ! レオがお腹すいたって言ったんだよ!」
「おまえ、わたしに罪をなすりつけるのか!?」
「ぎ、逆だよ!」
レオったらなんてこと言うんだ! そりゃぼくもお腹は空いていたけど、デネボラの前で権威を保つためにぼくを悪者にするなんて、いくらレオだからって性格悪すぎるよ!
「クスクス」
そんなぼくらの言い合いを見て、デネボラが笑った。
「おふたりは本当に仲がいいんですねぇ」
「あ、あたりまえだ。愛し合ってるんだからな」
レオはバツが悪そうに咳払いをしてそっぽを向いた。やや顔が赤い。そんなレオにデネボラは擦り寄り、
「わたしもパンもらっていいですかぁ?」
と言いながら、すでにパンをかじっていた。
「あ、こら!」
「いいじゃない、少しくらい」
ぼくは立ち上がろうとしたレオの肩を押さえた。するとレオはため息をつき、
「今日だけだぞ。我々だってたまのことなんだからな」
と不満そうにパンをかじった。
「そういえばもうママはやめたんですかぁ?」
デネボラはふたつめのパンを取りながら言った。
「ふだんの口調に戻ってますけどぉ」
「ああ、あれか。もういいだろう」
「飽きたんですかぁ?」
「まあ、そんなところだ。それにわたしにママは似合わんだろう」
ぼくはそれを聞いてホッとした。なんせ今日一日、レオがママを演じてからというもの大変だった。明日もやるなんて言われた日には逃げ出してたかもしれない。あれは母親じゃなくてスパルタ女王様だよ。何回ムチで叩かれたことか。
「それにしてもなんでママのフリしてたんですかぁ? 突然でしたよねぇ」
「あれはな、アーサーに母さんみたいだと言われてつい母親への憧れが沸き立ってしまったんだ。なにせわたしは子供が作れないだろう。もし、アーサーとのあいだに子供ができたら——それを想像してのままごとだ」
げっ、あれは本気で母親を演じていたのか!? レオの母さんっていったいどんなひとだったんだろう。あんまり記憶にないなぁ……
「しかし無理があったな。しょせんわたしは親ではない。アクア様も唖然としておられたしな。下手くそだったに違いない」
わかってたんならやめればよかったのに。おかげで体じゅうにムチの痕が残ってるよ。
「ははは、わたしもバカだな。あんなふざけたことを唐突にはじめるんだから」
レオはそう言って笑い、いつのまにか手にしていたウィスキーの小ビンをくいっとやった。
「ほんとだよ。ぼく、レオが突然ママって言い出したときはびっくりして、なにかと思っちゃった」
「そうですよぉ。おまけにアクア様をドクターって呼ぶんですから。思い出したら笑っちゃいますぅ」
「あはははは、すまなかったな! あはははははは!」
レオは笑った。たのしそうに、おかしそうに笑った。酒に強いはずのレオが、酔っ払ってしまったのかと思うほどの大笑いだった。それが、
「あはは、あははは、はぁ……」
ふと気が抜けたようなため息を吐き、静かになった。レオはまだ笑いの余韻の残る、しかしどこか悲しげな顔でぼくを見つめた。
「どうしたの?」
ぼくはなんだろうと思って訊いた。なにか不穏な気配があった。
すると、ぼそりと言った。
「わたしに……」
レオの目からつぅっと涙がこぼれた。
「わたしに子が成せればなぁ……」
——あっ。
レオの顔がくしゃっと歪んだ。そして、
「うっ!」
ぎゅっと目をつぶり、閉じたまぶたの隙間からぼろぼろと涙があふれた。途端、
「わあああーー!」
レオはぼくの胸に飛びつき、大声で泣き叫んだ。
「わああーー! わあああーー!」
「レオ!?」
「なんでーー! なんでわたしはーー! どうしてーー!」
「……」
「なんでこんな体なんだーー! なんで子供ができないんだーー! わあああーー!」
「レオ……」
なにも言えなかった。
かける言葉が見つからなかった。
金で買えるなら目一杯働くだろう。努力で補えるなら死に物狂いになるだろう。
でもこれだけはどうにもならない。いちど失った肉体はどんな魔法でも取り戻すことはできない。
「おまえの子が欲しいよおーー! おまえのーー! おまえの子がーー! わあああーー!」
レオはぼくの胸が潰れそうなほど強く頭を押しつけた。ぼくは抱きしめ、ただただ頭を撫でることしかできなかった。
「レオ様……かわいそう」
デネボラも泣いていた。気づけばぼくも涙を流していた。
胸が苦しい……レオの悲しみがこころから苦しい……どうにかしてあげたいのに、なにもしてあげられない。ちくしょう、ぼくはなんて不甲斐ないんだ……
「どしたの?」
キッチンの扉の傍でアルテルフが怪訝そうに言った。どうやらレオの大泣きで目が覚め、見に来たらしい。それに加えて、
「どうしました! いったいなんの騒ぎ………………レオ様?」
レグルスも顔を出した。
「ぐすん、あのね、レオ様はアーサー様の子供が産めなくて泣いてるの」
デネボラが涙ながらに言った。すると二匹は声を失い、さめざめと立ちすくんだ。理由を知ったところでどうしようもなかった。
だれもレオを救えない。だれにもどうすることもできない。ただ、苦しみが過ぎるのを待つだけ。
そこに、ひょっこりとゾスマが現れた。
相変わらずのにやけ口。なにを言うでもなく、野次馬にでも来たかのようなツラ構えだ。
しかしその手にはヴァイオリンが握られていた。
ゾスマは弦楽器の名手だ。元が糸を扱う蜘蛛という生き物だからか、ヴァイオリンに留まらずさまざまな弦楽器を弾きこなす。その幅は異国の楽器にまで及ぶ。
ゾスマはヴァイオリンを構え、ゆっくりと弾きはじめた。静かな、まるで子守唄を思わせるようなおだやかな旋律が月明かりのキッチンに響いた。
するとレオの泣き声がやんだ。
あるいは突然の楽の音を不思議に思っただけかもしれない。それでもレオの叫びは収まり、咽び泣く程度まで落ち着いた。
それを見たアルテルフとデネボラが顔を見合わせ、キッチンを飛び出した。遅れてレグルスも駆けて行った。
まもなくアルテルフがピッコロを手に戻って来た。彼女は笛が得意で、今夜はヴァイオリンのやさしい曲調に合わせて、小鳥のさえずりにも似た、朗らかな音を吹いた。
次に戻って来たのはデネボラで、アコーディオンを抱えていた。ピアノをたしなむ彼女は、夜のにおいを感じさせるような哀愁漂うメロディを二匹の音色に重ねた。
レグルスはなにも弾けないので、タンバリンを持って来てシャンシャンやった。下手くそだが、必死にリズムに合わせ、レオを和ませようとしているのが伝わってきた。
みんなそうだった。四匹の使い魔たちは、全員がレオの悲しみを消そうと、こころから音楽を奏でていた。
「レオ、みんなが慰めてくれてるよ」
「うっ……ぐすっ、ぐすっ……」
レオはほとんど泣き止んでいた。しかし依然ぼくの服をがっちりつかんで離さず、涙と鼻水まみれの顔を押しつけていた。
ぼくは、子供みたいにぐずり続けるレオの背中をやさしく抱き、ふふ、と笑った。
悲しみを抱えているはずなのに、不思議とあたたかい気持ちだった。
——みんないい子だなぁ。
レオ、君はたしかに子供は作れないけど、こんなにやさしい子供たちに囲まれているよ。いたずら好きで、わがままで、中には真面目なのもいるけど、なに考えてるのかわかんないのもいて……でもみんなが君を想ってる。みんなが君の涙を哀しんでくれる。みんなが君の笑顔をよろこんでくれる。だれもがこころから君を愛している。
うれしいなぁ。ぼくまでうれしいよ。
ふふ……いいさ、いつまでも泣いていればいいよ。ずっとこうしていてあげる。君が泣きやむまで、君が笑顔になるまで、ぼくはこうして君の涙と鼻水でぐしゃぐしゃになって、そっと頭を撫でていてあげる。夜が明けても、次の夜が来てもだ。
そう、いつまでも、ずっと、ずうっと、ね……
カーテンの隙間の向こう、青く明るい闇の空に、くっきりときれいな満月が浮かんでいた。
透明な光がキッチンに差し込み、暗く、明るく照らしていた。
音楽はいつまでも鳴り続けていた。
ぼくはその夜、全裸で両手足をふん縛られ、例のすだれムチでメッタ打ちにされた。そのうえで、
「あなたがもう娘に欲情できないよう、ぜーんぶ搾り取ってあげるわ!」
と、レオはありとあらゆる手段を使ってぼくに胤を吐き出させた。縛られて自由が効かないからされるがままで、そのすさまじい手解きでぼくはもう、汗も声もすべて出し切ってしまった。
しかしそれでもレオは容赦せず、
「あら、もうおねんね? でも男にはこんな弱点があるのよ」
と言って、まさかあんなところに、あんなことをした。するとくたくたで立ち上がれなくなったはずのものがよみがえり、ゼロよりも下、マイナスまで搾り取られてしまった。
「ふぅ、これで数日は悪い気を起こさないでしょう。たのしかったわ」
たのしかっただって? ぼくはへろへろだよ。精も根も尽き果ててしまった。それに、あんなところにあんなことをされてよろこぶようじゃ、騎士としてもう終わりだよ。
「でも、よかったでしょう?」
……まあ、否定はしないけどさ。ただ、あんまり刺激が強すぎて……
「でも、たまにはいいでしょう?」
………………レオがどうしてもって言うなら付き合うけどさ。
「あら、もうこんな時間なのね。ずいぶん白熱しちゃったわ」
時計の針は真夜中を指していた。よく持ったなぁ、ぼくの体。もうくたくただし、疲れてお腹が空いたよ。
「ねえパパ、ちょっとキッチンに行かない? ママはお腹が空きましたわ」
「そうだね。それにのどが渇いた」
そんなわけでぼくらはこっそり廊下を歩き、真夜中のキッチンへと向かった。
今夜は月が丸く、窓から漏れる月明かりで十分足元が見える。しかしそれは不都合なことで、レオは暗闇を求めていた。
「だって見られたら恥ずかしいでしょ。娘に夜中食べるなと言っておいて、自分たちがこんなことしてるなんて、バレたら面目丸潰れじゃない」
「そんな心配しなくてもいいと思うけどなぁ。みんなとっくに寝てるよ。それに、明るかろうが、暗かろうが、キッチンでごそごそ音がしてれば見えなくてもおなじことだよ」
「バカねぇ。”聞かれない魔法”を使えば周りに音が漏れないのよ。一応いまも使ってるけど、これじゃ見られたらおしまいなのよ」
「あ、そうか」
すっかり魔法のことを忘れていた。魔法を使えば音を消せるんだった。
「パパったらもう。とにかく急ぐわよ」
ぼくらはキッチンに忍び込み、食材の入ったかごや棚を物色した。
「このチーズいただきましょ」
「あ、それぼくもほしいなぁ」
「もぐもぐ、はい。あ、パパこれなんてどう? パパのより大きいソーセージ」
「……うん。もらうよ」
「ちょっとくわえてみようかしら」
「や、やめなよ」
「うふふ、嫉妬しちゃって」
「しないよ。それよりまだ夕食のパンは残ってる?」
「あるわよほら」
レオはパンをひとつ手に取り、ぼくに渡した。それを受け取るとき、ぼくは両手を差し出し、レオの手ごと包み込んだ。
すると、
「あ……」
「……」
ぼくらは言葉を止めた。そして、
「あはは」
「ふふふ」
ふたりして笑った。
「なつかしいね……」
「そうだな……」
「あのころもこんなことをしてたね」
ぼくらはむかし、こうしてレオの館でつまみ食いをしていた。十年前、近隣諸国との軋轢で戦争の気配があったころ、いっとき父さん以外の家族がこの辺りに隠遁していた。そのときぼくはレオと出会い、毎日のように森や館でいっしょに遊んだ。
たまにキッチンに忍び込み、こうして食材を漁っていた。そんなある日、ぼくはレオからパンを受け取ろうとして、レオの手に触れたことがあった。そのときぼくはひどく慌てて、なんども頭を下げたのだが、幼いレオはむしろぼくの手をがっちり握って、
「はい、パン」
と、まっすぐ目を見ながら渡してきた。どうしてそんなことをするのか、ぼくにはわからなかったが、ただとにかくドキドキして頭が回らなかったのと、それ以来レオがやたら手を握ってくるようになったことは覚えている。
「おまえ、あのころからわたしのことが好きだったんだろう?」
「うん……そうかもね」
「わたしもだ」
「レオも?」
「わたしもあのころからずっとおまえが好きだった。ずっとおまえがここに来ないかと思っていた」
「レオ……」
「ふふ……」
レオはぼくの手をつかみ、まっすぐ目を見つめ、
「はい、パン」
と手渡した。それを受け取ったぼくのこころはもうパンどころじゃなくなっていた。
「あそこでおまえが慌てなければ、きっとわたしはキスをしていただろう」
そう言ってレオはゆっくりと顔を近づけた。ぼくは黙って、おなじようにお迎えをしようとした。
そんなとき、
「あーっ!」
入り口から声がし、ぼくらは振り向いた。
「あ、デネボラ!」
レオは肩を跳ね上げ、床に並んだ食材のかごを慌てて背に隠した。しかしもうとっくに見られており、
「ずるいですぅ! 自分も夜中に食べてるじゃないですかぁ!」
「ち、違う! これはアーサーが!」
「え、ぼく!?」
「わたしはダメだと言ったんだ! しかしこいつがどうしても腹が減ったとうるさくて……」
「違うよ! レオがお腹すいたって言ったんだよ!」
「おまえ、わたしに罪をなすりつけるのか!?」
「ぎ、逆だよ!」
レオったらなんてこと言うんだ! そりゃぼくもお腹は空いていたけど、デネボラの前で権威を保つためにぼくを悪者にするなんて、いくらレオだからって性格悪すぎるよ!
「クスクス」
そんなぼくらの言い合いを見て、デネボラが笑った。
「おふたりは本当に仲がいいんですねぇ」
「あ、あたりまえだ。愛し合ってるんだからな」
レオはバツが悪そうに咳払いをしてそっぽを向いた。やや顔が赤い。そんなレオにデネボラは擦り寄り、
「わたしもパンもらっていいですかぁ?」
と言いながら、すでにパンをかじっていた。
「あ、こら!」
「いいじゃない、少しくらい」
ぼくは立ち上がろうとしたレオの肩を押さえた。するとレオはため息をつき、
「今日だけだぞ。我々だってたまのことなんだからな」
と不満そうにパンをかじった。
「そういえばもうママはやめたんですかぁ?」
デネボラはふたつめのパンを取りながら言った。
「ふだんの口調に戻ってますけどぉ」
「ああ、あれか。もういいだろう」
「飽きたんですかぁ?」
「まあ、そんなところだ。それにわたしにママは似合わんだろう」
ぼくはそれを聞いてホッとした。なんせ今日一日、レオがママを演じてからというもの大変だった。明日もやるなんて言われた日には逃げ出してたかもしれない。あれは母親じゃなくてスパルタ女王様だよ。何回ムチで叩かれたことか。
「それにしてもなんでママのフリしてたんですかぁ? 突然でしたよねぇ」
「あれはな、アーサーに母さんみたいだと言われてつい母親への憧れが沸き立ってしまったんだ。なにせわたしは子供が作れないだろう。もし、アーサーとのあいだに子供ができたら——それを想像してのままごとだ」
げっ、あれは本気で母親を演じていたのか!? レオの母さんっていったいどんなひとだったんだろう。あんまり記憶にないなぁ……
「しかし無理があったな。しょせんわたしは親ではない。アクア様も唖然としておられたしな。下手くそだったに違いない」
わかってたんならやめればよかったのに。おかげで体じゅうにムチの痕が残ってるよ。
「ははは、わたしもバカだな。あんなふざけたことを唐突にはじめるんだから」
レオはそう言って笑い、いつのまにか手にしていたウィスキーの小ビンをくいっとやった。
「ほんとだよ。ぼく、レオが突然ママって言い出したときはびっくりして、なにかと思っちゃった」
「そうですよぉ。おまけにアクア様をドクターって呼ぶんですから。思い出したら笑っちゃいますぅ」
「あはははは、すまなかったな! あはははははは!」
レオは笑った。たのしそうに、おかしそうに笑った。酒に強いはずのレオが、酔っ払ってしまったのかと思うほどの大笑いだった。それが、
「あはは、あははは、はぁ……」
ふと気が抜けたようなため息を吐き、静かになった。レオはまだ笑いの余韻の残る、しかしどこか悲しげな顔でぼくを見つめた。
「どうしたの?」
ぼくはなんだろうと思って訊いた。なにか不穏な気配があった。
すると、ぼそりと言った。
「わたしに……」
レオの目からつぅっと涙がこぼれた。
「わたしに子が成せればなぁ……」
——あっ。
レオの顔がくしゃっと歪んだ。そして、
「うっ!」
ぎゅっと目をつぶり、閉じたまぶたの隙間からぼろぼろと涙があふれた。途端、
「わあああーー!」
レオはぼくの胸に飛びつき、大声で泣き叫んだ。
「わああーー! わあああーー!」
「レオ!?」
「なんでーー! なんでわたしはーー! どうしてーー!」
「……」
「なんでこんな体なんだーー! なんで子供ができないんだーー! わあああーー!」
「レオ……」
なにも言えなかった。
かける言葉が見つからなかった。
金で買えるなら目一杯働くだろう。努力で補えるなら死に物狂いになるだろう。
でもこれだけはどうにもならない。いちど失った肉体はどんな魔法でも取り戻すことはできない。
「おまえの子が欲しいよおーー! おまえのーー! おまえの子がーー! わあああーー!」
レオはぼくの胸が潰れそうなほど強く頭を押しつけた。ぼくは抱きしめ、ただただ頭を撫でることしかできなかった。
「レオ様……かわいそう」
デネボラも泣いていた。気づけばぼくも涙を流していた。
胸が苦しい……レオの悲しみがこころから苦しい……どうにかしてあげたいのに、なにもしてあげられない。ちくしょう、ぼくはなんて不甲斐ないんだ……
「どしたの?」
キッチンの扉の傍でアルテルフが怪訝そうに言った。どうやらレオの大泣きで目が覚め、見に来たらしい。それに加えて、
「どうしました! いったいなんの騒ぎ………………レオ様?」
レグルスも顔を出した。
「ぐすん、あのね、レオ様はアーサー様の子供が産めなくて泣いてるの」
デネボラが涙ながらに言った。すると二匹は声を失い、さめざめと立ちすくんだ。理由を知ったところでどうしようもなかった。
だれもレオを救えない。だれにもどうすることもできない。ただ、苦しみが過ぎるのを待つだけ。
そこに、ひょっこりとゾスマが現れた。
相変わらずのにやけ口。なにを言うでもなく、野次馬にでも来たかのようなツラ構えだ。
しかしその手にはヴァイオリンが握られていた。
ゾスマは弦楽器の名手だ。元が糸を扱う蜘蛛という生き物だからか、ヴァイオリンに留まらずさまざまな弦楽器を弾きこなす。その幅は異国の楽器にまで及ぶ。
ゾスマはヴァイオリンを構え、ゆっくりと弾きはじめた。静かな、まるで子守唄を思わせるようなおだやかな旋律が月明かりのキッチンに響いた。
するとレオの泣き声がやんだ。
あるいは突然の楽の音を不思議に思っただけかもしれない。それでもレオの叫びは収まり、咽び泣く程度まで落ち着いた。
それを見たアルテルフとデネボラが顔を見合わせ、キッチンを飛び出した。遅れてレグルスも駆けて行った。
まもなくアルテルフがピッコロを手に戻って来た。彼女は笛が得意で、今夜はヴァイオリンのやさしい曲調に合わせて、小鳥のさえずりにも似た、朗らかな音を吹いた。
次に戻って来たのはデネボラで、アコーディオンを抱えていた。ピアノをたしなむ彼女は、夜のにおいを感じさせるような哀愁漂うメロディを二匹の音色に重ねた。
レグルスはなにも弾けないので、タンバリンを持って来てシャンシャンやった。下手くそだが、必死にリズムに合わせ、レオを和ませようとしているのが伝わってきた。
みんなそうだった。四匹の使い魔たちは、全員がレオの悲しみを消そうと、こころから音楽を奏でていた。
「レオ、みんなが慰めてくれてるよ」
「うっ……ぐすっ、ぐすっ……」
レオはほとんど泣き止んでいた。しかし依然ぼくの服をがっちりつかんで離さず、涙と鼻水まみれの顔を押しつけていた。
ぼくは、子供みたいにぐずり続けるレオの背中をやさしく抱き、ふふ、と笑った。
悲しみを抱えているはずなのに、不思議とあたたかい気持ちだった。
——みんないい子だなぁ。
レオ、君はたしかに子供は作れないけど、こんなにやさしい子供たちに囲まれているよ。いたずら好きで、わがままで、中には真面目なのもいるけど、なに考えてるのかわかんないのもいて……でもみんなが君を想ってる。みんなが君の涙を哀しんでくれる。みんなが君の笑顔をよろこんでくれる。だれもがこころから君を愛している。
うれしいなぁ。ぼくまでうれしいよ。
ふふ……いいさ、いつまでも泣いていればいいよ。ずっとこうしていてあげる。君が泣きやむまで、君が笑顔になるまで、ぼくはこうして君の涙と鼻水でぐしゃぐしゃになって、そっと頭を撫でていてあげる。夜が明けても、次の夜が来てもだ。
そう、いつまでも、ずっと、ずうっと、ね……
カーテンの隙間の向こう、青く明るい闇の空に、くっきりときれいな満月が浮かんでいた。
透明な光がキッチンに差し込み、暗く、明るく照らしていた。
音楽はいつまでも鳴り続けていた。
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桐島咲楽、東大大学院生。成績は天才、料理は壊滅的、距離感はおかしい。毎日転ぶ、焦がす、なぜか距離が近い。そのくせ授業は鬼のように丁寧で、俺のことを誰よりもよく見ていた。
偏差値42だった俺の成績は、気づけば上がっていた。でも、それより気になることがある。
咲楽さんが、研究ノートに何かを書いている。「被験者」という文字が、見えた気がした。
距離が近いのは、データのためか。褒めてくれるのは、実験のためか。でも、あの顔は。あの声は。
「データじゃなくて、私がそう思っています」
嘘をついているような顔じゃなかった。
偏差値42の俺に、東大院生の美女が押しかけてきた。ドタバタな毎日の中で、俺の心臓が休まる暇がない。これはドキドキなのか、心配なのか。それとも、もう恋なのか。
不器用な天才と、鈍感な高校生の、やばい同居生活。
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